からむこらむ
〜その79:クレオパトラの涙〜
まず最初に......
こんにちは。いよいよ8月ですね。相も変わらず暑さが続きますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
最近は夏バテも大分聞かれますが...........これからが夏本番。くれぐれもお気を付けを。
#尚、管理人は今週もふらふらです(爆)
さて、今回も前回に引き続いて「におい」についての話。
前回は食品の「におい」と基本を中心にしました。が、これだけでは何ですので、花などの植物、化粧などに関わる「におい」を雑談的にやってみたいと思います。
まぁ........余り深くやるとキリがないのですが(^^;; 取りあえず簡単に、と言うことで。
それでは「クレオパトラの涙」の始まり始まり...........
最初に、バラの香油にまつわる伝説から.........
時代は16世紀。当時のインド、ムガール帝国にはヌール・ジャハーンなる王妃がいました。この王妃はある時、あるものを発見します。伝えられるところによれば、王妃の夫であり王であるジャハジール王は次のように述懐しています。
「このバラの花精油は、王妃がバラ水を作っているときに見つけたものだった。受け皿にバラ水が注がれるたびに、水面に細かい泡ができ、そしてその泡をすくい上げてみると、バラが一斉にに咲いたような香りが辺り一面に広がった。それは疲れた心を癒し、しおれた魂に活気を与えるものだった............」
この結果、王は香りを発見した王妃に褒美として真珠の首飾りを与えた、となっています。
この伝説、バラ香油を最初に見つけた、という話になっていまして...........このバラ香油、通称「アタール(attar)」(バラの花の花精油)は現在でも高級品として珍重されているそうです。
さて、冒頭の話。前々回に出た、「香道」の発端に続く、いわゆる今で言う「アロマテラピー」の走り、なのかも知れませんが...........「におい」という物は様々な「働き」を持つことはすでに前回、前々回で述べました。今回は、「食品」ではなく、植物の作りだす、香水などの「におい」.........について、いくつかかいつまんで触れてみましょう。
五月の新緑の頃。林や森などを散策.......いわゆる「森林浴」をするとなかなか気持ち良いものである、と言う経験をお持ちの方はいらっしゃるかと思います。
さて、この森林浴。いわゆる「青葉の香り」を楽しむ、というのもあるのでしょうが..........この青葉の香りが人の心を和ませる、という話もあります。これは根拠が無いわけではなく、ある種の物質が植物から放たれており、それが嗅覚を通じて人に作用している、と考えられています。
この様な「植物が放出する化学物質で他の生物に影響を与える」という物質を「フィトンチッド」と呼んでいます。
さて、この青葉の香り。どういう物質かというと............生命の維持に必要な物質に「脂肪酸」というものがあります。その中でも(聞いたことがあるかも知れませんが)「リノレン酸」と呼ばれる不飽和脂肪酸(二重結合を持つ脂肪酸)という物が樹木の若葉に存在しています。この物質がどうなるかと言いますと........リポキシゲゲナーゼという酵素が作用しまして、このリノレン酸を分解し、3-シス-ヘキセナール(3-cis-hexenol)という(アルデヒド)化合物を作りだし、更にこれが三つのアルコール物質、3-シス-ヘキセノール(3-cis-hexenol)、3-トランス-ヘキセノール(3-trans-hexenol)、2-トランス-ヘキセノール(2-trans-hexenol)に変化します。
これらの分子の匂いの「カクテル」によっていわゆる「春の森の香り」が出てくるとされています。特に、3-シス-ヘキセノールは通称「青葉アルコール」と呼ばれており、これらの「春の森の香り」の主成分、とされています。
さて、では最初に触れたバラの香り。これはどういうものかと言いますと.............
バラの香り分子はすでにある程度確定されており、β-ダマセン、ネロールオキシド、ローズオキシド、ゲラニオールと呼ばれるような分子が知られています。
バラの香りの主成分となるβ-ダマセンはブドウ、リンゴなどの香りの元にもなる物質でして、5×10-13g程度で人間の嗅覚が感知可能です。上記の化合物はブドウやワインなどにも含まれており、それらの「におい」に対して寄与しています。
ちなみに、バラの香りというものは古今において珍重されているようでして、ある種の香水には前回触れたリモネンや、ジャスミンの芳香成分であるジャスモン、そしてこのβ-ダマセンなんかも成分としてはいっている、という事ですが.........
#でも、「あ、β-ダマセンが入っていますね」ってかぎ分けられる人は何人いるのかは.......?(^^;;
さて、ここでちょっと専門的な話ですが...........
