日々の雑感 [2004/4-6]

残り時間は長くはない。


心理的距離

心理学者の山根一郎は心理的距離を、能動表象・能動表出・受動表象・受動表出から説明している。

能動とは自分にとっての心理的距離、受動とは相手にとっての心理的距離である。
また、表象とは頭の中で感じた心理的距離、表出とは実際に表現された心理的距離である。
従って、能動表象は自分が感じた心理的距離、能動表出は自分が表現した心理的距離、受動表象は相手が感じた心理的距離、受動表出は相手が表現した心理的距離である。

能動表象と受動表象が一致すれば相思相愛、すべてが一致すればハッピーエンド。

表象と表出、想いと態度が一致すれば、心理的葛藤がない状態である。
いわゆる片想いとは能動表象と能動表出の不一致、相手を想い焦がれているのに、その想いを伝えられない。
相手に拒否されて、自分が傷つくのが怖いのである。

しかし、能動表象と受動表象、自分の想いと相手の想いは違うのが普通である。
受動表象と受動表出、相手の想いと態度は、相手が決めるべきことである。
相手を大切に思うのなら、相手の想いをそのまま受け入れて、お互いにとって適切な心理的距離で付き合っていくべきだろう。
相手に拒否されて、自分が傷つくのは、相手をそのまま受け入れていないことが大きい。
相手をそのまま受け入れることができるなら、自分の想いを伝えられるはず。
きっと。
[2004/6/27]

撤回可能性

対面とか、電話とか、メールとか、すべてのコミュニケーションで実現されていない要素として「撤回可能性」があるらしい。
撤回可能性とは「覆水盆に返らず」、いったん発信してしまったら元に戻せないというものです。
ソーシャル・ネットワークのミクシィではユーザが退会すると、その人が書き込んだすべての情報が消去されてしまうらしい。
確かに人間の頭の中まで完全には戻せないものの、これはある種の撤回可能性かもしれない。
[2004/6/22]

夜の雲

雲、子供の頃に見た雲はもっと綺麗だったように思う。
真っ黒な夜空に月が見えると、そこだけ雲の形が浮かび上がっていた。
都会では、月がなくとも人工の光に照らされて、夜でも雲は白くぼんやりと浮かび上がる。

雲と水は好きだった。
音楽も雲や水のような音楽が好き。
雲はリゲティの音色の変化、水はライヒのミニマルな繰り返し。

真っ青な空の下の雲、というイメージがない。
[2004/6/22]

人の弱さだけでなく、自分の弱さも認めること

頭ではわかっていても、体が付いてこないことがある。
寂しい、と素直に書いてみたいときもある。

人の日記を読んで思った。
人の弱さだけでなく、自分の弱さも認めること。
[2004/6/21]

LaLaLa Human Steps, "Exause Salt"

LaLaLa Human StepsのHPを観ていたら、 前作の"Salt"で使われた音楽が、"Exause Salt"として1999年に販売されたらしい。
しか〜し、世界中のAmazonを探しても見つからない。
そこで、HPに書いてあったLaLaLa Human Stepsのオフィスのアドレスにメールを送付した。
[2004/6/19]

返事が来ました。
20$(USA) + 4.35$(INT'L)のcheckを送れと書いてあります。
checkって郵便局で作れたかな?、以前に手数料が高かった気がする。

凄く良かったと適当な英語で書いておいたら、振付家のLock氏にメールを転送してくれるらしい。
もっとちゃんといっぱい書けば良かった。
[2004/6/23]

LaLaLa Human Steps, "amelia"

6月17日(木)に彩の国さいたま芸術劇場にLaLaLa Human Stepsの"amelia"(2002)を観に行ってきた。席は1階H列17番。
とにかく素晴らしかった。
途中から涙が溢れてきて、ちゃんとダンスを観られなかった。
ダンスを観始めて10年間、これまでダンスやバレエを観てきた中で、ベストの3つのうちのひとつだと思う。

最初は盾のような形のスクリーンにCGのダンサが映し出された。
手前には網のような幕があった。
ピアノ、バイオリン、ベースの生演奏に女性ボーカルの高音。
ルー・リードの歌詞にデビッド・ラングという人がミニマル系の曲をつけていた。
ライティングも素晴らしかった、強めのスポットライトが効果的に使われていた。

