からむこらむ
〜その181:因縁の生んだもの〜


まず最初に......

 こんにちは。10月ももう終わりとなりますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 いやぁ、すぐに11月ですか。あっという間に、と言う気がしますけど。本当、早いものです。

 さて、今回のお話ですが。
 前回まではノーベルとニトログリセリンの関係の中でダイナマイトとニトロゲルの発明の話、つまりニトログリセリンの「爆薬」としての話をしました。さて、ノーベルとニトログリセリンの関係はこれだけか?
 いや、違うんです。
 今回はその話と.......そして、彼が創設することとなった、現在において世界で最も権威ある賞についても触れることとしましょう。
 それでは「因縁の生んだもの」の始まり始まり...........



 さて、前回はノーベルがニトログリセリンとニトロゲルを開発した、と言う話をしましたが。
 その続きと行きましょうか。

 ニトログリセリンの有効利用によって生み出した二つの発明  ダイナマイトとニトロゲルにより、ノーベルは強力な爆薬を世界に提供していきます。
 これはばく大な金を彼にもたらすこととなりました。たくさんの鉱山で、工事現場で彼のダイナマイトやニトロゲルは大量に使用され、そして開発の手伝いをしてきました。同時に戦争でこれらも使われることとなりまして、大量殺人の手伝いもすることとなります。特に後者は彼に苦悩を与えることとなります。
 それだけではありません。ノーベルは他にも悩み事がありました。
 前回書いたようにノーベルは生来病弱であったこと。そして、性格的にも孤独でつむじ曲がりなところがあったこと。また、鬱病でもあったようで、それにも悩まされたと言われています。そういった状況に戦争で彼の爆薬に対する批判.......これらはノーベルにとっては大変な負担であり、相当に大変だったようです。
 そして、こういった事が相まってか、ノーベルは早くからリウマチに悩まされ、そして1896年12月10日に死ぬ数年前からは心臓の発作に悩まされるようになります。そして、この発作に対して彼は薬を飲むこととなります。

 ところで、心臓発作に見舞われるようになったノーベルが使った薬とは何か?
 これ、腐れ縁と言うか何というか.......実はニトログリセリンでした。「は?」と思う方もいるかと思いますが、実際、彼が死ぬ前に書いた手紙にはニトログリセリンを服用するよう医者に言われたことが言及されており、「大衆を怖がらせないよう」に別の名前で呼ばれている事が記されています。事実、その頃には心臓発作の薬として、つまり医療利用としてニトログリセリンが使われていました。
 この経緯は何か?
 ソブレロによるニトログリセリンの報告の後、アメリカはフィラデルフィアのハーネマン医科大学のコンスタンチン・へリング教授がこれに注目をします。彼は友人の化学者にニトログリセリンを合成してもらい、そして実際になめてみるとソブレロの報告の通り激しい頭痛を引き起こしました。この原因を追及すると、ニトログリセリンに血管拡張作用があることが判明します。
 この効果に目をつけたへリングは、1853年にこれが狭心症に用いることが出来るのではないか、と考えるようになります。狭心症とはつまり心臓に栄養を与える冠動脈が狭まりまして、これによって心臓への栄養供給が低下して、更に心臓の働きも低下していく症状です。これにニトログリセリンを使えば? つまり狭まった冠動脈が血管拡張作用によって広がり、これで心臓の働きの低下を抑えられるだろう、と。
 ところが、これが認められるには長い道のりとなりました。
 原因は簡単でして........ニトログリセリンは狭心症に「有効である」と言う一派と「無効である」と主張する一派が対立したことによります。これは実際に有効であるケースと無効であるケースが存在していたようで、かなり激しく対立したようです。
 これが解決したのは1879年、当時若干26歳のイギリスの医師ウィリアム・ミューレルの論文によります。雑誌『ランセット』に掲載された彼の論文には、ニトログリセリン1%のアルコール溶液数滴を舌の上に滴下すると、脈拍が増加し頭痛を覚え、顔面が紅潮すると言うことが報告されていました。
 この報告に否定派は驚くこととなります。と言うのも、否定派も全く同じことをしていたのですが、何滴何百滴使おうが、一向にそのような効果が得られないと主張しました。
 両者の違いは何だったのか? ポイントは「使用法」にありました。
 ミューレルの報告は「舌の上に滴下」でした。一方、否定派は「飲み込む」と言うことをしていました。「は?」と思うかも知れませんが......これ、実は重要な差でして。真相を書けば、ミューレルの場合は「舌の上に置く」→「そのまま口内の粘膜に吸収される」→「血中に入って効果あり」と言うことに。一方の否定派のやり方は「飲み込む」→「胃の中」→「胃の中で分解」or「血中に入って肝臓で分解」と言う事で効果無し、と言うことになります。
 これは追試されまして、結果として「ニトログリセリンは飲み込むと効果はないが、舌下の粘膜から吸収されるように使うと効果がある」と言うことが結論されます。
 これによって、ニトログリセリンが狭心症に使えることが結論されます。
 そして、因縁かどうかは知りませんが、ノーベルは心臓の発作の薬としてこれを使うことになります。