上記の4つの化合物。実は見る人間が見れば「構造が似ている」化合物になります。と言うのは.......実は、これらの化合物。合成される過程で「出発物質」が共通しているから、です。
前回簡単に触れたのですが...........様々な物質は、酢酸(正確には「アセチルCoA」という物質ですが)より合成されます。その物質から生まれるものは非常に様々でして.........最終的には香気成分やアミノ酸、核酸や栄養など様々な物になっていきます。それらを生みだすプロセスから様々な「経路」という物があるのですが.........その中の一つに「メバロン酸経路」という物があります。
この経路は生体では非常に重要な経路でして、例えばビタミンAの様な「カロチノイド」と呼ばれる物や、ステロイドの様なものを作りだしていきます。このメバロン酸経路。酢酸よりあれこれと反応を経て「メバロン酸」という化合物を作りだし、そこから更に「炭素5個」を骨格とする化合物を作りだして行く経路であったりします。
この炭素5個の骨格。メバロン酸経路から作りだされるものは「イソプレン骨格」と呼ばれる、イソプレンという化合物が「連なった」物(とは言っても、単純に「横に並んでいく」のではなく、環状化合物を作りだしたりもしましすが)であり、このイソプレンが連なってできた化合物を一般に「テルペン類化合物」、または「テルペノイド」と呼んでいます。
テルペノイドは自然界では非常に重要な位置を占める化合物でして、おそらく天然に最も広く分布する植物成分であると考えられています。
さて、この手の化合物の基本骨格は「炭素5個」ですので、炭素5個(C5)、10個(C10)、15個(C15)、20個(C20).........という形で増えていきます。C5の基本骨格を持つテルペノイドを「イソプレノイド」、C10の場合は「テルペノイド」、C15の物は「セスキテルペノイド」、C20は「ジテルペノイド」と呼んでいます。
ま、どういうタイプの化合物があるかピンと来ませんので...........一応、C30なんて物もありますのでそれを例に。
一応、炭素5個の骨格、って意味が分かるでしょうか?
ちなみに、このスクアレンはコレステロールやステロイドの基本骨格を作りだす化合物であったりします..........って、そのプロセスは完全に天然物化学と有機化学が必要ですが(^^;;
このテルペノイドはカロチノイドやステロイドの他にも、「蚊取り線香」の主成分である殺虫剤であるピレスロイド(その40参照)、ホルモン類や毒、薬。匂いの成分で言えば、前回触れたリモネン(C10化合物。ゲラニオールからできるのですが気付くでしょうか?)、ペパーミントの香りである「メントール」など、非常に幅広い化合物であります。
こういうのを知ると、その21の下の方にあるビタミンAの構造とβ-ダマセンの構造。似ている、とか思いますし、ステロイド骨格を持つ物の出発物質から合成経路などを考えたり...........(例えば、その9のアフラトキシンなど) 結構、好きな研究者にはたまらないもの、となっています(^^;;
#化合物から合成経路推定って結構楽しいので(^^;;;
ちょっと専門的に脱線しましたが(^^;
さて、話をちょっと戻しまして..........これらのテルペノイドを初めとする香気成分ですが、最近は機器分析の発達から、ガスクロマトグラフィーと呼ばれる技術や質量分析、そして様々なデータから構造が判明し、場合によっては合成されたりして「単品香料」として得ることができます。そう言った香料は安価にできる場合には合成されており、様々な局面で利用されています。
さて、ではそういう香料がどれほどあるかと言いますと.........現在天然香料で約1000種類。合成物で5000種ある、と言われています。こういった香料をもって調香師により、香水が作られています。
さて、合成香料と言っても色々とありまして........いわゆる「天然と同じ構造」でも合成すれば合成香料ですし、天然物に「似た」構造の物を合成して作ることもありますし、また完全に天然には存在しない人工芳香化合物、という物もあります。最初の二つの場合は、合成のし易さや合成原料の値段などが大きく関与します。
で、どういう合成香料があるかと言いますと............以下にいくつか挙げておきます。
バラ、今回触れているので少し構造を比較してみると面白いかもしれません。バニラは前回構造を示している通り、バニリンになります。ユリとジャコウは結構似ています。が、上記のジャコウは完全な人工の芳香化合物でして、実際の天然のものとは全く違う構造を持ちますが、似た香りを持っています。ジャスミンは天然の物は環につく側鎖に二重結合がありますが、人工のものはありません。匂いは天然よりも若干落ちる、そうですが..........
尚、同一化合物の場合の天然と合成コストの違いですが、一個例を挙げておきますと..........フランスで、Vanilla plannifoliaという植物の鞘から得られる天然のバニリン(前回参照)は1kg辺り25,000フランだそうです。が、合成すると100フラン程度、となります。当然「どっちが効率良いか??」となると........後者となります。一般的にはバニラアイスやチョコレートに対する使用量が非常に多いので、合成バニリンを使用したほうが効率が良いのは確かです。が、消費者は当然「どっち?」というのを知りたがりますし、また「天然の方が良い」という傾向がある、と言うことでアメリカでは天然・合成の表示義務がある、という事だそうですが..........
さて、一般では「天然のものが」という傾向があるわけですから、当然ながら「合成物を天然物と称する」不埒な輩が出てくるわけでして.........もちろん成分は一緒ですから「ばれない」という事になりまして、結構詐欺があった、という事です。もちろん、このバニリン以外でも類似の事件があるのですが.........では、ばれないのか? というとそういうものではないです。実は判別できる方法があります。
何か?
