からむこらむ
〜その195:弓と毒〜


まず最初に......

 こんにちは。2月に入りましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 そろそろ受験シーズンですね........受験生諸氏がここを見ているとは思いませんが、とりあえず頑張って欲しいものではあります。

 さて、今回ですが。
 都合上、一回読みきりを考えなければならず結構あれこれと悩んだんですが。とりあえず、一つネタを思い出したので、その話をしてみようかと思います。
 それは、普通に自然にあるもので、同時に地味ながら歴史に関与し、そして現代でも大きな貢献をしている物質です。もしかしたら、皆さんの中でも関与する可能性があるかも、というものですが。
 それでは「弓と毒」の始まり始まり...........



 人類の歴史は闘争の歴史、というのは一般的な認識であると思いますが。
 人類が生み出した武器、という物はたくさんありますが、そう言った中で「飛翔武器」として分類される物を皆さんはご存知でしょうか? これは早い話「遠くへの敵へ当てるための武器」ですけれども、人類最初の「飛翔武器」はおそらくは石だったと考えられています。つまり、「投石」ですがこれも飛翔武器であると言えます。
 しかし、その後飛翔武器は発展していきます。
 発展した飛翔武器は槍(ジャベリン:投げ槍)などもありますが、世界的に見ると古代では概ね二つに分かれていると言えます。一つは石を投げる投石器でして、その代表的なものに遠心力を利用して石を投げる「スリング」があります。経済的に安上がりで簡単なため、古代では良く使われています。
 「たかが石でしょう」と思われる方もいるかもしれませんが、スリングは聖書でダビデがゴリアテを倒す有名な話でも使われたように、使い方によっては強力な武器で、熟練した人間が急所を狙えばかなりのダメージですので侮れないものはあります。
 もう一つはいわゆる弓矢です。
 飛距離、威力ともにスリングを上回る弓矢は、やがて遠距離の獲物や敵を倒すために狩猟や戦場の花形となります。特に戦場では組織的な戦いでは有効に使われる事となります。弓矢は大体長さによって短弓と長弓に分類できまして、大陸では主に短弓、日本や東南アジアの島々では長弓が特に発達したとされています。これを示すものとして、元寇を描いた「蒙古襲来絵詞」では元軍は短弓を持っている絵がありますが、対して御家人は長弓を持っているのはこれを反映しているといえるのでしょうか。

 余談ながら。
 日本では弓は世界的にも独特な発展をしていまして、武士の基本装備であった上に鎌倉時代には「弓馬の道」「弓矢の道」と言われる様に、武士の最低限の心得の一つでした。そして世界的に刀剣が「邪を払い、清め、そして守護するもの」役割を持ったように、日本では刀剣の他に弓矢もこれを担っています。破魔矢や、相撲の弓取り、神事で矢を射ることがあるのはその伝統ですし、また個人的にはとある古神道の神社で行われた薪能で、最初に清めの儀式として北東(鬼門の方角)とその反対側に弓を持ち、矢を射る(とは言っても実際には射ませんでしたが)事をしていたのはそう言ったものの延長といえるかと思います。
 そして鉄砲の伝来以降も重要視する傾向は続き、三十三間堂の「通し矢」といった競技は藩の名誉をかけるほどの物でした。それほど特別な地位にあったといえます。また、『平家物語』の那須与一の話では複数の鏃が登場していますが、日本の鏃の種類の多さは世界的に類を見ません。
 日本は非常に特徴的な弓矢の文化を持っているといえます。

 話を戻しましょう。
 ところで、大陸では短弓が主流と書きました。が、しかし長弓が無かったわけではありません。その本格的な戦場での登場は遅いものではありましたが、歴史を左右したものであるというのを皆さんはご存知でしょうか?
 ヨーロッパにおける戦乱は数多にありますが、英仏間で行われた百年戦争は歴史に残る大きな戦争の一つです。この戦争の緒戦において、英軍はこの中で長弓を有効に使い、貧弱な弓矢しかもたない仏軍を打ち破っていきます。もともとイギリス(というかイングランド)は長弓を重要視していたようで、13世紀のエドワード1世がスコットランド征服の際に弓兵を効果的に使うなどしていました。実際にこれはかなり有効だったようで、その後も戦術的に重要なものとして弓兵が重視されます。
 そもそも弓はその材質が重要なのですが、その最上のものとして挙げられるものにイチイがあります。そして、イギリスでは南ウェールズ原産のイチイが取れました。つまり強い武器の原料があったわけでして、実際にその地にいたケルト人はこれを武器の材料に使いましたし、後のイングランド国王はイチイの栽培を良く推奨したと言われています。
 もちろん「もし」は歴史では禁句ですけど、「もし」イチイがなかったら? 歴史は変わっていたのかもしれませんけどね。
#もっとも、後に「オルレアンの処女」ことジャンヌ・ダルクの働きなどでイングランドは大陸から追い出されますが。


