からむこらむ
〜その106:象牙と撞球〜


まず最初に......

 こんにちは。徐々に日が長くなってきて、春の気配がし始めてきましたね。如何お過ごしでしょうか?
 いやぁ.......やっぱり不安定な天気ですねぇ。季節の移行期でしょうか。

 さて。今回は前回にやろうとしたのですが、ボリューム増加で今回に回された話(^^;; え〜.......前回の物に絡むある物質の話です。少なくとも(いらっしゃるのか分かりませんが)御年配の方には縁のある物でしょう。そして、ある種のコレクターの人達にも縁があるかも知れません。今となっては使われてないものなのですが.........
 ま、余り難しく考えずに読んで行って下さい。
 それでは「象牙と撞球」の始まり始まり...........



 それはもう大分前の話ですが..........記憶がかなり曖昧ですので調べてみると、それは12年前の事。世界自然保護基金(WWF)などが日本をある件で名指しで非難をした、という話がありました。皆さんは記憶にあるでしょうか? 今の高校生ぐらいだと知らないでしょうね.........
 何についてか?
 その非難対象となった原因、実は象牙売買でして、これによるアフリカゾウの激減から、当時の象牙輸入大国であった日本を非難した、と言うものでした。当時はハンコなどの目的で日本が大量にこれを輸入していたため、だったのですが.........これは記憶に残っている方もいらっしゃるかと思います。当時の記憶を掘り返してみると、「ハンコは日本の文化だ〜」とか色々とお約束的な話を伴ってニュースで「代替物質は云々」などという報道がなされていた事を思い出します。
#で、97年にはジンバブエのワシントン条約締結国会議で南部アフリカ3か国が日本を唯一の輸出対象国とした象牙取引の解禁が採決されていたりしますけどね.........

 さて、最近ではこう言った動物保護を訴える話は良く聞くことかと思います。しかし、こう言った問題........ま、今回は象牙ですけど、この象牙目当てのアフリカゾウ乱獲問題はここ3,40年という比較的最近の問題、と捉える方もいらっしゃるかも知れません。しかし実はこの問題はずっと昔にもあったのを御存じでしょうか? それは、少なくともご覧になっている皆さんが生まれる遥か前.......前世紀の話となっています。
 今回の話はこれが発端となります。


 さて、皆さんはビリヤードというゲームを御存じでしょうか? そして、お好きでしょうか?
 ま、ビリヤード(撞球)と言うと、「手玉をキューでついて他の玉に当てる」というゲームですが...........実は管理人はやったことないんですけどね。「9ボール」とかが最近ではポピュラーなようですが、実際には様々なルールのゲームがあるそうです。欧米では日本よりも盛んらしいですけど........管理人はテレビでしか見たことがありません。しかし、そういうときに見る事がある「神業」が如き曲芸プレイを見るのが結構好きだったりします。
 このビリヤードは歴史は結構古いようでして、15,6世紀に英仏で生まれたものとされています。ボールは三つ、四つという事で楽しまれたようですが.........日本には1850年代。つまり江戸時代末期に長崎の出島に持ち込まれたのが最初とされているようです。
 さて、時代はその長崎に持ち込まれた頃である19世紀の事。当時この玉突きゲームはある危機に直面していました。それは.......実は当時のビリヤードで好まれて使われていた(高級品の)玉は象牙で出来ていました。そして、今の人間にとっては驚くべきことに、すでに当時においてアフリカゾウの野生の群れの減少が問題になっていまして、この事から象牙の不足が叫ばれていました。ま、象牙自体はビリヤードの玉専用、と言うわけではなく、様々な細工や彫刻などの原料として用いられていました。産業革命などによる財の蓄積などでこう言った物が好まれ、そして驚くべきスピードで狩られていった、と言うのは想像に難くはないですが...........
 こういう時代背景の下、「ビリヤードの玉の原料が無くなる」.......このことはビリヤードの玉を作る業者にとっては十分に死活問題となることでした。
 何か良いアイデアはないか?
 彼ら自身に有効な打開策が見出せなかったのか、業者は一計を案じることとなります........ それは、賞金をかけて象牙の代用品を募集することでした。そしてそれは実行に移され、1863年に「象牙に代わるビリヤード玉の材料」の募集を開始。当時としては破格の1万ドル(通貨のレートを考えると非常な大金)の賞金を目指してこの課題に当時様々な人が挑むこととなりました。
 そんな課題に挑んだ人物の中に.........当時アメリカ、ニュージャージー州の印刷屋であったジョン・W・ハイアット(Hyatt)とその弟アイゼイア・S・ハイアットのハイアット兄弟がいました。

