からむこらむ
〜その182:火鼠の皮衣〜


まず最初に......

 こんにちは。11月が始まりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 早いものでもう今年も後2ヶ月。後はあっという間でしょうが.........本当、今年もあっという間にここまで来ましたね。

 さて、今回のお話ですが。
 今回はちょっとした話をしてみようかと思います。まぁ、今となってはやや「古い」話になるかと思いますが。ただ、これからも問題が生じるものでもありますので。そういう面では重要です。
 ま、少なくとも知らないという人はそういないと思っても良い物質でしょう。
 それでは「火鼠の皮衣」の始まり始まり...........



 日本で現在知られているなかで最古の物語を皆さんはご存知でしょうか?
 一般的な教養を持っている人ならば、まぁそう問題ないでしょう........いわゆる『竹取物語』がそれになります。もっと分かりやすく言うなれば「かぐや姫」の話です。
 この話、実はかなりバリエーションがあるそうでして、『今昔物語集』にもそのバリエーションの一つ(巻三十一 第三十三「竹取りの翁、女児を見付けて養へる語」)が収められているなど、実はかなり色々とある話のようです。が、基本はどれも一緒のようでして、「翁が竹を取りに行ったら、その中で輝く竹を見つけ、それを割ってみると中から小さい女の子がいた。彼女は短期間で成人し、そして翁の家は富に恵まれた。その内、姫の美しさに魅了されて求婚者がたくさん来る。無理難題を通した彼女だが、やがて帝が彼女を見初める。姫も心引かれたが、やがて時が来て姫は記憶を失い、月に帰ってしまう。実は彼女は月の世界の罪人で流刑に処せられていたのだった。」という話になっているようです。そして彼女は帝に手紙と不死の薬を残したものの、帝は「姫のいない世に永遠に生きても」ということで薬を「天に最も近い山で燃やす」様に命じ、その通り燃やされた。その山は「不死(=富士)の山」と呼ばれ、今でもその燃やした煙が見える......というのが後日談的に残っていますか。
 これ、富士山が当時噴火していて煙を出していた、という事ではないかと言われています。そして不死の薬はその114で触れたように、丹薬であった可能性があります。

 ところで、この話で非常に有名なのが求婚者に無理難題を押し付けるシーンです。まぁ、微妙に「男って悲しい生物だ」と思わせるものがありますが。
 一般に五名の求婚者(実在のモデルがいるそうですが)がかぐや姫の要求に応える訳ですが........いしつくりの皇子には釈迦成道の際に四天王が奉った仏鉢である「佛の御石の鉢」、くらもちの皇子には東の海にあるという、蓬莱山に生える金銀財宝の木の枝「蓬莱の玉の枝」。あべの右大臣には唐にある火鼠の毛で作り、火中に投じても燃えない衣であるという「火鼠の皮衣」、大伴の大納言には「龍の頸の玉」、いそのかみの中納言には「燕の子安貝」(バラ色の子安貝)といった「入手困難(=実在しない)」なものが要求されることとなります。
 ほれた弱みか求婚者達(基本的に「ボンボン」)はあらゆる手段で金を使ったり、人づてに、あるいは自ら動いてそれぞれに要求された品を得ようと、文字通り東奔西走。さまざまな手段を講じて「入手」しますが........いしつくりの皇子は偽物であると看破され、くらもちの皇子は職人に作らせてだましたものの、職人が「代金を支払え」とかぐや姫の下にやって来たがために失敗。あべの右大臣は人づてに求めたものの偽物だったために失敗し、大伴の大納言は見付けることも出来ず財を失い、そしていそのかみの中納言は大怪我をして死んでしまうという有り様で......結局だれ一人としてかなうことは出来ませんでした。
 このため、かぐや姫は帝が「多くの人の身をいたづらになしてあはざなるかぐや姫は(=多くの人の身を滅ぼして、会わないというかぐや姫)」はどういう人間か見てこい、などと臣下に命じるほど有名になります........ま、やがて帝は求婚することとなりますがね。
 とにかくも求婚者達の部分は非常にこっけいで面白く有名な部分ですが。同時にこの姫もしたたかであることを思い知らされる話となっています。
 尚、『今昔物語集』では三名で、要求されるのが「空中の雷」「優曇花(うどんげ:千年に一度咲き、金輪聖王が現れるとされる伝説の花)」、「打たないのに鳴る鼓」とバリエーションで差があるようです。

