ゆっくりと始動するはずが、仕事のトラブルで非常に不安定な状態のままです。
彩の国さいたま芸術劇場にヤン・ファーブルの「主役の男が女である時」を観に行ってきました。
ソロのダンスは「ヤン・ファーブルとリスベット・グルウェーズの意向」により、リスベット・グルウェーズからスン・イム・ハーに変更されました。
相変わらずファーブルは舞台美術に凝っています。
舞台上には、カクテルを作るテーブルとオリーブオイルのボトル。
黒いスーツを着た一人の女性ダンサーが、舞台の上から吊るされたロープに、ボトルを一本一本下げていく。
ボトルからオリーブオイルが滴る中を、男性の睾丸を象徴する金属球をパンツの中から取り出して、口に含んだりお手玉したり弄ぶ。
舞台美術は良いし、スキャンダラスな表現はそれなりに楽しめるものの、滑るオイルに制約されたダンスは今ひとつ。
しかし、やっぱり後半はやってくれました。
オイルのボトルの口を全開にすると、胸を隠していたテープを引き剥がし、パンツを脱ぎ全裸になると、オイルの海となった舞台の床の上を、オイルの飛沫をあげながら、ぴかぴか光った裸体が転げまわっていました。
観るには舞台ぐらいの高さがちょうど良いと思うものの、ダンスが低い位置で行われるので、かなり前の人でないと人の頭で見えなくて、十分に楽しめなかったかも知れません。
あ!、最初に作ったドライマティーニを、途中でちびちび飲んでいたのが、最後は股間をまさぐって、オリーブの実を取り出し、グラスに入れて飲んでました。
あんなオイルの中で遊んでみたいな。
目に入ると痛そうでしたけどね。
[2006/6/30]
池上本門寺で小学生がお坊さんの生活を体験する「一泊てらこや」がありました。
1日目のお風呂の時間に、子供達に風鈴の短冊の絵を描いてもらいました。
『500個の風鈴の音を聴く』イベントで使う予定です。
みんな一生懸命に描いてくれてありがとう!
池上本門寺のどこかに吊るされるので、自分の描いた短冊を探しに来てね。
それから手伝ってくださった池上本門寺のみなさま、mixiの風鈴コミュのチャコさん、ドナドナさんと娘さん、どうもありがとうございました。
本当に助かりました。
[2006/6/24]
(これはカウンセリング関係のブログに書いたものです)
今回から数回、知覚や脳の観点からカウンセリングについて考えてみたいと思います。
フロイトらの精神分析療法が過去を重視するのに対して、ロジャーズの来談者中心療法などは「いま、ここ」を重視します。
我々は「いま、ここ」に生きる存在である。
果たして、これは本当なのでしょうか?
今回は「いま」という瞬間を知覚心理学の観点から、焦点を当ててみたいと思います。
はじまりはじまり。
皆さんはテレビを見ると思います。
テレビの中ではモノが動いていますね。
テレビの中の動きが、1秒間に何枚もの止まった絵からできていることは、ご存知だと思います。
このように止まった絵が動いているように見えることを仮現運動(apparent
movement)と言います。
表示している絵は、左側に緑の円がある絵を8枚、右側に赤の円がある絵を8枚、つなげて表示しているだけです。
しかし、左右に円が動いているようにも見えると思います。
この絵の作り方を、色が徐々に薄くなっていくようにとか、見せる速度をうまく変えていくと、本当に左から右(右から左)に円が動いているように見えます。
そして、左右の円の中間にも移動中の円が見える場合があります。
このとき、表示している絵のように左右の円の色が違う場合には、移動するにつれて色が徐々に緑から赤に変わっていくように見えます。
いま、この円が真ん中に見えるときのことを考えてみましょう。
この「いま」という瞬間、円の色は左右の円の色の中間色に見えます。
不思議だと思いませんか?
