日々の雑感 [2004/10-12]

長い夏のおかげで、秋がほとんど感じられないうちに、冬になってしまいそうだ。
年末は産業カウンセリングの試験などかなり忙しくなりそう。


ロールシャッハ・テストの結果

自分の3つのミッションのひとつ「自分を知ること」のために、以前に受けてきたロールシャッハ・テストの結果を解釈してもらいに、大井町のPCL心理相談室に行ってきた。
驚くような新しい発見はなかった。
しかし、これまでに自分で分析したことと同様な結果が出ているので、ロールシャッハ・テストはそれなりに強力なのだと思う。

まず、ロールシャッハ・テストには情緒的な側面と現実的な側面が出るらしいが、私の場合は現実的な側面が全く出ていなかったらしい。
ロールシャッハ・テストなど心理テストは、カウンセリングの過程で使われるもので、テストだけでは必ずしも正しい結果は得られないと、言い訳がましいことを長々と話されたので、解釈の参考になるようなことをお話しておいた。

人と深く関わることができないのは、子供の頃の体験が原因である。
幼年期に父親を亡くし、父親を亡くしたことの意味はわかっていなかったが、母親の態度が変わったことが子供心に大きく影響した。
母親はしっかりとした子供にしようと、そのときから少し距離を置いて育てたが、それは子供にとっては全的な愛情の対象である母親を失うことだった。
何かに深く関わると、それを失ったときに、大きな傷を負ってしまう。
これが子供心に刻み付けられたことだった。
それが人と深く関わることができなかった原因である。

この辺りはロールシャッハ・テストにも出ていたようだ。
相手に拒絶されることへの恐れから、相手への豊かな感受性を殺している。
感受性が非常に強くて細かいところまで気が付くものの、それが逆に刺激に対する不安定さとなり、対人関係では人の表情などからの相手への思い込みや誤解により対人緊張しやすいらしい。
また、寂しくて人と繋がりたくても、相手の拒絶や裏切りに対する恐れから、人に助けを求めることができない。
このような不安定さを避けるための防衛機制として、相手に対する優しい情緒的な部分を切り捨てるという自己否定に陥りやすい。
この自己否定により抑うつ傾向があるらしい。
実際に別の機会に試した心理テストのGHQ(General Health Questionnaire)では、うつ傾向が出ている。
また、この自己否定は物事を斜めから見ることにも繋がる。
SCTテストでも、「(私が知りたいことは)、私が知りたいことが、なぜあるのかということだ。」、「(私は子供の頃)、優しいと思われていたが、心の中では憎悪が渦巻いていた。」、「(私の服は)、ぴかぴかだった。まるで蛇のようだと思っ
た。」などの文章がある。
物事を斜めから見ることは、斬新なアイデアなどユニークな世界を築きやすいという利点はあるらしい。

自分のことをすべてストレートに話したので、ロールシャッハ・テストに性的倒錯の傾向が出ていることも教えてもらった。
人と深く関わることができないということは、人を愛することができないということである。
精神的に繋がることができないから、肉体的な繋がりを求め、肉欲の世界に陥ることになる。
肉体的に強く繋がることを求めて、相手を肉体的に喜ばせようとするが、常に醒めた自分の存在が没頭することを許さない。
逆に精神的な繋がりへの恐れは、相手が精神的に繋がることを拒絶するために、相手を縛ったりアブノーマルなセックスへと傾斜することになる。

人と深く関われるように、治すためには数年はかかるようだ。
そして、現在のクライアントと情緒的な関係が持てないままでは、カウンセラーとしては不適切だと言われた。
カウンセラーに不適切だと言われたのは二回目である。
[2004/12/25]

浅草寺下見&交渉

浅草寺の下見に行ってきた。
それから青江さんと明日の浅草寺との交渉の件で打ち合わせしてきた。
風鈴コミュからはEmieさんが来て下さり、一緒に下見をしてもんじゃ焼きを食べてきた。

 

さて、最も狙い目は青い囲みの伝法院だったが、ここは住職の住まいということで解放されておらず難しいようだ。

青江さんのお奨めは黄色い囲みの部分。
ちょっと狭い感じがすること、高さが足りなくて平板なことはあるが、人が集まりやすいこと、水の流れがあることなど良い点もある。
10mのロープを渡せるような樹はあまりないので、10mのロープを20本ぐらいで、残りの300個の風鈴は一個ずつ吊るすことになるかもしれない。

