からむこらむ
〜その23:向きを発見した男達〜


まず最初に......

 こんにちは。気候変動についていけず、さらに梅雨の高温多湿のため、体調後退気味の管理人です。皆様、如何お過ごしでしょうか?

 さて、今回は「向き」についてのお話。
 実は分子というものには「向き」があります。その「向き」についての簡単な話と歴史的なお話(「読み物」?)、そしてそれによって戦後、世界規模で起きた有名な「事件」をお話してみたいと思います。が、多分長くなりそうなので(打ち込みながら決めるので)、おそらく2回に分けてお話することとなるでしょう。
 それでは「向きを発見した男達」の始まり始まり...........



 まず......そうですね。マウスを握る手も離して、ちょっとやっていただきたいものがあります。 それをやっていただきましょう。 難しいものではありません。 簡単な話です。
 まず、自分の前に右手を出してみてください。手の甲を手前に見てもらいましょう。 良いですか、手の甲をこちらに向けている右手は、「左から」親指→人さし指→中指→薬指→小指.......の順番になっていますよね? ではいったん右手は収めてもらいまして、左手で同じことをやってみましょう。今度は、「右から」親指→人さし指→中指→薬指→小指.......の順番になっていますよね?
 では、次に右手と左手の「手のひら」同士を合わせてみましょう..........まぁ、「拝む」って形になりますけど、この手の形を見て見ると、右手の親指には左手の親指が、同じく右手の人さし指には左手の人さし指が、以下、中指、薬指、小指同士がそれぞれ一致します..........よね?OKでしょうか?
 ハイ、ではいったん両手を収めてください。 次に、もう一回右手を前に出していただきましょう。手の甲を手前にしてください。 続いて、そのままで左手を手の甲を手前にして出してください。 そうしましたら、今度は右手と左手を重ねてみてください。 そう、中指を中心に重ねてみてください。 よろしいでしょうか? この場合、右手の親指は左手の親指と重なるでしょうか? 右手の人さし指と左手の人さし指は重なるでしょうか? .......答えは「重ならない」になりますね? どうやっても重ならないと思います。 左手の形が「右手」と「全く同じ」形でないかぎり、右手とは一致しませんし、その逆もまた言えます。 これは、同じ数、形の「指」があっても、右手の「向き」と左手の「向き」が一致していない事に由来します。
 ハイ、以上確認されたら、手を元に戻していただいて結構です。

 さて、ここで「右手」と「左手」の関係はどうなっているか考えてみましょう。
 「右手」を基準として考えた場合、「左手」という物は、「右手を鏡に映した」形と同じになります。これを「鏡像」と言うので、「左手」は「右手」の「鏡像」と言うことが出来ます。 「左手」を基準に考えた場合はこれが逆になります。
 ここで重要なことは、右手と左手の様な「鏡像」の関係にあるものは、絶対にその形状・構造が「合致しない」という事を理解しておいてください(ただし、非対称形の物のみです。対称形になる物.........完全な「球」や、直方体など..........は除きます)。


 さぁ、長々とやってしまいました(会社でやると怪しまれるかも知れませんが(^^;;)。
 何故この話をやったか.........それは、簡単。分子にも「右手」と「左手」の関係.........つまり、「鏡像」の関係が存在するからです。これはその前置きということで頭に入れておいてください。

 さて、ではこの分子の「鏡像」:「右向き」と「左向き」に関する歴史的なお話を少ししてみましょうか。
 時は19世紀の初頭.........厳密に言うなれば1815年。物理学者(電流のCGS電磁単位の「Bi」はこの人物による)であり、天文学者であるフランス人、ジャン・バブディスト・ビオー(Jean-Baptiste Biot)は水晶の一つの「結晶」に偏光(「一つの方向に向かっている」光と思ってください)を通すとその偏光面(偏光によって生じる「振動の面」)がの方向が左右のどちらかに「まわる」ことを発見していました。

 ※分かりにくい場合........一枚の紙を考えてください。真ん中に「偏光」があり、その振動によって生じる「面」が、紙の「面」になります。そして、厚みの無い部分を先頭に方向に向けて「0度」で飛んでいる紙の面が、水晶を通すことで「ひねられて」、水晶から出た後は「30度」に傾いたと思ってください。 「光の屈折」というのが「概念」的には近いでしょうか。

 さて、このように偏光を通すと、その偏光を曲げてしまう物質を「光学活性体」または「旋光性物質」と言うのですが、この光学活性体をビオーは発見したのでした。そして、更に色々と探していると.........自然産の水晶の大きな結晶を見ると、「非対称の形」をしているものがあります。その「鏡像」にあるものは、偏光面を回す向きは「反対」(「0度」を基準に「+10度」回るものがあったら、鏡像は「-10度」になるということ)になることが分かりました。こうなると更に実験は進みます。 更に水晶の結晶が何かに溶けているとすると、その溶液は偏光面を回す働きがないという事.......つまり、旋光性が無いと言うことも見いだしました。これを彼は次のように説明しました。「水晶が旋光性を持っているというのは、その分子自身の内部に非対称性があるからでは無く、分子が集まって結晶を作るときに、分子が作る何らかの、より大きな構造が非対称であるからだ。」
 で、このビオーはさらに、砂糖や生物から得られる有機化合物にも旋光性があるという事も発見したのですが...........悲しいかな。当時ではなかなか理解されなかったのでした。理由は簡単で、溶液の中では分子はバラバラになって偏光面を回転させられるような「結晶」は存在するはずが無いためでした。 よって、彼は「このような溶液の旋光性というものは、ここの分子自身の内部に何らかの非対称性があって、それが原因だろう」と考えたのでしたが.........証明の手段はありませんでした。

