暑い夏も終わり、残り少ない今年をどう過ごすか。
2007年1月16,18,19日に東京大学駒場キャンパスでの、Caltechの下條信輔先生のセミナー。
内容がすごすぎます。
UTCP連続講演会
下條信輔(カリフォルニア工科大学)
行為、意志、意識―主観経験の神経科学1月16日(火)
* 第一回13:00〜14:30 主観経験は特権的かーイエス&ノー
* 第二回15:30〜17:00 主観的意識体験の時間的構造1月18日(木)
* 第三回13:00〜14:30 自発的な運動の神経学的メカニズム
* 第四回15:30〜17:00 主観体験の直接性・無謬性という錯誤1月19日(金)
* 第五回14:00〜17:00 真正のイリュージョンとしての自由意志東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1
主催:東京大学21世紀COEプログラム「共生のための国際哲学交流センター」(UTCP)
共催:東京大学21世紀COEプログラム「心とことば―進化認知科学的展開」(ECS) 協賛:中央公論新社
全部、行きたい!
ついていけるかなぁ...
[2006/12/22]
(これはカウンセリング関係のブログに書いたものです)
またまたご無沙汰しておりました、なさです。
シニア産業カウンセラーの講座には顔を出していましたが、こちらのサイトおよび勉強会はサボっていました。
ハグ(hug、抱擁)はいいですね。
ハグには相手に無条件で受け入れられているという感覚があります。
カウンセリングで言うところの無条件の肯定的配慮の受容ですね。
今回はハグに関するお話です。
はじまりはじまり。
今、Free Hugsという誰にでもハグを与えようという運動が世界中で流行っています。
オーストラリアの青年が始めた映像を、インターネットの映像をアップするサイトに載せたところ、それを観た世界中の人達に広まったというものです。
子供の頃に親からハグを与えてもらえなかった人達、ハグを与えてくれる親しい人達や愛する人達がいない人達、そんな人達に無条件のハグを与えることは素晴らしいことだと思います。
そして、Free Hugsを広めている人達も、他の人達からハグを与えてもらって、受け入れられているわけです。
さて、ここには相応しくないので書きませんが、以前からネットワーク越しに不特定多数の人達にハグを与えることができないものかと考えていました。
ところが、Hug Machineというものがあるんですね。
アスペルガー症候群という自閉症の一種であり、動物学者でもあるテンプル・グランディンという人が考案したもので、二枚の板の間に体を横たえて締め付けられるというものです。
自閉症ではコミュニケーションなど対人関係に障害があるわけですが、Hug
Machineが与えるような圧力刺激は自閉症の緊張と不安を和らげる効果があることがわかっています。
しかし、私はうちのウサギとしかハグしてないなあ。(笑)
[2006/12/10]
花屋さんで最初に青いバラを見かけたときは驚いた。
でも、その青いバラは青い溶液を吸い上げたものだった。
今日、虹色のバラがあることを知った。
花びらごとに違った色が付いている。
茎の導管ごとに違う色の溶液を吸わせる技術だけはすごいと思う。
バラの香りは絶対に合成して欲しくないなぁ。
[2006/12/4]
バラ市場より
知り合いの女性がこのドラマが好きで、いつもボロボロと泣いてしまうという話を聞いた。
運動機能が低下して最後は寝たきりになって死んでしまう脊髄小脳変性症の少女のお話。
涙もろいので、やっぱりボロボロと泣いてしまい、一話観るごとに感情が高ぶって眠れなかった。
実話をラブストーリーに脚色してあるものの、自分は何をしているのだろう、人に何を与えているのだろうと自責の念に駆られる。
昔から期限を切って生きてみようと思っていたものの、なかなかうまく行ったためしがない。
人生がそれだけwonderに満ちていて、まだ死にきれないということかもしれない。
[2006/12/1]
Hugと同様な締め付けるものを分類してみた。
短時間締め付けるものと長時間締め付けるものの軸と、部分を締め付けるものと全体を締め付けるものの軸。
長時間締め付けるものはやはり苦しい系。
HUGは部分と全体の中間を短時間で締め付けるもの。
この辺りの締め付け方が気持ち良いのか?
Vacuum RackもVacuum
Packing!も不思議な気持ち良さがある。
血圧計も最初に締まっていく感じはなかなかのものがある。
[2006/11/28]
以前にハグとロングテールについて書いた。
コストとリスクが高くて親しい相手としかできないハグを、全く知らないロングテールの相手ともできるようにしようというものだ。
そしたら知り合いの日記からFree Hugsをやっていることを知った。
オーストラリアの街角で、ある青年が始めたFree
Hugsが、You Tubeで世界的に広まっているらしい。
で、今度はHug
Machineというのがあるらしい。
自身もアスペルガー症候群で動物学者のテンプル・グランディン(Temple
Grandin)が考案した。
圧迫刺激が自閉症患者の緊張と不安を和らげる効果があるらしい。
Therafin社から販売されているSqueeze Machineは4375ドル。
右の2つの写真は治療用ではないHug
Machine。(笑)
[2006/11/22]
1秒後の未来、脳内の神経系の遅れなどで意識はほとんど介在できない。
何年後や何十年後の未来、つまらないのでパス。
何百年後の未来、文明や文化がかなり変化しているだろう。人間は何を求めているのだろうか?