仲見世は道の左右に5mのロープを100本渡すことができそうだ。
しかし、一本道で単調であること、騒々しいこと、商店街と交渉しなければならないことなど問題が山積している。

東本願寺は空間としては大きいものの、何もないのでやぐらを組んだ人工的なものになりそうだ。
ここは青江さんと関係が深いので、浅草寺や他のお寺がだめなときの押さえである。

翌日は青江さんとともに、浅草寺の土地部の執事の守山さんに交渉してきた。
やはり大きな寺は難しい。
ボランティアでやるのは良いが、実績がなく、責任母体がはっきりしないという理由で難航。
青江さんに仏教関係のNPOにあたってもらうことになった。

ネットのコミュニティで、リアルにクリエイティブな活動をするには、この辺りはネックだ。
ネットのコミュニティのためのNPOとか立ち上げた方が良いのかもしれない。
[2004/12/23&24]

木村大治、『共在感覚』

木村大治さんの『共在感覚、アフリカの二つの社会における言語的相互行為から』(京都大学学術出版会)を読んだ。
「共在感覚」に関しては『
コミュニケーションとしての身体』の中にも書かれている。
アフリカの部族の心理的距離感が、Hallの対人距離の理論に代表される我々の心理的距離感とは異なり、その分析を行っている。
さらに、この本では同様な観点から、現代社会の分析も試みている。

以下は本の中で興味を持った部分。

[2004/12/18]

風鈴プロジェクトの候補寺

光明寺の松本さんから紹介していただいた東本願寺の青江さんに、500個の風鈴を設置するお寺の候補をあたっていただいている。

東本願寺。
浅草と地理的には面白いし、広さもまあまあ。
航空写真を見ると、樹が少ないので、風鈴のロープをうまく結び付けられるかどうか。
青江さんの所属されているお寺なので、可能性は高いかもしれない。

東本願寺

浅草寺。
浅草と地理的に面白いし、広さも十分。
観光地でもあり、集客力もありそう。
夜も門を開いているところもいい。
青江さんの候補の中ではベスト。

浅草寺

明治寺。
ガムラン演奏を献灯会に取り入れたりしているらしい。
西武新宿線沼袋とちょっと場所的に不利。
広さが今ひとつなのと、周りが住宅地っぽいので、夜に風鈴の音が問題にならないかどうか。

明治寺

別の人達から奨められている池上の本門寺。
場所的にちょっと不利だが、かなり広いし樹も多い。
「いきいき推進委員」の早水日秀さんという方がいらっしゃるみたいだ。

本門寺

[2004/12/12]

ロールシャッハ・テスト

自分の3つのミッションのひとつ「自分を知ること」のために、大井町のPCL心理相談室にロールシャッハ・テストを受けに行ってきた。
担当は臨床心理士の五十嵐さん、ロールシャッハ・テストの妥当性を上げるために、テスト・バッテリーとしてSCTテストを宿題に貰った。
ロールシャッハ・テストもSCTテストも、投影法という無意識世界の深層心理の診断のための心理テストである。
ロールシャッハ・テストは、デカルコマニーによる10枚の左右対称の模様からの連想を言葉で答える。
SCTテストは、Sentence Completion Testの名前の通り、「子供の頃、私は」のように文章の先頭を与えられて、残りの文章を完成させる。

さて、ロールシャッハ・テストのそれぞれの模様から連想するものを答えていった。
カウンセラーはストップウォッチを持って、連想した言葉とその時刻を記録していく。
性的な言葉とか、いっぱい出てくるかと思ったが、ひとつペニスに見えたぐらい。
多かったのは、目とか口とか向かい合っているとか背を向けているとか、恐らくコミュニケーション系の言葉だと思う。
10枚の模様の連想が終わると、今度はそれぞれの連想したものが、模様のどの部分からのものであるのか、再び10枚の模様を見ながら、模様をコピーした紙に書き込んでいく。
連想は少なすぎるといけないと思って、多めに出したので、テストの時間は2時間の予定が3時間かかってしまった。
ロールシャッハ・テストの解釈は、かなりスキルが必要な上に、作業量が多くて大変そうだ。

料金は1万円、後日にテスト結果を解釈してもらうのに5千円、テストのデータは後で貰う予定である。
解釈で何か恐ろしいものとかが出てくれば面白い。
解釈した結果はHPで公開する予定である。
[2004/12/4]