「いま」という瞬間の色は、円の「過去」の色である緑と、「未来」の色である赤に影響されている。
「過去」の色に影響されるのは理解できるとして、「いま」この瞬間にはまだ知らないはずの「未来」の色に影響されているのです。
つまり、我々が感じる「いま」を基準にすると、「いま」は「過去」から「未来」への一定の幅を持った時間であると言えます。
別の言い方をすると、我々にとって「未来」が「いま」であり、「いま」は「過去」であり、我々は現実世界から一定時間遅れて知覚している存在だと言えます。
説明がわかりにくかったかもしれませんね。
次回は、遅れた存在である我々を、脳科学的な観点から、もう少し探ってみたいと思います。
[2006/6/18]
昨年と同様、会社の友達に『500個の風鈴の音を聴く』イベントのフライヤーを作ってもらった。
[2006/6/8]
昨日、池田亮司の"C4I"(2004)と"datamatics"(2006)を、有楽町の東京国際フォーラムに聴きに行ってきた。
池田亮司の音を公演で聴くのは、1994年のダムタイプの「S/N」以来。
とにかく圧倒的な音に驚いた。
やはり、ちまちまとCDを聴いていてはわからない。
音響的には"C4I"が良かった。
"C4I"はCommand, Control, Communication, Computer,
Intelligenceの略らしい。
低音は胸に響いて、心臓がバクバクした。
ビジュアルは自然映像とそこから抽出されたデータ。
砂漠の砂に滲み込む水など微かな変化が美しい。
"datamatics"は黒地に白のマトリックスの世界にデータが刻まれていく。
二次元の点の集合が動くことで、三次元世界に見えてくるのが面白い。
[2006/6/7]
mixiのJames Turrellのコミュを見ていたら、パリのCentre
PompidouでTurrell展をやっているらしい。
さらに、Turrellの"Passageways"というDVDが販売されている。
これは買うしかないと、購入処理を進めていたら、DVDが22.90ユーロに対して、送料が89.00ユーロ。
と言うことで、力尽きました。
[2006/6/4]
今日は生田緑地ばら苑にサイクリングしてきた。
やはりバラはかなり傷んでいて、先週末に雨で行けなかったのは残念だった。
でも、バラは外見ではなく香りなので、いっぱいバラの香りをクンクンと嗅いできた。
ちょっと悲しかったのは、昨年は良い香りだった白いバラが、ほとんど終わっていたこと。
だけど、今年も良い香りのバラが一輪ずつ残っていた。
香りを伝えられないのが残念。
[2006/6/4]
BMI(Brain Machine Interface)を調べていたら、脳に電極を刺して電気刺激を与えるDBS(Deep Brain Stimulation)が、深刻な精神疾患には利用されているらしい。
「カナダ・トロント大学のアンドレ・ロザーノ医師は、脳内の「Cg25」という部位が、人間が悲しさを感じるときに活性化することをつきとめ、「悲しみのセンター」と名付け、うつ病の患者に対してCg25への電気刺激を行っています。まだ途中段階ながら、11人中8人に効果があったと発表している。テレビでも紹介しましたが、彼のうつ病の患者が、手術前は表情がドローンとして、今にも自殺しそうなくらい落ち込んでいたのに、手術後にはとても晴れやかな顔になっていた。その映像を見てびっくりしました。」
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/project/itv-katayama/
[2006/6/2]
(本サイトの過去の記事をベースにして、カウンセリング関係のブログに書いたものです)
小さな建物から出てきた女の人が、友達に肩を抱かれて泣いていた。
そこがロスコ・チャペルだった。
なさです。
今回はカウンセリングマインドの2回目、もう10年近く前、まだカウンセリングというものを知らなかった頃の、とある教会での体験です。
はじまりはじまり。
僕はマーク・ロスコというロシア生まれの画家の作品が好きでした。
ロスコの絵は、基本的には上下の二つの色面に分かれていて、その境界が地平線のようにも見えて、吸い込まれるような感じの抽象画です。
そのロスコが手掛けた有名な教会がヒューストンにあると言うので、たまたまロサンジェルスで何ヶ月か仕事をしていたときの休みの日に、飛行機に乗って泊りがけで遊びに行くことにしました。
ヒューストンに着いて、ホテルに荷物を置いてから、地図を片手にロスコ・チャペルを目指して、散歩していたときに出会ったのが冒頭の場面でした。
ロスコ・チャペルは予想外に小さな建物でした。
小さな建物から出てきた女の人が、友達に肩を抱かれて泣いていました。
なぜ泣いているのか、その時点では全くわかりませんでした。