 さて、このような狭心症治療薬は他にも作られました。
 実際、ニトログリセリンで揉めている1850年代には亜硝酸イソペンチルを主成分とする亜硝酸アミルが合成されていまして、1859年には人体への作用が、1867年には血管拡張作用などについての報告がされています。そしてニトログリセリンの議論が終わってこういった薬物は研究がされるのですが、作られたものは興味深いことに、いずれもニトロ基(-NO2:硝酸HNO3由来)あるいはニトロソ基(-NO:亜硝酸HNO2由来)を構造中に含んでいます。そういったことから一般に「ニトロ製剤」あるいは「亜硝酸製剤」などとこれらの薬は呼ばれています。これらは爆薬に使えるものもあります。


 いずれも基本的には硝酸、あるいは亜硝酸化合物、です。
 効果としては血管平滑筋の拡張でして、特に心臓冠動脈の拡張作用が注目されます。これにって心臓への血流(=酸素・栄養の供給)が増加することとなり、これによって狭心症治療に役立つこととなります。また、血管が拡張することで血圧が下がる(ニトログリセリンではこの効果が急のために頭痛を伴う)ため、血圧降下剤としても利用されています。
 これらの薬剤は構造によって利用法が異なります。ニトログリセリンや亜硝酸イソペンチルは即効性ですが、前者は口腔粘膜を通して、後者は鼻孔への吸入で使用します。他のものは大体は内服でして、消化管から吸収され、おおむね遅効性です。また、錠剤などが多いですが、パッチの様なものもあります(この場合は経皮吸収)。
 余談ながら、管理人の祖母が高血圧が過ぎて倒れたことがあるのですが、この時にも硝酸化合物(具体的には何かは忘れましたが)が利用されていました。パッチタイプで、胸に貼り付けて浸透させる物のようでしたけどね。
 ちなみに、前回触れた日本化薬株式会社は今現在はニトログリセリン製剤を医療向けにも製造しています。

 尚、何故硝酸化合物が有効なのか、と言うとこれには理由があるようです。
 .......念のため書いておきますが、別に体内で爆発させるわけではないですよ? 実際にはラジカル分子である一酸化窒素(NO)という物があります。このラジカル分子はニトロ基の構造中より放出されまして、これがニトログリセリン(だけでなくニトロ製剤)のもつ効果(つまり血管拡張作用)を発揮しているのではないかと言われています。つまり、その一酸化窒素を供給するニトロ基、あるいはニトロソ基があることで効果を出していくのではないかと言うことになります。これはその165でバイアグラ関連の話でcGMPと絡めむ部分ですが。
 この一酸化窒素、面白いことに当初は「有毒」と思われていました。しかし、1987年に血管の細胞から筋肉を弛緩する物質として一酸化窒素が知られる様になるとこの見方が一変。そして、その後の研究においてこれが体内で、免疫、神経、循環器系などにおいて重要な生理作用をしていることが分かるようになります。特に病気や健康に関連しているようです。
 尚、この物質を有効に利用している存在がいます。
 何かというと、吸血昆虫でして......これが血を吸う時に一酸化窒素を放出して血管を拡張させて血を吸いやすくしているとの事ですが......ま、きっちりと一酸化窒素の作用を利用しているということになりますね。

 そうそう。念のため書いておきますが。
 こういった薬剤は、一般にバイアグラの様なものとの併用は禁忌ですので、ご利用の際はお気をつけを。理由は両者ともcGMPが分解されず、結果的に血圧が急降下する為によります。
 ま、これをして行為中に死ぬと腹上死と言う事になるのかも知れませんが.......嫌ですけどね。


