からむこらむ
〜その97:聖者の偏頭痛と出産〜


まず最初に......

 こんにちは。年末の雰囲気が徐々に、ですが。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
 連日連夜の忘年会でヘベレケ、って人を時々見かけますが(^^;; 宴会が多いでしょうが、皆様もくれぐれもお気を付けを。
#本当、今月は宴会系をよく見かけるというか(^^;;;

 さて、今回は前回の続きといきましょうか。
 前回は色々と、「麦角」についての被害やその症状について触れましたが、肝腎の部分には触れていませんでした。今回はそちらと、そして「聖アンソニーの火」と恐れられた麦角中毒の別の側面について触れたいと思います。
 それでは「聖者の偏頭痛と出産」の始まり始まり...........



 さて、前回までは「麦角」による中毒(=麦角中毒=エルゴチン中毒)である「聖アンソニーの火」について触れました。ただし、歴史の部分だけ、でしたが........
 今回はその核心と行きましょう。

 さて、「何故麦角が『聖アンソニーの火』の諸症状を示すのか?」。これは化学が発展してくると、当然のことながら疑問として出てくることとなります。
 その元凶は何か?
 それを求めた研究は19世紀には開始され、一番最初の分離は1875年に行われます。この時には「エルゴニチン(ergonitine)」と呼ばれる成分が結晶として分離されたのですが、何一つとして生理的な活性のない、つまり「聖アンソニーの火」の症状を出さず、元凶の探索としては「失敗」したものとなりました。しかし、(間もなく終わりますが)20世紀の初頭の1903年にバローズ・ウェルカム社によりこの研究は進められ、バーガー(G.Barger)、カー(F.H.Carr)の二名により、ついに麦角より「エルゴトキシン(ergotoxine:「ergo」=麦角、「toxine」=毒素)」と呼ばれる、生理的な活性を持った成分の分離に成功。これを1907年に発表します。
#注:1906年に発見となっている文献が多いですが、雑誌での発表は1907年のようです。
 さて、このエルゴトキシン。残念なことに単一の化合物ではなく、現在は「エルゴクリスチン(ergocristine)」、「エルゴコルニン(ergocornine)」、「エルゴクリプチン(ergocryptine)」と言った化合物の混合物であることが知られています。つまり、「単一の化合物」で麦角中毒を示す、と言うものではありませんでした。
#注:別に名称をいちいち覚えなくても大丈夫です。一応。
 では、単一の化合物で麦角中毒が発見されるのはいつになるのか?
 これはもっと後になりまして、1920年に「エルゴタミン(ergotamine)」と「エルゴタミニン(ergotaminine)」が分離されます。このケースでは、エルゴタミンの方に活性が見つかりました。が、不純なものでして、純粋なエルゴタミンは1939年にスイスのバーゼルにあるサンド(Sandoz)社のストール(A.Stoll)が精製に成功するまで待つこととなります。ついで1935年、ロンドンの国立医学研究所(NIMR)のダドリーとモイアを始めとする研究者達が「エルゴメトリン(ergometine)」または「エルゴノビン(ergonovine)」と呼ばれる化合物の分離に成功します。
 このエルゴタミンと、エルゴメトリンが後で重要な役割を果たします。

 さて、その話をする前に.......この麦角より取れた化合物。いずれも窒素を含んでいまして、「アルカロイド」と呼ばれるものの仲間です。ですので、麦角より得られるアルカロイドを「麦角アルカロイド」と読んでいます。現在は何十種類もの麦角アルカロイドが確認されており、ものによって生理活性があったり無かったりしています。ただ、こういう話で重要なものは限られてきますが。
 これらの麦角アルカロイド。化学構造には共通性がありまして、いずれもリゼルグ酸(lysergic acid)と呼ばれるものの構造が母核となっています。



