からむこらむ
〜その107:伯爵の光る糸〜


まず最初に......

 こんにちは。気温のアップダウンが非常に激しいですが如何お過ごしでしょうか?
 管理人、やや体調に来ています。気を付けて過ごしたいところですが..........

 さて。今回は何やら色々と半端に忙しくて、「からこら」に力を注げない日々でして.........まぁ、ちょっとこっちで手を抜かせてもらいたいと思います。
 今回は、前回前々回に共通して出てきた「コロジオン」にまつわる話をしたいと思います。内容としては発明に関するもの......奇しくもコロジオンが関与している代表的なものだったりします。
 それは、「世界で最初」の物だったのですが............
 それでは「伯爵の光る糸」の始まり始まり...........



 最初に........皆さんは蚕を御存じでしょうか? そして、見たことや飼ったことがあるでしょうか?
 実は管理人は事情は忘れましたが飼育した経験があります。幼虫からでして、桑の葉を食べては大きくなり、そしてまた桑の葉を食べる、を繰り返していきます。まぁ、「食っちゃ寝」を文字通り繰り返していくのですが。これが大きくなると、やがて口より糸を吐いて繭を作りだしまして、成虫への準備をします。このときに人為的に「仕切り」を作ってやると奇麗な繭を作りやすいようです。この繭はしばらく時間が経過すると、中から成虫が出てきます。この成虫は口が無く、後は子孫を残すために........となっています。
#ここで深くやるとフェロモンの話が出てきて面白いといえば面白いのですが........
#蚕というと更には幼若ホルモン、ってのも面白い話がありますが。
 さて、この蚕の作る繭。成虫になる前にこの繭を煮立てた湯に入れてやり、これに割りばしでも突っ込んでゆがいてやると、徐々に繭の周りの糸がほどけてきて、割りばしの周りにこの糸が絡まりつくようになります。この糸は細く長い物ですが........ま、上手くやらないとまゆの中のサナギを潰してしまって、黄色く糸が変色してしまうのですが........ ここら辺、結構難しいです。
 こうして得られる糸は御存じ絹糸(きぬいと/けんし)となります。ま、細かく言えば繰(く)り取ったばかりの糸を「生糸(きいと)」と呼び、これを精練したものを「練糸(ねりいと)」と呼ぶのですが。この絹糸はご覧になった方は分かる通り、美しい光沢を持っており、軽量にして丈夫。通気性が良く高級な衣服などに用いられる事になります。
 絹糸の成分はタンパク質でして、フィブロインとセリシンというタンパク質より成ります。フィブロインが絹糸のメインとなるのですが、これはその特徴から長い糸を作ることが出来るようになっています。尚、生糸はセリシンを含みまして、これを除いたものが練糸となります。

 養蚕や絹の使用は古くから各地で使われ、古代中国で興ったとされています。最初は国家の直営であったのですが、やがて民間でも行われるようになり、これがやがて世界各地へ広まっていくこととなります。日本では、応仁天皇の頃に百済からの渡来人がこれを助けたとされています。
 ま、絹については詳しい話を始めると、歴史的にも生物学的にも化学的にも極めて深い話ができるのですが.........今回はそういう話ではありません。
 今回の本題に入りましょうか。


 さて......上記の絹。これは昔からその光沢や強さ、軽さなどと言った特徴から、権力者や金持ちなどに愛用されたものでした。量産も難しいですので、常に高価な物であったと言えます(今であってもそうですけどね)。
 この事は19世紀のヨーロッパでも同じことが言えまして、当時活発に動いていた化学者達はどうにかしてこの絹糸かその代用品となるものを安く、そして手軽に手に入れられない物か? と研究をしていました。この研究はかなり盛んであり、実際にこれは当時の化学者にとっては「夢」でもありました。
 しかし、そんな努力にも関わらず、実際には色々と難しいものでして、適当と思われる素材は見つかりませんでした。
 ま、そんな時代だったのですが........

 こう言った時代の中、彼の細菌学の権威であるルイ・パスツール(Louis Pasteur:その23でも関与)は、この頃フランスで深刻だった蚕の伝染病の研究をしていました。この被害はかなり大きかったようでして、「フランスの絹工業の壊滅」が危惧されるほどだったようです。そして、この研究を進めていたパスツールの助手にイレール・シャルドンネ(Comte Hilaire Bernigaud de Chardonnet)という人物がいました。ま、この人の事を少し調べてみると、化学者にして工業家であり、そして貴族でして伯爵の地位(この時点で持っているかは知りませんけど)を持つ、と紹介されている人物なのですが........
 このシャルドンネという人物。パスツールの助手をしていた関係で色々と蚕の問題には詳しかったのですが、この事から繊維にはいたく興味を持つこととなりました。また、そういったことから彼は当時の流行でもあった「絹の代用品の開発」と言うものが、市場からも強く望まれていると確信し、研究を行います。
 そして......ここで前回前々回で触れたコロジオンが、彼に重大な発見をさせる機会を与える事となりました。

