今年はTurrellの"Roden Crater"が公開となる年、"Roden Crater"を観てしまったら、何を目標に生きれば良いのか。
「プロセスとしての」という言葉は、Steve
Reichの音楽の形容として「プロセ
スとしての音楽」が最初だったように記憶している。
しかし、「プロセスとしての」という言葉が良く使われだしたのは、古典的なアー
トに対してインタラクティブ・アート(メディア・アート)の違いを説明するた
めだったと思う。
古典的なアートとは、「完成された作品としてのアート」であり、アーティスト
が創造した作品が確固としてあり、鑑賞する者はその作品およびその作品の背景
の思想をそのまま受け入れるというものであった。
これに対してインタラクティブ・アートは、「プロセスとしてのアート」であり、
アーティストが創造するのは作品そのものではなく作品の構造であり、鑑賞者が参加してその作品とインタラクションするというプロセスによって、初めて作品が現れる。
確かに、古典的なアートにも、作品は作品として独在するのではなく、鑑賞者との関わりの数だけ作品(の意味)が存在するという考え方も存在した。
しかしながら、それが目に見える形で現れたのはインタラクティブ・アートが最初であり、またそのことを明確にコンセプトとして用いたのもインタラクティブ・アートであった。
さて、翻って人生の目的とはなんだろうか。
我々は良くライフプランという言葉を口にし、人生の目的としてのゴールを明らかにするように強いられる。
しかしながら、こういう生き方が唯一だろうか。
例えば、インタラクティブ・アートのような「プロセスとしての人生」というの
はないのだろうか?
人生に明確なゴールを設定するのではなく、明確な構造としての生き方を規定して、その生き方に基づいて人や環境と関わっていく。
それは一見無為無策に流れていく人生に見えて、ひとつの新しい生き方ではないだろうか。
シンプルな構造を持ったロボットが、複雑な挙動をするのに驚くことがある。
それは環境の複雑さに支えられている。
人生においても、明確な構造としての生き方を規定することによって、極めて豊かな人生が開けてくるのではないだろうか。
[2003/9/8]
eccoの宮部和雄さんによると、フランクフルト市の新しい市長が保守的で正統的なバレエが好きなので、Forsytheがフランクフルトバレエを追われるらしい。
どうやらカナダのカンパニーに移るらしい。
[2003/8/29]
「六感の森」展のパンフレットで知ったeccoというところのアイソレーション・タンクに入ってきた。
9月31日までの特別料金の3時間で12,000円、これを1時間半の2回のセッションで体験することにした。
eccoは南北線の白金高輪の近く、Mapionの地図を持っていったが、なかなか見つからない。
やっと、細いわき道を入ったところに、普通の家のドアにeccoのマークを発見した。
eccoは宮部和雄さんという人が一人でやっているらしい。
宮部さんは大学では美学を専攻、舞踏系の元ダンサで、以前はアイソレーション・タンクがあったトータルリコール研究所にいたらしい。
eccoはサマディタンク社のタンクを使っており、以前に入ったスダック・スポーツクラブのタンクと比較すると、光の遮断は十分であり、
タンク内の温度はちょっと高め、普通の家なので周りの音が漏れてくることがあるのが欠点である。
入った最初は身体が不安定で動き回り、壁にぶつかったので、手を頭の後ろで組むことにした。
緊張しているせいか、呼吸の音が大きく聞こえ、しばらくすると心臓の音が聞こえるようになった。
何か水の流れるような音が聞こえると思ったら、胃や腸の中の音が聞こえていたみたいだ。
ずっと手を頭の後ろで組んでいたために、十分にリラックスできず、前回と同じように動いたときのスピード感はあったものの、リラックスしたときに現れる目の中のバイオレットの光は弱かった。
残りの30分位からかなり安定してきて、目を開いているのか閉じているのかわからず、眠っているような感覚にとらわれたときに終了した。
後で聞いてみたら、手を頭の後ろで組むのは、安定させるための一時的な処置で、本来は手を身体の横に置いてゆったりと入るらしい。
次回に挑戦。
[2003/8/29]
前回からの間にタンクの硫酸マグネシウムの溶液を入れ替えたらしい。
水が600kgあまり、硫酸マグネシウムが350kgあまり、合計で1トン近くあるようだ。
今回は耳栓をしたこともあり、頭を深く沈めることができ、手を身体の横に置いて、ゆったりと入ることができた。
リラックスしたときに現れる目の中のバイオレットの光も見えたし、左脳の活動がかなり低下しているのか、視野の右半分が意識できなかった。
また、感覚が鋭くなっているので、意図的に身体を移動させて、壁に足や手が触れたときの、びくっという感覚を楽しんだ。
しかし、インパクトとしては今ひとつ。
[2003/9/5]
(写真はブラックライトで妖しく光っているタンクとその内部)
あなたが虚しく過ごしたきょうという日は
きのう死んでいったものが
あれほど生きたいと願ったあした
(趙昌仁著、金淳鎬訳、 「カシコギ」、サンマーク出版より)
[2003/8/14]
