からむこらむ
〜その71:フロギストンと断頭台〜
まず最初に......
こんにちは。 徐々に梅雨が近づいてきていますね......... 皆様は如何お過ごしでしょうか? 消耗度が増える時期ですので皆様お気を付けをm(_ _)m
.........変動期ですねぇ...........(- -;;
さて、今回は「中休み」、ということでちょっとしたお話でも、と思います。 ま、のんびり読んでいてだければ充分ですね。
過去にほとんど唯一の「化学理論」だった話です。 とは言っても、現在では全くもっておかしい理論なのですが(^^;;
それでは「フロギストンと断頭台」の始まり始まり...........
昔昔の物語............
世界は一切のものが形をなさない混沌、「カオス」から生まれました。このカオスからエロス、ウロノス、ガイアという神々が現れます。 夫婦だったガイアとウロノスはやがてタイタン族と呼ばれる十二の神々を生み出しました。
タイタン族のプロメテウスは土と雨水をこね混ぜて最初の人間を作りました。彼らは男のみで子孫を残すことが出ませんでしたが、幸せに過ごしていました。
やがて、タイタン族とオリンポスの山に篭るゼウスの争いからゼウスが勝利し、オリンポスの神々が世界を支配した後。滅んでしまった人間をゼウスは何度か作ろうと挑戦しますが、いずれもお粗末なものでやがて神々に反逆。怒ったゼウスはこれを滅ぼしてしまいます。 何度かの挑戦の後、やがてオリンポスの神々はプロメテウスとエピメテウスのタイタン族の兄弟に人間を作るよう命令しました。 これに挑んだエピメテウスは動物達からつくりはじめ、工夫し力を与えるなどをし、最後に人間を創りました。が、他の動物達に与えすぎて人間に与えるものが何もないことに気付きます。困ったエピメテウスは兄プロメテウスに相談を持ちかけます。
エピメテウスの人間は肉体も貧弱で取り柄もない.........多いに同情した(そして、人間に心を寄せていた)プロメテウスは人間に火を与えることを思いつき、ゼウスに相談を持ちかけました。が、ゼウスはこの願いを拒否します。プロメテウスは火の独占を考えているゼウスに怒りを覚え、天上の火を独断で盗み出し、彼の配下の獣に持たせて人間界に放ち、結果として人間に火を与えることに成功しました。
しかし、この事はやがてゼウスの知るところとなり、怒ったゼウスはプロメテウスを捕縛してコーカサスの山の上にある岩に鎖にくくりつけてしまい、鷲を送って内臓をつつかせる、という処罰を与えます。ケイロン(アポロンとアルテミスに百芸を与えられた半獣神。不死であったが、ヒドラの毒を塗った流れ矢に当たり、死ぬことが出来ずプロメテウスに不死を譲り死を得る。後にゼウスにより天に上げられ射手座になった)より不死を与えられていたプロメテウスはこれにより死ぬこともなく、後に英雄ヘラクレスに救出されるまで鷲に悩むこととなります............... 更に怒りさめやらぬゼウスは人間界にパンドラという少女を派遣し、いわゆる「パンドラの箱」の話になります。
..........以上が、ギリシア神話に伝わる人間が火を得た話(かなりはしょっていますが(^^;;)、となっています。
さて、火というものは昔から人間の生活に密接していたことが知られています。一般に言われる、人間が他の猿などと違う点、というのに「直立歩行」、「言葉を話す」。そして「火を使う」というものがあります。 この火というものを得た人間はこれを積極的に活用し、大幅に、革命的な進歩を遂げたことはおそらく誰も疑いを持つものではないでしょう。 そして、重要なことに火は今においても大きく使用され、活用されています。 えぇ、皆さんの生活で火の直接/間接的に一切関与しない生活をしている方はまず無いでしょう。
しかし........火を使う事で起こる化学変化........例えば「燃焼」などというものは、古くから使われていたのにも関わらず17世紀になるまで理論的に説明がなされることはありませんでした。
