からむこらむ
〜その232:紫煙の興廃


まず最初に......

 こんにちは。ぼちぼち町中は白と赤のアレやらイルミネーションで派手ですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 まぁ、こっちにとっては大掃除ののろしでしかないのですが(^^;

 さて、今回の話ですが。
 前回はタバコが世界に広まり、種類が広まっていくまで、という話になりましたか。文化的な話で染められましたけど、今回は現代の話をしようと思います。ま、如何に紙巻タバコが広がり、そして現代に通じる禁煙運動はどうやって始まり、どのように広まり、どうなっているのか、など......簡単にですが。
 ま、もっとも禁煙関係は正直面白くない(というか他所で多量にあるので)ので余りあれこれとはやりませんけどね。ただ、その主成分は別ですが.......
 それでは「紫煙の興廃」の始まり始まり...........



 パイプの火が消えた。私はマッチをすって、火をつけながら、彼女の顔を見つめた。
「パイプ煙草をすうのは悪い習慣ですわよ」
「そうかもしれない。しかし、二十ドルでは、やめるわけにはいかないんでね。それに僕の質問をそらしてはいかん」
「ずいぶん失礼なことをおっしゃるのね。パイプ煙草は確かに悪い習慣ですわよ。お母さんはお父さんにものませなかったわ。お父さんが発作を起こしたからよ。それにうちには借金があったので、煙草なんかにお金を出すことはできなかったのよ。煙草を買うお金があれば、教会へ寄付した方がいいって、お母さんがいつでもいっていたわ」

(『かわいい女』/レイモンド・チャンドラー著 清水俊二訳/創元推理文庫)


 では、前回の続きと行きましょうか。

 紙巻タバコはどのように広まっていったのか?
 これを語るにはアメリカのタバコ王の話をしなければならないでしょう。

 紙巻タバコが徐々に増加してくる19世紀の終わり、アメリカでは税率の変更などを受けて紙巻タバコの普及への土台ができ、これを製造する会社の勃興が相次ぎます。
 当時パイプタバコを作っていたジェイムズ・ブキャナン・デューク(James Buchanan Duke)はこれを商機と捉え、1881年に紙巻タバコへの転換を図ります。ただ、単に製造を切り替えるだけでは無く、ある機械に注目した事が彼の成功の足がかりとなりました。
 何の機械か? これは紙巻タバコを作る為の巻き上げ機でした。
 これはどういうものか? 時代はやや戻ってこの5年前、ヴァージニアで当時17歳のジェイムズ・ボンサックは、高速紙巻タバコ巻き上げ機を考案していました。しかしこの巻き上げ機、ボンサック少年は父親の援助で特許を取得してボンサック社を設立したものの、全く売れませんでした。これは本当に売れなくて、契約成立件数は二桁に満たず、しかも実際に出荷した数はそれよりも少ないと言うものでした。しかしデュークはこれに着目。有利な条件でボンサック社と契約し、この巻き上げ機を導入します。

