からむこらむ
〜その116:万能薬と災い〜
まず最初に......
こんにちは。ゴールデンウィークの中間地点ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
まぁ、カレンダー通りだ、ずっと仕事だ、ずっと休みだ他諸々、という様が色々と見えるようですが.........
さて、今回からはしばらくある、植物由来のあるものとその化合物の話といこうかと思います。
それ、かつては万能薬として使われており、そしてやがて大きな「恵み」と「災い」をもたらします。そして、今ではどちらかというとネガティブなイメージをもたれていますが、その上でも使われている物でもあります。
ま、名前ぐらいは最低限聞いたことはあるとは思いますけどね。
それでは「万能薬と災い」の始まり始まり...........
さて、皆さんは「万能薬」と聞くとどういうものを想像されるでしょうか?
「万能薬」........ま、現代なら(現状では)確実に「完全な万能薬は存在しない」と否定されるものですが、過去にはたくさんの「万能薬」がありました。あるものは確かに「比較的広範囲」の症状に有効に使われましたし、あるものは「単なる荒唐無稽」な物であったのですが。
さて、今回はその「万能薬」の一つの話をしようと思うのですが、この薬はどういう効果があったのか? それは、あるものは「疝痛、下痢」に。あるものは「中毒、頭痛、聾唖、てんかん、かすれ目、黄疸、発熱、らい病(ハンセン病)など」に。別の物では「ペスト」に。またあるものには「痛風」に.........と、総合すれば極めて広範なものでした。
上述のものは実際に処方された薬でして、実際にある程度の効果があったと言われています。そういう意味ではまさに「万能薬」的な要素はあったと言えます。そして、これらの薬には、ある共通した成分がありました。
それは何か?
これは有名な、いわゆる.......「阿片(鴉片)」という物でした。
「阿片」と言うものに対して皆さんはどういうイメージを描かれるのかは様々だと思われますが.........一般に現在では「麻薬」として扱われる物です。そういう意味では明らかに「良いイメージ」を思われる事は多くはないと思います。ところが面白いことに、過去においてすでにアヘンは知られ、使われていました。しかも、現在持たれるイメージとは全く違う物として扱われていました。
「阿片」とは、多くの方は御存じかと思いますがケシの抽出物を指します。この抽出物の使用は古くは紀元前4000年の頃、中東のシュメール人達の記録があるとされています。また、その95でも少し触れたことのある紀元前1500年頃の「エーベルス・パピルス」にもアヘンの記述がありまして、痛がる子供への薬として「ケシの未熟果と壁についたハエの糞」が挙げられています。
実際に多くの記述があり、そして実際の使用記録について触れられているのは古代ギリシア時代以降でして、ギリシア神話でも死の神「タナトス」、眠りの神「ヒプノス」、夢の神「モルフェウス」に捧げられたことが知られています(他にも、ゴルゴン姉妹にケシの花が捧げられたらしい)。また、紀元前9〜8世紀に活躍したホメロスの『オデュッセイア』では植物由来の「忘憂の薬物」である「ペンテ」と呼ばれるものがアヘンであると言われており、「静かな心地よさと幸福感、そして眠気と睡眠をもたらす」と記述されています。ローマ時代になると更にここら辺の記述・使用は更に克明になりまして、医学史をやると必ずと言っていいほど出てくるディオスコリデスの『マテリア・メディカ』、プリニウスの『博物誌』において、アヘンの採取法やその効果が触れられています。
ディオスコリデスが活躍した1世紀頃のローマにおいてアヘンの使用は比較的普通であったようでして、このころの「フィロニウム」という薬の処方にアヘンが登場しています。それは疝痛、赤痢に使用されていまして、処方は「白コショウ、ショウガ、ヒメウイキョウ種子、濾過したアヘン、ケシのシロップ」とされています。こういった薬は更に発展し、2世紀に入ると小アジア生まれで医学、薬学者であり、解剖学者・哲学者でもあった(そしてローマ皇帝の侍医でもあった)ガレノスもこのアヘンについて触れており、「テリアカ」と呼ばれるある種の万能薬の処方を残しています。この効果としては「中毒、頭痛、聾唖、てんかん、かすれ目、黄疸、発熱、らい病(ハンセン病)など」に有効としており、処方としては「フローレンス・アイリス根、カンゾウを12オンス、アラビア・モッコウ、ポンタス・ダイオウ、キジムシロを6オンス、トウキ、ダイオウ、リンドウを4オンス(中略)、ニンジンを2オンス、アヘンを24オンス(中略)、マムシ、ショウブを24オンス、バルサム、松やに、ゴムを突き砕いてワイン適量により薄いペーストにし、全体を合わせてハチミツ960オンスで仕上げる」という物でした。
#略している部分が多いですが、数十種の材料を使っていた様です。
#余談ですが、「テリアカ」はアラブに入って発展し、いくつかのバリエーションを生むようです。
