からむこらむ
〜その105:消えたエプロン〜


まず最初に......

 こんにちは。急激に気温が下がって体調不良者が増えていそうな昨今、如何お過ごしでしょうか?
 いやぁ.......不安定な天気ですねぇ。

 さて。今回はちょっくらというか、色々と言うか大分悩んだのですが.........繊維から出来た化合物の話を使用かと思います。これは非常に幅広い役割を演じることとなるのですが..........
 ま、余り難しく考えずに読んで行って下さい。
 それでは「消えたエプロン」の始まり始まり...........



 時代は大分前の19世紀後半。
 この時代は、科学者の住まいは大学の側や教室と同じ建物、というケースが多く、中には「実験室は自宅」という科学者もかなりあったそうです。つまり、文字通り「職住一体」という時代でした。そんな時代のスイスはバーゼル大学。この大学に赴任したシェーンバインは、講義室として実験室の隣にあった浴室兼用の洗濯小屋を使っていました。が、時々この「講義室」へ学生が行くと追い出されることがあったとか。
 曰く......「教授夫人入浴中のため、本日は休講」
 .........今となっては考えられない笑い話ですが..........

 さて、このシェーンバイン。彼がこの大学の化学教室を受け持っていたある日のこと、彼は夜遅くまで実験をしていました。そんな中、「混酸」という二種類の酸を混ぜた薬品(強酸です)をこぼしてしまった彼は、これはいかんと、ちょうど近くにあったのか夫人の木綿製のエプロンでこれをふき取ります。
 .......これがちょっとした事件を巻き起こします。
 その事件とは........翌朝、女中がやってきてストーブに火を入れたところ.........
 大音響とともに干してあったエプロンが消えてなくなってしまいました。


 なんだかおっかない冒頭ですが.........
 化学の、特に有機化学にある重要な化学反応に「ニトロ化」という物があります。まぁ、よく皆さんはこの名を冠した化合物の名称を御存じかと思いますが........御存じ無い? いえいえ。彼のダイナマイトを作りだしたノーベルがひたすら格闘した化合物である「ニトログリセリン」とか耳にしたことのある方はいらっしゃるでしょう? 他にもドラマなどで火薬・爆薬に関して「ニトロ」などと略して言われること(最近は少ない気もしますけど)がありますが.......
 さて、ある種の有機化合物......よく挙げられる例としては「アルコール」と分類される、水酸基(「-OH」)という官能基(その20参照)を持つ有機化合物に使うことが多いのですが(実際にはアルコール以外にも使えますけど)、硝酸(HNO3)を反応させて、ニトロ基(「-NO2その20参照)を付けて「ニトロ化合物」を生みだす化学反応を一般に「ニトロ化」とよびます。
 なんて書いてもピンと来ないでしょうから、簡単にアルコールを使った反応式を、ノーベルのダイナマイトで有名なニトログリセリンの例と一緒に入れておきますと.........



 ま、分からない方は「何となく」で結構ですが。上記ではグリセリンの「-OH」の3ヶ所でニトロ化が起きています。が、もし硝酸の量を少なくすれば(例えば、グリセリン1に対して硝酸が3の割合ですが、この硝酸の割合を減らす)、ニトロ化される量は当然減ってしまいます。
 ま、実際にはニトロ化反応では硝酸だけではなく、濃硝酸(あるいは発煙硝酸)と濃硫酸を組み合わせた「混酸」と呼ばれるような物を使うのが一般的ですが........実は、シェーンバインがこぼした「混酸」という薬品はこの酸でした。

 さて、このニトロ化と言う反応で出来るニトロ化合物は、上記の通り反応させるときに用いる硝酸の量でニトロ化の具合が左右されるのですが、大体一個の分子につきニトロ基が3個以上付くと「爆発性」の物となるケースが多くあります。例えば、上のニトログリセリンでは3ヶ所にニトロ基を持っていますが、色々とノーベルにまつわる逸話があるように、熱や衝撃を加えることで容易に爆発します。
#とは言っても、衝撃に関しては「気まぐれ」でして、瓶を机から落としても爆発する時としないときがあったそうですが。
 また、他の代表的な爆薬の例を挙げると........トルエンを十分にニトロ化して3個のニトロ基をくっつければ、その20でも構造を挙げた「トリニトロトルエン」。通称「TNT」を作ることが可能です。
 もっとも、爆薬も色々とあるので一概に「一分子中3個」で爆発とは限られないのですが.......ただ、このニトロ基の数が少ないニトロ化合物は爆発性の物にはならないのは確かだったりします(ニトロ基1個で爆発するようなものを管理人は知りません)。
#「ニトロ」が付くからと言っても全部が全部爆発するわけではない、と言うことです。