 さて、このハイアット兄弟。彼らは業者の出した賞金を目指し、象牙の代用品を求めて様々に材料を探しては実験してみました。その一つにはおがくずと紙の混合物を糊で固める、と言うものがありました。
 ここからある種の偶然が関与してきます。
 ここで前回触れた話をいくつか思い出して欲しいのですが...........思い出されましたかね? では.......1867年のある日の事。彼らが実験をしているときにふとしたことからジョンは指を切ってしまいます。ここで彼は絆創膏として前回にも出てきた「コロジオン」を戸棚まで取りに行きました。しかし、彼は指が痛かったのが原因かは知りませんが、棚のコロジオンの瓶を倒してしまいその中身をこぼしてしまいます。
 さて、コロジオンとは前回触れた通り、ニトロセルロースをエーテルとアルコールの溶媒に溶かしたものとなります。この溶媒は化学をやっている方なら御存じの通り揮発しやすい物です。ですので、こぼれたコロジオンからは溶媒が抜けていき.......そして、棚の上にはニトロセルロースが残ることとなりました。
 これを見たジョンは、その様子を見て.........おがくずと紙の混合物の繋ぎの「糊」としてこのニトロセルロースを使うことを思いつきます。

 こうしてこの新たなる「糊」を発見したハイアット兄弟。更に研究に時間をかけて実験を繰り返していく事となります。そして、ニトロセルロースをベースとして色々と薬剤を試していくことで、やがてある答を見つけ出します。
 彼らが見つけ出した答とは?
 その時には当初の「おがくず」と「紙」という様な物では無くなりまして.......新たに見出した物はニトロセルロースと樟脳を混ぜることでした。樟脳とはカンファー、またはカンフルとも呼ばれ、医薬品・香料・殺虫剤・防臭剤などに使用されるものでして、比較的身近にある可能性のある物質です。それは、ある程度年齢を重ねている方は経験があると思いますが、タンスのにおいってのがありますよね? あのにおいの元、それが樟脳となります。
 さて、このニトロセルロースと樟脳の組み合わせ。これがどうやって象牙の代替物となるかというと........この混合物をアルコールに混ぜ、これに圧力をかけながら加熱する、と言うものでした。そしてこれから出来るものはビリヤードの玉に使えそうである事が分かりました。
 ........実は世界で最初の「プラスチック」の合成でもあったのですが..........
 こうして出来た「新材料」を彼らは業者に持ち込んでみます。これは確かにビリヤードの玉として使うには良さそうでして、加工して使われることとなりました。そして、この業績で彼らが目的とした賞金を手に.........
 ........実は、出来ませんでした。

