からむこらむ
〜その121:目の陰と孔雀〜


まず最初に......

 こんにちは。いよいよ梅雨に突入しそうな昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 いやぁ、これから蒸し暑い日が徐々に本格的になっていくんですね.........

 さて、今回ですが。
 え〜、ちょっくらこっちで諸々とありまして、ネタがなかなか良いのが無かったので今回も与太とさせていただきます(^^;; まぁ、歴史中心になりますが、気楽に読んで行って下さい。
 取りあえず「化ける」事に関する話、となっています。
 それでは「目の陰と孔雀」の始まり始まり...........



 さて、特に女性陣には縁があると思いますが、これを読まれている方で「化粧」と言う物をしたことがある人はいらっしゃると思います。ま、管理人は余り縁がないのですが。
 化粧と言うものは、調べてみると非常に古くから行われている習慣であり、そして各地で様々な意味が持たれていて、非常に興味深いものとなっています。実際には広義・狭義で意味は変わってきますが、その内容に関しては色々と心理的な要因や、生活・風俗・習慣などと極めて密接に関与しているものでして、各地で多くの共通点などを見出すことが出来るようです。例えば色彩に関して調べてみると、現存するいわゆる「未開社会」と呼ばれる社会にある人達は赤、白、黒と言う色を好む率が圧倒的に高いと言われています。おそらくこれは昔から各地でそう変わらないのではないか、と思いますが.........

 さて、化粧と言うのは古くからの習慣なのですが、その古さを示すものがエジプトの遺跡で見つかっています。
 これは、エジプトの第1王朝(B.C2950-2700?)の墓からすでに化粧膏と化粧道具といった、「化粧品」が見つかっています。そして、第18王朝(B.C1552-1306)には、コールとそれを塗る道具が見つかっています。この「コール」、と言うのは「アルコール」の語源にもなったものでして(その98参照)、黒色の化粧用粉末「コール墨」を意味しています。
 古代エジプトでのこの様な化粧は、現代の持つ「化粧」とはやや異ったようでして、炎熱から身を守るために膏を塗り、眼病の予防や強い陽光から目を守るために目の周辺にコールや顔料を塗った、とされています。また、ミイラ作りにも防腐目的で香料を用いており、これもある意味「化粧」とも言えます。
 こう考えると、生活に密着した「実用」と言う意味での「化粧」だったと言えますが......
 しかし、こう言ったエジプトにおける「実用的な化粧」と言うものは、ある時代から大きく変わってくる、と言うことが記録に残っています。
 それは、古代エジプトの名高きプトレマイオス王朝の最後を飾った名高き女王、クレオパトラの頃の記録に残っています。


 さて、クレオパトラというと非常に有名な女性であると言えますが。
 実際に歴史上に出てくる古代エジプトの「クレオパトラ」には7名いると言われています。ま、最も有名なのは七人目のクレオパトラ(Kleopatra VII)でして、一般に言う「クレオパトラ」は彼女になります。
 このクレオパトラと言う人物。ま、極めて有名ですので詳しい話は省きますが、B.C.69-30の人でして、当時ローマが支配する地中海圏の中でほぼ唯一「独立国」と言う体裁を整えていたプトレマイオス朝エジプトを支配した女王です。ま、正確には弟であるプトレマイオス13世との共同統治、だったそうですが。彼女は宮廷内部での抗争を抑えるためにローマ(このときにはカエサル)の後ろ盾を得ますが、カエサルの死(暗殺)によりこれは崩されます。そして、最後にはローマの将軍だったアントニウスと結んでローマと対決するものの失敗。最後には自殺(と言われていますが)して生涯を閉じる.......と言うのがおおまかに語られるところでしょうか? ま、生い立ちや生き様はなどといった詳しい話は色々な物で語られますので、そちらを「ご参考に」となりますが。
 ま、とにかく極めて「話になる」人物だったのは確かなようでして、演劇・物語・絵画等の題材になる人物です。