 ここで若干の説明が必要でしょう。
 今は普通に「タバコ」として売られる紙巻タバコですが、基本的に紙に包まれています。こだわる人は専用の紙を自分で用意し、これに刻んだタバコを載せて巻いて吸うと言う事をします。この様子は興味があれば映画「マルタの鷹(Maltese Falcon)」でハンフリー・ボガード演じるサム・シェパードが冒頭からやっていますので見てみると分かるでしょう。ところが実際には、利用者がいちいち巻いていくのも面倒になる。と言う事で事前に巻いたものを販売.......ではこれを巻くのは? それは当時は通常雇われていた女工がやる仕事となっていました。
 しかしデュークは女工を廃してこの巻き上げ機を使う......言い換えれば、タバコの機械製造に手を出したことになります。
 この機械の能力は「手巻職人48人分」といわれ、しかもその経費は職人の3分の2と言うものでした。女工やら色々と雇うよりは、圧倒的にコストの点で有利となる事は間違いは無く、それに気付いたデュークの着眼点は正解だったと言うことになるでしょう。当初はこの機械は欠点はあったものの、その度に改善を進めていき、最終的にデュークは紙巻タバコの大量生産に成功することになります。
 もちろん作るだけならこれで良いのですが、それだけでいきなり売れるわけでは無い。と言う事で彼はそのタバコの「ブランド化」と景品をつけるなどした積極的な宣伝戦略を展開していくこととなります。
 これは大成功を収めます。
 その成功は、彼がたった10年足らずで市場の半分近くを手に入れ、当時「ビッグ4」と呼ばれたタバコ会社達を追いつめていくほどだったと言えば分かるでしょうか。この勢いは衰えることは無く、1890年にはタバコ企業のトラスト(企業合同)を作り上げ、アメリカン・タバコ社(American Tabacco Company)を設立しその社長に収まります。
 そして噛みタバコ、葉巻の製造会社への買収も積極的に行い、最終的に紙巻タバコ以外のタバコも手に握る事となります。即ち彼は「タバコ帝国」の確立に成功することとなり、彼は「タバコ王」としてその帝国に君臨することとなります。
 彼の帝国はアメリカでのタバコ製造・輸出を完全支配することになりました。

 彼の帝国はしかし安泰と言うわけではありません。
 障害は色々とありました。例えば市場拡大の為にイギリスに乗り出し、イギリスとの「タバコ戦争」を行ったり(後にイギリスの企業と「お互いの国への不可侵」で和解し、共同出資でBAT社を設立)、日本に進出するものの日本政府の専売制導入の前に撤退するなどの紆余曲折を経ることとなります。
 そしてこの帝国の崩壊は間も無くやってきます。
 1890年、当時のアメリカは大企業による独占の弊害が目立ってきていました。これを防ぐ目的で時の議員の名前を取ったシャーマン反トラスト法が作られます。その後、セオドア・ルーズベルト大統領は積極的にこの反トラスト法の発動が行われ、当時存在した数多くの大企業が標的にされました。事実上市場を支配していたアメリカン・タバコ社も同様でして、1907年に政府は同社を訴えます。4年にわたる法廷闘争を展開の末に、同社は敗訴。アメリカン・タバコ社、ロリラード社、R.J.レイノルズ社、リゲット・アンド・マイヤーズ社の4社に分割されます。
 デュークはこれらの会社への経営には参加しません。この後にBAT社の会長を11年間ロンドンで務めるものの、最終的に表舞台から降りることとなります。その後、デュークは彼の資産の大部分を寄付するなどの活動を行うようになります。それによって作られた事業の一つにデューク大学などがありまして、1924年に彼は亡くなると同大学のチャペルに埋葬されています。
 なお、彼自身は紙巻タバコを愛用せずに葉巻を愛用していた、と言うのがなんともまた面白いものですが。

 さて、分割された巨大企業ですが、分社した後に各企業は現在に通じるタバコの銘柄を残すこととなります。
 例えばR.J.レイノルズ社。この会社はデュークとの争いに敗れた経緯があるのですが、分割によって復活。紙巻タバコへ参入する際に新たにタバコの葉のブレンドに工夫を凝らして販売したのが「キャメル(Camel)」でした。
 余談ながら、「キャメル」の意匠であるヒトコブラクダは、サーカス団にいた「オールド・ジョー(Old Joe)」をモデルとした事が知られていまして、後に1980年代にこのラクダを擬人化したキャラクターは「Joe Camel」と命名されています。
 さらにはアメリカン・タバコ社が「ラッキー・ストライク(Lucky Strike)」、リゲット・アンド・マイヤーズ社は「チェスターフィールド(Chesterfield)」を販売し、この三大銘柄でアメリカ市場を大きく支配することとなります。そして同時代のイギリスではフィリップ・モリス社が「マールボロ(Marlboro)」を、後に「フィリップ・モリス」を販売。BAT社もアメリカに進出していくなど、活発な活動が見られることとなります。
 このような流れは紙巻タバコを主流としていくこととなり、そして現在にまで続くこととなります。
#なお、現在のタバコ葉の生産は中国が4割上のシェアを占めています。

