からむこらむ
〜その120:ハンニバルと鮮やかな肉〜


まず最初に......

 こんにちは。いよいよ初夏とか書いていましたが、思いっきり梅雨じみてきた昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 何というか、気候変動の上気温変動も激しくて色々とキツイですね..........

 さて、前回まではアヘンに絡む話を一通りしてみました。まぁ、色々とありましたけど........
 さて、今回は今一つ良いネタも浮かばず、という状況でして(^^;; まぁ、ちょっと手を抜いた話をさせてもらおうかと思います。ま、名前は有名である程度は詳しい話も聞いたことはある話とは思います........とは言っても、そこをある程度深くやるのがここのお約束。
 ま、気楽に読んでいって下さい。
 それでは「ハンニバルと鮮やかな肉」の始まり始まり...........



 さて、つい最近ヒットした映画に「羊達の沈黙」の続編として名高い「ハンニバル」という物がありましたが.........
 この「ハンニバル」という名前........まぁ、最近の人には映画のレクター氏の方がなじみがあるかも知れませんが、歴史をやる人間にとっては同名の武将の方がなじみがあるかも知れません。その武将は遥か紀元前二世紀のカルタゴ(現在のチュニジア北部)の名高い武将でして、対立するローマ軍を幾度となく破った事で恐れられた武将です。ま、最終的にはローマに敗れて死亡し、カルタゴもそれに次いで滅びますが.......
 さて、伝えるところによるとハンニバルは捕らえたローマ軍の兵士を締め切った風呂に閉じこめ、ある方法で「まとめて」処刑したと言われています。その方法は........実は類似の事が約2100年後のドイツで行われています。ま、ナチスドイツによる、いわゆるユダヤ人絶滅計画において特に用いられていました。
 この方法は何か? 良く知られていますが、特定の部屋に閉じこめてそこにガスを流す......いわゆる「ガス室」による方法でした。しかし、今でこそアウシュビッツだのビルケナウなどの「絶滅収容所」における「チクロンB」と呼ばれる青酸系農薬をガスとして用いたことは有名ですが、初期にはこの「ガス」は様々に試されていた事が知られています。
 その試された中の一つに車の「排気ガス」を用いる方法がありました。それは、その成分中に含まれる「毒ガス」である「一酸化炭素」による殺害方法でして、これにより多数の人間を殺していったと言われています。そして、「排気ガス」では無いもののハンニバルの「ガス室」で用いられたのもこの一酸化炭素によるものだった、と言われています。
 古今を問わない共通性がここにありますが......もっとも、ナチスの場合は「非効率」と言うことで結局は使われなくなります。
#ここら辺は、アメリカの長編ドラマ「ホロコースト」の中盤にそういうシーンが出てきます。
#↑ドイツで社会現象を起こした(ナチ戦犯の「時効」を否定させた)極めて有名なドラマです。

 さて、ここで登場した「一酸化炭素」なんて物は皆さんは一回は聞いたことのあるものと思いますが........どんな物かは御存じでしょうかね?
 ま、一般的にはそうですね........まず、「何から生まれるか」を聞くと火事、排気ガスという物を挙げられる方が多いかと思います。そして「どういうものか」と言うと、大抵は「有毒」とかそういうものでしょうか? もうちょっと加えると色々と増えていくでしょうけど.......
 ま、大体この手の話はあっている、と思います。
 しかし、もう少し詳しい部分を今回は話してみようか、と思います。


 まず、「一酸化炭素」とはどういうものか?
 一酸化炭素とは文字通り、「炭素と一個の酸素が結合したもの」でして、化学式「CO」で表される極めて単純な化合物です。ちなみに、物が燃えたり呼吸で出てくる「二酸化炭素」は「炭素と二個の酸素が結合したもの」でして、化学式は「CO2」となっています。
 構造的には酸素分子の構造とよく似ています。ちょっと専門的には一酸化炭素の化学構造は三種類存在していまして、常にそれらが入れ替わった形と言われています(共鳴構造)。



 さて、では一酸化炭素(CO)はどういうときに出来、どうやって作るのか?
 ま、色々とありますけど.......一般的には炭素化合物が燃えるときに多かれ少なかれ生じます。一般に知られている通り、通常炭素化合物が完全燃焼すると、化合物中の炭素と空気中の酸素が結合して二酸化炭素を生みますが、いわゆる「不完全燃焼状態」の時にはCOが発生します。ま、炭素に二個酸素がつけば「完全燃焼」となるわけですが、そうなれない中途半端な状態、であると言えるでしょうか。もっとも、自然界では天然ガス中など、色々とCOを見ることが出来ますが。
 人工的には合成法がいくつか確立されていまして、ギ酸(HCOOH)を強酸で脱水させたり、炭酸カルシウム(CaCO3)を亜鉛粉末と加熱、またニッケルカルボニル(Ni(CO)4)を約200度に加熱することで純粋なものを得ることが出来ます。工業的には、赤熱したコークスに空気や水蒸気を反応させたり、天然ガスに含まれるメタンガスから合成(部分酸化)して得ることが出来ます。



