夏はやっぱり今年も『500個の風鈴の音を聴く』イベントを行います。
以前から記憶には興味を持っており、想い出と記憶(エピソード記憶)の関係とか、高齢者の認知症のための回想法など、過去の記憶をどう扱うかに興味を持っていました。
最近の記憶への興味は、目撃証言など記憶の再構成に関してです。
この辺りは調べ始めたばかりなので、今回はメモ代わりに軽く取り上げてみます。
記憶の研究と言うと、無意味な綴りを覚えたり、記憶の限界がマジックナンバーの7であるとか、ある意味つまらないものが多かったものの、最近はより実際的な記憶を扱おうという方向に流れています。
そのひとつが目撃証言の記憶と呼ばれているもので、事件において目撃者の記憶がいかに当てにならないかがわかっています。
ちょっと脇道にそれますが、そもそも記憶の前に、知覚自体が再構成されたものです。
"Seeing is Believing"とは、ある意味では良く言ったもので、視たものは「事実」ではなく、信じたものです。
我々が存在すると信じている現実世界は、視覚に関して言えば二次元の網膜像から再構成されたものに過ぎません。
さて本題に戻って、目撃証言においては目撃者の記憶が、取調官の質問や見せた写真などの外部情報に大きく影響され、再構成されることが知られています。
特に被暗示性の高い暗示を受けやすい人や、鮮明な視覚イメージを持つ人は、外部情報の影響で記憶が再構成されやすいようです。
もちろん、人間は必ず被暗示性や視覚イメージを持ちますから、特に写真などの視覚イメージによって、誰でも記憶が再構成されることになります。
例えば一日に見た光景すべてから、任意の光景を思い出すとすれば、そのパターンによって記憶はかなり異なったものとなるでしょう。
もし、この任意の光景をうまくコントロールすれば、「コップ一杯しか水がない」と考えるネガティブな思考の人でも、うまく記憶を再構成してメンタルヘルスに役立つのではないかと考えています。
ただし、任意の光景に何らか別の関連する光景を付加したり、視覚イメージによる暗示で記憶が別な方向にコントロールされる危険性も孕みます。
カウンセリングにおいても、カウンセラーの応答という外部情報で、クライアントの応答が全く異なることが知られています。
しかし、そのときに記憶もさらに再構成される危険性があることを肝に銘じておくべきでしょう。
特に、暗示や視覚イメージを多用して過去の記憶を蘇らせる催眠やインナーチャイルドには、別の記憶を植え付ける危険性が高いので注意が必要そうです。
でもね、意図的かどうかわからないものの、TVって、特定のイメージを垂れ流すことによって、結果的に特定の記憶の再構成に加担しているのですよ。
TVを観ないのは、純粋につまらないこともあるものの、そういう意味もありますね。(笑)
[2006/9/30]
(これはカウンセリング関係のブログに書いたものです)
ご無沙汰していました、なさです。
暑さは肉体的にも精神的にも苦手で、夏の間だけおとなしくしているはずが、長
い残暑で復活の機会を失っていました。(笑)
さて、今回はTMS(経頭蓋磁気刺激)によるうつの治療に関してです。
はじまりはじまり。
TMSという言葉は耳慣れないかもしれません。
TMSはTranscranial Magnetic Stimulation(経頭蓋磁気刺激)の略で、頭の外側から磁気パルスを当てて、脳に局所的な電流を生じさせる方法です。
従来は、脳の働きを局所的に妨害して、その部分の機能を調べるという脳機能の研究に用いられていました。
しかし最近では、局所的な電流で刺激することで、うつの治療などに用いられているようです。
左の画像のケーブルの先端にある8の字のような部分を頭に当てます。
右の画像はNeuronetics社で実際にうつの治療に使おうとしているものらしいです。
脳の中で感情に関係するのは、大脳辺縁系と呼ばれる部分で、シワがいっぱいある大脳新皮質の内側にある部分です。
TMSで刺激を与えるのは、大脳新皮質の前頭前野という額の内側辺りにある部分で、大脳辺縁系と深い関係があり、否定的な感情を抑える働きをすると言われています。
