からむこらむ
〜その24:同にして異なる〜


まず最初に......

 こんにちは。結構身体がダウン状態の管理人です。皆様は如何お過ごしでしょうか? 何やら「突発的」に体調を崩す方が多いようですが......... お気をつけくださいませ。

 さて、今回は前回に引き続いて「向き」についてのお話。
 前回ではいわゆる「読み物」に徹しましたが、今回はもう少し突っ込んでみたお話...........しかも、この話は自然界の非常に重要な真実を示すのですが..........
 それでは「同にして異なる」の始まり始まり...........



 まず、最初に........前回の「右手と左手」のお話。これをよ〜く思い出しておいてください。 良いですか? 今回はこの点に焦点を当てるお話ですので........

 前回はパスツールの話をしました。当時には現在にあるような科学理論はわずかな胎動のみで、あくまでも「現象論」として語られ、そしてその「分子」や「構造」という物はまだ「未知の世界」でありました。ビオーからパスツールへと「結晶の左右」の研究が語られた頃には「炭素が鎖状に繋がっている」という考えはまだ認知はされておらず、その21で語られたように、1858年にケクレが提唱するまでは今現在の有機化学に近い考えはなかったと言えます。

 さて、ビオー-パスツールの努力が実ってからしばらく後の1860年代。 このころに有機化合物の非対称性は、骨格となる「炭素」の立体構造........つまり「手」の配置が正四面体なのではないかと考えられ始めました。とは言っても、当時の数名の科学者の提唱なのでしたが........ しかし、まだ体系的な物としては組み立てられておらず、まだ受け入れられないものでした。 そして時は移って1874年。ビオーはすでに没し、そしてパスツールは50歳を越えたころ。ある二人の若い化学者によって、全く違う場所で、全く同時期に現代に通じる理論がついに発表されます。 その一人は、フランス人「ジョセフ・アキール・ル・ベル」(Joseph Achiile Le Bel)と言い、もう一人は後に(今でも)教科書に載ることとなる「化学平衡」や「希薄溶液での浸透圧」についての研究で有名な、オランダ人「ジャコブ・ヘンリカス・ファント・ホッフ」(Jacobus Henricus van't Hoff)と言います。

 二人の考えはこうでした。「炭素化合物の分子があった場合、その炭素原子は正四面体の中心に位置している。 そして、その炭素と結合している原子は正四面体の頂点となる角に存在している」という考えでした。つまり、以下の図のようになります。


 立体的に表したのですが、分かるでしょうか.........念のため書いておきますと、炭素の各「手」ですが、右下に向く「太め」の物が「炭素を中心に手前」に延びている「手」で、反対に「線」がたくさんで成り立っている「手」は炭素から「右側奥へ」延びている「手」となります。 上と左下に延びているのは、ちょうど「画面上に」ある「手」と思ってください。
 さて、では左を見てください。これを「立体的に」見た場合、正四面体.......つまり、正三角形4つで成り立つ立体の形になるのが分かるでしょうか。 分かりにくい場合、右にメタンの例も挙げました。メタンの角っ子にある水素(H)が正四面体の各頂点となります。その中心に炭素が配置される........という事になります。

 では、これがどういうことを示すのか? そう、「ただ単に立体的にはこうだ」というだけ...........の様に思われるかも知れません。 では、ここでちょっと考えてみましょう。
 さて、ここで1000Hits記念(遅れてすみませんm(__)m)を踏まれた「なかやま」さんに登場していただきましょう。

 なかやまさんは、自分の制作した超小型光学分子製造機体「らいでん」(原理等のツッコミなし!m(__)m)をつかって、次の分子を作らせようとします。

炭素を中心として、そこから出る4本の手の先に原子、または官能基の「W」「X」「Y」「Z」が結合した分子
(「W」「X」「Y」「Z」は、この例で分かりやすくするために「置き換えたもの」で具体的な原子、官能基とは考えないでください)

 つまり、メタンの水素に当たる部分を、それぞれ異なる原子または官能基である「W」「X」「Y」「Z」に変えた分子と思ってください。 ここで、「それぞれ異なる」というのが重要になります。
 さぁ、なかやまさんは「らいでん」にこの分子の作成を10個ほど指示しました。 そして「らいでん」はこの指示を受けて起動し、せっせと動き出します。炭素を捕まえて置いておき、そばにある「W」「X」「Y」「Z」を見つけて運び、そして炭素にせっせとくっつけていきます。そしてしばらくして分子を10個作って、その作業の終了をなかやまさんに告げました。