 さて、ビオーがこうして苦戦しているころ.........1848年。一人の若い化学者が舞台に登場します。 その名もルイ・パスツゥール(Louis Pasteur)。 そう、後に細菌についての研究(「空気中には菌がいて、それが食べ物を腐らしたりする」と考えた)でその分野において名前をとどろかす人物です。 が、しかし当時の彼は25,6歳。 博士号の学位を取ったばかりで、非常に若い学者でした(ちなみに、彼の化学の成績は中位だったとか)。 さて、そんな彼はビオーの研究について興味を持ち、自分でもやってみようと考えました。 ターゲットは「酒石酸」と呼ばれる有機化合物(ぶどう酒を作る過程で出てくる物質)で、この光学不活性........つまり、旋光性を「持たない」酒石酸について注目しました。 
 「酒石酸」はブドウから得ることが出来、これは旋光性を持っていたのですが、別種の「酒石酸」である「ブドウ酸」については旋光性がないことに彼は注目。ビオーの推論が正しいとすれば、必ず何らかの答えが得られるだろう.........つまり、「分子の構造に右と左といった、何らかの違いがある」に違いないと考え、この過程から徹底的に調べる事にしました。

 さて、こうして研究を開始したパストゥールは、酒石酸とブドウ酸の結晶の形について徹底的に調べ始めました。 その方法とは.........何と、顕微鏡(今とは当然精度が違う!)を用いて「よく見ながら」結晶の形を見ていくという物でした!! そう、非常に「目が疲れ」、「肩が凝る」作業を彼は開始していったのでした。
 こうして彼は観察を進めていくと..........次の点に気付きます。まず、「酒石酸」の結晶を顕微鏡でみると、その形が非対称的な結晶であることが分かりました。更に、それだけでなく「向きがみんな一緒」であることに気付きました。 そして、次に「ブドウ酸」の方を見てみると........「左向き」と「右向き」の結晶。つまり、今回一番最初に話したような「右手と左手の関係」にあたる結晶が存在することを発見しました。そして、その結晶は半分が上記「酒石酸」の結晶と同じ。そして、残りの半分が上記「酒石酸」の「鏡像」の結晶でした。
 さあ、この発見の以後彼のやった事は一つ...........それは、「ブドウ酸」に存在する二種類の結晶を「分離」する作業でした。 その作業は言うに易しで「顕微鏡を使って、結晶を見分け、それを分けていく」という事なのですが...........ここに、「忍耐」の二文字が存在することは想像に難くないですね.........(^^;;

 さて、こうして彼は注意深く、時間のかかる作業をこなした結果、ブドウ酸の2種類の結晶を分けることに成功。 そして、それぞれの溶液を作って偏光を通して調べてみると.........まず、両者とも化学的な性質(沸点、融点、溶解度などの性質)はブドウ酸と「一致」したのですが、偏光面のまわる向きは..........一つは自然の「酒石酸」と全く一緒。もう一つは、自然の「酒石酸」と全くの正反対でありました。
 この発見をしたパスツゥールは大喜びで実験室から飛び出し、手近に見つかった助手を捕まえてその感動を大いに語ったそうです。 彼は2年間かけて全てを(薬品も器具も)自分で作り、組んで小さい研究室でこの発見をしました。 そして、その小さい研究室の中から立体化学の非常に重要な発見をした事になります。

 ちなみに、ビオーの推論「分子の構造に右と左といった、何らかの違いがある」を証明したパスツゥールは、そのビオーから呼びだされ、彼の前で実験を実際にしてみせて、ビオーを非常に感動させたという後日談もあったりします。

 さて、以上のような経緯で「分子の構造には右、左といった向きがある」ことは証明されました。 そして、後年の1860年代。有機化合物の炭素が「四面体」の構造をしていると推論され始め、1874年に「炭素が四面体である」と考えれば鏡像体が説明できるという理論を組み上げられましたが..............


 おっと..........かなり長くなりました。
 後は次回に持ち越しましょう。




 さて.........終了っと.........

 さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
 今回は、歴史的なお話で終わってしまいました(^^;; 個人的にこのエピソードが好きなので長々と書いてしまいましたが.........(^^;; 久しぶりに構造が出てきませんでしたね。 まぁ、科学史という事で........... 皆さん、こう言うのって嫌いですかね?
 まぁ、それはともかく、「向き」の概念.......「右手」と「左手」..........の発見について今回はお話しました。が、次回はもうちょっと掘り下げた物をやろうかと思っています。 内容的には、「薬」に絡めたお話になるかと思っています。お楽しみに...........m(__)m

 あ、ご意見、ご感想をお待ちしていますm(__)m

 それでは今回はこれまで。高温多湿の嫌な天気ですが、皆さんお気を付けてお過ごしください。

(1999/06/08記述)


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