 さて、クレオパトラというと様々な話が残っていますが、後世に付加された話も多く残っており、その実像は実際にはぼやけている、と言えます。
 ま、良く言われる「絶世の美人」だったのか、と言うとこれはどうも「不正解」だそうでして、最近でも3月から4月ごろの大英博物館の開催した「クレオパトラ展」に絡む発表では「どうも違う様だ」と言う話でした。遺跡より見つけられたクレオパトラと思われる彫像11体より導き出された物、だそうでして彼女の実像としては「小柄で太め」であり、「身長は150センチ足らずで丸々と太り、いかめしい地味な顔立ち」と発表しています。もちろん、実際はどうだかわかりませんが。
 ただ、確かなことは彼女は極めて「頭の良い」女性であり、大部分の民族のいずれにも通訳を介さずに自分で話した、と言う記録が残っていることから語学が堪能。そして、極めて教養の高い人物と言うのは一致する見解のようです。また、会話がかなり上手な人物だったようでして、巧みな話術で相手を説得させる、などと言った事を得意としたと記録が残っています。
 ま、「絶世の美人」ではないものの「魅力的な女性」だった、と言うのがどうも正しいようですが。
 ちなみに、「絶世の美人」に関しては「ローマ人がそう言いふらした」「ルネサンス期の題材になるに連れ、そういう想像がなされた」などと言った要因が強いそうです。

 っと、脱線していますが話を戻しまして。
 さて、このクレオパトラの頃の「化粧」ですが、クレオパトラの化粧の記録が残っています。それによると彼女は眉とまつ毛に墨を塗り(コール墨)、上まぶたには暗青色を、下まぶたにはナイルグリーンを使っていたそうです。この頃から「実用的」なエジプトの化粧はかなり「色彩」を帯びてくるようになっていったと言われています。
 つまり、今で言ういわゆる「アイシャドー」と言うものがこの様な「色彩」に関与していった、と言えます。

 この「アイシャドー」と言うもの。説明は不要でしょうが、まぶたなど目の回りに塗って陰影をつけることで立体的に見せる為に使う化粧となっています。今では「アイカラー」とも言われ、また陰影のみならず色彩の強調と言う役割もあります。
 ま、他にも色々と種類などがありますけど、基本的にはこの様な説明で十分かと思いますが........
 さて、アイシャドーそのものはすでにB.C3500頃には古代エジプト、クレタ島で見られるそうでして、その目的は上述の「実用的な化粧」の目的のほかに、「魔除け」と言う意味を持たせていたとされています。クレオパトラのアイシャドーもこの流れを持っていたと思われますが........
 では、当時のアイシャドーはどういうものだったと言いますと、大体は黒色や緑色が多かったようです。その正体として、黒色は硫化アンチモンなどを原料とするコールを。そして、緑色は今でもある意味「贅沢」なのですが、孔雀石を用いていた、と言われています。クレオパトラもこれらを用いていたと思われます。


 さて、この孔雀石と言うもの。どういうものかと言いますと、古くから知られる鉱物でして、縞模様を持つ緑色の鉱物です。
 「孔雀」の名を冠しているのは石の縞目に由来しており、この縞模様が孔雀の羽に似ているから、と言われています。英語では「malachite(マラカイト)」と呼ばれていまして、ギリシア語で「軟らかい」を意味する「malakos」から、とも植物であるゼニアオイの「mallow」から由来したとも言われています。古くから細工物や装飾品として用いられた鉱物でして、粉末は絵の具や顔料、そして上述のアイシャドーといった物などに用いられていました。
 この孔雀石は銅の化合物でして、もうちょっと詳しく言うと銅の炭酸塩鉱物です。化学式ではCu2CO3(OH)2で表記される単斜晶系の鉱物でして、この鉱物の持つ緑色は、銅に由来します。モース硬度は3.5〜4程度とかなり軟らかいので、「宝石」としては用いるには難しい点が多いようです。

 この鉱物は余り大量に取れない鉱物でして、銅の鉱床の表面近くに二次的に出来るものです。その生成のメカニズムですが.........まず、天然の銅は一般に硫化鉱、つまり硫黄との化合物でして、主要鉱物としては黄銅鉱(CuFeS2)として得られます。で、鉱床でこの黄銅鉱などの硫化鉱物は雨水によって溶解します。これに空気中の二酸化炭素などが溶解して化学反応が起き、銅の炭酸塩鉱物となって再沈殿したものが孔雀石となります。ですので、銅鉱床でも雨水と接触のある部分、つまり表層ぐらいしか孔雀石は採取することは出来ず、一度孔雀石を採取すると、後は銅や黄銅鉱が残るのみ、となってしまいます。これゆえに自然と採取される孔雀石は限定されることとなり、高価となる要因となっています。
 日本では、昔は秋田県の荒川鉱山や阿仁鉱山などの鉱山の開発と同時に孔雀石は採れていたのですが、粗方銅山は掘ってしまいましたので、今では新規で銅山を見つけない限り孔雀石は採れない、と言うことになります。
 孔雀石の縞模様はこの時の沈殿の繰り返しで出来るものでして、その回数だけ縞目が出来る、と言うことになります。
 過去には銅山のあるところでは各地で見つかったのですが、現在では新規で見つかると言うのものはそう無いために採掘量は減っているようでして、旧ザイール、ザンビア、ナミビア、アメリカ、メキシコ、ウラルなどで採れたようですが、現在の中心はコンゴ(旧ザイール)となっているようです。もっとも、彼の国も政情不安でそれどころではないような気もしますが.........

