今年はTurrellの"Roden Crater"が公開となる年、"Roden Crater"を観てしまったら、何を目標に生きれば良いのか。
ここのところの米国の奇妙な行動を見ていると、米国的な価値観のいくつかの限界が見えてきたように思う。
市場経済、それに伴うグローバリゼーション、これらは効率性や機会均等などの観点から素晴らしいものに思えたものの、どうやらそうでもないらしい。
ここのところの日本の不況も、また好況になれば良いという一時的なものではなく、価値観の根本的な変革が要請されているように思う。
価値観の変革のひとつは、大量生産・大量消費からの決別である。
大量生産・大量消費の価値観が染み付いた我々にとっては、物が売れないということは大変なことのように思える。
しかし、本来は物はそんなに売れる必要があるのだろうか?
大量消費・大量生産の価値観に基づいた市場経済やグローバリゼーションは確かに極めて効率的である。
しかし、その効率性は極端な貧富の差を生み出し、経済的植民地とも言うべき国々の上に成立している。
そこにはもはや機会均等などない。
新しい価値観のひとつは、欧州的な考え方にあるのではないか?
欧州の多くの国は市場経済から遅れ気味で、物質的にはそれほど豊かではないと思えるのに、精神的に豊かに思えるのは何故なのか?
福島清彦氏の「ヨーロッパ型資本主義」(講談社現代新書)には、米国の市場原理主義による資本主義と欧州の資本主義との違いを分析している。
また、新しい価値観のひとつは、スローフード、スローライフにあるのではないか?
Hotwired Japanに藤岡亜美氏の「スローウオータカフェ」のインタビューが載っていた。
スローウオータカフェは「スローでエコロジカルな暮らしの気持ちよさと、その必要性を伝えるための方法として、カフェという事業」をエクアドルなどとのフェアトレードにより展開している。
東京の府中にはカフェスローというお店もあるらしい。
しかし、インタビューで記憶に残った言葉は下記である。
「スローウォーターカフェ」をやるにあたって、足りないことは沢山ありました。
まず、事業計画が書けなかった。そこでビジネスの世界で活躍する人々にお世話になり、伝えたいことを一緒に形にした。そこで、足りないのは何も嘆くことではなく、その分だけ誰かとつながれるんだと思ったんです。デザインができなければデザイナーの人と友達になれる、というように。
[2003/3/30]
H・アール・カオスの「忘却という神話」を28日の金曜日に世田谷パブリックシアターに観に行ってきた。
席はGの16と、前から2番目の中央。
公演開始直前に、上からひらひらと、桜の花びらのようなものが落ちてきた。
舞台には壁、中央の四角い窓から、天子の翼を持った白河さんのダンス。
窓の下には本がうずたかく積まれている。
四角い窓を使って、6名全員でダンス。
後方からのライトで、ダンサは逆光のシルエットとなり、ダンサの隙間から光が放射されてくる。
本の1ページが引き千切られ、紙吹雪となって散っていく。
紙吹雪は記憶の断片。
四角い窓は、扉の下が本で埋め尽くされたもので、壁には5つの扉があった。
ダンサの白河さんを除く5人のダンサが、扉を使って現れたり消えたり。
さらには、壁全体が前後することによって、椅子などの小道具やダンサが、扉を通過して現れたり消えたりする。
紙吹雪が舞い落ち、床の紙吹雪の堆積が、ダンサの動きで舞い踊る。
相変わらずアイデアに溢れた振り付けと舞台だと思った。
しかし、例によって、何を表現しているのか、考え始めると良く分からない。
こういうときは、感性を開くことが重要だと開き直る。
シェーンベルクの「清められた夜」が流れる。
この曲は中学生から高校生の始めにかけて良く聴いた。
シェーンベルクといっても、初期の後期ロマン主義の影響を受けた作品で、後の音列技法の創始者の面影はない。
音列技法は高度に複雑化したため、クセナキスは聴覚体験と一致しないとして批判していた。
舞い落ちてくる紙吹雪を眺めていたら、記憶の断片がこぼれ落ちてくると思った。
道路を挟んで向こう側に白河さんがいた。
信号が青になって、白河さんがこぼれるような笑顔で近づいてくる。
これは2回目か3回目のカオスの新年会の思い出。
と思ったら次から次へと、過去の記憶が蘇ってきて、目からポロポロとこぼれ落ちていく。
強烈さは少し劣るけれども、ヒューストンのロスコチャペルで、同じような体験をしたことがあった。
古いダンサはそれぞれ個性があって良かった。
それに加えて、とっても表情の良い若手ダンサがいた。
[2003/3/28]
尊敬する前衛映画監督というか映像作家のStan
Brakhageが3月8日に亡くなったらしい。
死因は癌、新作「チャイニーズ・シリーズ」を制作している最中だった。
最後の言葉。
I've had a wonderful life. Life is great.
悲しい。
11月からのスタン・ブラッケージ・フィルム・エキシビション「ブラッケージ・アイズ2003-2004」には、本人も来るという話だっただけに残念である。
なお、昨年公開された"Love Songs"のビデオは、現在ミストラル・ジャパンから販売されている。
[2003/3/13]
最近、コーチングの本を読んでいる。
小野さんのはセルフ・コーチングの本。
自分を前向きにさせる具体的な方法が有効であり、小野さんの人柄も併せてとても元気が出る本である。
市毛さんのは部下を育てるスキルとしてのコーチングの本。
カウンセリングの深い知識に裏付けられたコーチングの方法であり、様々なタイプの相手に対するコミュニケーションの問題を分析している。
小野さんの「私が「わたし」でいるために大切なこと」から自分のミッションを明確にする方法を試してみた。
今までの人生で大切なことのリストから、私のミッションは下記であることがわかった。
[2003/3/5]
分離脳患者の研究で明らかなように、人間は大脳左半球での意識的な活動だけでなく、それ以外の大脳右半球や大脳辺縁系などでの無意識的な活動を行っている。
人間の意識的な活動、特に論理的な活動には限界があり、無意識的な活動を盛んにすることと、この無意識的な活動の結果の「声」を聴けるようにすることは、人間の能力を向上させるためには重要であると思う。
無意識的な活動を盛んにするためのひとつの方法は、様々なもの、特に感性的なものを、もう一人の自分である無意識に見せることだと思う。
じっと座って考えていても何も始まらない。
動いて、様々なものを見て、様々なものに触れることが重要だと思う。
無意識からの声を聴くには、どうしたらよいのだろう?
