夏がやってきますね。暑い夏は嫌いで、冷夏のときは本当に嬉しかった。うさぎにとっても夏の暑さは大敵。
Magic Mushroomの体験は下記のようになかなか面白そうです。
Magic Mushroomは記憶の順序構造を完全に破壊した。
Magic MushroomのPsilocybe CubensisにPeganum Harmalaをそれぞれ約1.5g程度用いた。Harmalaは植物の種でMagic Mushroomの効果や持続時間を数倍にするようだ。
まずHarmalaを一晩浸けておいた上澄み液を飲み、30分程するとどきどきしてくる。そして、Cubensisを食べると、その30分後に効いてきた。
お酒を飲んだときのように、だるくて身体が重くなり、痺れるような感じになってきた。ベッドに横になり、天井を見ていると、天井の模様がざわざわしてくるような気がする。しばらくすると、ときどき身体が痙攣し、痺れが顔を包み込むようになる。
時間の感覚がなくなってきて、気がつくと喜びの涙で目覚めていた。しかし、何の幻覚も生じていない。と思ったら、気がつくとまた喜びの涙で目覚めていた。それが何回も続く。ひょっとしたら幾重にも織り込まれた夢を一つずつ目覚めていっているのではないかという感覚に陥る。
あまりのdeja vu(既視感)に、これは以前に目覚めたときの記憶の再生に過ぎないと思い始めた。
手を見ると、手にはボールペンのインクの赤い染みが残っている。でも、この赤い染みも既に何回も見たことがあるように感じる。
気がつくとまた喜びの涙で目覚めていた。永劫回帰。きっと、また同じように手を見るんだと思うと可笑しくなってくる。マヤ・デレンの無限に繰り返されていく映画の世界だ。
ちょっと変えてみたくなって、手に新しいインクの染みをつけてみる。目覚めたときに手を見ると、新しいインクの染みがある。記憶の再生ではない。身体の痺れが収まってきたので、少し動き回ってみた。何の支障もなくやりたいことを遂行できるのだけれども何かおかしい。
記憶が断片化している。短期記憶に入っているような記憶の順序構造が完全に破壊されているのだ。我々が現実世界にリアリティを感じるのは、記憶の断片に明確な順序構造があり、時間的に連続しているからだ。しかし、今の自分の記憶では、ほんの少し前の記憶でさえ時間の前後関係が全くわからない。何かを遂行しても、その行為は以前にも行なったことがあるというdeja vuに襲われる。何秒か過ぎ去った時点で、その記憶の順序構造がなくなってしまうためだ。ちょっと前のことを思い出しても、記憶に順序構造がないので、記憶の断片が同時に起こったように感じられ、自分がパラレルに様々な場所にいたという不思議な感覚に襲われる。
友達にメールを書こうと思っても、ちょっと手を止めるとdeja vuに襲われ、文章を書く前から何十回も読んでしまったような気持ちになる。まだ書かれていない、後に続く文章でさえも既に記憶の中には存在しているような気がした。
Magic Mushroomの明確な効果は5時間ぐらい続いた。
[2000/9/24]
苫米地英人の「洗脳原論」はオームなどで行なわれている洗脳のメカニズムおよび脱洗脳のテクニックについて解説したものである。
実は苫米地氏に興味を持ったのは、彼のVR(バーチャル・リアリティ)のリアリティを高めるために変性意識を利用するという昔の論文を読んでからである。
ジョン・リリーの「意識の中心」には、高い変性意識状態では非常に暗示にかかりやすく、メタプログラミングにより任意の世界をリアリティを持って体験することができると書いてある。
このメタプログラミングが自分自身によるセルフ・メタプログラミングであれば問題はないのだが、他人によるメタプログラミングとなると洗脳の危険性が高まる。
特に、人間の持つホメオスタシス(恒常性維持)の機能を利用して、適切なテクニックを用いれば誰でも変性状態に導くことができ、この変性意識状態を用いて洗脳が簡単に行なえるらしい。
[2000/9/18]
「意識の中心」はアイソレーション・タンクにおける感覚遮断の実験やイルカとのコミュニケーションの実験で有名なジョン・リリーの著作である。
通常の覚醒時の意識とは異なるトランス状態の意識である変性意識について、アイソレーション・タンクの実験、LSDを用いたアイソレーション・タンクの実験、催眠などのワークショップを用いた実験による様々な変性意識状態の旅について書かれている。
高い変性意識状態では非常に暗示にかかりやすく、意識の適切なセルフ・メタプログラミングを行なうことによって、「光あれと言えば光りありき」という世界に到達することができる。
しかし、後半はリリー個人の高い変性意識状態における神秘的な体験の記述に過ぎなくてつまらない。
[2000/9/18]