 COは「二酸化炭素になりきれない中途半端」な状態ですが、酸素と結びついて二酸化炭素へと変化します。これは、自然界の紫外線や微生物の作用などで普通に起こっています。また、COは可燃性でして、燃やすと青白い炎をあげて二酸化炭素へと変化します(「不完全燃焼」を「完全燃焼」に持っていってやる、と考えると容易でしょうか?)。
 尚、高温(800℃以上)では、COは分解して二酸化炭素と炭素に変化します。


 では、COは一般に「毒」として知られていますが、どういうものでしょうか?
 一般に言われる通り、この物質は少量で人を殺すことが可能となっていまして、特に中毒の初期には気持ちが良く、そして眠くなると言われています。このために自殺に用いられることが多くあります。自殺で一般的なのは自動車の排気ガス中のCOを用いる方法でして、ガスを車内に引き込んで、という話はニュースで時折聞くことがあるので御存じの方は多いでしょう。
 メカニズムは有名ではありますが、血中で酸素を運搬する役割を持つ「ヘモグロビン」というタンパク質と結合することが知られています。ま、実際には酸素の貯蔵も行う「ミオグロビン」も関与するのですが....... これらのタンパク質の「基幹部分」である、鉄を含む「ヘム」という部分が酸素と結合して運搬・貯蔵を行うのですが、COはその部分に強く結合して酸素の結合を妨げることでその機能を阻害します。結合する理由は酸素とCOの構造が類似していることに由来しています。しかし結合の強さは異っていまして、COは酸素よりも250倍強く結合することが知られており、これが毒性へ大きな関与をしています。
#やや専門的な余談ですが、ミオグロビンの「ヘム」部分だけを取りだして比較すると酸素よりも25,000倍強く結合することが知られています。この差は、ミオグロビンの立体構造が強く絡んでいます。ただし、結合角が酸素とCOでは異なりますが。
 また、実際にはヘモグロビン、ミオグロビンだけではなく、人間のエネルギーの「共通通貨」である「ATP(アデノシン三リン酸)」という物質を作る極めて重要な過程(「電子伝達系」と言う)があるのですが、ここを阻害することも知られています。もちろん、これの阻害は致命的な物です。
#これは、青酸による毒のメカニズムと一緒だったりします。

 では、実際にはどれくらいの毒性を持つか?
 ま、10ppm(単位はその42参照)程度では問題はないのですが、100ppmを越えると徐々に後述するような障害が発生してきます。1%(=10,000ppm)あれば死に至ります。
 何故毒性がここまで高いかと言いますと、メカニズムで触れた通りCOが酸素よりも強く結合する事が原因でして、空気中に1%しか無くても血中にあるヘモグロビンの90%以上と結合してしまい、酸素の運搬能力を著しく阻害することとなります。
 障害ですが、血中のCOと結合したヘモグロビン(カルボキシヘモグロビン)の割合が80%になると急性で死亡します。5%程度だと中枢神経系に「酸素不足による」障害を起こし、酸素不足の際に生じる障害が多数発生します。ですので、特に酸素不足に敏感な脳にはダメージが大きいです。症状としては脳への障害に心筋の機能低下、頭痛、息切れ、めまい、記憶の欠損、悪心、歩行失調、虚脱、失神、呼吸停止などなど......かなり深刻な事態となります。
 尚、CO中毒は急性毒性は問題になりますが蓄積性は無いと言われていまして、慢性毒性は無いとされています。しかし、軽度の急性中毒が続くと中枢神経障害や心筋障害の「蓄積」が起こって、疲れやすい、頭痛、物忘れなどの症状が知られています。

 余談ですが、カルボキシヘモグロビン濃度は、火事の際の死体の検査では重要です。
 と言うのは、煙に巻かれてCO中毒で死亡した場合はこの物質の血中濃度は高いのですが、殺人後に火を放った場合はこの濃度が低く、事件の関連を調査するのには重要な物となるようです。