刺激を与えている間だけでなく、効果に持続性があると言われていますが、そのメカニズムについてはまだわかっていないようです。
短い時間ではあるものの、強い磁気パルスを当てるので、安全性には細心の注意が必要です。
これまでに脳の中に金属を入れている人が、誤ってTMSを受けて死亡した例があるようです。
[2006/9/30]
今日、マイミクの日記に、若かりし頃のPhil
CollinsのYouTubeの映像が載っていた。
カッコいいと思ったら、若いときもハンサムだ。
"Another Day In Paradise"を観てから、70年代のBowieの映像を観る。
二人とも歳を重ねるごとに魅力的になっている。
映像は70年代じゃないけど、"Suffragette
City"(1972)のバックで、当時はLa La La Human StepsにいたLouiseが踊っている。(David Bowie - Suffragette City)
Louiseは11月に久しぶりに来日して青山円形劇場で踊る。(Lalala Human Steps' "2")
La La La Human Stepsの"2"(1995)、Louiseが活躍した最後の作品。
それからWilliam Forsytheで検索した。
Guillemの市販の映像の一部も載っていたけど、"In
the Middle, Somewhat Elevated"(1987)の公演の隠し撮り映像が載っていた。
今となっては古き良き時代のForsytheだし、観客席の後ろから撮ったので映像は良くないものの、2つで10分近くのダンスは本当に素晴らしい。(In the Middle, Somewhat Elevated I、In the Middle, Somewhat Elevated II)
[2006/8/19]
La La La Human Steps "2" (1995)
Svetlana Zakharova and Andre Merkurievによる"In the Middle, Somewhat
Elevated"。
[2006/8/20]
Svetlana Zakharova and Andre Merkuriev
評価されて現代に伝えられたものよりも、評価されずに過去に消え去ったものに興味がある。
過去に評価されずに消え去ったもの、ひょっとしたら自分が強く心惹かれるものかもしれない。
現代に興味の対象を向けているのは、現代に評価されず未来に消え去るものも、現代にはまだ残っているから。
現代に評価されようが、評価されなかろうが惑わされず、自分が素晴らしいと感じるものを大切にしたい。
[2006/8/7]
三宅一生のA-POCを、オンワード樫山が「ジェリープラス」というブランドで来春に発売するらしい。
A-POCは切取線に沿って切ることによって、様々な形状となるニット製の服。
2000年の東京都現代美術館での『三宅一生展』で見たが、切取線以外で切り取ってもほつれないので、自由に切ることができることに気付かなかった。
既製服では飽き足らないし、かと言って自分で作ることも大変なので、ファッションではコーディネイトが一般的である。
アウトラインは制約されるにせよ、自由に形を切っていけるのは、ひとつの新しい方向だと思う。
ジーンズに穴を開けるのも同じ方向ですね。
[2006/8/7]
(朝日新聞2006年8月7日)
今日、スパイラルのダンス公演に行ったらチラシに、La
La La Human Stepsの伝説の女性ダンサーのルイーズ・ルカバリエ(Louise
LeCavalier)を発見。
引退したと思っていたら、Dance Triennale Tokyo '06に、下記のプログラム。
これは行かねばなるまい。
[Fプログラム](11月6日
/ 青山円形劇場)
●ダニエル・デノワイエ/ル・カレデロンブ(カナダ)『DUOS
POUR CORPS ET INSTRUMENTS』
●ルイーズ・ルカバリエ(カナダ)「新作」(タイトル未定)