内容はバレエではなくダンス。
しかし、バレエのテクニックを完全に自分の世界に消化していた。

前作の"Salt"(1998)のときは、ルイーズというセクシーな女性のダイナミックなダンスのパートと、バレエのポアントのスタティックなパートとの対比が素晴らしかった。
観客の受けは今ひとつで誰も立っていなかったが、私は勇気を振り絞ってスタンディング・オベーションした。
今回はそれを遥かに越えていた。
ルイーズは確かに魅力的なダンサだったが、彼女が居なくなったことで、作品の構成の縛りがなくなって、逆に新しい境地に達した作品になったと思う。

ダンスは男女のデュオが中心となっていた。
このデュオの作り方もバレエとダンスの融合という感じで素晴らしかった。
デュオといえばフォーサイスの振付が秀逸だが、LaLaLa Human Stepsのエドワード・ロックの振付もこれに匹敵するほどだった。
フォーサイスがバレエの側からのデュオの解だとすれば、ロックはダンスの側からのデュオの解だと思う。

今回もスタンディング・オベーションした。
私より前の人は立っていなかったけれども、隣の若い女性も立ったときは嬉しかった。
[2004/6/17]

行為の中断法

著名な催眠療法家Milton Ericssonの「行為の中断法」
(グリンダー&バンドラー「催眠誘導」星雲社より)
「ジョンはデビッドと握手しようと右手をさし伸べる。デビッドが手を伸ばすと、ジョンは左手でデビッドの手首を軽くつかみ、彼の顔の近くまで持ち上げる。そして、右手の人差し指でデビッドの手のひらを指さす。」(この後、言語による誘導)

無意識の行動の中断により、行き場がなくなり(変性意識状態)、誘導されやすくなる。
意識というモニタリングが介在しないときの人間の行動は面白い。

ちなみに、Ericssonが来日したときに、日本人にこの方法を用いようとして、催眠にかけることができなかったらしい。
日本人にとっては、握手は無意識の行動ではないから。 ^_^)
[2004/6/16]

David Bowieの想い出

中学生の頃はDavid Bowieを良く聴いていた。
今でも想い出に残っているのはSpace OddityとRock'n Roll Suicide。
Space Oddityはキューブリックの「2001年宇宙の旅」に触発されて作られた曲で、歌われている部分は、船外活動をしていた宇宙飛行士が、コンピュータの「反乱」で宇宙船から切り離され、くるくると回転しながら宇宙の彼方へと落ちていくシーンだった。
いつも落ちていく宇宙飛行士の気持ちに思いを馳せていた。

これに似た体験をしたのは、2年ほど前に仕事のストレスで、おかしくなりそうな時だった。
公園のベンチに横たわって青空を見上げていると、風がかなり強い日で、ベンチに日陰を作っていた大きな樹の太い枝が揺らいでいて、その先にはたくさんの小枝と緑の葉が大きく揺れていた。
そのとき突然、全く現実感がなくなり、自分が世界から切り離されている感じがした。
天地が全く逆さまになって、自分が青空の中に落ちていきそうになって、細い枝の先にぶら下がっているように感じた。

"too old to lose it, too young to choose it"
Rock'n Roll Suicideの歌詞で、覚えていたのはこの言葉だ。
ずっと、もう一度やり直すには歳を食いすぎたと思っていた。
30を過ぎてから、やっぱりやり直そうと思って仕事を変えた。
でも、変えるべきなのは環境ではなく自分自身だった。
[2004/6/14]

もろもろ

2月にミュンヘンに行ったのだけど、Turrellの"The Inner Way"という作品があることをすっかり忘れていてショック。

今朝、新聞を読んでいたら、ひいきにしているカナダのコンテンポラリ・ダンスのカンパニーのLa La La Human Stepsが6月に来日公演するらしい。
知らなかった。
作品は
"amelia"、コンテンポラリ・バレエの鬼才と書いてあるが、ジャンル的にはコンテンポラリ・ダンスだと思う。
確かに最近は部分的にバレエの要素を持ち込んでいるけど。
早速、チケットを買おうとするが、電話は繋がらなかったり、いまいちの席。
ぴあのウェブの予約は、「最も良い席を用意しております」とか書いていながら、前から埋めていくので、一番端の席が残っている。
ということで、ずーっと待って、端の席が売れたところで購入。
[2004/6/4]

Benjamin Libet

神経生理学者Benjamin Libet(写真)の偉大な業績は、1979年の意識の遅れに関する知覚の実験と、1983年の自由意志に関連する行為の実験である。(この2つの実験の部分の説明にはReinhard Blutner"Consciousness"を参考にしている)

1979年の意識の遅れに関する知覚の実験

大脳皮質の体性感覚野を電気刺激したときの感覚を患者に質問すると、刺激時間が0.5秒以下では何も感じず、刺激時間が0.5秒持続して初めて感覚として意識することがわかった。