その小さな建物に入ってみると、八角形のチャペルのすべての壁にロスコのほとんど黒に近い絵がかかっていました。
ロスコの絵としてはあまり魅力的に思えませんでした。
天井の明かり取りの窓の下には白い傘状のフードがあり、仄かな光の変化で空を通り過ぎる雲を感じることができました。
チャペルには光と闇とが満ちており、その境界が外からの光によって微妙に変化していきます。
不思議な冥想的な空間だなと思った瞬間、過去の自分が走馬灯のように思い出され、涙が止めどなく溢れ出てきました。
涙が溢れてきたのは、懐かしい想い出に感動したためではありません。
確かに、想い出は溢れ出てくるものの、涙が止めどなく溢れてきたのは、すべてが受け入れられているという感覚でした。
良い想い出も悪い想い出も、すべてがありのままで受け入れられている。
ロジャーズのカウンセリングで言うところの、無条件の肯定的配慮である「受容」を感じたのです。
僕はロスコ・チャペルのようなカウンセラーになりたいと本気で思っています。
【参考】
ロスコの絵、Orange and Yellow
ロスコ・チャペル
[2006/5/28]
(本サイトの過去の記事をベースにして、カウンセリング関係のブログに書いたものです)
今回が初投稿の「なさ」と申します。
まだまだカウンセラーとしての経験は浅く、ここではちょっと毛色の変わった観点からカウンセリングを見つめていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
さて、今回の内容はカウンセリングマインドの1回目です。
みなさんもカウンセリング以外の場面で、カウンセリングマインドを感じた経験があると思います。
ここでは私がカウンセリングマインドを感じたいくつかの経験をお話したいと思います。
それはFEEL&CONNECTという武道系のワークショップでした。
私が敬愛する現代バレエの振付家にウィリアム・フォーサイスという人がいます。
バレエと言うと、みなさんは「白鳥の湖」のように、チュチュと言う衣装を着て、トゥシューズを履いたバレリーナを思い浮かべるかもしれません。
でも、現代バレエの印象は「白鳥の湖」とは全く違うのです。
まあ、それはそれで置いといて。(笑)
そのフォーサイスが最近、日本の日野晃という武道家と意気投合して、フォーサイスのカンパニーのダンサー(これは古典バレエだと「バレエ団のバレリーナ」と言うところ)に、彼のワークショップを受けさせているという話を聞きました。
これはワークショップを受けねばと、昨年の12月に夢の島にある東京スポーツ文化館で行われたFEEL&CONNECTというワークショップに参加してきました。
実はこのとき、私は突発性難聴を患っており、医者から一切の運動はしてはいけないと言われていました。
彼によると武道の真髄は、相手と対立することではなく、相手を「往なす」ことにあります。
つまり武道においては、相手を倒そうとか相手に勝とうと思うのではなく、相手の「意識に同調」することが最も大切だと言うのです。
この「意識に同調」を体感する面白いワークのひとつに、二人で棒を使うものがありました。
それぞれが棒の端を持ち、一方が棒を動かす役、他方が動かされた棒に添って動く役になります。
動かされる方が上級者だと、棒が流れるように動いていき、どちらが動かしてどちらが動かされているのか、見てわからないほどです。
これに対して、動かされる方が初心者だと、棒を動かしても相手が付いて来ないので、棒を思うように動かせません。
また、動かされる方は、相手がどう動かそうとするのか全くわからず、手も棒の微妙な動きを感じ取れないまま、おたおたしながら必死に動くばかりです。
さて、この棒のワークをやってみたとき、これってカウンセリングそのものだと思いました。
つまり棒を動かす方がクライアント、動かされた棒に添って動く方がカウンセラー。
ちゃんとしたカウンセラーだと、クライアントの心に流れるように寄り添うことができるのに対して、下手なカウンセラーは寄り添うことができず、クライアントに居心地の悪い思いをさせてしまいます。
おまけ:
実はこのワークには発展系があって、三人一組で一人が両手に棒を持って動かされる役、残りの二人がそれぞれの棒を動かす役というのがあります。
これはもう大変な状況になります。(笑)
他の面白いワークのお話しは機会があれば。
[2006/5/21]
朝、コンタクトレンズを買いに、自転車で坂道を登ったら汗だらだら。
その後、今やサイクリングコースのひとつである池上本門寺に。
今日は風が強くて自転車にはきつい。
まずはコンビニで買ったお昼を、例によって池上会館の展望台で食べる。
さすがにここは風がむちゃくちゃ強くて、風上を向くと息が苦しくなる。
今年の風鈴のイベント、風が吹かない五重塔方面は止める予定で、風鈴の吊るす場所がどうしても足りない。