時は1669年。神聖ローマ帝国の皇帝レオポルド一世の御典医を務めていたJ.J.ベッヒャー(Becher)は、その著書『地中の物理』において、「燃焼」の説明を行いました。この中でベッヒャーは、可燃性の物質の中には「燃える土(terra pinguis)」と呼ばれる共通の「物質元素」が含まれている、という説を唱えます。そして、「燃焼」という現象はこの元素が物質から抜け出す現象である、と主張しました。
ここで注意ですが当時、「元素」というものに対する考えは現在の様なものではなく、アリストテレス以来の考え方が支配的でした。例えば、「空気」という「元素」、「水」という「元素」があるなどと考えられており、更に熱や電気、磁気においてもその性質を担う粒子が存在すると考えられていました。例えば、熱い物質には「カロリック」と呼ばれる「元素」が大量に含まれており、冷却とはカロリックが抜け出ていく、という様に考えられていました。 ともかく、現在のような「原子」や「分子」の存在はまず考えられていませんでした。
さて、ベッヒャーの主張したしばらく後の1703年。彼の弟子であるG.E.シュタール(Georg Ernest Shtahl)は師の理論を継承して、この「燃える土」という元素に対してギリシア語で「炎(phlox)」を意味する言葉から「フロギストン(phlogistom:日本語では「燃素」)」という名称を与えこの理論を展開しました。 その説明によれば、燃えやすい物質(木炭や硫黄など)には多量のフロギストンが含まれており、燃焼後に残る灰はフロギストンが抜けて出ていった「脱け殻」である、とされました。また、今度は金属灰(今で言う金属酸化物:金属を加熱して出来た生成物)を炭の上で燃やすと、純粋の金属に戻る現象(例えば、酸化鉄と炭を一緒に加熱すると純粋な鉄が得られる)が当時知られていたのですが(今で言う「還元作用」の事)、これは炭に含まれるフロギストンが脱け殻たる金属灰に入り込んで、元の金属に戻った、という考えられていました。
また、ロウソクを密閉空間内で燃焼させると火が消える、という現象がありますが、その現象についてはロウソクを燃やして抜け出てくるフロギストンが空間内に溜まり、これ以上場所に余裕がない、というぐらいまで増えるとそれ以上フロギストンが出せなくなるので(つまり、満員電車にこれ以上詰め込めない、という具合)火が消える、と説明されました。
結局、曲がりなりにも現象としてはこのフロギストン理論(phlogiston theory)は説明ができたので18世紀を通じ、この理論はほぼ唯一の化学理論として支持されてきました。
さて、簡単な実験なんかをしたことあるならば御存じかも知れませんが..........金属を一個用意して、コイツを加熱して燃やしてみましょう。すると金属酸化物......ま、上に合わせれば金属灰が出来てます。 さて、フロギストン理論によれば、当然のことながらこの金属灰はフロギストンが抜け出ていった「脱け殻」であるわけですので、当然のことながら重量は..........「軽く」なるはずです。 しかし? しかし現実はどうでしょう。実際には燃やす前よりも重くなっている、というのが事実だったりします。
実は、この「燃やすと重量が増える」という現象。実際に18世紀には知られていましたので..........この現象を説明するために、フロギストンの質量は「マイナス」である、という解釈をしなければならなくなりました。 しかし、当時はこう言った解釈は「不思議」では無かった様で、上に挙げたカロリックも「重さがない」と考えられていました。
当時は実験技術の制約や、精密な質量測定を行うような機器が無かった事。そして、当時まだ残っていた錬金術の流れ(「四大元素(The Elements)」の思想など)がこうしたフロギストン説を支えていた、とされています。
しかし、様々な実験や精度の高い質量測定を行い、これを破った人物が出てきます。