『現代作家の心理診断と新しい作家論』より

風鈴プロジェクトのために光明寺の松本さん訪問

彼岸寺というウェブを立ち上げている光明寺の松本(紹圭)さんに会ってきた。
500個の風鈴を吊るせそうなお寺の情報を仕入れるのが目的である。

光明寺自体は神谷町の駅の裏、墓地のスペースはすり鉢状で面白いものの、全体としてのスペースは足りない。
光明寺は様々なイベントにお寺のスペースを貸し出しており、その料金は5〜10万円だそうだ。
お寺もお布施で持っているので、人を集めることは重要みたいだ。
光明寺の属する浄土真宗本願寺派のお寺だけでも都内に100以上あるらしく、お寺は住職がほとんどの決定権を持っているようだ。
浄土真宗本願寺派のトップは築地本願寺で、さすがにここは住職だけでは決定できないらしい。

一般的に、お寺は土日の9時から16時ぐらいまで法事があるので、風鈴の設置などはその時間には厳しそうだ。
例えば、金曜日の夜に設置して、土日を聴けるようにして、日曜日の夕方に撤去するというパターンはありそうだ。
浅草の東本願寺や川崎のお寺など、いくつかの心当たりがあるようで、住職に訊いてくださることになった。
なお、縁起の講話をお坊さんにお願いするのは問題なさそうだ。(お金、かかるかな)

その他の場所としては、風を計算できるということなら海岸の神社や廃校。
神社も土日はイベントがあり、宮司が住職のような権限を持っているようだ。
周囲の民家に迷惑をかけないということならビルの屋上、ただしビル化されたお寺は小さいので、500個の風鈴は難しそうだ。
他には奥多摩の森とか。
残った風鈴の処分は住所&送料を貰って後で送るとか、風で鳴っているかどうかを知るためにウェブストリーミングするとかのアイデアも頂いた。

写真は左から、光明寺、松本さん、時間があったときに見てきた増上寺。
増上寺は広いのは広いものの、ちょっと平板な感じだ。
[2004/11/28]

コミュニケーションにおける直接性と間接性

コミュニケーションにおける直接性と間接性とは何だろう。
ひとつの定義は、face-to-faceが直接コミュニケーション、それ以外のメディアを介したものが間接コミュニケーションである。
この定義だと、face-to-faceかどうかしか意味がなくなるので、別の定義を考えてみたい。

相手に直接に情報が伝達されるのが直接コミュニケーション、相手に直接に情報が伝達されないのが間接コミュニケーションである。
従って、直接コミュニケーションはface-to-faceだけでなく、電話や電子メールも含まれる。
一方、間接コミュニケーションとは、メディアを介しての間接という意味ではない。
間接コミュニケーションの究極は、海岸で恋人同士が夕日が沈むのを一緒に見ているような状況である。
二人の間には、交換されている情報は何もないように見えるが、強い繋がりとしてのコミュニケーションが成立している。
情報交換が行われていないので、これをコミュニケーションとみなさない立場もあるだろう。
しかし、最近の携帯電話や携帯メールに見られるように、コミュニケーションは単なる情報交換から関係共有へと進化している。
人々はたわいのない内容の音声やテキストを交換しており、コミュニケーションは情報を交換するためではなく、繋がり感という関係を共有するために存在しているのである。

さて、海岸で恋人同士が夕日が沈むのを一緒に見ているような状況では何か起こっているのであろうか。

まず、夕日を一緒に見るためには、心理学の共同注意(joint attention)が存在する。
共同注意とは、他者が注意を向けているモノに自分も注意を向けることを言い、この場合には視覚を用いているので視覚的共同注意である。
共同注意は生後2ヶ月の乳児でも可能であると言われている。

そして、夕日を一緒に見ることにより、二人の間に繋がり感による心地良さが存在する。
cognitive consistency theory(認知的斉合性理論)によると、人は認知をできるだけ矛盾なく斉合性が保たれるようにしようとする傾向がある。
例えば、自分がブッシュを嫌いで、友達がブッシュを好きだと思えば、不快な緊張状態に陥る。
この結果、自分もブッシュを好きになるか、友達を嫌いになって友達でなくなるかにより、斉合性を回復しようとする内的圧力が無意識に働く。
夕日を一緒に見ることでは、自分が夕日を綺麗だと感じ、相手も夕日を綺麗だと感じていると思ったとすれば、自分と相手の間に斉合性が保たれ、それが二人の間の繋がり感による心地良さとなると考えられる。
もちろん、二人が犬を見ていて、自分が犬を怖いと感じ、相手が犬を可愛いと感じていると思えば、間接コミュニケーションは存在するが、そこには繋がり感による心地良さはない。