 何故か?
 前回の話を覚えているでしょうか? ニトロセルロースはセルロースをニトロ化して作るものでした。そして、その度合いを示すのが「硝化度」という物でして、前回触れたようにこの度合いが上がると爆発性を伴うこととなります。こう言った爆発をするものの原因は熱を加えたりなど、「エネルギー」を加えることで爆発をするのですが..........実は他でも爆発を起こします。その原因の一つにはノーベルがニトログリセリンの制御で悩んだ最大の原因である「衝撃」というものがありました。
 ま、この例を挙げますと.........ノーベルがダイナマイトを生み出すまで、特にニトログリセリンの輸送中に衝撃を原因とする爆発事故が相次いで起きていた事実があります。これは、当時ヨーロッパの道は石畳が多く、またそうでなくても今ほど整備がされていませんので「がたがた」なわけでして........これによって馬車での移送中に爆発、という事がよくあったようです。
 さて、ここでビリヤードのルールを考えますと、ビリヤードはキューで手玉を突き、玉を弾いていきます(ルールで違うのかも知れませんけど)。つまり、玉と玉がぶつかる=「衝撃」が生じます。もし、このとき使った玉がハイアット兄弟が生みだした玉で、しかも(当時は今のような安定した技術はありませんから)偶然それの硝化度が高いものであったら?
 ビリヤードのために玉を突き、そして.........爆発。現実としてそういった事故は起こりました。何人怪我、ないしは死者を出したかは資料がないのですが、記録としてはちゃんと残っています。
 折角作った「人工ビリヤードボール」の原料は、この性質によって彼らに賞金を与えることはありませんでした。

 さて、ではハイアット兄弟はこれで諦めたのか?
 いや、彼らは諦めませんでした。(不満はあったでしょうが)賞金がもらえない事がわかった彼らは、このニトロセルロースと樟脳よりなる世界最初のプラスチックを「セルロイド(celluloid)」と命名し、1870年に特許を取ります。そして、これらは「ビリヤードの玉」としてではなく、違った範囲で世間の目に触れ、そして幅広く使われることとなります。
 セルロイドには利点がいくつかありました。それは成型性がよく、そして着色性がよい、という物でした。これにより19世紀の終わり頃にはセルロイドは幅広く用いられることとなり、男性用ワイシャツのカラーやカフスに用いられています。この当時の資料を探ってみると、「水を弾く」と謳った「新製品 セルロイド製カラー、カフス」の広告(「セルロイド製品」に身を固めた男性に水をかけるが、男性は平然としている、と言う絵)を見ることが出来たりしますが.........またこう言った用途だけでなく、義歯やナイフの柄、ボタン、万年筆などに使われていました。そして、更には文房具や玩具、定規、写真フィルムベースなどに用いられることとなります。
 こうしてセルロイドは幅広く使われることとなり、同時にプラスチック工業が発展していくこととなります。
 余談ですが、実は今となっては普通に「セルロイド」と使われていますけど、これは元来は「商品名」だったりします。

 やがて日本でもセルロイドは知られることとなりまして、1877年頃から輸入が始まっています。このときには象牙ではなく鼈甲の代用品として櫛などに用いられていました。そして、最初は輸入の一方でしたが1905年に田中敬信がセルロイドを設立し、ここから日本のセルロイド工業........ひいてはプラスチック工業が本格化していきます。この会社はやがて三井系列の堺セルロイド会社に発展。一方、三菱系も日本セルロイド人造絹糸会社を設立して1910年に両社とも生産を開始します。ま、この両社他6社で1919年には合併して大日本セルロイドという会社を設立していますが.........
 日本での生産量はかなりあったようでして、1936〜39年には年間1万トン以上を生産し海外へと輸出もしていたようです。
 製造法としては、硝化度が10.5〜11.1%の物(爆発性のないジニトロセルロース相当)を使用し、これに可塑剤として樟脳を、溶剤としてアルコールを加えて混合して作ったようです。これをロールでプレスし(この間にアルコールは飛ぶ)、セルロイドの生地シートを作りました。これを元に様々に加工していったようです。
#専門的に言えば、ニトロセルロース60重合部に20部の樟脳、20部のアルコールを混ぜたようです。
 ま、日本の産業として重要な役割を担っていたと言えますが..........

