自分の意志で自由に指を曲げたとき、その
指を曲げたのは本当は誰なのだろうか。もち
ろん「私」である。しかし、この文章を考え
ながら書いている「意識的な私」ではないこ
とを、神経生理学者のリベットは実験で証明
した。指が曲がる0.5秒前に脳に準備のた
めの電位が現れる。では、指を曲げようと意
識するのはいつなのだろうか。驚くなかれ、
指が曲がる0.2秒前なのである。つまり、
指を曲げようと意識する0.3秒前に、私の
知らない「私」が既に指を曲げ始めている。
現在では、我々は行為の開始に関する自由意
志を持たないことがわかっている。
「今」ということに関しても、我々は刺激
を受けた感覚を0.5秒間は意識できないこ
とを、リベットは別の実験で証明した。0.
5秒もの遅れは生活に支障をきたすと思うだ
ろうが、実は素早い行為はすべて無意識に行
われているので問題ない。ただ、この感覚は
刺激の直後にさかのぼって経験されるため、
我々はこの遅れに気がつかない。つまり、0
.5秒より今に近い私を知ることはできない
のである。
今の私とは何なのだろうか。意識的に考え
るだけでは決して「私」に到達することはで
きない。無意識に浮かび上がる言葉や沸き起
こる行動、そこに目を向けなければならない。
子供の頃の私が無意識に求めたもの、それが
私の現在のミッションである「感性を刺激す
ること」と「心を平安にすること」である。