 なお、これらの会社のいくつかはすでに消滅しています。
 時代の流れの為に部門毎に買収などがありまして、現在世界最大のタバコ企業はフィリップ・モリス。二番目がBAT。三番目は日本たばこ産業株式会社、即ちJTが占めています。そこら辺の合併劇は非常に複雑な変遷となっていますので省略しますが.......
 ただ、これらの会社は現在はいずれも経営の多角化をしていまして、タバコ以外の産業からの収入が多くなっています。特に現在のタバコへの圧力を考えるとこれは必然と言うことになる。

 ではその圧力とは何か? これは言うまでも無く最近の「禁煙」「分煙」と言う流れにになるでしょう。
 そもそも禁煙についての圧力は、前回触れた通り比較的広まった初期の段階でも見られていまして、ジェイムズ1世の『タバコ排撃論』と言ったものも当然ありました。17世紀にタバコが伝わった各国でもタバコの禁止を定めた国も多くありまして、日本でもぜいたく品としてにらまれています。
 しかしながらタバコについて、一度根付いた風習は簡単に変えられるものでは無く、その拡大が大きくて完全に禁止出来るような物では無かったこと。また欧州では喫煙から嗅ぎたばこへと流行が移行した為もあるでしょうが、完全にタバコの禁止と言うことには行っていません。
 では「禁煙」圧力が高まったのはいつか?
 これは19世紀後半から本格的なものが始まることとなります。

 19世紀後半、タバコの消費量は既にかなりのものとなりましたが、民間ではタバコへの批判が徐々に出てきています。
 例えば欧州では「脳と脊髄の病気の原因」と主張する本もでていまして、民間でもそういう考えがあったようです。事実この時代には反タバコを主張する団体が欧州各地で登場してきており、著名人もこれに名を連ねていることもありました。
 もっとも、これらの団体は余り功を奏さず20世紀の早くには解散をしています。
 ただ、イギリスでは1908年に、子どもへのタバコの販売の禁止、及び公共の場での青少年の喫煙禁止を定めた法律が通過し、ある意味では解散した団体の活動は成果を上げたと言えるでしょう。しかし、反タバコ運動の本格的な活動はアメリカで行われていました。

 この流れは少し面白いものと言えます。
 急速に増えてくる紙巻タバコに対し、旧来の葉巻を愛用するような人達からはこれに反対する人がでてきます。例えばエジソンやフォードといった著名な人達は紙巻タバコに反対の立場をとっていました。エジソンによれば、紙巻タバコの紙巻きの燃焼で問題が起こる、と考えていたようでして、彼自身は葉巻と噛みタバコを愛用していたと言われています。一方でフォードの方は紙巻タバコが「青少年の健康に有害である」と考えていたようでして、紙巻タバコによる喫煙者を同社では雇わない、といった方針を出して実行しています。
 しかしながら、ここでは面白いことに数あるタバコでも新興の「紙巻タバコ」のみが問題になっている。既存のものについては、実はそれほどうるさくは無い、といったものでした。
 では喫煙全体について反対した人はいるのか? これはいまして、その中でも著名な人物としてルーシー・ペイジ・ガストン(Lucy Page Gaston)がいます。
 この人物は保守的な家庭に生まれた人で、教員をやっている最中に若年層の喫煙を問題視していました。彼女曰く「タバコは様々な悪癖の入り口である」と言うものでして.......まぁ、今も確かにその側面はあるとも言え、その点では現代でも通じると言えるのでしょうけれども。それはともかくも、この考えに沿って彼女は禁酒運動に参加する一方でこの反タバコ運動も行い、1899年には反シガレット連盟(Anti-Cigarette League of America)を結成し、活動を全国展開します。
 これは一定の成果を上げまして、各地で未成年者へのタバコの販売を禁ずる法律が制定。さらに11州で紙巻タバコの販売を禁止させることに成功します......が、そこまででした。
 その後、第一次世界大戦が勃発。兵士へ無料でタバコが配られるなどし、また反タバコ運動は戦争の陰に隠れます。その後も運動は下火になり、1920年代には各所で禁煙法が廃止。ハーディング大統領への禁煙をせまる文書などを送るなどするも、彼女は過激すぎるとして反シガレット連盟から追放されます。そして1924年にガンでなくなります。
 独身だった彼女の葬送の際、子供たちがおもむろに立ち上がって「禁煙の誓い」を述べたと言う話が残っていますが.......なお、彼女が禁煙をせまったハーディング大統領はその後公の場での喫煙をやめたと言われています。もっとも、彼は1923年に在職中に心臓発作、あるいは脳梗塞(詳細不明)で急死していまして、この原因に喫煙との関連を繋げると言う説があります。
#ただし、ハーディングの死については決定的に不仲だった夫人の毒殺説もあるなど、謎もあります。
 これにより、一度は反タバコ運動が実質停滞することとなります。