何万年後の未来、人間の生物的な進化を考慮しなければならない。
しかし、生物的な進化は文明や文化の変化と比較して遥かに遅いので、サイボーグなど人間の改造が行われるのだろうか?
何十億年後の未来、太陽は赤色巨星になって地球は焼け焦げ、やがて太陽系は消滅してしまうだろう。
人類はいずこへ?
さらに未来、ビッグクランチは存在しないので、人間を始めエントロピーを減少させるものは何も存在しない。
自分がいない未来に思いを馳せる。
[2006/11/18]
ゲシュタルト療法を開発したフレデリック・パールズは、ワークショップのときに好んで下記の詩「ゲシュタルトの祈り」を朗読したそうだ。
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
[2006/11/17]
青山円形劇場にダンス・トリエンナーレを観に行った。
もちろん、お目当ては元ラララ・ヒューマンステップスのルイーズ・ルカバリエ。
自由席だが早めに並んだので、最前列の左端に座る。
人形のような動き、素早い動き、スローモーションの力業の動き、そこにはコンテンポラリ・ダンサーのルイーズがいた。
ルイーズがほんの目の前に来た。
僕は訊きたかった。
「ルイーズ、君はどこに向かっているの?」
セクシーでダイナミックなルイーズは、エドワード・ロックが作り上げたイメージだったのか。
水曜日にもう一度、ルイーズの行き先を見届けに行くつもり。
[2006/11/6]
六本木ヒルズ森タワーの53階の森美術館に、「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」を観に行った。
お目当ては、ロンドンのTate Modernで、初めて体験したViolaの作品"Five
Angels for the Millennium"(2001)。
例によってざっと最後まで見てから、興味のあるものを戻ってじっくりと観る。
しかし、ビデオアートなのでざっと見るのはなかなか難しい。
Violaの作品の特徴は、ビデオの映像と音をスローモーション再生することによる暗示的効果だと思う。
特に音のスローモーション再生により、低音部が強調されて強い印象を与えている。
実は言葉をゆっくりと話すことによる暗示性は催眠などで利用されている。
最初の作品"The
Crossing"(1996)では、一枚のスクリーンの表と裏に映像が投影される。
下からの火と上からの水、ひとつのものの全く相反する見え方を提示しているように感じた。
それらが一枚のスクリーンの表と裏に投影されて同時には見えないことは、反転図形の図と地の関係を連想させる。
そこからしばらくは同様な相反するものを重ね合わせる作品が多い。
その後は静止画と見まがうような動きの少ない作品が続き良く理解できなかった。
いくつかの作品では、普段は意識しないで知覚されているエモーションを扱っているように感じた。
悲しい出来事に遭遇した集団の、表情の変化、アイコンタクトや表情を窺うのが面白い。
組み合わせた手の動きを撮った作品も興味深かった。
ゲシュタルト療法であれば、「組まれた手の感覚に集中してください!」、「もっと強く手を組み合わせてください!」、「もし左手が右手に何かを伝えたいとしたら何と伝えるでしょうか?」とか言われそうだ。
最後の"Five
Angels for the Millennium"はやはり素晴らしい。
水に飛び込む人の様々な映像が5つのスクリーンに映し出される。
ビデオの映像と音はスローモーションで、映像が逆回しだったり上下が逆だったりして、すべての人が上昇していく。
飛び込むときの映像の変化と轟音と、それ以外のときの静寂の対比。
5つの映像は周期がずれているので、人が飛び込むタイミングは変化していく。
すべての人が同時に飛び込むタイミングがあるらしいがまだ体験したことはない。
水中に差し込む光の美しさ、水面に煌く夕日の美しさ、光を受けて拡がる泡の美しさ。
ただ残念なのは、少し明るすぎるのと音が弱いのと、入口から別の作品の音が入り込んでいたことだ。
せっかくなので帰りに展望台から夜景を眺めてきた。
[2006/10/27]
知り合いの日記に屋台の食べ物が美味しかったと書いてあった。
もし仮に同じ味だったとしても、家で食べるのとは違う味がするだろうし、お店で座って食べるのとも違う味がするだろうと思う。
なぜなら心拍数が上がって、普段とは違った心理状態になっているから。
グランドキャニオンは本当に壮大なのか?
