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〜その25:ナポレオン暗殺事件〜


まず最初に......

 こんにちは。先週末に熱が出て、それ以来今一つの管理人です。 いやぁ、気温の変動が乱暴で乱暴で........ついていけません(T_T) 皆さん.......お気を付けてm(__)m

 さて、今回は上記のような有り様で、全くネタの熟成が出来ませんでした。が、まぁそれ以前に考えていた物もありましたので、そのお話。 彼の有名な「英雄」にまつわる一つの「疑惑」についてのお話を............ まぁ、元素のお話なんですけどね。
 あ、完全に読み物になります。気楽に読んでいってくださいませ。
 それでは「ナポレオン暗殺事件」の始まり始まり...........



 1769年8月15日。当時フランス領であった、コルシカ島(今はイタリア)に、一人の男の子が誕生します。 彼はさまざまな差別を受けながらもフランス軍砲兵将校として活躍し、フランス革命の頃に王党派の叛乱を鎮圧。そしてイタリア遠征軍司令官、エジプト遠征軍司令官を経て、1799年にクーデターを起こして第一執政に就任、数年後に終身執政に就きます。そして、1804年。自ら皇帝に就き、ヨーロッパの各国を制圧してその権力を手中にしました。が、対英政策に失敗したことからプロイセン・イギリス・ロシアと敵対し、1812年にロシア遠征に出るも冬将軍によって敗退。翌年にライプチヒで敗退し、更に翌年にロシア・オーストリア・プロイセンにフランスを侵攻され、パリまで占領されるに及んで退位。エルバ島に流されてしまいます。 しかし、翌年にエルバ島を脱出しフランスに帰還、国民に嫌われてイギリスに逃げたルイ18世に代わって再度皇帝に就くも、ワーテルローの戦いで敗北してイギリス軍にとらえられてしまい、セント・ヘレナ島へ流されてしまいます。
 そして、1821年5月5日。「英雄」ナポレオン・ボナパルトはその生涯をセント・ヘレナ島で閉じることとなります......... 死因は胃ガン。死亡診断書への署名には、アントマルク博士の署名。 彼の死の一週間前に書かれた遺言状には、「余を死に至らしめたのは、イギリスの寡頭政治と、それに雇われた殺し屋である」と書かれていました。また、死の6日前には、彼は侍医に「私は遠からず死ぬが、その時には私の身体を解剖してもらいたい」という遺言もまた、残していたと伝えられ云々...............

 さて、冒頭からフランスの「英雄」ナポレオンの生涯を簡単に書いてみましたが.......... この英雄は、ヨーロッパではかなりの存在のようで、彼を慕う人は今でも多いと言われています。粗野な人でありながら、人心をよく掌握し、巧みな戦術を用いて敵を破り.........敵からも味方からも尊敬され、そして恐れられた英雄............ 彼の死亡が公表されたとき、その発表をうのみにした人は少なかったとされています。 端的に言えば、「彼は暗殺されたのではないだろうか?」と疑う人が多かったのです。
 では、この英雄を殺したのは、何だったのでしょうか...........?
 銃殺?いや、それならば胃ガンとは発表されませんね。遺体を見れば分かってしまいますし........外傷のあるような暗殺法は行われていません。 となると.........出てくるのは「薬物」となります。そう、いわゆる「毒物」になりますが........... では何か?
 当時にはすでに毒物というものはかなり知られており、そして暗殺に所々使われていたと言われています。 では、ナポレオンは何に殺されたというのか.........? 彼に知られることなく、しかし着実に彼の命を縮めさせる物............
 答えは意外なところから出てきます。

 彼の死後の約140年後........つまり、現代。スウェーデンのイエテポリに住む歯科医師、ステン・フォーシューフット(フォシュフブット)という人物がいました。彼はナポレオン崇拝者(マニア?)であったらしく、この英雄に関するものを収集していたりしたのですが.........1955年、ナポレオンの従僕頭であったルイ・マルシャンの回顧録を読んでいた彼は、マルシャンのナポレオンの死の情景に関する描写に突き当たっていました.......... その克明な描写を突き詰めていくうちに..........彼はある事に気付きます。 そう、ナポレオンの症状が、ある毒物の慢性中毒と一致することを.........

 では、この歯科医が気付いた毒物とは何だったのでしょうか?
 答えを言いますと、その毒物とは「ヒ素」として知られる毒物でした..........