 では、現代はご存知の通り非常に禁煙、というよりは分煙の徹底化がされています。
 ここに至るまでの流れはどうか? 簡単に言えば第二次世界大戦後、肺ガンと喫煙との関係を説く論文が発表されるなどの動きが出てくることとなり、この流れの中で再び反タバコ運動が出てくるようになります。
 この時の流れはかなり大きかったようでして、各製造会社とも無視することは出来ず、その影響の為に各社とも喫煙による有害物質の体内への流入を制限する為、1950年代にはそれまでの両切りの物では無く、フィルターつきの紙巻タバコの販売を始めるようになります。もっとも、両切りのものは残ってはいたのですがしかしながらその後は減っていくこととなります。
 しかしながら、結局のところ健康と喫煙との関係を指摘する声は減ることなく増加し、やがてはアメリカでは訴訟によってタバコ会社が敗訴し、大金を支払うことになるなどの動きが出るなど、喫煙への風当たりは強くなることとなります。
 日本でも健康増進法の施行などで分煙と言う方向が進み、また世界各地でタバコの宣伝の規制や、パッケージへの警告文表示の義務と言った規制が入ることとなります。


 では、その大きな問題となったタバコの煙とはどういうものなのか?
 アメリカで反タバコ運動が展開された1922年、同国のあるパンフレットにタバコの煙に含まれる物質が挙げられています。その中身を見ると、硫化水素、アクロレイン、メチルアミン、一酸化炭素、ホルムアルデヒド、フルフラル、アンモニア、石炭酸(フェノール)などといった物があります。つまりこの時点である程度の成分は既に分かっており、またその内容物も確かに有害なものが多く入っています。
 実際、タバコの煙には4000種類の化学物質が存在し、その中の200種類以上が有害物質とされています。
 主な成分を見る限り、タバコの煙はアンモニア、一酸化炭素、二酸化炭素、フェノール類、窒素酸化物、ニコチン、タールと言ったものが含まれており、いずれも身体に良いものとは言えません。さらには多くの発癌性物質が含まれていまして、ベンゾピレンやニトロソアミン類、ヒドラジンなど良く知られる物質が含まれていることが知られています。
 これらの発癌性物質の問題は様々に知られています。
 特にタバコと肺ガンとの関係は現在は強く言われているのは周知の通りでしょう。ある説では「喫煙年数 × 一日に吸うタバコの本数」が400を越えるとタバコのリスクが増す、と言う話もあります。さらには喫煙者は結核のリスクが高いと言う論文もでていまして、特に結核が進行しやすい状況である工業化が進んできた途上国において、喫煙者による結核の死者の増加が多いと言う事が言われています。
 もちろん肺ガンだけではありません。咽頭ガンや食道がんについても指摘があり、また気管支炎や肺気腫といった呼吸器系の障害、さらには循環器系について動脈硬化、虚血性心疾患(つまり狭心症、心筋梗塞)といったもの(これは上述のハーディング大統領の死因)との関係が指摘されています。中でも咽頭ガンは非喫煙者の32.5倍というリスクがありまして、顕著と言えるでしょう。
 また、最近のWHOの予想では、2030年にはタバコに関連した疾患の増加が見込まれるとしており、タバコと健康リスクとの関係を問題視しています。
 このようなことから、テレビ番組や映画等の映像メディアもタバコの登場が減っており、少なくとも昔の映画やテレビで観たような紫煙漂うシーンは減ってきています。他にも例えば天皇から賜る、あるいは宮内庁からの贈品目の中にある「恩賜のたばこ」は、健康増進法の施行や非喫煙者の増加に伴って変えざるをえなくなり、この伝統も2006年末には廃止されることとなっています。代替はお菓子に変わると言うことでして、余り大きくは扱われていませんが、やはり着実に変化は起きていると言うことでしょう。