 さて、こうして幅広く使われたセルロイドですが、第二次世界大戦以降は凋落傾向を示すこととなります。
 これは理由がありまして......セルロイドの難点に「燃えやすい」という性質がありました。火を近づければもちろんのこと、熱を加えるだけで発火する性質もありました。この例としては映画用のフィルムがありまして.........昔の映画のフィルムはセルロイド製でした。映画は非常に強い電灯を使う必要がありますが、セルロイドはこの熱を長時間浴びることでも発火し始めます。ですので、映写機の回転が止まってからしばらく放っておくと発火した、という事故はよくあったようです。
 この性質は映画の話だけでなく日常にも影を落とします。
 先ほど書いたようにセルロイドは非常に幅広く普及していました。当然身近に色々とあったわけですが..........例えば玩具。人形や「ガラガラ」などといった物もセルロイド製でした。これで冬場に子供が火の側で遊んでいると..........当然先ほどのフィルムの例のごとく発火、という事故が起こりえます。また、当時はまだ多かった炭火などに触れる容易に燃え上がるので、こう言った事故も多かったようです。
 また、第二次世界大戦以後、化学工業の発展にともない新規のプラスチックが出てきます。こう言ったことからそれまでセルロイド製が占めていた製品は新規のプラスチックに代わることとなります。特に玩具は塩化ビニール系の樹脂が登場してからはセルロイド製の玩具の製造は禁止されてしまいます。こういった事からセルロイドの生産量は減少に転じ、やがて主役の座を完全に失います。
 余談ですが、これに伴ってか当時「セルロイド」の名を冠した多くの会社は改称していきます。もっとも、これらはプラスチック工業の会社として現在も存続しているところが多くありまして、プラスチック工業に力を入れている会社の社史をひも解くと、「セルロイド」の名前を冠していた会社は大分あるようです。
 それはともかく、こういう背景もあってどっかの番組で出てくる「セルロイド製のおもちゃ」というのは高値がつくようですが...........
 もっとも、セルロイドに代わって登場した塩化ビニール系の玩具は最近は「環境問題」で叩かれており、こちらも肩身が狭くなっていると言うのはある意味皮肉を感じるものがありますが。

 現在ではセルロイドの生産は少量はあるようですが、完全に他のプラスチックが主流を占めています。
 今の使用法は余りよく分かりませんが、弾力性があることからピンポン玉やメガネのフレームに使われることがあるようです。ま、完全に「歴史的な意味」以外は無いと言えます。
 ただし、セルロイドが多大な影響を与え、歴史に名を残したのは事実なんですけどね。


 こうして、奇しくもノーベルと同じような偶然から生みだされ、そして本来の目的以外に多く作られたセルロイド。
 世界最初のプラスチックとして活躍しましたが、今となっては歴史の中以外では見ることもなくなってしまいました..........しかし、ある種の分野においては「価値があるもの」として注目されていると言うのも事実です。そういう意味ではなかなか面白い道を歩んでいる物質とも言えるでしょう。

 やがて何らかの形で「更なる復権」が見られる日が来るのでしょうか?


 さて、では今回は以上で..........




 終わり、と。

 さて、今回のからこらは如何だったでしょうか?
 今回は前回の続きでしたが、今となっては歴史的な意味しかない世界最初のプラスチックについて話してみました。まぁ、名前ぐらいは聞いたことのあると思われる「セルロイド」でしたが........実はこういう背景で作られていました。個人的にはノーベルと似たようなきっかけ、というのが面白いのですが........
 まぁ、ゲーム中に爆発するビリヤードというのもどうかと思いますけどね.........ただ、ハイアット兄弟が諦めなかったからこそ一時代を築いたとも言えるのでしょうけどね。
 楽しんでいただければ嬉しいです。

 さて、次回ですが、何しましょうかね?(^^;;
 ま、考えます。色々とやりたいのはあるのですが、複雑なものもありまして.........なかなか決断が下せなかったりしますが(^^;;
 何にしますかねぇ.........

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/02/20記述)


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