 さて、ここで登場したイチイという植物ですが。
 この植物はイチイ科イチイ(Taxus)属に属する山林に自生する植物でして、マツの仲間の常緑針葉樹です。比較的広い地域で見られまして亜寒帯〜温帯地域の湿潤な土地に見られます。色々と種類もありまして、高さも20mになるものから、比較的低くなるものまであり、そう言ったものは庭園に植えられる事もあります。
 種類は多岐にわたるようで、日本のものは学名をTaxus cuspiadataと言います。が、北米産で「Oregon Yew」、「Pacitic Yew Tree」と呼ばれるT. brevifoliaがありますし、ヨーロッパではT. baccataといったものがあります。英名は普通に「Yew」です。他にも種類はありますが、北半球に8種あります。
 日本語では「檪」「水松」あるいは「一位」などと書かれますが、東北・北海道ではアララギ、またはオンコとも呼ばれています。他にもキャラなど呼称は多くありますが、一般的な和名の「イチイ」はもともと「一位」に由来するようで、これは昔貴族などが用いていた笏(正装の一つ:平安朝の貴族が手に持っている板でメモに使われた)に使われていた事に由来するようです。
 利用価値は高く、庭園樹や生け垣として使われます。また、心材は加工性・保存性が優れているとされ、彫刻材や床柱、風呂桶などの家庭用品、あるいは鉛筆の材料などに最適と言われています。他に心材の抽出液は蘇芳色の染料とも用いられます。また、一方で固いために古くは武器として使われ、主として棍棒や弓の材料にも使われました。これは大分使われたようで、学名のTaxusはギリシア語の「弓」を意味する「Taxon」に由来するとされています。
 ただ、成長が遅い植物ですので最近は減少傾向となっていますが.......

 尚、日本では弓の材料は梓、檀、槻、ハゼ、ケヤキ、竹などが主に使われています。イチイも使われているようですが、あまり主力ではないようです(複数の材料を用いて弓を作った事もあるでしょうか)。しかし、例えば竹などを使った「弓胎弓(ひごゆみ)」は三十三間堂の通し矢で用いられ、最大射程距離400〜450m、有効射程距離200〜250mと驚異的な威力があります。
#強弓などは張力300kgで4人がかりで弦を張るという様なものもあり、そこまで行けばかなりの威力があったと思われます。
#当然、相当な強者でないと引く事もままなりません。

 ところで、イチイは甘い実をつける事が知られています。
 比較的昔にはこの実の果肉が良く食べられたようで、なかなか美味しいと言われています。年配の方で食べた事のある人も結構いるのではないかとも思いますが........動物も食べる事がある上、鳥も大分好きなようで、丸のみにして食べる事があります。
 しかし、困った事にイチイは毒を持つ事が良く知られています。
 イチイは枝や葉などに広く毒をもっていることが知られています。しかもこれによる事故が多く、家畜などが食べたりして中毒死する事件が大分あるようです。しかし興味深い事に果肉には毒が無い事が知られており、この為に食べる事を可能としています。もっとも、種子には毒が含まれていますので、うかつにかみ砕くと死に至ります。
 こういった事故は大分あるようです。実際、ここら辺を利用したミステリー小説がアガサ・クリスティーなどでいくつかあるそうですが。
 ただ、鳥が丸のみしても平気なのは種が未消化で出てくるからでして、そういう意味では「うまく食べれば」問題はないといえます。もっとも、人でやっても「うまく」いかなくて事故、という事が結構ある様で、実際に中毒している人は結構いるようです。