 さて、ここで一端話を変えまして。
 え〜、その93でやったのですが、「セルロース」という物を覚えていらっしゃるでしょうか? ま、詳しくは過去の分を見ていただくとしまして.....糖の一種であるβ-グルコースの重合体で、でんぷんと同じ化学式を持ちながら微妙に構造が違う化合物で、人間は栄養として使えないもの、なのですが。その93で使った構造を再度持って来ておきますか。



 このセルロースというもの。実に自然界、特に植物においては重要かつ大量に存在するものでして、その細胞を保護する細胞壁の主成分がこのセルロースとなっています。どれくらい大量にあるかと言うと......木材を乾燥させると、大体その50%がセルロースと言われています。
 セルロースは詳しくやるとかなり幅広いので簡潔に書きますが、非常に代表的な植物性の繊維でして、綿や亜麻・大麻などの植物性繊維の主成分となっています。と言うわけでして、綿花より得られる綿や、麻類(亜麻、大麻、苧麻、黄麻、マニラ麻)より得られる各種繊維の主成分は全てセルロースとなっています。こう言ったことから、皆さんの身に付けている衣服や布など、身の回りにはセルロースを主成分とするようなものが多くある、と言うことは容易に推測していただけるでしょうか?
 ま、実際には他にも幅広く.......例えば、純粋なセルロースは工業的に「パルプ」と呼ぶのはその93で触れた通りです。ここから紙なども作ることがありますしね。また、食に関して言えばこのセルロースは「食物線維」としても働きますか。

 あ、ここで一つ注意ですが。
 こう言った繊維は植物のほかにも動物から、と言うのもありまして、絹や羊毛などが動物性繊維の代表と言えます。これらは一般にはアミノ酸より成るタンパク質ですので御注意を.........
#時々「??」となることがあるようですので。

 ところで、セルロースをニトロ化させて出来たものを、一般に「ニトロセルロース」と言います。とは言っても、セルロースは非常に分子量の大きい高分子化合物(ポリマー)ですし、構成するβグルコースは水酸基をたくさん持っていますので「一分子中に何個ニトロ基が付いたか」と言うのは表現が難しいです。ですので、ニトロセルロースのニトロ化の割合は「硝化度」という、含有する窒素の割合を%で表すようにしています。
 さて、ニトロ化のところで説明した通り、ニトロ化をさほどしなければ爆発性にはなりませんが、十分に行えばこれは爆発性を伴います。ニトロセルロースも例外ではなく、ニトロ化の割合によって爆発性を持ったり持たなかったりします。爆発性のニトロセルロースは「綿火薬」(稀に「強綿薬」とも)と呼ばれ、実際に硝化度が12.5%〜14%になると、小銃や砲弾用に用いられる無煙火薬の原料などとして使わます。
 あ、余談ですが「無煙火薬(smokeless powder)」と言うもの。1880年代に開発されたものでして、フランスのヴィエーユ、スウェーデンのノーベル(ノーベル賞の人)、イギリスのアーベルによってそれぞれ開発されたものです。特に軍事的な影響が大きく、それまで火薬というと黒色火薬を使っていたのですが、高性能な無煙火薬に替わります。と、注意ですが「無煙」の由来は「煙を全く出さない」という意味ではなく、「黒色火薬に比べて煙を出さない」と言うのが真相ですのでお間違え無きよう。
 ........そういえば、余談ついでですけど、世界で最初のSF映画にもなったジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』を御存じでしょうか? この作品は「砲弾に人を乗り込ませて月に撃ち込んで(!)月世界を旅する」という作品なのですが........翻訳されているこの作品を読んでみると、この時に用いられる推進力は綿火薬を使っていたりします。
 更に余談ですがこの作品の映画版、最初期の映画ですがなかなか面白く、世界で最初のSF映画でありながら最初に「特殊効果」を使った映画でもあります。また、月に人間が行くわけですが、このオチは..........ま、ストーリーを全部言うのは野暮ですね。機会があればご覧になってみるとよいでしょう。

 っと、脱線してしまいましたが。ここで一番最初のシェーンバインの話に戻りましょうか。
 彼がこぼした薬品は硝酸と硫酸を混ぜた「混酸」でした。そして、それをふき取ったのは木綿のエプロンでした。木綿というものは綿花を解きほぐしてくしけずり、伸ばすと同時によりをかけて製したものです。つまり、綿な訳ですので当然主成分はセルロースとなります。
 さて、セルロースの構造を見ると、前にも触れた通りこのポリマーはβ-グルコースで構成されています。グルコースと言うものは糖ですが、同時にアルコールの仲間でして、水酸基である「-OH」を構造中に多数含みます。セルロースのニトロ化はこの「-OH」の部分を「-ONO2」に置換しまして、これによりニトロセルロースが出来ます。そして、硝酸の量が十分に多ければこの置換の割合が増える.......つまり、硝化度が上がっていきます。そして、上に書いたようにニトロ化を十分に行えば爆発性を伴うこととなります。こう言ったものに熱を加えたり、静電気や衝撃を与えると爆発する可能性がありました。
 ..........つまり、女中さんが遭った災難の原因はこれだったと言えます。もっとも火を入れてすぐに、ではなく「しばらくして徐々に熱が加えられてから」爆発したのでしょうけどね...........