さて、古代ギリシア・ローマ時代が終わると、アヘンはアラビアを中心に使用されるようになります。そして、アラビアの勢力拡大やアラビア商人達によりアヘンは広まることとなり、インド・東南アジアなど各地に広がっていくこととなります。ところが、薬などとして用いられていたものの比較的「穏やか」に使われたようでして、実際に表舞台に「再登場」するのはルネサンス期のヨーロッパからとなります。
実は、「再登場」の経緯については、ここ数回錬金術絡みで登場してくるパラケルススが関与しています。
アラブ経由でルネサンス期のヨーロッパにもたらされたアヘンは、最初は躁病に唯一有効な薬として用いられていました。しかし、16世紀になるとパラケルススがこのアヘンに目をつけ、そして「薬」として使い初めます。
このパラケルススが用いた「薬」は「ラウダヌム」と呼ばれる薬でして、その意味はラテン語laudareで「神を讚える」というものでした。この中身はガレノスの様な複雑なものではなく単なるアヘンチンキ(アルコール溶液)でしたが、パラケルススはこれを基本的に鎮痛剤として用い、そして各種の処方に使っていったようです。その効果はかなりのものだったようでして、これはやがてヨーロッパ中で身体、精神関係の病へと用いられ、幅広く普及していきました。
#もっとも、当時はアヘン製剤を総括して「ラウダヌム」とも呼んでいたようですが。
ところで、このパラケルススの使用によって大陸に広まったアヘンは、17世紀後半にトーマス・シデナムという人物によってイギリスに上陸して国内に広まります。そして、彼の弟子であるトーマス・ドーヴァーは更にこれを広める事となる薬を考案し、そして一世を風靡することとなります。
#尚、シデナムはマラリアの特効薬であるキナノキを紹介した功績もあります。
このトーマス・ドーヴァーという人物は面白い経歴を持つ人物でして、元海賊という経歴があります。彼は若いときにトーマス・シデナムに寄寓していまして、このときに医学に関する知識を持ったと言われています。そして後には女王陛下より「デューク号」を拝領してスペイン船を襲撃していました(当時は「大英帝国」隆盛のころで、このような行為は日常的だった)。そして、「海賊家業」をやめた後にロンドンで開業し、「ドーフル散」と呼ばれる薬(「発汗剤」とドーヴァーはよんだ)を発明します。
さて、このドーフル散。中身は「アヘン1オンス、硝石と酒石酸カリウムを4オンス、カンゾウを1オンス、トコンを1オンス取り、硝石と酒石酸カリウムを灼熱した容器で焼却し、粉砕し、アヘンをスライスして粉末として混合」したものでして、これを白ワインのミルク酒に40〜60ないし70グレイン(1グレイン=約65mg)を加えて服用したとされています。この薬は主に痛風に用いられたようでして、文字通り「風が吹いても痛い」と言われる痛風の激痛に悩まされる患者に対して用いられました。実際、この薬を飲んで2、3時間程度で痛みは消え「激痛のあまり歩けない」患者が歩けるようになったと言われています。この薬は最初、薬剤師達により激しく非難を受けるのですが、ドーヴァーは処方を公開してこれに対抗します。結局は1788年にはイギリスの薬局方に採用されまして、これはヨーロッパ、アメリカへと広まります。
尚、彼の死後、このドーフル散は一時期忘れ去られますが、後にジョージ二世の寵を受けた医師ジョシュア・ウォードにより再発見され、一躍有名になります。
余談ですがドーヴァーは別の方面でも名を残していまして.......「海賊行為」をしていた1709年の2月、ジュアン・ファーナンデッツ島においてアレキサンダー・セルカークを救出します。これ、ピンと来ないかと思いますけど........この話に感動したデフォー(ドーヴァーは彼の支援者でもありましたが)はこの話をベースに、1719年に彼の『ロビンソン・クルーソー』を発表し、ベストセラーになります。
つまり? ドーヴァーがいなかったら、かの有名な小説は「なかった(かもしれない)」という「奇特」な話が残っています。
また、更なる余談ですが、ドーヴァーは薬を多量に用いた医者でして、特に金属水銀を用いたために「水銀医者」と呼ばれたとも言われていますが........(水銀の毒性は、前回以前を参照)
さて、実際には更にたくさんの話があるのですが..........以上のいくつかの話の様にアヘンは昔から薬として広範囲に、多量に用いられていました。その効果の中心は共通して「鎮痛」「鎮静」という物でして、両者とも古来より知られ、そのために使われていました。内容としては、前者はそのままでして、ある種の苦痛を取り除きます。そして、後者は眠気を催し、同時に不快感などを取り除きます。
この二つの効果は、確かに医薬としては重要な働きと考えられます。それゆえに様々に、そして広範囲に「薬」として用いられた理由となり、ある種の「万能薬」的な要素を持つこととなったと言えるでしょう。そして、それは医者、患者にとって確かに恵みとなりした。 しかし、同時にこの「恵み」も使用を誤ると死に至ることは昔から知られていまして、古代ギリシア時代以前の記録において、すでに「過剰の使用で死に至る」ことは知られていました。ただ、医者は様々な経験からこの危険性を知っていましたし、同時に注意深く使っていたのですが........