 ところで、五名の求婚者の中の三人目の話に注目してみましょう。
 火鼠の皮衣(裘)に挑んだのは、右大臣あべのみむらじという人物です。この人、早い話金持ちでして目的のものが日本にないということから、「人づてに」唐で入手して欲しいと金を持って頼むことになります。頼まれたのは日本に来ていた唐船の「わうけい(王)」という人物でして、「聞いた事があるが見たことは無い。でも、天竺にでも行けばあるかも」と返事をよこし、その後「天竺の貴僧が持って来ていたものを入手しました」ということで「更に50両ほどかかったから、欲しければ追加してくれ」とよこします。それに応じて入手したところ、「金青の色」をし、毛の末が金の光をさすという豪華絢爛な布を受け取ります。
 「これこそまさに!」とおもった右大臣は喜び勇んでかぐや姫の下へ。彼女も「これはまた良いものだ」と思うと同時に「焼けるはずが無いんだから、火にいれてみましょう」と提案すれば、右大臣も「あれだけ大金を払ったんだから本物だ!」と信じきっていたのでこれに応じるのですが........結果は無常にも「めらめらと焼けぬ」という有り様.......
 右大臣がっくりで「顏は草の葉の色にて居給へり」。一方かぐや姫は「あなうれし」と大喜び.......ま、その後には町の噂になって云々と洒落が入ったりするんですが........


 さて、この「火鼠の皮衣」というもの........皆さんはあると思います?
 もし存在していればきっとかぐや姫は窮地(右大臣は大喜びでしょうが)に陥ったでしょう。もっとも、火鼠の存在はモデルがあるとしても実在はしていません。ただ、面白いことに火鼠の皮衣の伝説である「火にいれても燃えない布」と言うものは存在していました。これは「火浣布(かかんふ)」と呼ばれるものでして、文字通り「火で浣(あら)う布」であり、汚れを洗い落とすために火の中に投じると燃え尽きることなく汚れを落とし、元の色を取り戻す事から名付けられました。

 火浣布の歴史は新しいものか、と言うと実はそうではありません。
 既に中国では周の時代にはこの布の事が触れられているようでして、周の穆王(ぼくおう)が西戎(せいじゅう)を征伐した際に、西戎がこの布を献上したという話が『列子』にあるとされています。他にも後漢の梁キ(「北」をかんむりに「異」)が宴会に際して火浣布で出来た衣装を着てこれを酒で汚し、更には火に投げ込ませて周りを驚かせたという記録があるようです。もっとも、魏の文帝は「そんなものはあるはずが無い」と『典論』に記し、後に明帝がこれを石に刻ませた所、数年後に西域から火浣布の献上があった為に笑われ者になったそうですがね。
#かぐや姫の逆パターン?
 ギリシアの時代にも火浣布はあったようで、紀元前後のローマ時代に活躍したギリシア系の地理学者で歴史学者でもあるストラボン(『ゲオグラフィカ』が代表的著作)は「耐火性のナプキン」と言うものを語り、また『博物誌』で有名な大プリニウスは、アルカディア(ギリシア南部)やインドからこの「ナプキン」がもたらされていると記録しています。
 こういった事を考えれば、『竹取物語』が表された平安時代には既にある程度の「燃えない布」の情報が日本にもたらされていた、と言って良いでしょう。もっとも、本物が来たのかは不明です(一つぐらいは輸入されていたと思いますけどね)。ただ、『竹取物語』に出てくる「火鼠」と言うものは中国では伝説としてあったようでして、その伝説では「火浣布の材料」は火炎の山に生える木の華、あるいは皮、あるいはそこに住むネズミ(=火鼠)の毛であろうと伝えています。

 さて、この火浣布の正体は何か?
 これ、実は名前を聞いた事がある人が多いと思いますが.......石綿、つまりアスベスト(asbestos)と言われています。最近では嫌われ者のこの物質ですが、昔は実に良く利用されていました。

 石綿/アスベストとは何か?
 ご存知ですかね.......ま、布を織る事が出来るという事が特徴ですが、実は植物性の繊維ではありません。その正体は鉱物に分類されるべきものです。とは言ってもかなり「幅が広い」ものでして、天然の無機繊維状鉱物の総称をさしています。もう少し具体的に言えば、蛇紋石、あるいは角閃石  大半は蛇紋石ですが  といった「鉱物」でして、そのなかでも繊維状にほぐす事が出来るものとなっています。
 つまり「火浣布」とはこれで出来た繊維で織られたもので、そしてそれは麻や木綿といった物で出来た「植物の布」ではなく「鉱物の布」でした。。
 その石綿の科学的な構成について触れておきますと、分類としては珪酸塩鉱物でその名の通り珪酸が中心となった物です。その組成式は (Mg,Fe)3Si2O5(OH)4 と表されます。モース硬度は2.5〜3.5程度と「柔らかい」もので、比重は2.4〜2.6程度です。この繊維は物理的な構造としては細い中空のパイプ状構造(径200〜300Å)をしており、そして柔軟性を持つ為に綿糸と同様に、文字通り「石(=鉱物)」でありながら「綿の如く」繊維になると言う物です。
 大半の石綿は蛇紋石の仲間のクリソタイルと呼ばれる物が主となっています。これは蛇紋石中に網状脈をなしており、繊維は脈壁にほぼ垂直に並んでいます。ここから用いられたものは主に白いものが多かった為に、これは白石綿とも言われています。上述したように角閃石の仲間の石綿もありますが、いずれもクリソタイルに比して繊維がもろく、熱に弱い様です。もっとも耐酸性は優れるとされています。
 産出地は主としてウラル地方、ケベック、南アフリカやジンバブエなどですが、世界で比較的広く採れるようです。日本でも採れまして、秩父や北海道などで採掘がされていました。ただ現在では工業的な採掘は行われていません。

