日々の雑感 [2001/10-12]

「闇を歩く」を読んでから、ここしばらくは闇を探索しようかと思うこの頃です。


道具的存在と実存的存在

小学校ではニワトリを飼って殺して食べる授業が問題になっているらしい。
人間が生きるためには何かを殺さなければならないことを実感するためにも、少なくとも1回は殺して食べる授業はあっても良いと思う。

しかし、家畜は人間が食べるために作られたのだから殺してもかまわない、という欧米の論理は気に食わない。これは奴隷制度などと同じ論理ではないだろうか。

ここで思い出すのは遥か昔に読んだ実存主義の「実存は本質に先立つ」という言葉である。
今ではうろ覚えだけれども、道具的存在と実存的存在が対比されていて、人間は道具のように使われる目的としての性質が先にあるのではなく、とにかくまず存在するということである。

実存主義的な観点から、家畜は人間が食べるために作られた道具的存在だろうか。
家畜も詑犬亘椄踉餐に先立つと思う瘢雹。もちろん動物もそう瘢雹だろう瘢雹し、職髟阡司發修逅擦世蹐逅擦、自然に存在するものはすべてそうだと思う。
宝石の原石は美しく磨かれるために存在するのではない。それはただ存在するのである。
恐らくそこにう髟阡擦襪里脇散馘減澆任呂覆、道具的見方とも言うべき認識方法である。言い換えれば、そこにあるのは宝石ではなく・髟阡察嵎」として主観的にカテゴライズされたものにすぎない。
[2001/12/26]

アンダーグラウンドのビデオ

アンダーグラウンドのビデオの入手にてこずっている人から On Sundaysについてきかれてしまった。On Sundaysはなんと実験映画に関する1990年の文章に書かれているが、ワタリウムという美術館のミュージアム・ショップである。
映画関係のビデオだと渋谷の
ユーロスペースにも売っていると思う。
しかし、最近 Stan Brakhageの映像作品のビデオの購入などに利用しているのは米国の
Arthouseである。
[2001/12/26]

Colors

"Colors"のところに、色は抽象的なものではなくて、その色を感じた個人的な体験などに基づいていると書いた。実際に人間が知覚できるのは、ある周波数を持った「物理的な色」ではなくて、眼の構造に規定された「知覚的な色」である。
前者のような後天的な要素としては、個人的な体験の他に社会・文化的な要素、後者のような先天的な要素としては、目の構造による規定の他に情動的な要素などがある。
後圓領磴箸靴、心理学の実験で人間を赤い部屋と青い部屋に入れるというものがあり、人間は赤い部屋に入ると血圧が紊、青い部屋に入ると血圧が下がる。
これも人間の血の色が赤だからで、もし人間の血の色が青だったら逆の反応になるのではないだろうか。
(「色彩心理学」[2000/10/22]参照)
[2001/12/15]

夜の地球

あるメーリング・リストに流れていたのだけれども、この地球全体の夜の写真は良いね。写真をクリックして原寸大で見ると、胸が締め付けられる感じ。でも、地球は光が多すぎるよなあ。
[2001/12/15]

殺さないこと

何かを殺瘢雹さないと生きられないわけで、菜食主義のように動物はだめで植物だけ食べていれば良いというものでもない。動物でも牛乳だと殺していないし、無精卵も殺していることにならない。逆に植物でも米とか種子を食べることは明らかに殺している。柿のように実だと、動物を利用して種を遠くに運ぶ戦略のもとに作られているので、明らかに殺してはいないし、虐待もしていないことになる。
人間の免疫機構とかまで考えると、殺さないことを意識的にコントロールできない。
[2001/12/5]

田谷の洞窟

「闇を歩く」に載っていた横浜の田谷の洞窟に行ってきた。
東海道線の大船駅からバスに乗って数分、田谷の洞窟は定泉寺の境内の丘の下にある。受付で細いロウソクを貰って、洞窟を入ったところで火をつける。洞窟に引かれた電線にライトが点いているので、ロウソクがなくとも真っ暗ではない。入ってしばらくは十分な広さがう髟阡擦襪、順路に従って進むとかなり狭くなってくる。ロウソクの炎はゆっくりと歩かないと風ですぐに消えてしまう。丘の下に掘ってあるせいか、壁から水が染み出ていて湿度が高い。昔は修禅道場だったらしいが、こんなところにいたら身体を悪くしそうだ。水でぬめぬめ光っている洞窟の壁は薄気味悪い。洞窟には水路があったり、壁には色々な彫り物がある。亀が彫られていて、天井の方から水が落ちている円形の不思議な空間もある。全長は1.3kmらしく、長くて興味深い洞窟である。しかし、案内がないと迷いそうで、電線が切れてすべての電灯が消えてしまったらと考えると怖いものがある。
[2001/12/2]