 さて、このように毒を持つ事から、イチイにまつわる伝承・伝説はまた特徴的なものがあるようです。
 例えば、古代のギリシアでは悲哀・死のイメージから下界のシンボルとされて墓に植えられた様です(日本のヒガンバナみたいですが)。ローマ神話でもイチイは登場しまして、復讐の女神フリア(Furia)が手に持つたいまつはイチイであるとされています。また、大プリニウスはイチイの毒にちなんでか、イチイの木陰で眠ると死に至ると書き残しているようです。
 ちなみに、イチイの学名Taxusは英語で毒を意味する「toxin」の語源になったという話もありますので、相当に事故があったと同時に、そう言った死のイメージがどこかしらまとわりついていると言えるのかもしれませんが........
 一方で、ヨーロッパ南部ではイチイは魔よけに使われていたようで、イチイの十字架は良く用いられたようです。魔よけとしては大分信仰があったようで、ドイツのシュペッサルトという地方では「イチイの前で悪い魔法はきかない」という様な格言があると言われています。こういった毒が特徴の植物がまた魔を避ける為に使われる、というのがなんとも興味深いものはありますが。
 また、一方でイチイは弓に使われたと書きましたが。
 これを反映した話もありまして、北欧神話に登場する弓矢とスキーの神ウル(Ullr)は「イチイの谷」を意味する「ユーダリル」に住むとあります(この神は北欧神話でも有名な「グリームニルの歌」等に名が出ます)。これは弓とイチイの関係を示すものであるといえるでしょう。

 では、この毒の成分は何か?
 この毒性分は知られていまして、タキシン(taxine)と呼ばれています。とは言ってもそう言う化合物があるのではなく、実際には混合物です。その主となるものはアルカロイドのタキシニンと非アルカロイドのタキシシンで、いずれも毒としての効力があります。


 専門的に見ればジテルペノイドの一種です。
 セイヨウイチイではタキシシンI、タキシニンIを、日本のイチイではタキシシンII、タキシニンIIが成分となっています。基本構造は共通していますが、タキシシンは窒素を含むためにアルカロイドになり、タキシニンは窒素を含まないのが特徴となっています。
 ただ、一つ注意なんですが。
 ここら辺は不思議な事に資料でごちゃごちゃしていまして、実は管理人自身も結構混乱していたりします。タキシンの定義は森北出版の化学辞典に拠りましたが、タキシシンを指してタキシンとする資料も多くあります。
 ま、管理人の力不足もあるでしょうが、実際に手持ちの資料を探すと結構曖昧だったり、専門書でも構造を載せていない(後述するタキソールは重要なので載せてあるんですけど)のでこの点は少し注意したほうが良いかもしれません。
#尚、理化学辞典ではタキシンはタキシシンを指すようですが分子式(C37H51O10N)のみで構造がなく、タキシンとともに単離され、更にタキシンのホフマン分解(化学反応の名前)でタキシニンが出来る旨が書かれてあるのみです。

 タキシンの毒性は比較的高く、家畜だと1〜10g/kg程度で馬だと更に低いとされています。ただ、個体差が大分あるようで、比較的ばらつきがあるようです。人だと種子で4〜5粒程度だそうですが。
 摂取した場合、消化器から吸収されて心臓へと作用し、血圧の低下や心停止を引き起こすとされますが、しかし症状があまり一定しないようで、例えば筋肉の痙攣が見られたり、あるいは硬直したりとこれも差があるようです。実際、イチイを食べて死んだ家畜の解剖では、内臓へのダメージの度合いがあまり一定しないようです。
 ただ、致死量の場合はいずれも致命的な結果を引き起こすのは確かとなっています。死に至る場合はかなり速やかであるようです。
 もっとも、量が毒を成す、というのは以前から触れている通りでして、イチイの葉を煎じて飲む事で利尿作用があったり、腎炎や糖尿病に有効、また血圧降下作用があるために高血圧に有効である、という事で利用している人もいるようです。

 さて、このような毒でも薬でもあるイチイの成分ですが、実はタキシンは重要な物質とはあまり言えません。
 何故か? 実はこれよりももっと重要な、人類に貢献しうる物質がこのイチイより見つかった事によります。

 その物質は何か?
 T. brevifoliaの樹皮を研究していた科学者は、この樹皮からタキソール(taxol)という化合物を分離したと1971年に報告します。この後、タキソールが研究され調べ上げられていくのですが、やがてこの化合物に非常に有効な制ガン作用がある事が発見されます。これは大きく、当初は白血病に有効であるとされたのですが、やがて難治性の卵巣癌や乳癌にもその効果がある事が判明します。
 この為、タキソールは新規のガンの治療薬として一気に注目を浴びる事となります。


 構造は基本的にタキシンと共通する部分が多くあります。ジテルペノイド系アルカロイドですが、専門的には側鎖に窒素(アルカロイドに必要な部分)がある、という事で少し『珍しい」タイプのアルカロイドとなっています(通常は基本骨格内(=今回なら右側の骨格内部)にある事が多いので)。