 尚、クリソタイルは白ですが、クロシドライトと言う物は青い色をもち青石綿と、アモサイトと呼ばれるものは茶石綿と呼ばれます。いずれも工業的に用いられていました。
 こう考えると、『竹取物語』であべの右大臣が入手したものは青色でしたが、もしかしたら青石綿を用いた火浣布が伝説のベースとなっているのかも、と想像できるのですが。もちろん、話の中では燃えてしまいましたけどね。

 ところで、火浣布の作り方ですが。
 中国の漢の時代の郭憲の作品と言われている(実際は5、6世紀頃という話ですが)『洞冥記』という本には、石綿、と言うより火浣布についてのかなり正確な記録が残っているようです。つまり、漢の武帝の宮廷の池に浮かぶ船のロープには「石脈」が利用されている。この「石脈」は何かというと脯東(ほとう)国(どこか不明)において産出し、石を割る事で得られる。これは絹糸の様な細いものでも万斤の重さを支える事が出来、より合わせれば麻のようになり、「石麻」と呼ばれて布に織る事が出来る、と記録しています。
 そして、これを織ったものが火浣布という事になります。ギリシアなどに伝わるものもおそらく同じような経緯で作られていたのではないかと思われます。
 では、日本での火浣布はどうなのか?
 「日本製の火浣布」は中国などの話に比べるとかなり新しいといえます。日本製で出てくるのは江戸時代の有名な「発明家」である平賀源内がこの「火浣布」を作り、これを幕府に献じているという話ぐらいのようです。ちなみに、この時に用いた石綿は秩父産の物と言われています。もっとも、彼はこれを江戸に上ってきたオランダ人に見せ、更には火浣布で作った香敷(こうしき:香道の道具で、香を載せて火の上に置くもの。通常は雲母の薄片を使用)を長崎で入りの中国人に与えたと『火浣布略説』において記しています。

 尚、ヨーロッパでも石綿はきっちりと使われています。
 この不燃性の布は重宝されたようでして、中でも演劇用の幕に使われた事がよく知られています。実際、分厚い英和辞書で「asbestos」を開いてみると、その中に「演劇用の幕」と言う意味が見つかります(普通の辞書だと見当たらないかも)。そういった事からイギリスでは劇場用語で「開幕」することを「asbestos(asbestus)」と言うそうですが........
 ちなみに、劇場で使われていた事は理由があります。
 それは消火設備などが今ほど十分でなかった時代では人が大量に収容される劇場で火事が起こった際に困るからでして、その為に幕に石綿を使ったと言われています。つまり「安全対策」と言う事のようです。
 今も石綿製の幕を使っているかは知りませんが。古いところだとあるかも知れませんね........


 さて、このような歴史のある石綿ですが、現代における話をしておきましょう。
 現代においての工業的な利用としては繊維としては防火幕、防火服に。あるいはゴムなどの結合剤とするものとして。セメントとの複合材で壁材、防火板、吸音板などとして非常に幅広く用いられていました。そうそう、化学をやった人間としては忘れられない実験用の金網にもこれが用いられています。
 ただ、良く知られている通り最近ではアスベストは規制対象となっています。
 理由は簡単でして、この石綿の細かい粉塵を大量に、長期間吸い込む事で珪肺を引き起こすという事があること。また、それだけでなく短期間でも大量に吸えば肺ガンの一種である「悪性胸膜中皮腫」の原因になるのではないかと言われています。特に建築材の処理で生じる大量の粉塵は問題になりまして(この処理は「完全防備」で行う事となります)、そういった事からアスベストの利用は使用禁止・規制の方向になり、現在は法的に規制対象となっています。