動く模様

ランダムドットのような模様の床を、暗いところでぼ?っと眺めていたら模様が動き出した。
模様は動いてはいるけれども、模様自体は変化していないから、模様が水の中にあるように見えた。
しかし、眼の焦点を合わせようとすると、動きは消えてしまった。
もう一度動かしてみようと思っても、なかなか動き出さない。
水晶体の歪みと関係があるのだろうか、暗いところというのが重要なのだろうか。
ブラッケージ(Stan Brakhage)が言いそうなことだけれども、与えられた眼の形式でない方法で見てみたい。
[2001/11/26]

シルヴィ・ギエム

横浜の神奈川県民ホールにシルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem)と東京バレエ団による公演を観に行ってきた。
ギエムを観るのは、英国のロイヤルバレエ団として1995年に来日したときの、ウィリアム・フォーサイス(William Forsythe)振付のヘルマン・シュメルマン(Herman Schmerman)以来である。
東京バレエ団はまあどうでも良いのだけれども、ギエムは人気があるのでS席なのに1階の後ろの方、でも生ギエムはやっぱり凄かった。
特にマック・エック(Mats Ek)の"Woman With Water"が面白かった。この作品は、パイオニアから発売されている「シルヴィ・ギエム」(1993)に入っている"Wet Woman"を、劇場用に振付け直したもので、机とコップと水を使った振付はコミカルでもあり、ギエムはもう「可愛い!」という感じだった。
ベジャール振付の「ボレロ」は初めて観たのだけれども、案外すぐに終わってしまったという感じだった。ギエムの「ボレロ」は評価が二分されているので、とにかく観ておきたかったもので、ギエムは確かに凄いけれども、ベジャールの振付はオードソックスというか、ライティングも含めて小さな動きから大きな動きへ、そしてシンメトリックな構成が多過ぎてちょっと物足りなかった。
[2001/11/23]

文化固有のヒューマン・インタフェース

MITのメディアラボが世界中に研究所を作り始めているらしい。それぞれの文化や社会に応じたヒューマン・インタフェースの研究のためなら面白いのに。
インターネットで世界中が繋がれば平和になるという考えは、単に西欧的な幻想かも知れない。
先天的にはほとんどの人が同じような資質を持っているとしても、後天的には文化や社会によって思考方法が大きく異なってくる。
例えば極端なことを言えば、タリバーンのような急進的なイスラム教徒にとっては、アイコンは偶像崇拝に繋がるという理由で使わないかも知れない。
それぞれの文化によって固有の面白いヒューマン・インタフェースの考え方が出てきたら面白い。
[2001/11/21]

未来への教室2001

ジェームズ・タレル(James Turrell)などが出演する「未来への教室スペシャル2001」が18日にNHK教育テレビで放送された。17日のNHKホールでの公開録画は、気がついたときには定員になっていて観覧できなかった。
放送のタレルの部分では、新潟県川西町にある「光の館」(TEL:0257-68-4419)が紹介されていた。「光の館」はタレルが設計した宿泊可能な体験施設で、屋根に四角く開いた窓によって切り取られた空の色の変化を和室に寝転がって見ることができる。その他に浴室には光ファイバーによる照明もあるらしい。
とにかく、新潟に行ってタレルの「光の館」を体験してみたい!
[2001/11/18]

H・アール・カオス「ロミオとジュリエット」

H・アール・カオスの大島早紀子振付、白河直子ソロダンスの「ロミオとジュリエット」を池袋の東京芸術劇場の中ホールに観に行ってきた。
ロミジュリ(「ロミオとジュリエット」)はさいたま芸術劇場での初演、グローブ座での公演に続いて3度目である。ロミジュリはカオスの通常の作品とはちょっと雰囲気が異なり、大島さんにしてはオードソックスな感じでちょっと物足りない。特に今回はバルコニーが剥き出しのパイプによる組み立てで、さいたま芸術劇場での初演と比べると殺風景な感じである。また、席が前過ぎたことも影響しているのか、ライティングにも物足りなさを感じた。
振り付けに関しては、ちゃんと理解できていないので書けないけれども、白河さんのコンディションが今ひとつだったように見受けられた。特にバランス関係の力業で、いつもは考えられない不安定さを感じた。ひょっとして、右足とかを痛めていたのではないかと心配である。
とにかく次回の公演に期待。
[2001/11/17]

Sodalite

青山のHOLISに遊びに行った。
HOLISはAura Somaのリーディングで友達を連れて訪れたりするので、売上にはかなり貢献していると思う。
今日はAura Somaのボトルの横の石を見ていたら、綺麗な青のハート型のSodaliteがあったので1,000円で買ってしまった。石には記憶が宿るそうなので、お店の人が綺麗な青い粉を燃やして、その煙で記憶を消していた。
[2001/11/17]

アイソレーション・タンク閉鎖

四谷のスダック・スポーツクラブの経営が変わって、遂にアイソレーション・タンクが閉鎖になったらしい。久し振りに入りに行こうと思っていただけに残念。しかし、たった40分間だけのノーマルな状態での体験は、もはやあまり意味がないかも知れない。
[2001/11/10]

草間彌生 "Narcissus Sea"

