屋根裏に繋がる暗い階段の途中で姉が顔を
覆って泣いていた。広いリビングに敷かれた
布団の上に横たわった父の姿を、私は遠くか
ら眺めていた。父の顔のところに白い布がか
けられていたけれども、それがどういうこと
なのか、4歳の子供にはまだ分からなかった。
「父親がいないからといって、馬鹿にされ
ないように」、母に言われて心に残っている
言葉はこれだけである。小さな子供には、死
が何であるのかわからなかったけれども、突
然の母の微妙な態度の変化はすぐに悟った。
そのときが全的な愛の対象としての母を失っ
たときである。勉強やスポーツはできたけれ
ども、母を含めて誰とも深く付き合うことが
できず、いつも本を読んだり、庭の動物や植
物と遊んでいた。
「相手と深く心を交わせられない人は、カ
ウンセラにはなって欲しくない」というカウ
ンセラの言葉が、昔の母の言葉と同じように
心の深いところに残っている。しかし、誰が
「心」というものを本当に知っているという
のだろうか。最新の心理学や脳科学を勉強す
るにつれ、この文章を考えながら書いている
「自分」というものの不可思議さに直面する
ことになる。しかし、それが常識的な理解を
超えているからといって、「神」のような薄
っぺらなものに帰すべきではないと思う。
相手と関わり過ぎず、冷静に相手の心と自
分の心に向き合える、そんなカウンセラがい
ても良いのではないだろうか。