 そうそう、最近ではそう聞かないので解説しておきますが。珪肺というものは「塵肺(じんぱい)」と呼ばれるものの一種で、代表的な職業病の一つです。
 珪肺は珪酸を多く含む(石綿は珪酸塩鉱物です)石やガラスなどを取り扱う所、例えば採鉱場や石切り場、陶磁器工場などで長期間働いた人たちが、遊離している珪酸を多量に吸ってこれが肺に貯まりる事で起きます。これはやがて肺の線維組織が増え、その結果肺が固くなって働きが阻害される様になります。これは一時期では職業病中で最も多かったと言われるほどで、あまりにもひどい為に1960年にじん肺法が制定される事となります。
 症状としては肺の障害ですので、息切れを起こしやすく、顔色が悪くなり、むくみが出て食欲を無くします。また、肺結核症も併発しやすい上、進行すると元通りになりにくいと言う問題があります。そして場合によっては上述の通り肺ガンの原因となります。
 尚、発ガン性は特に青石綿と茶石綿が特に強いとされ、これらは1995年に法的に使用禁止になっています。白石綿は日本では全て輸入に頼っていますが、現在大体8万トンが1年間に輸入されており、世界でもっとも輸入している国となっています。白石綿は安全基準を満たせば使用して良い事になっていますが.......しかし、これもどうも怪しい雲行きとなっています。
 どういう事か? 珪肺は高度経済成長期などの頃(日本が邁進していた頃です)に問題になる(とは言っても、問題自体は更に古いですが)のですが、実は現在でも問題........いや、「これから問題になる」という予想が早稲田大学の研究グループによって立てられています。どういう事かというと、2002年の4月の話ですが、今後の悪性胸膜中皮腫の男性死亡者を疫学的な統計調査を行ったところ、2000〜2039年までの死者の予想が約10万人でして、これは1990〜1999年の10年間の死者の約49倍もの数字になるという予想となっています。これは日本での話ですが、欧米でも増加するという予報があるようです。
 これは若い時に石綿を吸った機会が多い(つまり「リスク」の話)人がこれから肺ガンになるであろう、という予想となっていますが........
 そして、そういう事もあってか海外ではEUが2005年までに石綿を全面禁止することを決定し、ノルウェーやオーストラリアなど30カ国以上が禁止したり、禁止を決めていると言われています。
 使用禁止の流れは必然のようです。
#アメリカは規制がありませんが、徐々に厳しくなる方向のようです。

 そういう事で、上のような理由から最近は石綿は完全に「肩身が狭い」物となっていますが。
 実際に代替物質があるものは良いとは思いますが、そうでないものもありまして。まぁ、使い方さえ間違えなければそう問題も起きないのではないかとも思うのですが.......現実はそうは行かないようです。
 一応、化学系の人間としては石綿の網がどうなるのかと心配になってしまいますが........いえ、実験のですけどね。

 この様に石綿と言うものは「追いつめられている物」の一つですが。
 これが復権する時はあるのでしょうかね.........? でも、この「存在そのもの」が完全に消え去る事は無いと思います。例えば、鉱物の一つに「タイガーアイ(虎目)」と言うものがありまして、これが文字通り「虎の目」の様に見えるのが特徴なのですが。なかなか渋い色の鉱物なのですがね.......これ、単純に言うと石綿の周囲を石英(=ガラスの成分)が覆った鉱物だったりします。
 そういった「細かいところ」で身近に存在はしていくのでしょうが。でも、「石綿」として今までのような使用はおそらく無いのでしょう。
 そして、やがて忘れ去られる物質になるのかも知れない、と思うと少し残念なものがあったりします。10年後には「何それ? 知らない」という世代も増えていくのかも知れませんね.......


 と言う事で長くなりました。
 今回は以上という事にしましょう。

(注:文中の『竹取物語』については岩波文庫 黄7-1 阪倉篤義校訂に拠った)




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 え〜、あまりネタも無かったので、古典より引っ張り出して石綿の話をしてみましたが。どうでしょうかね? 意外と関連が想像しにくいものがあったかも知れませんけど。ま、徐々に隅に追いやられていく物質ですけれども。結構接した機会が多かった事を考えると、なじみのものが、という物はあります。
 問題が多い事を考えると仕様がないですけどね.........
 一応、頭に入れておいてもらえれば、今後規制が厳しくなると予想されるのですがその時にピンとくる、かも知れません。もっとも、あべの右大臣ばかり思い出してしまう人が出るかも知れませんけどね(^^;

 さて、そういうことで一つ終わりですが。次回はどうしますかね.........
 え〜、ネタが無いので考える事としましょう。まぁ、色々と考えないといけない部分もありますが.........ま、探してみますか。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/11/05記述)


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