●ルイーズ・ルカバリエ×今津雅晴(カナダ・日本)『Cobalt
rouge Remix』(テッド・ロビン振付)
[Gプログラム](11月8日 / 青山円形劇場)
●ルイーズ・ルカバリエ(カナダ)『"I"
is Memory』(Benoit Lachambre振付)
●ルイーズ・ルカバリエ×今津雅晴(カナダ・日本)『Cobalt
rouge Remix』(テッド・ロビン振付)
●アルコ・レンツ/コバルト・ワークス(ベルギー)『Heroine』
[2006/7/28]
安藤洋子さんのYoko Ando
Projectの"Moire"を、整理番号が003番だったので、ほぼ真ん中の最前列で観てきた。
全く間違っているかもしれないが、基本的にはアマンシオ・ゴンザレス(Amancio
Gonzalez)さんが後述するIntraConnect的な動き、アンデル・ザバラ(Ander
Zabala)さんがバレエ的な動き、安藤洋子さんが二人の間を中間的な動きで繋いでいた。
彼らは武道家の日野晃さんのFeel&Connectという考えを受け継いでいて、相手を感じて繋がる動きをしている。
通常のFeel&Connectは人と人の間の関係なので、InterFeel&InterConnectと言い換えても良い。
これに対するアマンシオさんの印象的な動きは、身体の各部を解体して、それらを独立のものとしたコンタクトダンス、つまり人の中のIntraConnectな動きであった。
それは従来の関節のキネマティックな結合による「自然」な動きとは全く違って見える。
しかし、IntraFeel&IntraConnect、身体の各部同士がFeel&Connectすることは可能だろうか。
Feelの定義にもよるだろうが、IntraFeelというのが問題で、脊椎反射の結合や左脳と右脳などの特殊なものを除けば、すべて中枢神経系にコントロールされているように思える。
やはりダンスという枠を取り外せば、繋ぐべきは、人と人、または人の意識と無意識などのそれ以外の部分であるように思える。
[2006/7/28]
今年も無事に『500個の風鈴の音を聴く』イベントを終えることができました。
聴きに来ていただいた皆様、特に後半の雨の中を来ていただいた皆様、どうもありがとうございました。
残念ながら、後半は風に恵まれず、風鈴の音の世界を十分に楽しんでいただけなかった方々には申し訳なかったです。
しかし、風鈴は風がなければ鳴らないもの、自然そのものだということでご容赦いただきたいと思います。
今年も場所の提供に加えて様々なサポートをしてくださった池上本門寺およびイキイキ推進委員会の皆様にも大変お世話になり、どうもありがとうございました。
また、準備作業・撤収作業を手伝ってくださった皆様、今年は人数が少ないところを大活躍してくださり、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。
コミュニティの皆様には、温かく見守っていただき、感謝しております。
昨年の経験や様々な方々の助言から、今年は風の通る場所に風鈴を集中するとともに、セミの鳴かない時期を選ぶことにより、当初の目的であった500個の風鈴の音の世界をやっと体験することができました。
「風鈴を通して風の動きを感じる風流な音の世界」、「強い風に風鈴が鳴り響く怖いほどの異次元の音の世界」、これらの両方の世界を堪能することができました。
イベントのテーマである「繋がり」という観点からも、風鈴という風を感じるメディアを通して、風という自然と人を繋ぐことができたと思います。
また、風鈴の短冊に絵を描いてもらうことで、風鈴の音の共鳴により人と人を繋ぐことができたのではないかと思います。
ただ、昨年、今年と風鈴たちも雨風に耐えたものの、紐を中心に痛んできており、今年は10枚以上の短冊が落ちてしまいました。
風鈴を吊るす紐まで痛んでくると、すべてを補修するのは今の体制では困難であり、妙案を探しています。
皆様、本当にどうもありがとうございました。
[2006/7/23]
今日は池上本門寺まで片道1時間のサイクリング。