 制ガン作用については研究の結果、この化合物は細胞分裂の阻害(専門注:紡錘体の形成に必要な微小管を構成するチューブリンのβサブユニットに結合し、微小管の構造異常を引き起こす)作用があり、これによって効果を出す事が判明しています。
#専門注:コルヒチンも同じ微小管に作用しますが、機構が異なります。

 さて、効果的な抗がん剤であるという事で当然期待がされるのですが........
 しかしこの化合物は難点がありました。それはとれる量が非常に少ないという点でして、この化合物は樹齢100年のT. brevifoliaからとれる樹皮3kgよりせいぜい0.3〜1g程度がとれるに過ぎません。更にイチイは成長が遅い事も手伝って、容易に得られない。
 では、一から合成してみては?
 当然そう考えるのですが.........一応、世界中の名だたる研究グループが挑戦し、全合成は1993年に成功しています。が、しかしそれもかなりの苦労がありまして、有機化学を学んでいればわかる通り、合成が複雑で手間(不斉炭素もたくさんありますし)。とても安価に出来るものではなく、どうにも一からの合成は都合が悪い。実際、一からの合成による工業的な生産は難しく、現在も行われていません。
 ただ、これをあきらめるのはあまりにももったいない。という事で研究された結果、イチイの葉より比較的大量にとれる(1g/kgぐらい)10-デアセチルバッカチンIII(10-deacetyl baccatinIII)やバッカチンIIIから合成するという方法などが考えられ、実際にこれで生産が行われて臨床に供されるようになります。


 これらの化合物はタキソールの側鎖がついていないものですので、その部分(構造中の一番左の「HO-」のところに)をつけてやる事でタキソールを作る事が出来ます。これは一から作るよりは圧倒的に楽ですし、更に安価に済む利点があります。
#実際、工業的な側面は重要でして、こういう工夫は非常に重要となっています。

 一方でT. brevifoliaに付着する微生物を調べたグループがありまして、彼らの研究の結果、樹皮から単離した約200種のカビの中の一種がタキソールの生産能力を持つ事を確認します。Taxomyces andreaneと命名されたこの微生物は、24〜50ng/lというタキソールの生産能力があり、培地の工夫(寄生した植物から化合物を作るケースがあるため)などでこれを改善できればタキソールの安価な提供が可能ではないかと考えられているようです。

 さて、こういったタキソールですけれども。
 現在は抗がん剤としてかなり期待されていまして、同時にその生産技術の改善は大分研究されているようです。実際に工業生産されて臨床の場に供されている事を考えれば(日本でも1997年頃から登場しています)、ある程度の供給は出来ていると言えるのでしょう。
#尚、現在は基本的に乳癌、胃癌、卵巣癌、非小細胞肺癌(最近話題のイレッサもこのタイプの肺癌に有効)に対して使われます。
 しかし、実際には定番とも言えますが副作用があるのも確かですし、また更なる改善を行うためにもタキソールの構造を元に薬剤の改良も研究されています。
 将来的には更に良い薬剤が出来るのかもしれませんね.........


 さて、以上がイチイの話ですが。
 ま、色々と書けばまだあるものはありますけれども。以上に書いたように弓を語源とし、毒の語源になる植物で、その名の通り昔の有効な兵器の元となる植物であり、また死に至る毒を持った植物です。が、現在期待されている抗がん剤を生み出す植物でもあります。
 人を生かしたり殺したり、というのは今まで「からむこらむ」で何回か扱っていますが。そう言う物の中にこういった植物がある、というのはなかなか興味深いのだと思いますし、また覚えておいても、と思いますがね。


 さて、長くなりました。
 今回は以上という事にしましょう。




 はい終わり、と。

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 え〜、一回読み切りという事でネタを探しまして(^^; まぁ、ここら辺にしようかなぁ、と思っていたんですが。とりあえずはまぁ形にはなったようですけどね.........まぁ、今まで何回も「毒にもなるし薬にもなる」という物の話をしてきましたが。今回もその中の一つ、です。そして、実際に色々と期待されている制がん剤となっています。
 もしかしたら皆さんもお世話になるかも? という事で、頭の片隅にでもいれておいてもらえれば、と思いますが.......まぁ、使わないで済むに越した事はないですけどね。

 さて、そういうことで終わりですが。え〜、次週は管理人がいないので一回お休みにします。次は再来週の18日頃になるでしょうか。
 で、ネタはとりあえずやろうかなぁ、というのが一つありますので。大ネタになるかと思いますが.......まぁ、ちと面白い話をしてみようかと思います。はい、大分民俗と伝承にまつわるものにはなると思いますが、以前からやろうと思っていたものです。
 ま、どうなるか........(^^;

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2003/02/04記述)


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