では、我々は0.5秒遅れで生きているのだろうか?
これを確かめるためにLibetは、右手の体性感覚野への電気刺激と、左手への刺激を行い、どちらの手が先に刺激されたかを答える実験を行った。
右手の体性感覚野の刺激後に左手を刺激しても、主観的には左手の刺激が先に感じられることがあった。
詳細な実験の結果、左手を刺激すると、対応する体性感覚野に誘発電位が生じ、0.5秒後に自覚が発生するものの、主観的経験の繰上げが行われ、あたかも刺激直後に感じたように意識されることがわかった。

では、なぜ体性感覚野への電気刺激では、このような主観的経験の繰上げが行われないのだろうか?
これは感覚信号の伝達経路として、特殊系と非特殊系が存在することに関係する。
特殊系は、視床の腹側基底核を通り体性感覚野に至る経路で、サルやヒトなどに見られる系統発生的に新しい経路である。これに対して、非特殊系は、視床の神経核から大脳皮質全体に至る経路で、系統発生的に古い経路である。
後者の非特殊系が主観的経験の繰上げに関係しているらしいことがわかっている。
実際に、大脳皮質の体性感覚野ではなく、視床に電気刺激を与えると、手に刺激を与えるのと同様な主観的経験の繰上げが行われる。

皮膚にごく弱い刺激を与えると、体性感覚野に誘発電位が発生するものの、0.5秒以下なので意識されない。この意識されない誘発電位に関して、その後の高次の処理が行われたものがサブリミナル知覚である。

1983年の自由意志に関連する行為の実験

自分の意志で自由に指を曲げたときに、その指を曲げているのは本当は誰なのだろうか?
この文章を考えながら書いている「意識的な自分」ではないということを、Libetは1983年に実験的に証明した。

Libetは下記の3つの時刻の前後関係を実験した。

  1. 指を曲げようとする意識(自由意志) [Wundの時計で主観的に測定]
  2. 指を曲げるための脳内(補足運動野)の準備電位 [EEG(脳波)で測定]
  3. 指を曲げる動作 [指のEMG(筋電)で測定]

被験者は、自分の意志で自由に指を曲げたいときに指を曲げ、そのときのWundの時計の針の位置を覚えておく。これと同時に、脳内の補足運動野の準備電位をEEGで測定するとともに、指を曲げる動作をEMGで測定する。
通常、行為の約0.5秒前には脳内に準備電位が生じ、意識的な行為の場合には約1.0秒前に準備電位が生ずる。

常識的には、まず指を曲げようとする意識があり、そして脳内に準備電位が生じ、その結果として約0.5秒後に指が曲がると考えるだろう。
しかしながら、驚くべきことに実験結果からは、最初に脳内に準備電位が生じ、指が曲がる約0.2秒前にやっと、指を曲げようとする意識が生ずることがわかった。
つまり、指を曲げるような自動化された行為に関しては、意識が行動を決定する前に、すでに脳内で行動が開始されており、我々は行動の開始に関する自由意志を持たないのである。

Libetはこれに対して、意識は行動開始までの約0.2秒間で行動を禁止することができ、 意識は行動の選択としての自由意志を持つという意識の禁止権説を唱えた。 しかし、この禁止という行為の準備電位はいつ生ずるかなど問題点が多い。

では、この行動の禁止はどこで行っているのだろうか?
これに関連して、前頭葉の損傷による症状としてUtilization Behaviorというのがある。
Utilization Behaviorは、視覚的・触覚的に提示されたものを、自分の意志とは無関係に無意識に利用してしまうという症状である。
例えば、「一方の手にコップを、他方の手に水差しを持たせると、患者はしばらく当惑した後、コップを水に注ぐ動作を示した。(Lhermitte、1983)」 、 「ティーバッグを目にすると、患者はお茶を入れ続けた。 また、蛇口を絶えず開け閉めしたり、飾り物で遊んだり、ドアを開けては閉じることを繰り返し、...(Shallice、1989)」 という症例がある。
(引用はいずれも本田仁視著「意識/無意識のサイエンス―症例と実験による心の解剖」より)
つまり、行動の禁止や選択を行っているのは前頭葉らしいことがわかる。
(同様な症状としては、他人の手徴候(Alien hand sign)という自分の意図と無関係に誘発された異常行動で、自分の手が自分の意思に反して勝手に動いていると感じるものがある。これは脳梁の損傷と、自発性の運動開始に重要な役割を果たす前頭葉の補足運動野の損傷が原因である。 )