 左がリゼルグ酸です。右は何かと言うと........これはアミノ酸の一種で「トリプトファン」と呼ばれるものです。実は、このトリプトファンを元にしてリゼルグ酸を合成するので、参考まで掲載しておきます。
#専門向け注:トリプトファンと、メバロン酸、メチオニンで構成します。メチオニンはメチル基の供与だけですが........
#↑学生さんで合成がわかる、という自負があるのならば考えると力になるでしょう。
 尚、このリゼルグ酸の骨格を「エルゴリン(ergoline)環」と読んでいます。
 .......まぁ、「エルゴ」が接頭語となるものが一杯あって混乱してしまいますけどね。

 では、重要な役割を果たす、と書いたエルゴタミンとエルゴメトリンはどういう構造か、と言いますと、



 まぁ......なんかごちゃごちゃしていますので、化学屋さん以外は「参考程度」で十分ですが。エルゴタミンは類縁体が多いので、同時に出しておきます。1920年に発見されたエルゴタミニンは、エルゴタミンの異性体でして、エルゴタミンとは「右手と左手の関係」の化合物です。
 両者とも、リゼルグ酸を骨格とするのは見て何となくわかるでしょうか? 他の麦角アルカロイドも似たような構造を持っています。

 さて、ではこれらの麦角アルカロイドはどういう症状を出したのか? また何らかの利用が出来たのか?
 ま、色々とあるのですが........まず、前回の「聖アンソニーの火」の症状は多岐に渡りました。よって、「一個の化合物」で全部の症状、と言うわけではなく、いくつもの化合物がそれぞれ役割を持つ、と言うことが言えるのですが..........

 まず、母体であるリゼルグ酸。これは生体に対して大した生理作用を出さないことが知られています。
 そして、最初に出したエルゴトキシン(つまり、エルゴクリスチン、エルゴコルニン、エルゴクリプチンの混合物)はまさに「聖アンソニーの火」の代表的な症状を出す混合物であることがわかっています。作用の発現は遅いのですが、強直性の痙攣をきたします。血管の収縮作用が強く、動物実験では末梢血管を収縮して血圧を高め、作用が著しいと身体の末端が変色し、壊死することとなります。最後の部分は、まさに「聖アンソニーの火」にやられた状態でして、手足が黒変の後に失うこととなります。
 しかし、エルゴトキシンは「麦角中毒の主役的化合物」であることがわかったものの、「利用」という点ではこれは有効な活路を見出すことは出来ませんでした。

 エルゴタミンはどうか、と言いますと、こちらは子宮や血管の平滑筋を特異的に収縮させまして、血圧の上昇を行うことが知られています。量が多ければ、組織の壊死も引き起こすことが知られています。これは、エルゴトキシンとある程度症状が重なる(=麦角中毒を引き起こす)、ということが言えます。ただし、異性体であるエルゴタミニンには生理作用はほとんどありません。
 しかし、このエルゴタミンは利用法がありました。
 最初に目をつけた人物にアメリカの癲癇(てんかん)の研究の権威であった、レノックス博士がいました。彼は現在でも厄介な病気である偏頭痛の原因が、「血液の循環機能が不規則である」という点とエルゴタミンの作用に目をつけます。彼は、偏頭痛患者にエルゴタミンを注射することで、15分以内にその90%以上もの患者の発作を軽減させるという目覚ましい成果を上げます。ただし、経口では効果が薄い、ということも判明したのですが........
#経口と注射による「効果の違い」の良い例とも言えますけど。
 このことから、偏頭痛にエルゴタミンが用いられるようになりました........が、投与量を多くしすぎてエルゴチン中毒を起こす、という事故があったことも確かの様です。しかし、ある学者が研究した結果、エルゴメトリンも偏頭痛を抑え、しかもエルゴタミンよりも副作用が弱い、ということが報告されています。もっとも、作用も比較して弱い、という点があったようですが。
 話を戻しまして......エルゴタミン。偏頭痛の研究から発展しまして、やがて甲状腺の病気や肝硬変、白血病などの病気の症状軽減為にこの物質が試みられます。が、結果は「エルゴタミンによる事故」が頻発し、効果も薄かったために放棄されてしまいます。一応は「注意深く投与量を管理して使用する」ことでかなりの効果を上げられる、という報告もでたのですが........わずかに多く投与することで、麦角中毒となることがあり、かなり難しかったようです。