 時は1878年のこと。ちょうど前回触れたハイアット兄弟がセルロイドの特許を取って販売し、一般に出回っているころになるでしょうか? 日本ではすでにセルロイドの輸入が始まっているのですが..........とにかくもそんなころ。彼が暗室で仕事をしていると、ふとしたことからコロジオンの瓶を倒して、中身をこぼしてしまいます。ちょうど作業中だったのでしょうか、すぐにはふき取らなかったのですが、少し後でそのコロジオンをふき取ろうとした彼はあることに気付きます。
 彼がそのコロジオンをふき取ろうとすると、溶媒が一部蒸発してべとべとと粘性のある液体が残っていました。当然こういうものをふき取ろうとするとその「べたべた」から細い糸がついて回りますが、彼はコロジオンがそういった「長くて細い糸」を引いていることに気付きます。これを見た彼はこの糸が絹に似ていることに気付きました。
 「いけるかも?」
 そう思った彼はコロジオンで実験を続けます。そして.........この出来事からしばらく後の1882年。ついに彼はコロジオンから「絹」を作りだすことに成功します。
 彼がとった方法は簡単に言えば........まず、コロジオンを用意します。これを小孔に通しまして、熱を加えて孔を通った直後に溶媒を蒸発させる、という物でした。もうちょっと簡単に例えを作ってみますと.......注射器にコロジオンを入れて、これを押し出します。すると、針の先からコロジオンが出てきますが、この出てくるコロジオンに熱を加えて溶媒を蒸発させ、同時に残る糸状のニトロセルロースを固まらせてる、と言うことになります。これが「絹」に似た光沢を持つ繊維となりました。
#実際には、蚕の食料である桑の葉からパルプを作り、これでコロジオンを作ったようですが。
 こうしてシャルドンネは世界で始めて、当時化学者達の夢であった「絹」に似た人工繊維を合成することに成功します。このような、「人工的に絹に似た光沢を持つ」繊維を「人造絹糸(じんぞうけんし)」、または略して「人絹(じんけん)」と呼びます。言い換えれば、シャルドンネはこの人絹の最初の開発者となりました。

 人絹と絹の特徴の比較をしてみますと........まず、絹の成分はタンパク質でして、通常1本の繊維が非常に長いことが特徴(一つの繭から700-1100m取れると言われています)でして、そして撚りあわさなくても糸になるという特徴もあります。人絹はタンパク質ではないものの、他の点では絹と同じ様に一本の繊維を長い、と言った特徴がありました。
 まさに待望の「人工の絹糸」だったわけですが............

 さて、シャルドンネはこれを有用に使おうと考え、1884年に特許を取得。そして、この新繊維.......「シャルドンネの人絹」を1889年のパリ博覧会で初公開し、非常に好評を得ます。それもそのはずでして........「夢」であった絹に似た輝きを持つ人工物であり、しかも知られている材料から作る事が出来る分安上がりである........人々を引きつけるには十分であったと言えます。
 この出展で得た好評から財政面の支援は容易に得られまして、1891年にはシャルドンネは自分の生まれ故郷であるブザゾンに世界初の人工絹糸工場を設立します。これに引き続いて各地でこの「シャルドンネの人絹」は商業化され、世界で最初に商品価値のある人工繊維として広まっていきました。

 しかし、こうやって広まっていった折角のシャルドンネの人絹も非常に大きな難点がありました。
 それは.......成分がニトロセルロースであったこと、です。前回前々回でも触れていますが、ニトロセルロースにはある特徴がありました。それは........まず、「非常に燃えやすい」ということ。これはセルロイドのフィルムやおもちゃの例が示しています。そして、これもセルロイドの例が示していますが.........ニトロセルロースには硝化度という物がありました。まぁ、ニトロ化の割合を示していますが........シャルドンネの人絹はニトロセルロースですので、当然これが関与してきます。そして、今まで話した通り、硝化度が高くなるとエネルギーが加わると爆発性を伴うようになります。実際に、この繊維で織られた服をはたいて爆発、という事故が発生したようです。
#おっかねぇ..........
 これが最大の欠点となりました。

 では、人絹はどうなっていったのか?
 実際にシャルドンネの人絹はその爆発や引火性ゆえに問題が多かったのですが、それに代わるべく新しい人絹が色々と作られ、そして世に出てくることとなります。例えば、1892年にはイギリスでクロス(C. F. Cross)とベバン(E. J. Bevan)によって、パルプを水酸化ナトリウム(NaOH)と二硫化炭素(CS2)を処理して得られる「ビスコース(viscose)」と呼ばれる液体を見つけ、そして更にこれを酸の中に押しだすと糸が得られることを発見します。調べてみるとこれは品質が良く、価格も最も安上がりで1905年の工業化をきっかけに大量生産されることとなります。
 この繊維は商品名を「レーヨン(Rayon)」と言い、フランス語で「光る」を意味します。実際にこの名の様に絹のような光沢を持った繊維、つまり人絹でした。このビスコースのレーヨン.......「ビスコースレーヨン」は爆発性もなく安価なことからシャルドンネの人絹を駆逐していき、瞬く間に広まっていきます。実際、このレーヨンの靴下が開発されるに及んで、一般の人々にも靴下が広まった、という様な話があります。連動してスカートの丈がにわかに短くなった、なんて話もあるそうですが........
#当時のスカートは今とは違い長かった事に御注意を。
 このレーヨンは大きく普及し、後に1924年頃には、こう言った人造絹糸は一般にまとめて「レーヨン」と呼ばれるようになったことからもその普及度を伺い知ることが出来るでしょう。
 しかし、ビスコースレーヨンは製造過程で一つ難点がありました。それは二硫化炭素の存在でして、これは神経毒として作用するものでした。日本でもこのビスコースレーヨンは人絹工場で大量生産されていたのですが、ここで働いていた女工達は、この二硫化炭素によって発狂する、という事が多発したようでして、明治・大正などに伝わる「女工哀史」の中でも最も悲惨なものだったと言われています。