特に、短冊の絵をみんなから募集するので、見える場所に風鈴を吊るさなければならないのが難しいところ。
吊るす場所を探しながら、ぐるぐると歩き回る。
グラウンドを見下ろすと、明日コンサートがあるらしく、リハーサルや設営が行われている。
ん?、あの男性の髪型、それに横にいる帽子のちっちゃな女性、昨年のイベントを手伝ってくださった本門寺の関係者の方々でした。
その後には、同じく昨年のイベントの開催期間中に、此経難持坂の古木を切っていたおっちゃん(片桐さん)にも会いました。
残念ながら、今年もお世話になる本門寺のイベントの責任者の方は、コンサートの打ち合わせ中で会えずでした。
で、肝心の風鈴の吊るす場所、新たに予定している日蓮聖人像の前の広場に、後ろ側も加えるとなんとかなりそうな感じです。
[2006/5/20]
日蓮聖人像
昨年に引き続き、2006年の『500個の風鈴の音を聴く』イベントの開催日時が決まりました。
2006年7月9日(日)〜23日(日)
開催期間が昨年の1週間から、今年は2週間に延びました。
また、開催時期もセミが少ないように、昨年より早めにしてあります。
もちろん開催場所は今年も、風と緑(とセミ?)の豊かな池上本門寺です。
8日(土)の準備作業、および最終日の23日(日)の撤収作業にもご協力いただけるとありがたいです。
また、今年は風鈴の500枚の短冊の絵をみなさんから募集する予定です。
募集方法に関しては、後ほどアナウンスする予定ですので、奮ってご参加ください。
(昨年のイベントの後は疲れていたこともあり、来年はもういいかなと思っていました。しかし、やはりテーマの『繋がり』は、自分にとっては大きな要素で、もう少し深めたい思いがあったのと、すべての風鈴が鳴らなかったことに悔いが残っていました。)
[2006/5/18]
昨日、カウンセリング関係の友人に推薦されて、王子の北とぴあにゲシュタルト・アソシエイツによるゲシュタルトセラピーの体験コース(1000円)に参加してきた。
北とぴあ、来たことあるなぁと思ったら、ダンス関係の友人の公演を観に来たことがあった。
この「受容的なゲシュタルトセラピー」では、「今・ここ」で自分が体験していることをありのままに感じ取り、心と身体の声に純粋に耳を傾け続けます。」を目的としているらしい。
ゲシュタルトセラピーは、基本的にはクライアントの言葉ではなくクライアントの動作から、心の声に迫っていくものだ。
最初の基本のワークでは二人ペアになって一人が話をする。
もう一人は話を聴くのではなく、話をしている人の動作を真似る。
普段は話の内容を中心に聴いて、動作はそれほど観察できていないので、多様な動作があることを再認識する。
普段の面接で話を聴くときも、ちゃんと動作を見ていかなければならないと思う。
マイミクから体験しないとわからないと言われていたので、わけがわからないまま最初の体験者に手を上げる。
ファシリテータの岡田法悦さんに向かって、最近ちょっと困っていることの話をする。
岡田「組んだ手に力が入っていますね。組んだ手を感じてみてください。」
両手の指先を合わせたときにしっくりきたので合わせる。
岡田「組んだ手のどちらかになってください。もう一方の手に伝えたいことがありますか?」
私「どちらかからどちらへとは違って、両手の指先の血流の同期したリズムが心地良いです。」
岡田「じゃあ血液になってみてください。何か伝えたいことがありますか?」
私「寂しいよぅ。一緒に流れたいよぅ。」
岡田「合わせた指の間に透明な壁がある感じでしょうか。壁は何と言っていますか?」
私「別々のものだから、一緒にはなれないんだよ。」
岡田「私との間にも壁があるように感じますか?」
私「はい。」
岡田「その壁をなくすためにはどうしたら良いでしょうか?」
私「自己開示をすることですね。」
岡田「私に対して伝えたいことを言ってください。」
ひとつは、頭の中にあったゲシュタルトセラピーを含めた臨床心理と脳科学との乖離について話す。
もうひとつは、幼児期の親との死別体験の影響による人との繋がりの希薄さについて話す。
岡田「壁はどうなりましたか?」
私「少し薄くなったような気がします。」
詳細には覚えていないものの、上のような感じで進んでいった。
動作が重要であることは同意するものの、個々の動作がすべて意味を持っているとは思わない。
ただ、頭で考えるよりも、動作とか感覚に目を向けていると、自分の本質的な問題に行き着くのは確かだと思う。
ゲシュタルトセラピーには、ちょっと変わったイメージを持っていたけれども、実にリーズナブルな方法のひとつだと感じた。
[2006/4/29]
今朝は池上本門寺に今年のイベントの件で相談に行ってきました。
今年も繋がりをテーマにしつつ、新たに500枚の短冊の絵の募集を行うというアイデアもあります。
正式に決まりましたら、お知らせすると思いますので、よろしくお願いいたします。
[2006/4/19]