[2003/2/27]
My Life Colorsという企画を実験中。
我々は様々な色に取り囲まれて生きている。
色は心理学的にも生理学的にも意味があり、我々は無意識のうちに心と体に影響を受けている。
My Mail Colorは、一日に行き交うメールの流れを表現している。
メールの色は相手との関係に基づいて、HSV空間で考えられている。
H(色相)は、情報理論的な関係性を表しており、相手とのメールの内容量の比で決まる。相手が書く量が自分が書く量よりも多いときは赤くなり(相手が情熱的)、相手が書く量が自分が書く量よりも少ないときには青くなる(相手が冷静)。現在は単純にメールの行数を用いており、HTMLメールなどの場合には行数が多くなってしまう。
S(彩度)は、関係理論的な関係性を表しており、相手とのメールのやり取りの比で決まる。相手の書いたメールの数と自分が書いたメールの数が等しいほど彩度が高く鮮やかになり、相手が書いたメールの数と自分が書いたメールの数に差があるほど彩度が低くなる。
V(明度)は、相手との関係ではなく、メールの内容量で決まる。過去ひと月のメールの内容量の平均に対するメールの内容量の比が明度となる。
明るく鮮やかな緑が最も良いように思えるが、書く量には個人差があるので、どんな色でも鮮やかな色であれば、相手とは良い関係であると言えると思う。
なお、左右に細長い画像が一日、色を持った四角がメール、メールの下のラインが送信(白)または受信(黒)を表現している。
My Mail ColorのHuman Relationsは相手との関係の時間変化を表現したものである。前述のHSV空間のHSのひと月ごとの変化を、連続した画像で表現している。画像の中の黒い四角の位置、およびHSの色の円の外側の色が、その月の相手との関係の色である。
My Web Colorは現在はペンディングである。基本的には、My Mail Colorのウェブ版で、一日に見たウェブの色を表現する予定である。
My LifeSlice Colorはライフスライスと関係がある。基本的には、ライフスライスで撮った画像の色であり、実際に一日に見た色を表現している。
[2003/2/9]
人形町エキジビットスペースVISION'Sで開催されているフォトン展に行ってきた。
フォトンは「戦わない、殺さないゲーム」の制作を目的として渡邉英徳さん達により設立された会社で、「リズムエンジン」という音楽と映像を主体にした複数の人による非同時コミュニケーションのセッションのためのソフトウェアを発表したときに興味を持った。
フォトン展では「記憶」と「意識」という二つのインスタレーションが展示されていた。
「記憶」は、カメラで撮影した映像を蓄積して、蓄積された記憶としての映像と、リアルタイムの映像とがプロジェクションされ、さらに自分の影がそこに重なるという作品だった。
「意識」は、インターネット上に投稿された画像をもとにして、エフェクトをかけてプロジェクションしたり、画像からインスパイアされて生成されたサウンドが流される作品。(当初はインタラクティブな作品の予定だったようだ)
時間がなかったのと、そのときは蓄積された映像や画像があまりなかったようで、インスタレーションとしての完成度は今一つといった感じだった。
サウンドを担当している川上英伸さんとはかなり話し込んだ。
彼の認識では、フォトンの考え方は現在の競争社会に対するアンチテーゼであり、過去のニューエイジがラブ&ピースというコンセプトを社会から隔絶した世界に没入することで実現しようとしたのに対して、彼らは社会の中でのクリエイティブなコミュニケーションにより実現しようとしているらしい。
リズムエンジンは現在は「リズムフォレスト」というゲーム内でプレイヤーが樹を植えると、実際の世界でも植林が行われていくプロジェクトに発展しているらしい。
[2003/2/6]
ライフスライス(日々の雑感の記事)ではないけれども、自分の記録を(生きているうちは)すべて残してみたくなった。
心理学者の下條さんの話によると、長期記憶にちゃんと残るのは20代までの記憶らしい。
となると、今やっていることは将来ほとんど思い出せなくなるかもしれない。
プライバシの問題があるので、ライフ�・カラーとして色に変換して残す予定。
請うご期待。
[2003/1/9]
Roden CraterのHPを久しぶりに見に行ったら...
"Roden Crater is currently under construction and is not accessible to visitors.
Public access will not be possible before 2005."
ガ~~ン。
[2003/1/7]
マズロー(Maslow, Abraham Harold)の自己実現理論における欲求階層説では人間の欲求を、
の5つの階層に分類し、上位の欲求は下位の欲求が少なくとも部分的に満足されて初めて発生すると考えている。
しかし、自己実現欲求まで達成できる人は僅かであり、欲求の満足の判断は意識的にせよ無意識的にせよ主観的であり、ブランド信仰の人など下位の欲求が満足されなくとも上位の欲求を求める人もいる。
とすれば、人間が本当に求め必要としているものは、上位の欲求の中にはなく、むしろ下位の欲求の中にあるのかもしれない。
[2003/1/7]