 先を続けましょう。
 こうして疑惑をもったこの歯科医師は、イギリスの、グラスゴー大学の法医学者ハミルトン・スミスと共に140年も前の殺人事件の真相解明に乗りだします。 彼らが最初にやった事はこうでした........世界各国の博物館にあてて、依頼状を出します.........「ナポレオンの遺髪がそちらのコレクションにありませんか?」 この「奇妙な」依頼は、各国の博物館に届けられ、そしてついに彼らは死後数時間に切り取られた頭髪を入手します。
 さて、何故頭髪かと言うと、これは簡単な事で、ヒ素は頭髪に蓄積するからという理由でした。 もちろんごく微量のヒ素は体内にありますし頭髪にもあるのですが、もし頭髪にあるヒ素が通常量よりも多かったら..........? そう、何者かによってヒ素がナポレオンに投与されていたのではないか.............?
 しかし、当時はまだごく微量の分析技術には難が多く、化学分析では感度が良くないために誤りが生じるかも知れない..........という障害が出てきました。 彼らは「確かな」ものが欲しい......... と、ここでスウェーデンの物理学者が調査に入ってきました。 何をやるか? ここで出た方法は...........放射化分析という、手段を用いることとなりました。

 天然のヒ素は非常に安定な元素で、放射性元素は無し.......と言うよりも、同位体が一種類しかないという元素です(その10参照)。 では、この元素に中性子を当ててやると........そう、不安定化してしまいます(その16参照)。そして、人工的の放射性元素が出来上がります。放射性元素は不安定なのでその元素は崩壊していきます。そして、そこから生じる放射能を測定してやれば.........
 放射線というのは、非常に微量でも探知できるという特徴があり、これを用いれば何と、100億分の1グラムの様な微量の物質の測定が可能となります。 つまり.......中性子を試料に照射して生じる放射能の強さを計ってやれば.........(量に比例して強くなっていきますので)。

 こうして放射化分析を行うため、手に入れた頭髪の1本はアルミニウム管に収められ........そして、原子炉の中へ数時間置かれました。 そして、頭髪を取りだし、分析を行うと.........確かにナポレオンの頭髪にはヒ素が含まれていました。その量、常人の平均の13倍。これで彼らの立てた推測.......「暗殺」の線がかなり濃厚となってきたと、彼らは考えました。
 そして、1961年10月。イギリスの有名な科学雑誌「ネイチャー(Nature)」にナポレオン毒殺説が報告・公表されます。 が、しかしすぐに反論が出ました。 その中心となったのは、フランスの専門家。 確かにマルシャンの回顧録という由来は確かである(筆跡鑑定等で、これは証明されていた)が、1本の頭髪の検査を信用してよいのであろうか..........? そして、それが信頼できるものだとしても、それを暗殺として良いのだろうか? 環境による汚染の可能性はないのだろうか...........?
 しかし、こういった中、新たに試料提供の申し出もあり、もう一度分析を行うこととなりました。 その結果........通常よりも高いヒ素をまたもや検出しました。しかも、髪の毛を5mm幅で測定した結果では、その位置によってヒ素の濃度が変化することも判明しました。

 こうして更に何回も検査を繰り返していった結果、彼らは結論を出します。
 まず、この「英雄」は死なないまでも、ごく少量のヒ素を誰かから飲まされていたこと。 そして、セント・ヘレナ島でのナポレオンの側近等の回顧録の中のナポレオンの症状、状態と、ナポレオンに取り込まれているヒ素の量との相関性についても一致するという事。
 以上のような事から、ほぼ確実にナポレオンはヒ素によって暗殺されたのだ.........と。

 ただ、それでもまだ反論はあり、ヒ素中毒の原因を壁紙の中に含まれたヒ素の気化が原因(当時の塗料や、壁紙に使用されていた様です)で、中毒は意図的な物では無い........という説。 更にヒ素ではなく、それに似た元素である「アンチモン(Sb)」が原因であるという説もあり、これはマルシャンの記録から治療にアヘンや、キニーネ。そして吐酒石(アンチモンを含む)等が投与されていたという事を根拠としているようです。 その他、瀉血のやり過ぎとか.............

 まぁ、取りあえず上記の反論は置いてみた場合、誰が彼を殺したのか.......という点がでてきます。
 これはまぁ、色々と騒がれていますけどね........... そこまで行くと、完全に歴史の闇の中なので、なんとも言えませんが.......(^^;;
 そこら辺は、皆さんでご推測を。


 おっと.........長くなりました。
 次回に今回の主役「ヒ素」のお話でもしましょうか............




 おぉ.........いきなりでも書けるものだ.......(^^;;;

 さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
 本当はヒ素の話にしようかと思って書き始めたんですけど、段々ナポレオン暗殺事件になっちゃいました(^^;; で、まぁこれに注力しましたけど.......... ただ、真相は歴史の闇の中であることは承知しておいてくださいね(^^;;
 まぁ、読み物として気楽に読んでいただけたかと思います。 楽しんでもらえれば嬉しいです。 ご感想をお待ちしていますm(__)m

 で、次回ですけど、取りあえず今回の主役、ヒ素の話にすることにします。

 それでは今回はこれまでです。やっと梅雨らしくなってきましたが、皆様お気を付けてお過ごしください。

(1999/06/22記述)


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