 さて、以上がニトログリセリンの医療利用なのですが。
 非常に因果というか因縁というか。アルフレッド・ノーベルはニトログリセリンで富を築き、ニトログリセリンで悩み、そしてニトログリセリンによって救われたという事になります。
 実に強い「腐れ縁」を感じるものがありますが。


 さて、アルフレッド・ノーベルといえば当然ノーベル賞の創始者として今に名を残します。
 この賞は彼のさまざまな経験と願いから生まれてきたことは言うまでもありません。この賞の創設については、鬱病が良くなっていた1895年の秋に2ヶ月ほどパリで過ごすのですが、この時にノーベル財団の設立とノーベル賞の基礎となる遺言をしています。これは弁護士の関与は無く、全て一人で書いたものと言われています。もっとも、これは3300万クローネという当時としては莫大すぎる財産を巡り、親族が異議を申し立てるなど色々とあったようですが........
 その問題となった遺言の内容は
 という物でして、更にこの遺言の執行人が選ばれる事となります。そして翌1896年にイタリアのサン・レモの別荘において心臓発作でなくなります。
 さて、ノーベルはまた賞の目的に「国家的偏見の解放」も含めていまして、「スウェーデン人によるスウェーデンのための賞になる」様なことを恐れたノーベルが平和賞の選考をノルウェー議会に任せるとしていました。これはさすがに遺言の公表後にスウェーデンの人々は大きく反発。これは当時スウェーデンとノルウェーの関係がこじれていたこともあり、かなり「売国奴」的な扱いを受けたとも言われています。ただ、結果的にはこれは「賞の運営はスウェーデン政府の管理下におくが、選考・指名に関しては口は出さない」ということで妥協(選考・指名はノルウェー議会が行うのは変わらず)しまして、ほぼノーベルの遺志に沿った形で財団が設立します。
 そして、1901年に最初の受賞が始まります。その最初の受賞者は物理学賞にW・C・レントゲン、化学賞にJ・H・ファント・ホフ、医学・生理学賞にE・A・フォン・ベーリング、文学賞にS・プリュドム、平和賞にJ・H・デュナン、F・パシーと計6名でした。いずれもそれぞれの分野に名を残す当時第一級の人たちです。
 ただ、やはり不満はあったのか第一回の授与式にはスウェーデン国王は出席しなかったそうですがね。

 ノーベル賞は基本的にはノーベル自身が出来なかった事を達成するために設立されたといいます。それは人類の福祉への最大の貢献と、そして平和に関して国家間の友愛を助長することであったと言われています。ただ、彼自身はその「平和」の達成のためには「互いの軍隊があっという間に破壊される様になれば、国家は戦争を起こされて軍隊を解散させるはずだ」という様な考えだったというようです。ですので、軍用爆薬を売りつつもそれが戦争を防ぐ事に繋がることを願ったと言われています。実際、1892年に熱心な国際平和運動の提唱者であり、一時ノーベルと恋仲になったとも言われ、その後も死ぬまで友情が続いたというベルタ・フォン・ズットナー女史(1905年ノーベル平和賞受賞)がノーベルにスイスの和平会議への参加を要請した時、ノーベルは「私の工場のほうがあなたの進める会議より早く問題を解決するかも知れない」といった返事を送っているそうですが。
 これはある意味、冷戦時代的な発想とも言えるかも知れません。
 ただ、それは当時の複雑な、帝国主義はびこる世界での事を考えると確かにそれも一理あるとも言えるわけで、特に非難する物では無いです。もっとも、実際には軍事力の拮抗は軍拡を生み出しましたし、冷戦時代にも東西両陣営における「核の突きつけあい」が起こり、現在でもそれは続いています。そして、いずれもノーベルの願いとは逆に軍隊の解散には繋がっていません。つまり彼の望んだ手法による平和は「完全に失敗」であり、また残念ながら平和そのものもまだ遠い、と言えるのが現実ですが。
 ただ、ノーベルの願った基本的な理念その物はさまざまな激動の時代を経ても、今なお確かに継承されているといえます。実際この賞は世界で最も権威ある賞として認知されていますし、実際それだけの価値があるものです。同時に最初はどうであれ現在のスウェーデンの国際的地位を高めている一因でもあります。