 では.......エルゴメトリンはどうか? これは特筆するべき話があります。
 前回、麦角中毒の話で、麦角中毒の症状として、「手足を失う」という物のほかに、「妊婦が流産してしまう」というものがありましたが覚えていらっしゃるでしょうか? 実は、この化合物はこの「流産」に関与します。
 前回は書いていないのですが、実は「聖アンソニーの火が」猛威を振るった中世ヨーロッパでは麦角は産婆によって非常によく用いられていました。どういう効果があるかというと、エルゴタミンでもある程度の効果はあるのですが、エルゴメトリンは子宮を強く収縮する作用があります。ですので、これによって時期によってはまだ「でる必要のない」子供を子宮が押しだして流産をさせ、さらに場合によっては母体をも巻き込む、という作用がありました。つまり、麦角中毒が流行した際、妊婦の流産が記録されたのは、このエルゴメトリン(と、エルゴタミン)の作用によるものでした。
 では、これではただの「堕胎用」ということになってしまいます。事実それで胎児の堕胎を行っていた(不法です)記録があるのですが.........無知のせいでたびたび母体も危険に晒された、という記録が多くあるようです。
 しかし、この子宮の収縮作用。これは、分娩の適当なとき(第三期と呼ばれるとき)に使用すると有効でして、お産の際に実際に使っていました。ヨーロッパの産婆達は、麦角が危険なもの、という認識を持ちつつも、このような出産の際に用いていました。
 .......それがわかるまでの「犠牲」と言うものを思わず想像してしまいますが.........
 このお産への使用の最初の記録(と言うよりは「推奨」ですが)は中世には存在し、1582年にドイツの医師であるロニッチェルの著書『クロイテルブフ』に麦角を「分娩促進薬」として記録されています。ヨーロッパの助産婦達はこれを非常に熱狂的に受け入れたとされており、かなり使われていたと思われます。
 しかし、アメリカでは少しだけ事情が違ってきました。
 ヨーロッパでは麦角による災厄を度重なる事例で知っていたわけですが、これがドイツからやってきた助産婦によりアメリカに渡ると、医者の無知による過剰な処方によって流産、死産を起こすケースが多発し、場合によっては母親も死に追いやったと言われています。余りにもこれが多かったのか、19世紀には麦角の過剰な使用による警告が発されるようになりました。そのせいか、それ以降はこう言った「事故」はアメリカでは減ったようですが.........
 エルゴメトリンを出産の際に使う場合、量としては0.5mg程度でも十分に効力が確認されています。また、面白いことに妊娠をしていない子宮に対する影響は少ないとされています。この化合物は現在においても使用されるそうでして、産後の出血を抑えるなどに応用されています。
 .......これをご覧の方で女性は何人いるかわかりませんが、場合によってはお世話になるのかも知れませんね。

#専門的な補足:エルゴトキシンとエルゴタミンの作用についてもう一つ。
 通常、エピネフリン(アドレナリン)を投与すると、一過性の急激な血圧上昇(α作用)の後に血圧下降(β作用)を見せますが、エルゴトキシンやエルゴタミンを事前に投与しておくと、エピネフリンのα作用が見られず、β作用のみが見られるようになります。これを麦角アルカロイドのα遮断作用と呼んでいます。

 さて、以上が「聖アンソニーの火」の主症状となる化合物群ですが........もう一個だけ触れておきましょう。
 前回触れた中で、聖アンソニーの火による症状は、上記のもののほかにもあと一つ、重要なものがありました。それは.........「精神が錯乱する」という症状です。これは、「精神作用」を持つものが麦角にある、ということを示します。
 では、精神に作用するようなものが麦角にあるのか? これは「Yes」と答えることが出来ます。
 もう少し分かりやすい事例があるので、そちらを紹介しましょう。ライ麦に生える麦角ではなく、別の、ある野草に寄生して生じる麦角に、ライ麦の麦角の成分よりももっと「単純」な構造を持つ化合物が認められています。また、麦角のみならずコウジカビやアオカビ、クモノスカビといったようなカビの仲間がリゼルグ酸の骨格を持つような化合物を作ることが知られています。
 ま、どう単純なのかというと、エルギン(ergine)やリゼルグ酸2-ヒドロキシエチルアミド(lysergic acid 2-hydroxyethylamide)と呼ばれるような化合物なのですが.........