東京都現代美術館に三宅一生展を観に行ってきました。
溢れる才能のほとばしりを凄く感じさせる展覧会でした。特にプリーツの服がワイヤーで吊り下げられ、上下に揺らされているJumpingというコーナーは、プリーツの服がダンスをしているようで、とても楽しかったです。
一生の素晴らしさは、オートクチュールで美しさだけを追求するのではなく、機能性や産業性まで目が行き届いている点です。
例えば、プリーツはアイロンをかける手間がいらないし、くしゃくしゃに畳んでもしわを気にする必要がないし、本当にありがたい服です。環境問題の観点から難を言えば、生地が2倍ぐらい必要なことかな。
^_^)
Starburstの古着に箔(金箔、銀箔、銅箔)を貼り付けることにより、服を再生させるというアイデア自体は面白いし、箔の剥がし方によってデザインに参加できるというA-POCに繋がる部分は評価できるものの、洗濯とかはどうするのだろうという普通のデザイナーの作品なら気にはならない疑問が残ります。
しかし、A-POC(A Piece of Cloth)の自分で服を切り出していくという発想は凄いです。既製服に満足できず、かといってデザインはできないという人は、これまでは服をコーディネイトするしかなかったわけです。ここに自分で服を切り出すことによってデザインに参加できるという発想を持ち込んだことは素晴らしいです。
ショップではStarburstのTシャツと、A-POCのTシャツが売っていました。
[2000/8/11]
HotWired JapanのEco Wire(旧NEXT CITIZEN)で駒沢敏器の『生命の音』として連載されていたものが、NTT出版より『地球を抱いて眠る』という本になりました。これはお奨めです。駒沢敏器が旅先で触れてきたスピリチュアルなものについて書かれたものです。
内容は、「旅のまえに(まえがき)」、「暗闇ではげしく泣いた日」、「屋久島の森に風鈴」、「聖フランシスコの禅寺」、「地球を抱いて眠る」、「バリ島の呪術師」、「メディテーション修理技術」、「イルカと彼女の距離」、「ハワイの石伝説」、「失われたオーストラリア」、「あとがき」。
[2000/8/9]
オルダス・ハクスリーの「知覚の扉」を読んだ。前半はメスカリンという幻覚剤の体験を書いたもので、後半は幻覚という観点から芸術や宗教の分析を行なっている。
脳は外界の膨大な情報の中から、生存に必要な情報だけを効率的に選別している。この選別の機構をハクスリーは減量バルブと表現している。この減量バルブの機構自体は生物が効率的に生存していくために重要なことである。ハクスリーはメスカリンを服用することにより、この減量バルブの働きを弱めて、生の外界の情報を「知覚」しようとした。
あやしいことには興味があり、その中でも知覚の拡張は興味の中心である。知覚は最終的には脳内の化学的変化であるから、クスリによってコントロールするのは自然であると思う。ただし、細かいコントロールができないので、アートとして何かを表現するのは困難であろうと思われる。脳に損傷を与えない方法なら、一度は試してみる価値はあるだろう。
[2000/8/6]
Rolf Juliusのサウンド・インスタレーションをドイツ文化センターに聴きに行ってきました。途中から雨が降ってきて、一階にはそれらしきものはなく、外に出て帰ろうとすると、木のところにスピーカーがぶら下げられていました。念のため受付の人に訊いたら、中のホールにサウンド・インスタレーションがあるということでした。
ホールのドアを開けると、何もないホールの片隅に二箇所ほど何かが置いてあり、サウンドが聞こえてきます。そこにいたJuliusらしき人に「聴いても良い?」とたずねてから近づきました。ひとつは石の底にスピーカーがつけてあり水の音が、別のスピーカーからは小鳥の声が聞こえていました。水の音はまるで石の間に水が流れているかのように聞こえてきます。もうひとつはおわんの底にスピーカーがつけてあり、色と香りが異なる液体が入っていました。液体は粘性が高いのか、波紋が広がるほどではなかったです。別の上向きに置かれた大きめのスピーカーの上には黒いパウダーがまかれており、音の響きと共にパウダーが振動していました。とても静かで不思議な感じがしました。はっきりと感じたのは「音が見えるようだ」ということでした。石の間の水の音、液体やパウダーの動きから感じられる音。
Juliusに感想を話したら、「う?ん、タイトルは何だっけ」と調べ出して、"Music
from the distance"という遠くから聞こえてくる音を題材にしたもののようでした。
しかし、帰りは大雨で、残念ながら外のスピーカーの音は聞けませんでした。
欲を言えば、液体の色と香りはもうちょっと何とかして欲しかったですね。
[2000/7/4]