ここで、活躍するのは.........「同位体」でして........政府の取締り機関は、天然物と合成物のバニリンの構造のうち、6個の水素の同位体(その10参照)の存在比(1Hと2Hの存在比)が異なることを見つけ出しました。と言うことで........機器分析によってこれを調べてしまうと.........あっさりばれてしまうことが判明します。
#専門向け注:合成物と天然物のH/D比が違う事を利用して、2H、13C、17OのNMRを使用することで原子状態を調べてしまうと言う方法です。
#ここに行きつくまで「騙しあい」があったようで結構苦労しているのですが(^^;;
ちなみに、これの類似事件が日本でもありまして........例えば、「酢」。調味料として必要なものですが.........「我が社は天然物を使っています」という会社が出てきました。が、実はこの会社が結構な食わせ物でして、「天然物1%、合成物99%」みたいなことをしていたそうです(実際の比は知りませんが)。つまり「天然物を使っている」のは確かなのですが極一部であって、ある意味消費者を騙しているということをしていました。
さて、そういうわけでこういう事をしているのではないかと指摘したところ、「じゃぁ、証明してみろ!」ということになりまして...........会社側は「無理だろう」と思っていたのですが、これを証明してしまった出来事がありました。
天然で酢を作る場合、酢酸菌という菌を利用して発酵させて酢酸を作る、という微生物を利用したプロセスを経て作るのですが、この際できる天然の酢と合成の酢を比べると上記のバニリンのように同位体比が異なってくる、ということがわかりまして......... 記憶によれば、その44で触れた放射性同位体を利用して、菌が取り込む原料の放射性同位体の炭素と合成の物の放射性炭素の割合を調べる、という話だった様に記憶しています。
で、上記方法を用いて調べてみた結果..........会社側は謝罪、ということがあったそうです(^^;;
尚、機器分析の発達ですが........折角調香師が調製した香水が、機械の分析によってあっさりその成分と割合が判明してしまう、ということもあるようでして...........
話によれば、そういう意味での戦いがある、という話もちらほらと聞きますね............
余談ですが、こういった香水の調製もかなり苦労があるようでして、例えばマリリン・モンローで有名な「シャネルの5番」。これは1924年に「香りの魔術師」とも呼ばれた南仏グラースの天才調香師「E.ボー」という人物によって作られたものだそうでして、完成するまでに3年を要した、と言われています。
この「シャネルの5番」と言うのは素材に「これ、本当に関係あるの?」と思われるようなものを混ぜて作りだした、ということですが..........
.......っと、大分長くなりました。色々と書きたいこともあるのですがスペースがありません。
そろそろ締めましょうか。
さて、ここでタイトルについて触れていませんので、これに触れてラスト、としましょう。
管理人が学部生の頃。ある講義にて管理人の研究室の教授(すでに退官されていますが)の余談があったのですが.............
時代はかなり前.........話によれば2,30年前って話だったか? この教授の友人がエジプトまで旅行してきたそうでして...........この教授にお土産を買ってきたそうです。その名も「クレオパトラの涙」(実はこの名称が曖昧で「雫」だったか「瞳」だったかという記憶もあるのですが、取りあえず「涙」にしておきます(^^;)。曰く、香水、との事だそうですが............
さて、この教授。研究室は合成が多い、と言うことで当然色々と薬品を使ったことがあるわけです。で、この香水の匂いを嗅いでみると.........「???」 どっかで嗅いだことがある匂い..........? はて?? 首をかしげた教授。早速自分の研究室の機器の所へこの香水のサンプルを持っていって、機器分析(ガスクロマトグラフィーを使用)したところ............通常、「香水」と言うものは複数の「においの成分を調合」して作るものですので、たくさんの成分があることを示す、はずですが...........出てきた結果は「一種類の化合物」ということでした。「はぁ!?」と思い更に調べてみたところ............
この「クレオパトラの涙」の正体。実は、化学屋では合成原料として御馴染み、ニトロベンゼンだったとか(笑)
この化合物、有毒で皮膚からの吸収も早く、肝臓や神経系を冒す、とのことで.............(^^;;
で、この教授の出した結論「海外の土産は友人のものでも気を付けたほうが良いと思った」だそうで............
お後がよろしいようで..........?
書き足りないけど、スペース無い(^^;;
さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
今回も思考能力があまりよろしくなかったのですが.........まぁ、専門っぽくなったり大与太的になったかなぁ、と思います。結構楽しめる部分もあると思いますが。「そう言うのもあるんだ」と思っていただければ嬉しいです。
まぁ、本当はもっと色々とあるんですけど、それこそキリがないですので(^^;; そういう部分はまた別の機会に、と思います。
ま、楽しんでいただければ嬉しいです。
さて、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
次回は.......決めていません(^^;; っつぅか、最近暑くってあんまり思考力が働いてくれないのですが(^^;;;
まぁ........何か選んでみたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに.............
(2000/08/01記述)
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