眺めている場所が切り立っていて、無意識の恐怖から心拍数が上がって、普段とは違った心理状態になっているから。
ウォークマンは外で音楽を聴くことで、音楽も景色も変わって感じられる新しいクオリアを生み出したと言われている。
しかし、外にいたり歩いたりすることで、心拍数が上がった状態で音楽を聴くという新しい体験も大きい。
カラヤンは録音した演奏を、その直後に高地の別荘で聴いて、テンポを間違えて失敗したと思ったらしい。
しかし、実際には高地で心拍数が上がったために、違ったテンポに聴こえてしまったようだ。
携帯電話が普及したのも、確かに便利だったという側面はあるものの、心拍数が上がってドキドキしながらのコミュニケーションという新しい体験も大きい。
では、これまでになかったもので、心拍数を上げて新しい体験ができることは何だろうか?
歩きながらお風呂、歩きながらセックス、これらはないものの、露天風呂、野外セックスはドキドキ。
[2006/10/14]
GoogleがYouTubeを買収した。
YouTubeが映像の著作権の問題を広告収入の折半という経済的価値で解決したことにより、全く新しい映像の世界が開けつつある。
次にGoogleが買収するのは?
Riyaが目指しているインターネット上のすべての画像から顔を検索する技術は非常に面白い。
こちらも全く新しい世界が開かれるだろうが、その前にYouTubeのケースに似た肖像権の問題が生じるでしょう。
タレントの写真のような財産権としての肖像権の問題は、YouTubeでの著作権と同様な経済的価値で解決されると思います。
しかしながら、人格権としての肖像権の問題は経済的価値では解決できず、最初はネガティブなインパクトを与えるでしょう。
それがいかなる価値によってか解決されたとき、新しい世界が開けると思います。
[2006/10/10]
10月14日から来年の1月8日まで六本木の森美術館で「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」をやるらしい。
2004年にロンドンのTate Modernで、Olafur Eliassonの"The Weather Project"を観たときに、Bill Violaの"Five Angels for the Millennium"(2001)を観て感激した。
この"Five Angels for the Millennium"に加えて、多くの作品が展示されるようで、ものすごく楽しみである。
- Hatsu-Yume (First Dream) (1981)
- The Crossing (1996)
- The Stopping Mind (1991)
- The Veiling (1995)
- Heaven and Earth (1992)
- The Greeting (1995)
- The Quintet of the Astonished (2000)
- Anima (2000)
- Dolorosa (2000)
- Silent Mountain (2001)
- Four Hands (2001)
- Observance (2002)
- Catherine’s Room (2001)
- Surrender (2001)
- The Raft (May 2004)
- Five Angels for the Millennium (2001)
[2006/10/5]
僕の過去の記憶は本当に「事実」なのだろうか?
先日、知り合いと話していて、彼女から貰った植物のことを話したら、彼女は植物をあげた記憶はないと言う。
他の人の記憶にも頼りながら調べていくと、どうやら引越しで彼女の机の上に一時的に置いてあった植物の記憶や、そのときに彼女と話した記憶などが混じっているようだ。
でも、「事実」はわからない。
高木光太郎著「証言の心理学」を読んだ。
「証言の心理学」では、法廷における目撃証言を扱っており、記憶の脆さ、ネットワークする記憶、「正解」のない世界、という3つのキーワードから取り上げている。
記憶の脆さとは、例えば「自分の記憶を排除してしまい、相手の記憶を「事実」として受け入れてしまう」という同調や、ロフタスの目撃証言研究における、凶器に注意が集中して犯人の顔の記憶が曖昧になる凶器注目効果、暴行を受けるなどストレスの高い状況での記憶の低下、写真で見せられた人物を実際に見たと思い込む写真バイアス、別の場所で出会った人物を犯罪の現場で見たと思い込む無意識的転移などがある。
ネットワークする記憶とは、コミュニケーションを通して「単に人々の記憶の間にリンクが張られるだけではなく、自分の記憶と他者の記憶が結合し、浸透しあう」ことである。
以前から「記憶の脆さ」については考えていたものの、「ネットワークする記憶」についてはあまり考えていなかった。
しかし、外部情報によって記憶が改変されるのならば、コミュニケーションがあれば、そこに共同想起による記憶があっても不思議ではない。
「証言の心理学」では法廷における記憶を扱っているので、記憶の改変をネガティブに捉えているが、我々の日常においては害のない改変、例えばメンタルヘルスへの応用は有用かもしれない。
このためには情報全体の中から、改変するためのピースを良い意味で恣意的に選択して与える必要がある。
また、記憶や想い出は個人ごとに多層的に記録されるべきで、Wikipediaのような共同想起としてまとめあげるのは向かないと考えていたが、記憶のネットワークによりまとめられた共同想起が多層的に記述されるべきかもしれない。
[2006/10/4]
1994年に初めて観て衝撃を受けたForsytheのバレエ"Limb's
Theorem"(1990)。
再び観られるとは思わなかった。
[2006/10/3]