短冊の絵を描いてもらった正面の短冊がなくなっているのを発見。
携帯電話にmixiのマイミクのドナドナさんからメール、何枚も短冊が落ちていたそうだ。
食事中のドナドナさんを待つ間、脚立を取りに行くついでに、精進アイスのあずきを購入。
到着したドナドナさん夫妻と短冊や紐のなくなった風鈴を補修。
脚立を取りに行くときに、ちょっと思いついて、予備の短冊だけでなく、ポスカも一緒に持ってきた。
通りすがりの子供たちに短冊の絵を描かせようという魂胆。
子供たちだけでなく、通りすがりの女の子たちにも、声をかけて絵を描いてもらった。
もちろん、好きな場所を指定して吊り下げることができる。
描いてくれた子供たちや女の子たちには、臨時ワークショップはすごく好評だった。
今日は風鈴がなかなか綺麗に鳴っていました。
少しずつセミが出てきている感じで、昼間に綺麗な音で聴けるのは、来週の半ばぐらいまでじゃないかな。
[2006/7/16]
以前にうちの会社の子会社を訪問したときに、勤めていたときにお世話になった人が意識不明で、もう回復しないだろうという話を聞いた。
その人が子会社を辞めてから、お話をしたいと思いつつ機会がなかったので、残念で暗澹たる気持ちになった。
でも、その子会社の解散式のときに、その人からのメッセージが届き、意識が奇跡的に回復したことを知った。
お見舞いに行かなければと思いつつ、今日やっと行こうと計画し、病院に面会時間を尋ねようと電話したら、昨日退院されたということだった。
なんか、気が抜けたというか、がっくりしたような嬉しいような気持ち。
夏のご挨拶の手紙でも書こうかな。
[2006/7/14]
2004年に来日公演したLaLaLa Human Stepsの"Amelia"(2002)がDVDになっていた。
これまでに観たバレエ/ダンスの公演の中で最も素晴らしいもののひとつだと思う。
しかーし、リージョン1、米国とカナダ向けなのだ。
日本と同じリージョン2の欧州のDVDは映像方式がPALなので観ることができない。(怒)
[2006/7/11]
しかし、手に入れました。
映像用に再構成したもので、ダンス、舞台、カメラワーク、最高です。
来日公演を思い出し、涙が出てきました。
おまけとして、いずれも来日公演で観た"Infante"(1991)のイメージビデオ、"2"(1995)の公演で使った映像、"Exauce/Salt"の公演で使った映像が入っていました。
"2"のLouise Lecavalierの現在と老いの対比映像は胸が詰まる思いです。
[2006/7/14]
今夜は風に恵まれていた。
ノイズが少ない夜に、500個の風鈴が同時に鳴る音は凄かった。
風鈴の配置の修正や風鈴の舌の位置の修正により、今年の音は昨年の音とは比べ物にならない。
あちらの世界に繋がるような気がした。
今年の音は心に刻み込んでおきたい。
[2006/7/11]
今日は午後から池上本門寺の朗峰会館で、今日18時から放送のTOKYO
FMの「Evening File」の取材。
池上本門寺の安永さんとともに、TOKYO FMの柴田さんと村田さんからインタビューを受ける。
ネットのコミュニティとリアルのコミュニティの関わりについての極めてまともな内容。
放送関係としては、昨日の大田ケーブルネットワーク、今朝のイッツコムに続いて3件目。
[2006/7/10]
(これはカウンセリング関係のブログに書いたものです)
今日から池上本門寺で『500個の風鈴の音を聴く』というイベントが始まりまし
た。
日時:2006年7月9日(日)〜23日(日)
場所:池上本門寺(東急池上線池上駅、都営浅草線西馬込駅)
主催:ネットコミュニティ『500個の風鈴の音を聴く』実行委員会
オフィシャルブログ:http://www.mitaimon.info/500windbells/
(mixiにご参加の方:http://mixi.jp/view_community.pl?id=34819)
このイベントのテーマは自然と人、人と人の「つながり」です。
なぜ、このようなイベントを始めようと思ったのか...