Utilization Behaviorを研究した上記のShalliceは、人間には「視覚刺激が提示されると、それにあった適切な行動が、なかば自動的に遂行されるようなしくみが脳内に備わっている。」 と述べている。
この自動的な行動の誘発が、 Gibsonの提唱したアフォーダンスのヒューマン・インタフェースにおける有効性の根拠であろう。

また、この自動的な行為に関しては興味深い側面がある。
著名な催眠療法家Milton Ericssonの「行為の中断法」 では、欧米人にとって自動的で無意識の行為である握手を催眠誘導に利用している。
「ジョンはデビッドと握手しようと右手をさし伸べる。デビッドが手を伸ばすと、ジョンは左手でデビッドの手首を軽くつかみ、彼の顔の近くまで持ち上げる。そして、右手の人差し指でデビッドの手のひらを指さす。」
(グリンダー&バンドラー「催眠誘導」星雲社より) 、この後に言語による誘導が行われる。無意識の行為の中断により、行為の行き場がなくなり、ある種の変性意識状態になり誘導されやすくなるらしい。
[2004/5/3]

カウンセリング

 屋根裏に繋がる暗い階段の途中で姉が顔を覆って泣いていた。広いリビングに敷かれた布団の上に横たわった父の姿を、私は遠くから眺めていた。父の顔のところに白い布がかけられていたけれども、それがどういうことなのか、4歳の子供にはまだ分からなかった。

「父親がいないからといって、馬鹿にされないように」、母に言われて心に残っている言葉はこれだけである。小さな子供には、死が何であるのかわからなかったけれども、突然の母の微妙な態度の変化はすぐに悟った。そのときが全的な愛の対象としての母を失ったときである。勉強やスポーツはできたけれども、母を含めて誰とも深く付き合うことができず、いつも本を読んだり、庭の動物や植物と遊んでいた。

何故か犬を見ると腹が立って虐待していた。一時期、二匹の犬を飼っていたけれども、両方とも死んでしまったのは私のせいである。犬が誰にでも尻尾を振って甘えているのが許せなかった。私は誰にも甘えることができなかったからだ。

思春期を迎えてからは誰とも話さなくなり、哲学や美術や音楽などに没頭していた。
抽象芸術や現代芸術を好んだのは、感情を揺さぶられること、すなわち喪失体験への恐れであった。
宗教や国家など権威に対する大きな反発は、そのような喪失体験をもたらした父への憎悪であった。

小説で最初に心打たれたのは、椎名麟三の「生きる意味」だった。テーマは「本当のものは存在するか」である。例えば、本当の愛は存在するか、一緒に死ぬことが本当の愛の証明足りえるのか。
本当のものはないか、あったとしても証明できないと思った。
確かな拠り所となるものが欲しくて、数学基礎論や論理学に傾倒した。しかし、すぐに悟った。
数学基礎論や論理学も「信仰」が必要な点においては宗教と変わらない。例えば、論理学においては公理と推論規則は絶対的に正しいものとして信じるしかないのだ。
それからは何も拠り所がなかった。死ぬことも考えたが、しばらくは余生として生きることにした。

しかし、男性に対しては喪失体験をもたらしたものへの憎悪が心の奥底にあり、深く付き合えなかった。
女性に対しては全的な愛を求めてはいるものの、喪失体験への恐れから深く付き合えず、色んな人と部分的に付き合うのみだった。

 「相手と深く心を交わせられない人は、カウンセラにはなって欲しくない」というカウンセラの言葉が、昔の母の言葉と同じように心の深いところに残っている。しかし、誰が「心」というものを本当に知っているというのだろうか。最新の心理学や脳科学を勉強するにつれ、この文章を考えながら書いている「自分」というものの不可思議さに直面することになる。しかし、それが常識的な理解を超えているからといって、「神」のような薄っぺらなものに帰すべきではないと思う。

相手と関わり過ぎず、冷静に相手の心と自分の心に向き合える、そんなカウンセラがいても良いのではないだろうか。
[2004/5/1]

モエレ沼公園

イサム・ノグチによるモエレ沼公園はエネルギーに満ち溢れていた。
プレイマウンテンの頂上へ向かう道を見たとき、空まで駆けて行けそうで、思わず駆け出していた。
プレイマウンテンの逆側は石のピラミッドのように見える。
ガラスのピラミッド「HIDAMARI」は空を反射して光っていた。中から見下ろすと吸い込まれそうになる。
聳え立つように見えるモエレ山は工事中だった。
そして、モエレ沼公園の川向こうには雪の山があった。




[2004/4/16]


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