 孔雀石はその美しさから上述の通り細工物や装飾品として用いられており、彫刻、置物、ブローチやカフスといった物に利用されていますが、いずれも高価な物となっています。また、この粉末は「マラカイト・グリーン」と言う名で顔料、岩絵具に用いられていました。日本でも合成物が「松葉緑青」と言う名の岩絵具として用いられています。もっとも、古い美術品の修復では天然の高価なものを使うそうですが........
 ただ、日本においてこの化合物は別の使い道もありまして、いくつかの「伝統」に孔雀石が関与しています。例えば、花火の原料としても用いられる事もあるようですし、雅楽で用いる楽器である笙の笛に用いられています。この笙の笛は雅楽の伴奏部分で良く使われ、最近でもある奏者によって有名になっていますが、吹き口から17本の竹の管が出ている楽器で独特の音色が特徴です。この楽器は管の根元(根継)部分にあるリードの震動によって音を出します。このリードは「さはり」と言う銅と錫の合金でできているのですのですが、この保護のために「青石(しょうせき)」と言う石を「さはり」で出来た硯に水を入れてすった物を塗ります。
 この「青石」の正体は実は孔雀石です。こういった楽器に孔雀石を用いる例は珍しいそうで、笙の笛は世界の中でも孔雀石を使う唯一の楽器と言われています。

 尚、クレオパトラのアイシャドーはこの孔雀石を用いた、と書きましたが。
 クレオパトラはどうやってこの孔雀石を調達したか、と言いますと、現在ではエジプトの北にあるキプロス島から調達したと言われています。これはキプロス島はフェニキア人やローマ時代の頃には最大の銅の採掘場だったためとなっています。
 その影響は大きかったようでして、ローマでは銅を「cyprum aes(キプロス島の金属)」と呼んでおり、実は「銅」を意味する英語「copper」、ドイツ語「Kupfer」、元素記号「Cu」はこの「キプロス島の金属」に由来しています。
 何気に、今にも名前で影響を残しているものの一つ、だったりするわけですね.....


 さて、クレオパトラが化粧に使った孔雀石。
 その美しい緑色で化粧を施し、そして巧みな話術で人々を魅了した、のでしょうけど........実は「色彩」だけがこの孔雀石の目的ではなく、やはり実用も大きな意味があった、と思われています。しかも、今まで書いた様な実用(眼病予防、陽光を防ぐ)の他にも、です。
 何にか?
 孔雀石の主成分は上述の通り炭酸銅なのですが、これは実は虫よけにも使えます。つまり、古代エジプトのような暑い土地で多い虫(ハエなど)が寄ってくるのを防ぐため、と言う目的にも使っていたのではないかと思われます。これはかなり実用的と思われまして、おそらく衛生状況から当時はハエなどの虫は多くいたでしょうから、そういうのに煩わされる事が無くなると言うメリットはあったと思います。
 ま、権力者が虫に煩わされると言うのは絵的には様になりませんからね.......
 そういう意味では実用にも外見的にも意味があり「一石二鳥」だったのではないか、と思われます。

 もっとも、昔の壁画なんかの写真を見ると「結構けばかったんじゃないか?」とか思ってしまうんですがね(笑)


 さて、取りあえずこれ以上は長くなりますので。
 今回は以上、と言うことにしておきましょう。




 終わり、と。

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 今回も手を抜かせていただきまして(^^;; まぁ、やや思いつきでやったんですが、与太話とさせていただきます。まぁ、孔雀石も色々と藍銅鉱とか硅孔雀石とかの話もあるんですけど、取りあえず今回はパスさせてもらいますね。
 ま、ちょっと「化粧」からの話から出発した与太ですので。遊び程度に読んで貰えれば良いかと思います。

 さて、と。次回はどうしますかね.........
 まぁ、相変わらず全然決めていないんですけど(^^;; なんか適当なネタがあれば、と思います。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/06/05記述)


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