しかし、近代になると、徐々にアヘンは「医薬」としての道を外れていくこととなります。もちろん、「人間によって」なのですが。
アヘンが「医薬」の道を本格的に外れていくのは、18〜19世紀頃でして、そのいくつかは有名な事例として知られています。例えば、ヨーロッパにおいてラウダヌムなどアヘンチンキの乱用が顕著になったようでして、その犠牲者には当時の著名人達がいます。特に、イギリスのトマス・ド・クインシーは有名でして、ある日突然歯痛に3週間も悩まされたことからアヘンチンキを薬局に求め、服用して一時間ほどで痛みが治まり、同時に「神聖なる快楽の深淵に飲み込まれる喜び」を味わいます。これはアヘンの持つ「麻薬」的特徴の一つでして、この体験以降、彼は12年間アヘンに取り憑かれることとなり、ついには『阿片常用者の告白』の著作を残すこととなります。また、クインシーはイギリスの作家達にアヘンの流行を起こし、サミュエル・テイラー・コールリッジやエリザベス・バレット・ブラウニングにアヘンを勧めてその犠牲者とします。
また、こう言ったアヘンの「害」の最大かつ有名なものは中国で見られるようになります。
中国でアヘンが本格的に用いられるようになったのは16世紀頃でして、基本的には薬に用いていました。この頃はまだ問題はなかったようなのですが、一つの習慣が中国に入ることによって徐々にこの様子は変わってきます。
その「習慣」とは何か?
実はヨーロッパより伝えられたタバコの喫煙がその習慣でした(タバコそのものは、「新大陸の発見」からですが)。これは、大航海時代を通して日本などに伝わりましたが、中国にも伝わって流行し、ついに1644年には明の崇禎帝によって禁止されます(もっとも、この年に明は滅亡しますが)。しかし、そのタバコの代用として目をつけられたのがアヘンでして、この禁令を期にアヘンの喫煙が流行。17世紀末までには全人口の1/4がアヘンを用いていたと言われています。
さて、このような需要の急増を清国内では供給することは出来ず、やがてイギリスの東インド会社がこの需要を満たすべく動くようになります。そして、1830年代には東インド会社は100万ポンドものアヘンを供給し、会社のインドにおける1年間の歳入の1/6を占めるようになります。そして、清国内ではこの頃ではアヘンによる害が一般化し、社会問題となっていました。
こうして、事態を重く見た清朝政府は、1839年に林則徐をアヘン密輸防止の任に就かせ、これがやがてアヘン戦争へと繋がっていくのはその111でも軽く触れた通りとなります。
アヘンの害はすでに16,17世紀には警告がなされていまして、ジョン・ジョーンズという医者は「アヘンの中毒者が連用を急にやめると、耐えきれない苦痛、不安、鬱状態が襲いかかり、普通はアヘンの使用に戻らないかぎり奇怪な苦痛を伴って極めて悲惨な死に至る。アヘンの再使用で中毒者はほぼ元の状態に回復する」と書いています。これは、全てのアヘン中毒者に共通する症状でして、その111でも触れた「乱用と依存」に関する記述ともなります。こうなった原因は、クインシーの著述にも見られるアヘンの持つ「恍惚感」や「多幸感」という快楽を求めて溺れていった結果、となっています。
これがアヘンをいわゆる「麻薬」として扱う様になる所以となります。
18〜19世紀で乱用が本格的に始まって以降、こう言った害は本格化し、ついには「医薬」のイメージを覆していきます。そのアヘンの快楽へと溺れていく様子はクインシーの様な著作や、アヘン窟の様子にも描かれていますし(中国が有名ですが、ヨーロッパにもありました)、そして今なお、時としてマス・メディアの報道によってその「魔力」に取り憑かれた「惨劇」を知らせており、皆さんもそういうものを見たことはあるでしょう。
ここに至り、それまでの「恵み」はついに「災い」となります。
さて、以上、アヘンについての話を軽くしてみました。実際には更に、いくらでも出てくるものなのですが.........
現在のイメージからはかなり違いますが、上述の通りアヘンは幅広く「医薬」として、ある種の「万能薬」的に用いられていました。しかし、アヘンはやがて乱用の道を辿ることとなり、そして現在で一般に考えられる「麻薬」としてのイメージを持たれるようになります。ここまで全てが一変する物も珍しいですが.......
さて、アヘンの何が有効なのか? どうして効くのか? 何を生み出していったのか?
次回以降、そういった話をしてみようかと思います。
では、今回は以上、と言うことで..........
終わり、と。
さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
今回は初めての、いわゆる「ドラッグ」に通じるものとしてアヘンの、近代までのおおまかな歴史を話してみました。まぁ、医薬としての歴史の方が長く、いわゆる「麻薬」としては比較的最近のものであるのですが.......しかし、現在では「麻薬」の方が有名になってしまった物でもあります。
ま、しばらくはここら辺のアヘンに絡む話をしてみようかと思いますが、今回はその導入ということで........
そう言うことで、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
次回をお楽しみに.......
(2001/05/01記述)
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