最初の動機は単純でした。
500個の風鈴が共鳴する不思議な音の世界を聴いてみたい。
でも、500個の風鈴には様々な「つながり」の要素がちりばめられていました。
カウンセラーとクライアントの間には、ラポールという信頼関係の「つながり」があります。
また、クライアントがストレスを受ける最大の原因は対人関係という「つながり」です。
人に好き嫌いがあるように、同じ音色の風鈴は共鳴してお互いに強め合い、少し違う音色の風鈴はうなりを生じ、全く違う音色の風鈴はお互いに関係を持ちません。
また、500個の風鈴は人間社会の縮図です。
風の通り道にいて大きな音で鳴っている風鈴もあれば、風が通らず全く鳴らない風鈴もあります。
風の通り道にあっても、壊れてうまく鳴らない風鈴もあります。
僕ができることは、風の通り道を考えて、できるだけ多くの風鈴を鳴るようにすることと、壊れた風鈴を直すことです。
その他にも、mixiのバーチャルなコミュニティと、池上本門寺や池上地域というリアルのコミュニティとの「つながり」、風を感じるメディアとしての風鈴を通した風や自然との「つながり」もあります。
そして、幼少の頃の親の死を境に、人と「つながる」ことが恐怖と関連付けられた自分自身にとっても、「つながり」は最大のテーマなのです。
[2006/7/9]
雨が降りそうな微妙な天気でしたが、トラブルが起きていないかの確認のため、雨を覚悟して自転車で池上本門寺まで出かけてきました。
トラブルは短冊がひとつ外れてなくなっていたこと。
mixiのマイミクの娘さんが描いてくれたものなのでちょっとショック。
風鈴の面倒をみていると、イキイキ推進委員会の山口さん達が登場。
今日は大田ケーブルネットワークの取材で、本門寺の執事長の早水さんがインタビューされるようだ。
山口さんと一緒に、池上駅に風鈴を吊るすのと、フライヤーを貼らせてもらう交渉に行った。
今日の本門寺はあいにく風がない状態。
しかし、セミが鳴いていないので、遠くからの微かな風鈴の音が聴こえるのが新しい発見。
(写真は左から、ちょっと見た目は昨年と同じ。近付いて見ると、こんな可愛い短冊が。今年は(日蓮上人)聖人像方面にも伸びて。トンボも風鈴の上で一休み。)
[2006/7/9]
今日は朝から風鈴イベントの準備作業に行ってきました。
昨年以上に朝は人が集まらず、ちょっと不安でした。
でも、ぽつぽつ人が集まりだし、みんなの奮闘もあって、6時過ぎには完成!
今年はまだセミがほとんどいないし、風鈴を風の通る場所に集めたので、聴覚的には素晴らしいできです。
風の流れがはっきりと見えます。
視覚的にも、予想に反して短冊の絵がいい雰囲気を醸し出しています。
今年は本当にお奨めできるので、ぜひみんなに来て欲しいと思っています。
(写真はEmieさん撮影。子供たちが描いてくれた絵も吊るされています。去年よりがんばって高い位置に吊るしました。)
[2006/7/8]
うちの会社のある子会社が6月いっぱいで消滅した。
その子会社には僕も10年ほど在籍したことがある。
そこの会長は、うちの会社のほとんどの製品を発明した有名な人だ。
その子会社に転職したとき、僕はその人の偉大さを知らなかったし、今でもわかっていないと思う。
転職した年の秋、当時は社長だったその人と僕は二人でヨーロッパに出張に行った。
フランクフルトで入国、社長と汚い服を着た僕は入国審査を受けることもなく別室に通された。
僕は運転が苦手だったので、その人は僕の代わりにずっと運転していた。
そんな偉い人を運転手にしたのは僕ぐらいだろう。(笑)
ウィーンでのグラフィックスの学会、スイスのレマン湖と登山鉄道、レマン湖の時計屋さんで親子に間違われたこと、版画を買い込んでスイスの空港で怪しまれ
たこと、パリでのグラフィックスの会社の訪問、その出張にはその人の想い出がいっぱい詰まっている。
その人がホテルでの盛大な解散式の後、内輪のメンバーに最後のスピーチをした。
その人は昔、会社の創業者から重用され、次々と輝かしい発明を一人で成し遂げて行った。
でも…、その人はすごく孤独だったそうだ。
一緒に仕事をする仲間も部下もいず、仕事が忙しくて心からの友達もできなかった。
そのことが唯一悔いの残ることだった。
どんなに忙しくても友達は作りなさいよ。
やはり僕が求めるべきテーマは「繋がり」だと確信した。
[2006/7/1]