さて、間接コミュニケーションには他にどのようなものがあるのだろうか。
掲示板は基本的には間接コミュニケーションである。
掲示板に書き込まれたテキストは、必ずしも特定の相手との情報交換を目的としていない。
face-to-faceの井戸端会議は微妙である。
特定の相手ではなく、その場に投げかけられた音声は、間接コミュニケーションである。
しかし、井戸端会議ではしばしば、特定の相手との直接コミュニケーションが輻輳する。
face-to-faceでは、特定の相手に向けられたかどうかは、話し手の主観と聴き手の主観の両方に依存するので判断は難しい。
[2004/11/27]

Mixiと互恵的利他行動

社会心理的な観点からすると、MixiのようなSNSの良さは「互恵的利他行動」(reciprocal altruism, Trivers, 1971)、人を助けたらお返しが戻ってくるようなところにあるのではないかと思う。
その互恵的利他行動が進化するコミュニティの特徴は下記の4つである。

これを現在のMixiに当てはめてみるとなかなか興味深い。
[2004/11/14]

安藤洋子、"SHOWING"

森下スタジオで安藤洋子のSHOWINGを観てきた。
森下スタジオには、昔にH・アール・カオスの大島さんの振付のワークショップに参加して、レクチャーだと勘違いしていたら、確か3日間もしっかり自分で振付けて踊らされた恥ずかしい思い出がある。
安藤洋子のSHOWINGは、併設されたワークショップで作った動きを中心に見せているのではないかと思う。
マイクを使って和気藹々とした雰囲気の中で、ダンサー同士のブレイクっぽい動きの連鎖が中心だった。
それぞれのダンサーの特徴が動きに出ていたのは面白かった。
(Yoko Ando, Amancio Gonzalez, Richard Siegel, Heidi Vierthaler, Ander Zabala)
[2004/11/10]

感じる力

感じる力が落ちていると思う。
感じる力とは、世界から記号を分節する力、そしてさらに重要なのは、分節する前の世界をそのまま感じる力。
後者はクオリアを感じる力と言い換えても良いのかもしれない。
感じる力が落ちているのは、我々があまりにも人工的な世界に慣れ親しんでいるから。
人工的な世界では、多くのものが既に記号に分節されて存在しており、我々は分節する必要もないし、分節する前の世界を感じることもできない。
[2004/11/5]

Community of Interest

共通の興味によって形成されたコミュニティをCommunity of Interest(COI)と呼ぶ。
COIをインタラクションの強弱と活性の高低から、「企業による囲い込み」、「情報交換/場共有型COI」、「知識創出型COI」、「成果物生産型COI」に分類している人がいる。
これはある意味では、全く機能していない「企業による囲い込み」や、インターネットに溢れている「情報交換/場共有型COI」から、COIのメンバーがアクティブで生産的な「知識創出型COI」や「成果物生産型COI」に発展することを示している。
「知識創出型COI」と「成果物生産型COI」の大きな違いはモノやリアルワールドに繋がっているか否かである。

Mixiの「500個の風鈴の音を聴く」コミュニティは、私がどうしても500個の風鈴の音の異次元の世界を聴いて体験してみたいという願望から始まったものの、結果的には「成果物生産型COI」に分類される。
Mixiのコミュニティのように、セミオープンで緩い結合のコミュニティで「成果物生産型COI」がうまく機能するか興味のあるところである。
クリエイティブな活動のためには、もう少し公開レベルを下げてクローズなコミュニティにした方が良い場合もありそうだが、風鈴コミュニティのレベルのアクティブな生産&体験型の活動にはセミオープンで良いように思う。
企業に多く見られる階層型組織は好きではないので、このような緩い結合のネットワーク型組織で面白い成果を出していけたらと思うし、そのためにはファシリテータの役割が大きいと思う。
[2004/10/22]

岡野弘幹さんに会いに大阪へ

500個の風鈴の音を聴くプロジェクトの参考のために、岡野さんの大阪の事務所に行ってきた。
ダンサーの川西宏子さんにもお会いした。

風鈴は最初は100個から始めたようで、1991年には三菱マテリアルのコマーシャルで映像が流れていたようだ。
風鈴はオリジナルに鋳造したもので、一つ一つの肉厚が微妙に異なるように作ってあるらしい。
現在も2000個持っておられるようだ。
短冊は、雨でも大丈夫なように、透明なプラスチックに菱形のプリントをしたものだった。
短冊を吊るす紐はループにすることが肝らしく、1本で吊るすと風で捩れて切れてしまうらしい。
風鈴の間隔は1mにしてあるそうだが、これは見た目を考えたもので、周波数を考慮した距離ではないそうだ。
(1m間隔で10個セットで吊るすとすると、11m×50セットの550mのロープが必要になりそうだ。)