 ま、ニトロセルロースは爆発性を持ったものだけではないですので、そっちを触れておきますと..........
 セルロースは水やアルコールやエーテルといった一般的な有機溶媒には溶けないのですが、ニトロセルロースは有機溶媒に溶かすことが出来ます。実際に硝化度が11.5%(非爆発性)までのものは有機溶媒に溶かして、ラッカーやフィルムに用いる、と言った用途があります。また、10.5〜11%の物は可塑剤として用いることが出来ます。
 さて、こう言った「爆発しないニトロセルロース」。実は昔にも結構用途がありまして、特に実験室でちょっとしたことに用いられることがありました。
 どういう用途か?
 これは、液体性の「絆創膏」でして.......ニトロセルロースはフィルム状の物なのですが、これをエーテルとアルコールの混合溶液に溶かします。こうして出来た溶液は粘り気のある液体でして、一般に「コロジオン」と呼ばれていました。使い方としては、「機具が破損して指を少し切った」という様な時に使いまして、この粘調な液体をその傷口に塗ります。エーテルとアルコールが溶媒ですが、これが揮発すれば溶かしてあるフィルム状のニトロセルロースが残ることとなり、一時的に「絆創膏」の役割をする、と言うものですが..........結構しみるような気がしないわけでもないですが(^^;;
 ただし、ニトロセルロースは容易に燃えますのでこの状態で火を扱うと危ないような気もしますがね。

 さて、このコロジオン。実はいくつかの発明のアイデアに関与しているのですが、その一つとしてノーベルの話があります。
 ノーベルは不安定で危険な爆発性のあるニトログリセリンを、珪藻土に混ぜて安定化させてダイナマイトを発明しましたが、この数年後に彼は「ニトロゲル(プラスチングゼラチン、または松ダイナマイトとも呼ばれる)」を開発しています。これは、ニトログリセリンを安定な爆薬として使う一連の研究より生まれたものですが.........これはコロジオンとニトログリセリンの混合物でした。

 このニトロゲル開発のきっかけは面白い話でして.........ノーベルが実験室で怪我をした事から始まります。
 ある日のこと、彼は実験中怪我をし、実験室にあったコロジオンを指に塗ります。が、その夜は指の痛みで眠ることが出来ずにいました。仕方がないので色々と考え事をしていたのですが............そのテーマは、「ニトロセルロースとニトログリセリンを組み合わせて、安全で強力な爆薬を作ることが出来るか」という物でした。
 色々とそれまでに試験したノーベル........実は綿火薬とニトログリセリンはすでに混ぜてみたのですが、これがなかなか混ざらない。しかし........ここで自分がその日怪我して使ったコロジオンを思い出します。「もし、コロジオンのようにニトロ化の程度を下げた物ならば、上手く混ざるのではないだろうか?」
 このアイデアを思いついたノーベルは朝も早くから実験室に行き、実験を開始します。そして、その日に助手が現れるころには、ノーベルはアイデアの産物である透明なゼリー状の物を助手に見せることが出来ました。これを試験してみると、面白い事にこの組み合わせはどちらかの単一成分よりも強力である事が判明します。そして、実験を繰り返して安全かつ強力な処方を決定し、特許を得ることが出来ました。
 この破壊力に優れたニトロゲル。後にはスイスのアルプスを貫く大トンネルなどに用いられ、その完成に大きく貢献したことが知られていますが.........
 何はともあれ、ノーベルが実験中に怪我をせず、そしてコロジオンを用いなかったらこの化合物は生まれなかったのかも知れませんね.........
 ま、偶然とは面白いものですが。

 っと、長くなりました。
 実は、ニトロセルロースはもうちょっと面白い話があるのですが..........スペースがありません。
 今回は以上、と言うことで。




 ふぅ......

 さて、今回のからこらは如何だったでしょうか?
 いやぁ.......書いているうちに長くなってしまいました(爆) 最初に思ったものとは全然違うものになったのですが、結構これはこれで面白そうなのでいいか、とか思っていますが(笑)
 ま、主眼はニトロセルロースの話ですけどね。ニトロ化の話とか一応しないと気が済みませんでしたので入れておきました。まぁ、爆薬についてはいずれとは思いますけどね..........ただ、このニトロセルロースは発見から発展まで色々と「偶然づくし」だったりして面白いものがあります。
 今回書き足りなかった部分は次回に、と思っていますが..........

 さて、次回ですが、そういうわけで今回の続きを計画しています。
 このニトロセルロースは19世紀末から20世紀初頭において、爆薬以外の用途によく用いられたのですが.........それは、年配の方には縁のあるものに関与しています。
 それは何か? その最初は何だったのか?

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/02/13記述)


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