ベッヒャーの『地中の物理』から約100年後の1772年。フランスの大金持ちであるA.L.ラヴォアジエ(Antonie Laurent Lavoisier)は、リン(元素記号P)と硫黄(元素記号S)の燃焼による質量変化の測定実験を行いました。結果は一時的な封印を経て(当時は、今と違って「誰が一番か」が不明確になるので、確証を得るまでノートを信頼できる権威筋に預けてそのプライオリティーの確保を行う、という事が一般的だった)翌年の5月に公開。当時としては実験に用いられることの無かった天秤を使用した実験結果として、硫黄もリンも燃焼によって重さが増す、という事を指摘します。 この際、ラヴォアジエはマイナスの質量を持つフロギストンが抜け出すのみならず、燃焼の際に「空気を吸収する」からではないか?と推測を行います。 また、同時に鉛の金属灰(酸化鉛の事)を炭と反応させて還元すると重さが減少する事を、彼はフロギストンが入り込んで純粋の鉛に戻るからではなく、逆に酸化鉛に結合していた「空気」が抜けていくからではないか?と考えはじめました。
この推論が何を意味するか? というと.......実際には上記の「空気」の関与を考えてみた場合、フロギストンの存在は一切無用になっていく、という事になります。 つまり、リンを燃やしたときにリンと空気が結合するから「重くなる」、酸化鉛を還元すれば、酸化鉛を構成していた鉛と空気から空気が抜けるから純粋な鉛に戻る........... つまり、フロギストンの存在をあえて考えなくても問題がない、という事に行き着きます。 ただし。当時はこの結合する「空気」の正体についてはまだ、解明されていませんでした。
継続して燃焼に関する実験に取り組むラヴォアジエは、この「空気」の正体に挑みます。その内、1774年。パリを訪れたイギリスの科学者プリーストリーに面談する機会を得たラヴォアジエは彼との会談で水銀灰(酸化水銀)を加熱すると燃焼力の異常に強い気体.......後に「酸素」と言われる...........の話を聞きます。翌年にプリーストリーは実験を繰り返して酸素を確認、「脱フロギストン空気」と命名するのですが........彼の出した結論は、フロギストン説に反するものではない、という物でした。 しかし、この話を聞いたラヴォアジエは逆にフロギストンを必要としない新しい燃焼に関する理論の構築に挑みます。 彼は水銀の燃焼による(酸化水銀が出来る)質量増加と、その反応に消費された空気の量を測定。 更にこの出来た水銀灰を還元して水銀灰の質量損失と放出される空気の量を精密に測量し、最終的には「燃焼は空気の一成分と物質の結合による物である」、と結論します。 つまり、最初に考えられていた「空気」という一個の「元素」の考え方をこの時点で否定し、少なくとも二種類(酸素と窒素)からなる混合物質であると指摘を行います。
この結果、最終的に彼はフロギストン理論を文字通り「断頭台」に送り、葬り去る事に成功し、現代に通じる燃焼理論の基礎を生み出しました。
また、キャンベディッシュという科学者による実験で「可燃性気体」と(プリーストリーによる)「脱フロギストン気体(=酸素)」を混ぜて電気火花を散らすと水が出来る、という事を行った際、キャンベディッシュは「可燃性気体」を水とフロギストンが結合した結果だ、と考えましたが、こう言った考えにもラヴォアジエは更に突っ込んで実験を行います。 彼は「可燃性気体」と酸素が化合して水が出来る事実を追試した後、逆に水の分解実験を行っています。彼は赤熱した鉄に水滴を垂らして酸素と水素に分解。しかも、両者の質量の和が元の水の重さに等しい事を天秤を使った定量実験により実証しました..........いわゆる「質量保存の法則」の確認を行っています。
更にこれらの研究から、ラヴォアジエはそれまでの「元素」に対する理論を覆す、「いかなる手段を用いても、それ以上分解できない物質の究極の要素で、化学分析によって到達し得る限界」のものを「元素」と定義するよう提唱します。 これは、アリストテレス以来の物質観を否定するものでした。
最終的に、フロギストンの否定からラヴォアジエは空気が混合物であること、水は水素と酸素の化合物であること、質量保存の法則の確立、旧来の物質観の否定を行い、19世紀への科学の基礎を作り出すことに成功します。