 さて、ではCO中毒はどういう局面で起こるか?
 一番COが多量に発生するのは炭坑のガス爆発と言われており、日本でも1963年の大牟田の三池炭坑でのガス爆発(1403名罹災)や、1981年の北海道夕張炭鉱のガス爆発による93名の死者行方不明者を出した事故ではこのCOによる中毒者が多かったと言われています(夕張炭鉱はこの事故で閉鎖)。また、火事などもこのガスの発生・中毒が起こりやすい状況でして、COが微量でも障害を起こすために「気がついたら」意識も遠く、身体が動かないという状況になりますので問題になります。他にも、ガス配管工が作業中に中毒にかかる事があることも知られています。また、自動車の排気ガスを用いた自殺が多くあるのは述べましたが、自殺ではなくガレージ内でエンジンをかけたまま眠ってしまい、そのままCO中毒で死亡、というケースも知られています。
 もちろんこれらの中毒事故は現在のものだけでなく古くからありまして.......特に火鉢やコンロ、石炭を燃やす際に不完全燃焼を起こしてCO中毒で死亡、と言う「日常生活」での事故も昔から多くあったようです。これを逆手に、鉛の話(その63その64その65)にも出てきた皇帝ネロは、后オクタヴィアを石炭を用いたCO中毒で殺した、と言う話もあるようですが..........
 基本的には、身近な事故の場合は濃度が低い物が多く、これによって「徐々に」、と言うケースが多いようです。

 中毒の回復方法ですが、基本的には酸素吸入による方法です。常圧よりも高い圧力の酸素を用いるとより効果的とされています(数でもって酸素とヘモグロビンの結合機会を増やす目的の為)。特に妊婦にはこの回復は重要でして、胎盤を通してCOと結合したヘモグロビンが胎児に通じると障害を起こすので、この影響を極力防ぐ必要があります。
 尚、炭坑での事故の場合、作業者は一酸化炭素用事故救命器と言うものを持っていまして、これによって一時的にCO中毒を防ぎます。これは一種の防毒マスクでして、活性二酸化マンガン(MnO2)60%と酸化銅(II)(CuO)40%の薬剤が詰めてあり、これによってCOを二酸化炭素に変える事で無毒化させます。しかし、「ただそれだけ」ですので酸素が足りない地域ではこれを用いても窒息するだけですが.........

 ところで、生体中にも面白いことにCOは存在しています。
 例えば、ミオグロビン、ヘモグロビンの話でも出た「ヘム」を分解する過程でCOが出来ることが知られています。また、脳内にもCOを生成する酵素があるそうでして、これが嗅覚と関与するとも言われています。つまり、生理作用を持っている、と言うことになります。
 つまり、ある程度(人体で使う程度の少量)の物ならCOを利用・処理する機構を人体は持っている、と言うことになりますか。
#尚、通常ミオグロビンの1%程度がCOと結合していると言われています。

 さて、いくつか書きましたけど........COは上述の通り工業合成が行われています。と言うことは、「利用」がされています。
 工業的には各種有機化合物の出発物質となりまして、これから様々な有機化合物を合成することが可能です(各種アルコール、アルデヒド、ケトンなど)。特にオイルショック以降、当時の通産省と各化学企業が協力して行った大プロジェクト(原油より得られる物質を、原油以外から作ろう、という計画)においてはこのCOは重要な位置を占め、様々な物質(ガソリンの燃料など)の合成原料となります。このときのノウハウはかなり有効なものとなったようです。
 こう言ったもののほかにも、強い還元性を持つので、金属精錬用還元剤として持ちいられています。


 さて、長くなりましたが........ま、色々と詳しくやるとあるのですが、取りあえずは長くなりますし難しくなりますので、次の話で最後としましょう。

 いくつかのCOの利用法などを書きましたが、中には「反則?」という使い方があることが知られています。
 火事などでCO中毒で死んだ人間は、カルボキシヘモグロビンの色から「血色が良い」鮮やかな色になる事が知られています。さて、ある時にある人物が警察関係者か誰かからこの話を聞きつけます。
 その人物は......職業がある種の肉の卸売り業者だったそうです。
 で.......これを聞きつけた業者。「これは良い」と言うことで早速自分たちの売り物にCO処理を施して、「それは見事な色」になった肉を売り始めた、とか。
 ........その先はどうなったか知りませんがね。


 では、長くなりましたが。
 今回は以上、と言うことで............




 思ったより長くなった(^^;;

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 今回は頭の回転が悪くて、どうしようかと思ったのですが、Aoxさんとのやり取りで一酸化炭素が出たので「じゃ、これやろうか」と思い立ってやってみました。
 まぁ、比較的良く知られるものとは思いますけどね。取りあえず「それ以外」についてを色々と書いてみました。
 オチがなんですけどねぇ(^^;;

 さて、取りあえず今回は以上、です。
 ま、次回は.......やっぱり決めていませんので、何か考えることとしましょう(^^;;

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/05/29記述)


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