 他にも人絹は開発されていまして、代表的なものに銅アンモニアレーヨン(cuprammonium rayon)と言うものがあります。商品名は名称から「キュプラ(cupra)」、または「ベンベルグ」とも呼ばれていまして、1890年に製法が発明されまして、97年には工業化をされています。これは、ビスコースレーヨンよりも質が良く、天然絹糸に似た外観と手触りを持つ「高級」な人絹でしたが生産費が高いのでビスコースほどは生産されていません。
 また、他にも酢酸と反応させて出来るアセテートレーヨンという物もあります。

 これら、シャルドンネ以降の人絹は現在でも生産されていまして、実際に身近に出てくることが多くあります。とは言っても、現在はこう言った人絹は別の、例えば「ポリエステル」と言ったものに生産量は追い越されて久しく、昔ほど大量生産がされているものではありませんが。
 尚、アセテートレーヨンは違うのですが、ビスコースレーヨンと銅アンモニアレーヨンは、基本的にその成分はセルロースとなっています。基本的なプロセスは共通していまして、一度パルプを溶かし、これに薬剤を入れて化学反応を行った上で長い繊維となるように構造を変え、これから繊維を抽出して得る、と言う事を行っています。もうちょっと化学的に言えば、アルカリで処理して構造を変え、これを酸で戻す、という様なことをしています。
 もうちょっと説明しますと、絹糸はタンパク質でしてアミノ酸が延々と連なり、かなり長い一本の「糸」を作りだすことが出来ます。しかし、パルプだと「比較的短い」セルロース分子が集合しているものでして、単独で絹糸のような長い繊維ではありません。これが絹糸と植物性の繊維との大きな違いなのですが........ 人絹は、この「短い繊維の集合体を長い繊維に」するのが特徴です。この為にパルプに試薬を加えることで化学反応を起こして構造を変え、「長い繊維」に変えていきます。そういう意味では、これらは一から作るわけではありませんので(構造の再構成をするだけ)、「半合成繊維」とも言えます。
 まぁ、これ以上詳しいことを書くスペースもありませんので、取りあえずこれ以上は省略させていただきますが.......
#学生さんで気になるなら、自分で調べてみるのも良いでしょう。
#全く難しくないですし。


 さて、以上が人が「人工の絹」を得るまでの話となります。
 しかし、話を読めば分かる通りこの三回の話はコロジオンが関与しています。前々回ではコロジオンよりノーベルはニトロゲルの発想を得、前回ではハイアット兄弟がセルロイドを。そして、今回はシャルドンネが人工絹糸を得ることとなりました。そして、それぞれ得られた物質はその分野での「先駆」を成し、そして一時代を築いていきました。
 一つの物質から全く違う物質が得られ、そして自身は消えるとしても、その分野は発展していった。
 こう言った偶然は気付くとなかなか面白いものだと思います。

 .........思いませんか?


 さて、大分書きました。
 今回は以上、と言うことで。


追記:2002/05/23
 レーヨン人絹は、日本では2001年9月末をもって生産が終わりました。
 1915年から開始されて一時期は世界トップまで上り詰めた日本の人絹も、コスト高や需要減からその歴史に幕を閉じてしまった、というのがなかなか悲しいものですが。




 取りあえずコロジオンは終わり、と。

 さて、今回のからこらは如何だったでしょうか?
 今回は前回、前々回と繋がる話でしたが.......まさか繊維にまでコロジオンが絡んでくる、と言うのを御存じの方は少なかったのではないでしょうか? こう言った人工繊維は現在でも様々に発展していまして、そして我々の生活に関与しています。前回のセルロイドもプラスチックとして考えれば今の生活では必須のものです。ダイナマイトとて、今もって工事現場では活躍しています。
 これらが全て一個の物質がきっかけになった、と言うのがなんとも不思議なものですが。
 興味を持っていただければ幸いです。

 さて、次回ですが、ここのところ中途半端に忙しくて、この先も少し忙しいようです。
 え〜.......お茶を濁す感じになるかも知れませんが、御了承を(^^;; ま、目星はつけてありますし、つまらない、と言うことはないと思いますが。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/02/27記述 2002/05/23追記)


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