場所としては、ある程度の広さがあるところを選んできたようだ。
逆に狭いところで、反射を利用したものはやっていないようだ。
木の葉の擦れる音と共に、風鈴の音が、風の方向によって、動いていく様が面白いらしい。
とにかく、場所は下見をすることが大切で、風の通り道を探す楽しさがあるようだ。
都内では、海浜幕張公園で1日やったことがあるらしい。
また、岡野さんは自然のリズムを大切にされているようで、風鈴を鳴らす風も地球の呼吸のリズムだと考えているようだ。
これまで私は、常に風があって風鈴の音が聴こえるようにしたいと考えてきた。
しかし、自然のリズムで、風が吹くときと吹かないときがあるのが、当然のように思えてきた。

風鈴を鳴らしたときの音は"Music of Wind"としてCDが販売されている。
しかし、日本版は豪華なブックレットがお金が掛かるようで廃盤、ドイツのICレーベルからは現在も販売されているようだ。
また、風鈴のDVDの販売も検討されているようだ。
[2004/10/17]


海浜幕張公園(岡野さんの風鈴のページより)

H・アール・カオス『白夜』

世田谷パブリックシアターにH・アール・カオスの『白夜』を観に行ってきた。(席は1階F列12番)
今年のロシア公演のときにアイデアを得て、カメラ付き携帯電話や監視カメラなどによるプライバシーの消滅を、夜の闇の消滅である白夜に例えているようだ。
映像によってダンサーが飛び散って消えたり、鏡面状の床の反射を利用したライティングとか、ロープで吊るされた照明にぶら下がってのダンスとか、例によってアイデアに溢れていた。
しかし、ロシアの雰囲気を出すためか、音楽への打楽器の多用とか、本格的な映像の使用とか、ロシアで何かあったのか、新たな変化を予感させる公演だった。
次回の国内公演は来年3月の『神々を創る機械』の新バージョン。

『バッカス』というパフォーミング・アーツ・マガジン、2004年冬号はH・アール・カオスの特集、コンテンポラリを中心になかなか内容が充実している。
それから、Dance Sellection 2004が10月21日から24日まで六本木のORIBE HALLで開催、Dance Biennale Tokyo 2004が11月15日から28日まで青山劇場、青山円形劇場、スパイラルホールで開催される。
(写真は、『白夜』パンフレット2点、『白夜』カタログの表裏、キリン・アート・ニューズレター vol.013、『神々を創る機械2005』パンフレット、Dance Sellection 2004パンフレット、Dance Biennale Tokyo 2004パンフレット)
[2004/10/15]



共感覚のメカニズム

共感覚にはこの何年か興味を持っている。
あまり科学的な裏づけはないものの、
N2氏の共感覚のページに載っていた福島章氏の閾値による説明は面白い。

図は概念的な説明ではあるが、共感覚者も普通の人も同じように、異なるモダリティの感覚の領域が重なっている。
普通の人間では閾値が高いので、それぞれのモダリティの感覚は分離されており、共感覚は知覚されない。
しかし、共感覚者では閾値が低いので、複数のモダリティが結合して共感覚が知覚されるというものである。
感覚の鋭敏な人ほど、共感覚的な知覚に近付いているということになる。
共感覚者の共感覚の刺激と反応のパターンが固定化していることの説明にはなる。
しかし、共感覚者の共感覚の刺激と反応のパターンが人それぞれ違うことは、人それぞれ各感覚間の結合のパターンが異なるということになってしまうのが欠点である。
[2004/10/6]

福島章「不思議の国の宮沢賢治」日本教文社より

『サンクステイル』遂に発売

アーティストの八谷和彦さんの「サンクステイル」という車につけるシッポが遂に発売されるようだ。
タカラの子会社のワコーから4,980円。

車は「環境問題」、「サウンドスケープ問題」、「感情問題」の3つの問題を抱えていると思う。
『サンクステイル』によるコミュニケーションで、感情問題は多少は改善されるのではないかと思う。
[2004/10/1]


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