 さて。ここで出来た分子を考えてみましょう。
 素直に考えると、「炭素(C)を中心としてW、X、Y、Zがくっついた」という分子「1種類しか出来ない」はずです。しかし..........実際には下の図のようになります。


 さぁ、分かるでしょうか。両方とも確かになかやまさんが「らいでん」に指示した通りの分子です。つまり、「炭素にW、X、Y、Zがくっついた」構造になっています。しかし、出来てきたのは...........二個の分子となりました。
 さて、これは「同じ」分子か?
 検証してみましょう。炭素が皆さんの見ているディスプレイ上にあるとした場合、XとZは「画面の奥」へ。そして、WとYは「画面より手前」に出ています。しかし、両分子の最大の相違は「WとYの向き」にあります。つまり、分子Iは「Wが左、Yが右側」になっており、分子IIはその逆となっています。
 これが何を意味するか? 考えてみましょう。この分子Iと分子IIは「重なることが出来るでしょうか?」 色々と頭で考えてみてください。まず、両分子の「ZとX」を重ねて見るパターンを考えてみましょう。そう、図の両分子をそのまま合わせてみてください。すると......「WとY」は重なりません。 では「WとY」を重ねるパターンを考えてみると..........そう、分子Iを基準にすれば、分子IIは上下が反転した形になります。すると当然「ZとX」は重ならなくなります..............
 うん? 何かに似ていませんか? そう、前回話した「右手と左手」の関係。つまり「鏡像」に...........

 もう少し図を示して突っ込んでみましょう。


 そう、つまりは上記の分子は「右手と左手」の関係になってしますのです。つまり、「鏡像」となってしまうのです。 CWXYZという「同じ分子」でありながら、実際には「異なった」分子。そうなってしまいます。

 こう言った「関係」が出来るのは、炭素を中心とした場合、その手の先にある原子・官能基が「全て異なる場合」のみに起こりえます。このようにして生じる「異性体」を「光学異性体」と呼んでいます。
 これら分子の特徴ですが、「物理的性質」。例えば、「沸点」や「融点」「溶解度(溶けやすさ)」などは「全く同じ」数値になります。ただし、前回話したような「偏光」を曲げる性質が、「正反対」になります。 例えば、分子Iが偏光を「右に10度」曲げたとすると、分子IIは偏光を「左に10度」曲げる性質を持ちます。 しかし、両者とも「同じ数だけ存在」した場合はどうなるか? これは互いに偏光を曲げることを「打ち消して」しまうので、「偏光を曲げない=0度」となります(つまり、この性質さえ知ってしまえば、どちらがどれくらい混ざっているかの推測が可能となります)。
 尚、この鏡像となる分子が等量混ざった物を「ラセミ体」と呼んでいます。光学異性体が関与する場合、普通に合成した場合はこのラセミ体が生じます.........つまり、「右手」と「左手」は等量できます(例外もあり)。面白いことに..........(「確率」の不思議ですね........)


 さぁ、ここで具体例をいくつか上げましょう。
 前回話した酒石酸ですが、単純に描くとこれは以下のような分子となります。

 まず、「l」と「d」について説明しておきましょう。これは偏光が曲がる向きを示したもので、「l」は左に偏光を曲げる性質(左旋性)を、「d」は右に偏光を曲げる性質(右旋性)を示します(ラテン語の左:laevus、右:dexterより)。また、「d」や「l」といった物のほかに、各名称の下に書いた「+」と「-」という表記もします。 「meso-」は今回は無視していただいて結構です(これには旋光性はありません)。
 前回パスツールの話をしましたが、パスツールはこの二種類の酒石酸の結晶を地道に分けていきました。 分子の構造が異なるので、当然結晶の形も異なってくるのですが.............

 折角ですので、もうちょっと身近な物質に変えてみましょうか。 それでいて教科書に出てくる例も上げておきましょう。
 皆さんは「乳酸」という物を聞いたことがあるはずです。この物質ですが、実は旋光性を持っていまして次のような分子が存在しています。


 不思議なことに、この乳酸。 人の体内で作られるものは全て左の「(+)-乳酸」.....つまり、「右旋性」の乳酸です。 そう、筋肉痛の元も疲労(脳が「疲れた」と認知する時の物質でもあります)を感じる時の乳酸も全部「(+)-乳酸」です。 そして、植物中に存在する物や、発酵で作られる乳酸は両方とも存在しています。この場合、(±)-乳酸といいます。