 ま、エルゴタミンなどよりは構造の「上」の方が「ごちゃごちゃしていない」というのはわかっていただけるかと思いますが。
 さて、これらの化合物。今まで挙げたようなカビなどとは違い、もっと高等な生物である植物が生みだすことがあります。例えば甘藷の同族であるIpomea violacea(「イポメア・ヴィオラセア」かな?)や、これとほぼ同族関係であるヒルガオ科のTurbina cirymbosa(「タービナ・コリンボーサ」)という様な植物がこのような化合物を持ちます。
 Turbina cirymbosaの種子は「オロリカイ(ololiuqui)」と称され、これは13〜16世紀の古代メキシコ、アステカ文明を担っていたアステカ族が重宝していました。何のためか? いわゆる部族の祭などで使用されたものでして、その種子の中にある上記のような化合物が中枢神経に作用して、陶酔や幻覚作用をもたらすものでした。
#もっとも、これが判明したのは1960年代のことでしたが。

 尚、リゼルグ酸系の化合物による幻覚作用。これはある有名な化合物があらゆる幻覚剤の「最高峰」を誇っています。
 リゼルグ酸系の化合物は、最初の方にサンド社のストールと、その共同研究者であったホフマン(A.Hofmann)により戦前から非常によく研究されていたのですが、ホフマンがこの「最高峰」に関与しました。
 時期は1938年。偏頭痛の治療薬と出産後の出血制御の為の薬剤研究をしていたホフマンは、リゼルグ酸系化合物を合成して研究していました。その中の一つ..........リゼルグ酸ジエチルアミド(lysergic acid diethylamide)に非常に強力な幻覚作用を持たせる、と言うことを見出します。
 この化合物、(英語ではなく)ドイツ語で「Lyserg Saure Diethylamid」(注:Saureの「a」は上に「:」を横にしたのがつく)より「LSD」と呼ばれていまして.......いわゆる「サイケデリック」な薬剤として有名になり、後に問題化する「LSD-25」という化合物でした(「25」は合成したのが25番目とも、資料によっては合成した日である5月2日より:現地の表記法の問題で「52」とはならない)。



 尚、このLSDは天然には存在しない化合物です。完全な合成ドラッグでして、その効果は非常に強いことが知られています。オロリカイは、このLSDの1/100程度の活性と言われています。

 ま、ホフマンがLSDを発見する経緯などは、完全に一個の話として出来ますので........これはいずれ触れたいと思いますが。


 っと、長くなりましたね。
 ま、人々の恐れの対象となっていた麦角中毒の研究より出てきた化合物が、偏頭痛や出産に利用され、そして更にその研究から幻覚剤を生み出す........
 自然と偶然と、それを利用する人間というのは凄いものだと思いますが。
 .........思いません?




 ふぅ.......終わり。

 さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
 今回は前回の続き、でしたが.........まぁ、麦角中毒の正体と、それを利用した話。そして、麦角といえば忘れちゃいけないLSDのさわり部分に触れてみましたが。どうでしょう?
 ま、「ドラッグの話もっとしろ〜!」って思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、LSDは心理学含めて色々とありますし、独立した話として扱えますので(^^;; そちらを楽しみにされる方は、その時までお待ち下さいませ。
 まぁ、歴史と深く結びついた化合物の側面、ということで捉えていただければ嬉しいです。
#学生さんはもっと深く考えないとダメですけど(^^;

 さて、次回は........今年最後の「からむこらむ」ですか。
 一応、軽いネタでも考えてありますので、そちら、と言うことにしようと思っています。まぁ、このサイトのインデックスでちょくちょく色々と書きますけど、あぁ言うノリでやってみようかなぁ、と。
 どうなることかわかりませんけどね(^^;;

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.............

(2000/12/19記述)


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