さて、取りあえず以上がフロギストンの話、なのですが.........ちょっとラヴォアジエの話をして締めとしましょう。
ラヴォアジエ、という人物は「大金持ち」とかいておきましたが、どれぐらいかというと.........太陽王とうたわれたルイ14世の頃に出来た制度に「徴税請負人」という制度がありました。これは何かと言うと、フランスでの税収の効率的な確保のために行われた制度でして、各種の間接税の徴収業務を国家に代わって請負人に委託する制度です。請負人は毎年政府との契約に基づいて一定金額を前納し、その分を徴税請負人が住民から徴収する、というシステムでした。当然、金持ちに限られる物でして、40名(一時期60名)の人間によって国家財政の3分の1(現在の日本の国家予算で言えば、一人当たり約9000億円ぐらいか)が収められていますので、とてつもない資産が必要となります。 また、請負人になれば、色々と利益も大きかったのでこの地位に就きたがる人間は結構いたとも言われています。 ただし、当然のことながら.......回収出来なかった場合は請負人の資産からの持ちだし、という事になりますのでその徴収は熾烈を極めたとも言われ、住民の恨みの対象ともなるのですが.............
ラヴォアジエはこの徴税請負人になっていました。ついでに、彼の義理の父親(嫁さんの父親)も徴税請負人だったりします。 ま、とてつもない資産家となりまして、当時の絵画の巨匠ダヴィッド(「書斎のナポレオン」とかナポレオンの戴冠式の絵が有名)に描かせた肖像画があるのですが、この絵の為に支払った額は天文学的数字、とも言われています。 この肖像画はラヴォアジエを語る本では、かなりの割合で掲載されている絵でして、文章を書いている途中のラヴォアジエが傍らの妻を見上げる、という絵だったりします。
さて、ラヴォアジエが生まれたのはルイ15世の時代。 様々な政治の舞台でも活躍(火薬管理局の役職についていたり、パリに高さ3メートル、周囲30kmの壁を密輸防止の為に作らせたとか→後者は、やがて市民の恨みの対象の一つになる)していたのですが、その時はルイ16世の時代でした。 時あたかもフランス革命前夜、という時代です。 そして........やがて革命が起こるのですが結果、1793年に国民公会により彼とその義父は元徴税請負人として逮捕されます。
1794年5月8日に裁判が行われ、即日死刑の判決を下して結審。夕刻、28名の元徴税請負人は、断頭台の露と消えます。
義父(ポールズ、という)の処刑を見定めた後。4番目に彼は断頭台の露と消えた、と記録が残っています。
こうして、フロギストンを断頭台に送った人物は、自らも断頭台の露と消えてしまいました。
皮肉なもので...........
さて、長くなりました。
今回は以上、という事にしましょう。
あ〜〜........長くなってしまった(爆)
さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
今回は、まぁ........フロギストン、という一時期信じられていた理論を破った話をしてみましたが(^^;; いや、色々と考えたんですけどね。何となく頭から離れませんでしたのでやってみました。 付随して発見者の話も少し入っていますけど(^^;;
まぁ、こんなことがあったんだ、程度で読んでいただければよろしいかと思います。
さてさて、取りあえずワンクッションになっていれば良いのですが(^^;;
次回は、神経の話をしようと思っています。ま、生体応答の点から、ですけどね(^^;; これを話せば結構色々と出来ることが増える、と思いますのでよろしくお付き合いのほどを。
さて、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
それでは、次回をお楽しみに.............
(2000/06/06記述)
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