緑地の大きな樹の下の木製のベンチに横になった。
風が強くて、樹の枝が折れないかと思うくらい大きくしなっている。
そのしなりは、樹が生きているような、ちょっとした気持ち悪さを感じさせる。
それは生き生きとした自然を感じているのではない。
かといって、以前の精神的な危機のときに、同じようにベンチに横たわって、全く世界のリアリティを失ったときとも違う。
太陽に照らされた明るい葉に重なって、陰になった暗い葉。
強い風に枝が揺れることで、その濃淡のテクスチャの変化。
葉を通して見える空と光の変化。
重力がなくなったら、この深い空の中に落ちて行くのだろうか。
地面にへばりついていた自分は、落ちないように樹の枝にしがみつく。
[2003/8/11]
1998年に世田谷美術館でJamesTurrellのBlindSightを体験して以来、目を閉じると自分の光であるバイオレットが見えるようになった。
今日、もあもあと広がっているバイオレットの光のない黒い部分に、緑の光があることに気が付いた。
これは単純に補色が現れているだけだろうか。
それに鮮やかなバイオレットの輝点が現れることがある。
バイオレットの光の部分は、黒い部分や緑の部分を包み込んでいくのだけれども、緑の部分が包み込まれて消えるときに緑が鮮やかになったり、バイオレットの輝点が現れることがある。
[2003/8/9]
有明のパナソニックセンターに、デジタルアートフェスティバル東京2003のオープニングパフォーマンスとして行われたメディア・アーティストの岩井俊雄さんの「光ノ笙 〜笙の音を光に帰す」を聴いてきた。
笙演奏は宮田まゆみさんと三浦礼美さん、演奏の後に岩井さんによる作品の解説があった。
前半は笙の宮田さんによる演奏と、岩井さんが作った「光ノ笙」の三浦さんによる演奏。
「光の笙」は、7月29日に六本木のアクシスギャラリーで行われた岩井さんのレクチャー「五感を刺激するメディア:人とテクノロジーの未来」での説明では、吹き込んだ息をセンスして白いLEDの光に変換して、その光をサウンドレンズと同様な原理を使って音に変換しているらしい。
笙の音だけをじっくりと聴いたのは初めてかもしれない。こんな爽やかな音だっけという感じ。
笙にも種類があるようで、二種類の笙を演奏し分けていた。
ただ、笙の音も「光ノ笙」の光も繊細すぎて、あの空間では十分に味わえなかった。
贅沢だけど、もう少し小さな空間で聴いてみたい。
後半は通常の笙だけによる演奏。
マイクで拾った笙の音から映像を生成して、演奏者の背後のスクリーンに投影するという共感覚系。
映像の基本は、オシロスコープで見るような音の波形、それを分解したような光の棒。
これらをそのまま見せたり、平面的に重ねていったり、同心円状に広げていったり。
シンプルな変換の組み合わせの美しさが実に岩井さんらしい。
岩井さんの作品は参加することに楽しさがあるので、この発展形として息を吹きかけると音と光を出すテーブルとか、参加できるものに期待したい。
[2003/8/8]
インド古来の伝承医学、アーユルヴェーダ(Ayurveda)のひとつ、額にオイルを垂らすシローダーラー(Sirodhara)を体験してきた。
アーユルヴェーダという言葉は、サンスクリット語で生命、人生、寿命を表す「アーユス」と、知識、科学を表す「ヴェーダ」からなっている。
あるHPによると、シローダーラーは変性意識状態をもたらし、時間感覚を変えるらしい。
新小岩にあるアーユルヴェーディック・アロマテラピーの「ビューティーライフ研究所」では、頭・足・手・顔のトリートメント付きのシローダーラー(120分、10,000円)と、頭・足・手・顔・背中のトリートメント付きのシローダーラー(150分、12,000円)があり、後者を体験してきた。
まず、最初に健康診断で記入するような生活習慣などを用紙に記入して、ビューティライフ研究所主宰の高橋佳璃奈さんの面談(3,000円)を受けた。
次に、トリートメント用の部屋(右側にぶら下がっているのはシロダーラー用の銅製のポット)で、東向きに座って、頭部に菩提樹の香りを配合したオイルを付けてマッサージしてもらった。
それから、ベッドにうつ伏せになり、背中・手・足のマッサージ、背中は真ん中が気持ち良いと、肝臓と腎臓が悪いらしい。
高橋さんともう一人の女性が、それぞれ身体の半身を担当しており、二人の手の温度が違うのが不思議な感覚だった。
しかし、やはり触られることの気持ち良さは大きい。
仰向けになり、手・足のマッサージ、最後は手も足も少し持ち上げて、先が円を描くように回した。
最後に顔のマッサージ。
いよいよシローダーラーのために、目に覆いと耳に栓。
額の真ん中にオイルを落とすものと思い込んでいたが、額全体に落としていく。
何度もポットにオイルを入れ直し、その度に温かいオイルに変わっていく。
最初のうちは、間欠的に意識がなくなり、額に当たるオイルでふっと気が付くという状態が続いた。
これは不思議な感覚だったものの、最後の方になると、ちょっと頭が重くなってきた。
シローダーラーの時間は40分程度だった。
トリートメントが終わった後に処方箋のようなものを貰った。
アロマ入りのオイルを使ったマッサージは気持ち良かったが、シローダーラーはまだなんとも言えない。
[2003/7/19]