横浜の桜木町の運河パークに、「横浜トリエンナーレ2001」の草間彌生さんの作品"Narcissus Sea"を見てきました。
運河パークの海面に2000個のステンレスのボールを浮かべた作品はとても良かったです。草間さんと言えば、黄色に黒い斑点のあるカボチャなど「どぎつい」作品を思い浮かべてしまいます。しかし、今回の作品は夜に行ったこともあり、仄かな光を湛えて不思議な感じでした。また、波に動くボールの群れの表面が、生物の皮膚を思い起こさせるような艶かしい動きをしていました。さらに面白かったのは、ボールがぶつかり合う音の重なりの不思議さでした。
[2001/11/2]

風鈴の音

以前に書いたと思ったのだけど、書いていなかったようなので。

500個の風鈴の音を聴いてみたい!
駒沢敏器氏の「生命の音」の第三回
「屋久島で500個の風鈴を聞く」を読むと、風鈴が500個もあると、お互いに共振して、この世のものとは思われないような音がするようだ。
[2001/10/28]

Choreography and Dance: フォーサイス特集

William Forsytheに関する本がないかとAmazon.comで検索したらout of print、Amazon.ukをのぞいてみたら売っていたので即注文。届いてから良く見たら、これは"Choreography and Dance"というHarwood Academic Publishersの論文誌のForsytheの特集号。他にも過去にMerce Cunninghamの特集とか。
[2001/10/28]

ヨーロッパ・メディア・アート・フェスティバル

ドイツ文化会館にシンポジウム「身体とメディア」の関連で、ヨーロッパ・メディア・アート・フェスティバル(EMAF)の映像作品を観てきました。
EMAFは実験映画から発展したフェスティバルで、ドイツのオスナーブリュックで開催されており、作品は実験映画とビデオ・アートに分けられて上映されていました。
技術的には面白いものも見韻蕕譴燭發里、内容的には二十数年前に観た実験映画、特にブラッケージ(Stan Brakhage)の映像作品に比べるまでもありませんでした。
存咳撚茲筈3兄哘3兄忍3兄逅殺3兄・踉殺3兄箸箸い逅司爐藁鮖謀覆發里世隼廚い泙垢韻譴匹、現在ではこういうメディア的な分け方はほとんど意味がないと思います。

Γ碍志Γ碍脂Γ碍暫Γ碍傘・踉殺3兄犬噺世┐弌私のHPを読んだ人から教えてもらったのですけれども、Mistral Japanが昨年と今年にブラッケージの作品の上映を行なったようです。ブラッケージのビデオはArthouseから購入したMystic Fire Video"Dog Star man"を始め数本持っているものの、最近観ていない作品も上映されたようで、見逃したのはとても残念でした。ブラッケージの"Dog Star man"のビデオもMistral Japanが日本で販売し始めたようです。
[2001/10/22]

夜の白い雲

夜の雲が白い。これは都会の夜が明るいからだろうか?
昔、離れ小島に行ったときは、月の周りの雲だけが白かったような気がする。
[2001/10/22]

銃口の黒

銃口の黒を撮りたい。できれば、自分に向けられた銃口の恐怖を表現する黒。
[2001/10/22]

闇を歩く

中野純著「闇を歩く」(アスペクト)はとても面白いです。
内容は「終電で行くナイトハイク」、「ご近所の暗闇を訪ねる」、「自分の家で闇を楽しむ」、「ちょっと本気の夜登山」。

日本初!真っ暗闇スポット体験ガイド。
身近で手軽な真っ暗闇の名所を訪ね歩き、闇の魅力を語り尽くした体験的ガイド。
「世界一白い」日本の夜のかたわらに存在する、見たことのない風景、静かな感動。
(「BOOK」データベースより)

「日々の雑感」の「光の風景」でも書きましたが、人工の(騒)音が都市のサウンドスケープを破壊したように、人工の光が都市の光の風景、特に闇の風景を破壊してしまいました。
「闇を歩く」では、場所が関東近辺に限定されていますけれども、闇を体験できる様々な場所が紹介されています。
「終電で行くナイトハイク」はすごく面白そうだけれどもちょっと怖い感じ、3人ぐらいで行くのが適当で、独りで行くととても怖いそうです。「ご近所の暗闇を訪ねる」では、ぜひ行ってみたい場所が満載です。
やや残念なのは、「終電で行くナイトハイク」でナイトハイク後の「ご来光」の素晴らしさの話とか、闇だけに絞りきれていないところでしょうか。

一昨日の夜は、横浜公園の日本庭園の水琴窟の音を聴きに行ってきました。水琴窟は「闇を埋めて楽しむ」という意味で取り上げられています。道路や野球場が近くにあることで音の環境は良くないです。

昨日は、「お寺の地下で一介の精子になる」で取り上げられている、二子玉川駅近くの玉川大師の地下霊場に行ってきました。大日如来の胎内を表現している本堂の下の地下霊場は、部分的には真っ暗闇なものの距離的には短いので、目が暗順応する時間もなく、今一つという感じでした。しかし、あの真っ暗闇のどこかに秘密の抜け道があって、そこに入ってしまうと抜け出せなくなって、とか想像し出すと怖いものがあります。
[2001/10/8]


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