 ただ、実際のところ喫煙と健康の関係はかなり複雑と言えます。
 これはシンプルでして、結局「複雑な要因が絡む」為に多くのタバコを吸ってもガンにならない人もいれば、わずかな量でなる人もいる。遺伝子の関係も指摘されていますが、実際のところは含まれる成分が多数ある為に、一つの物質を扱うかのごとく簡単に断定するようなことが極めて困難となっています。
 まぁ、個人的にはマナーさえ守ってもらえれば別に構わないとは思うのですがね.......マナーさえ守れば、ですよ。
#ただしマナーは守っても未成年者と妊婦は止めておいたほうが良いでしょう.......妊婦の場合、生まれる胎児の体重が本数が増えると低下することが知られています。

 ただ、タバコと関係のある物質と言うと、このような煙の上述の物質を真っ先に挙げる人は余りいません。
 即ち、「タバコの有害な成分として挙げられるものを言いなさい」といわれて、真っ先に「ベンゾピレン」という様な人はおらず、むしろ別の物質が挙げられることとなるでしょう。その物質は、大体の人は学名にも関連した物質、「ニコチン(nicotine)」を挙げて行くものと思われます。



 さて、ニコチンとはどういう物質か?
 一般には「タバコの主成分の一つ」と言う認識になるでしょうか。ですが、単に「主成分」と言うだけでは言葉が足りないくらい有名でしょう......特にこの物質は他の物質にはない特徴がありまして、特にタバコの習慣性の原因として挙げられています。
 つまり「タバコ中毒」という表現は余りなく、一般にタバコを大量に吸う人達の依存の様は「ニコチン中毒」と呼ばれるわけでして。その依存性が問題視されることとなります。
 しかし一方でこの物質は実に面白いことに、実に役立つ物でもあります。その点は余り知られていない物であるとも言える。

 ではこの物質について、詳しく語るには......スペースが半端になってきました。
 今回は以上と言うことにしましょう。




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 ま、とりあえずタバコもあれこれですが。ややダッシュ気味ではありますが、紙巻タバコの隆盛と禁煙運動という点の話をしてみました......というか、これは触れておかないと余り意味がありませんからねぇ。ま、禁煙活動やら物質の有害性云々という点であれこれ書いてみても良いのですが、そうするとスペースが足りない(発癌性物質だけで10種類以上はあれこれと説明するなんてのも......)という事で、そこら辺は他の健康関係のところを見てもらえれば良い。
 やはりその主成分たるニコチン、という物質について触れることが実はかなり面白いものとなるのですが........

 そういう事で、今回は以上です。
 次回はニコチンについて触れていくこととしましょう。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2006/12/24公開)


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