 他にも色々ありますが、スペースの問題があります。先に進んでしまいましょう。


 さて、一通り鏡像体に関してお話しましたが、ラセミ体.......つまり、「右手と左手」の関係のある分子が等量存在する場合、これはどうやって分ければ良いのでしょうか? 「遠心分離で?」「物質を沸点まであげる?」...........これらは無理です。何故か? そう、前にも書いたように、「物理的な性質が一緒」だからです。 煮ても一緒。焼いても一緒.........ならばどうやって分けるか? 分かりやすいものを簡単に説明しましょう。
  1. 機械的方法:結晶を拾い分ける(パスツールの如く)
  2. 摂取法:一方の分子を「種」として、溶液につける。
  3. 生化学的方法:微生物を利用
 1の方法は前回話した通りです。気合いと根性と集中力と忍耐のたまものとなりますが、ハード過ぎます。
 2の方法は何か? 例えば、(±)の物の過飽和溶液(溶ける限界以上の溶液)に、(+)の結晶を「種」として加えると面白いことに、その(+)の結晶だけが集まってくるという性質があります。これによって分離を行います。
 3の方法。これは非常に面白い方法です。 微生物(に限らず生体全体に言えるが)は、自分の求める「栄養」がラセミ体であった場合、「選択的に」必要な方だけを拾っていきます。 例えば、(±)の物があった場合に、微生物にとって(+)が必要な場合はそれのみを取り込んでいき、(-)の方は手を出さない.........という性質があります。これによって分離することが可能となっています。
 その他にも、ジアステレオマーという化学的性質を利用したものなどもありますが、説明が長くなるのと難しいので省略します。


 さて、最後にちらほらと出ていますが、「同じにして異なる」化学物質と生体の関係のお話をして終りにしましょう。

 時代は1957年。当時の西ドイツにおいて発売された睡眠薬がありました。その薬は安全な睡眠薬として幅広く使用され病院や家庭でも幅広く使われ、翌1958年に日本でも認可が下り、市販されました。 しかし.........1961年。日本において「アザラシ症」と呼ばれる、手足が短い子供が多数発生するという事件が起きました。 調査の結果、妊娠の初期段階に置いて母親の悪阻(つわり)の治療薬として用いられた「その薬」..........睡眠薬「サリドマイド」が上げられました。
 これが日本における「サリドマイド事件」の発端となります。

 1961年、西ドイツの小児科医がこの薬を用いることによる奇形児誕生の可能性を警告。すぐさま使用各国(十数カ国)は使用禁止・回収措置を行ったものの日本では対策が遅れ、1962年9月まで使用。1000名ものサリドマイド児が誕生し、時すでに遅しとなりました(西ドイツでは一万人と言われます)。
 尚、アメリカでは管轄局であるFDA(連邦食品医薬品局)の新薬調査担当官であったフランシス・ケルシー女史がサリドマイドの安全性に疑問を持ったため使用は試験的にしか行われず、被害の拡大がなかったという話があります。

 さて、このサリドマイド。実はこの物質は鏡像体を持ちます。 そして注目する点は、一方は安全性が高く、本来の目的に添う働きをもち、もう片方は催奇性(奇形を生み出す性質)が非常に高いという性質がありました。


 図中の青い結合部分が「手前」に来るか「奥」に行くかでその鏡像体が発生します。「神と悪魔は紙一重」と言ったところでしょうか。

 さて、こう言った事は珍しいことなのでしょうか? いいえ、実はそうでもないんです。
 実は、生体のみならず自然界ではこのような「右」と「左」の関係が重要な位置を占めているケースがかなりあります。そして、人間が関与する場合でも、例えば薬剤(農薬等含む)などを作り出すときにはこの点の留意が非常に重要になっています(殺虫剤で考えれば、事実殺虫効果が違ってきます)。


 「同じにして異なる」分子..........自然というのは奥が深いのです。




 さて.........書き上げた.........

 さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
 今回は前回の続きの話をしてみました。そう「右手と左手」の具体的な話と言ったところでしょうか。 同じ分子式で表記されるのに、実は全然違うという性質。こんなものもあるんだ、と思ってくれれば嬉しいです。
 さて、この様なタイプの「違い」と言うのは生体内では重要で、上記のような薬剤の様な事もあれば、またたんぱく質を構成するアミノ酸に関しても同じような事が言えたりします。それはやがてお話することとなるでしょう。
 お楽しみに.........m(__)m

 おっと、ご意見、ご感想、ご質問をお待ちしていますm(__)m

 それでは今回はこれまでです。梅雨らしからぬ天気の上、高温多湿の嫌な天気ですが、皆さんお気を付けてお過ごしください。

(1999/06/15記述)


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