 尚、余談ながらノーベル賞は1969年に「経済学賞」が追加されます。この賞金はスウェーデン銀行が創立300周年を記念して、スウェーデン王立科学アカデミーに寄付した基金が充てられています。
 また、各賞の決定は物理学賞、化学賞、経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミーが、医学・生理学賞はカロリンスカ医学研究所、文学賞はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェー議会がそれぞれ責任を持っています。いずれも選考委員を選出し、数ヶ月かけて細かく調査をして調べ上げ、そして選定をしています。

 ところで、ノーベル賞にはありそうなのに「数学賞」が入っていません。
 一説によればノーベルは数学者と大げんかしたことがあって、それで数学が嫌いになったとか云々、と真偽不明の話が残っていますが。一応、数学の世界での「ノーベル賞」とされるものはありまして、「フィールズ賞」と呼ばれています。これはカナダのJ.C.フィールズによって創設された賞で、1936年から4年に1回、しかも40歳以下と言う制限で行われています。

 そうそう、ノーベルは元素にも名前を残していることは一応書いておきましょうか。
 「は? あるの?」と思われる方は多いと思います。科学者でもそれほど知らないかもしれません。なぜなら、この元素は超ウラン元素でして、原子番号102と完全に「普通では扱われることの無い」元素だからです。元素記号は「No」でして、ノーベルの名を冠してノーベリウム(nobelium)といいます。ただ、超ウラン元素でも特に重いほうにあるために不安定でして、最長半減期の質量数が259ですが半減期は58分です。
 この元素は1957年、スウェーデン、イギリス、アメリカの研究チームがスウェーデンのノーベル物理学研究所で244Cm(キュリウム:元素番号96=超ウラン元素)に12C(普通の炭素)イオンをぶつけて合成(その16参照)したと発表します。しかし、カリフォルニア大学のシーボーグ(この人も著名な科学者です)らが追試をしたものの確認できず、翌年にシーボーグらが246Cmに12Cイオンをぶつけて合成に成功します。その後、旧ソ連の研究グループも合成に成功しました。
 命名は各グループの合意に基づいて、ノーベルに敬意を表して命名されています。
 ただ、重くて安定が悪いのである程度の性質は分かっていますが、それほど詳しいものは分かっていません。


 さて、長くなりましたが........以上、ノーベルとニトログリセリンの「腐れ縁」と、その成果と関連する話ついての簡単な話となっています。
 ダイナマイトなどに関してはかなり伝記などが残っていますので、ノーベル賞設立の経緯とあわせてじっくり調べてもらえれば、また色々と知見が得られるかと思いますが......ただ、こういった薬に関してまではあまり触れられていません。
 こういう側面まで見る事で、ノーベルとニトログリセリンの「腐れ縁」を実感してもらえるかと思いますが........本当、数奇な運命、と言うものなのかも知れません。

 とにかくもダイナマイトだけでなく、ノーベルの平和への願いや人類への貢献と言ったものも一応知って欲しいものがありますが。
 ま、少なくとも「○○人が!」とか「○○年で▽▽人を!」などと言う「軽々しい」賞ではない、と言う事は頭に入れて欲しいものです。ノーベルが望んだのは「人類への貢献」で国家への貢献じゃありませんからね? どっかの国は勘違いしているようですけど、それこそ彼が望まなかったもののはずなのですが。
 彼の望んだ平和や人類の友愛、と言ったものはいつ本格的に達成されるか........現状を見ると色々と考えるものがあります。皆さんも是非、こういうものを考えてみては、と思いますがね。


 と言う事で今回は以上としましょう。




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 偶然にもプロットを作ったらノーベル賞で重なってしまったりしたんですけどね(^^; ま、とりあえずノーベルと彼の生涯につきまとうこととなったニトログリセリンの話でした。
 ま、色々と伝記などがある割にはノーベルの人、あるいはニトログリセリンとの付きあいと言うものは知られていませんので。ましてや医薬としても使っていたことはあまり知られていません。せっかくですので、こういうのも知っておくと良いかも、と思います。また、ノーベル賞を巡る話もまたあまり知られていませんので。
 せっかくですので12月1日の授与式を見る時にはこういうのを、とも思いますがね........

 さて、そういうことで一つ終わりですが。次回は何をしましょうかね?
 まぁ、とりあえず考えておくこととしましょう。良いネタがあるといいですけどね(^^;

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/10/29記述)


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