からむこらむ
〜その136:六波羅殿と悪い空気〜


まず最初に......

 こんにちは。秋分の日を過ぎて秋らしくなってきた感じがしますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 ま、明日で彼岸も開けますけど.......これから季節の移ろいが本格化するのでしょうね.........

 さて、今回ですが。
 取りあえず先週はお休みさせていただきましたので、今週から再開、と言うことになりますけど。え〜、取りあえず結構寝かせていたネタなんですが、ちょっと大規模な話をしようかと思います。取りあえず、あることを起点としたいくつかの話、なのである意味「シリーズ」となるんですけどね。とは言っても、難しい話じゃないんですがね(^^;; ある程度興味深いものはあると思います。
 ま、ある意味多方面かつ、色々と重要な話になると思いますが.......まぁ、難しく考えずに読んで行って下さい。
 それでは「六波羅殿と悪い空気」の始まり始まり...........



 さて、平安時代末期に強大な権力を持った人物として、平清盛がいますが。
 この人物は平忠盛の長男として生まれ、十二歳で役職についた後、幾多の戦争を経て源氏の勢力を退き、そして武士として初めてに権力を掌握した人物として日本史で名前が必ず出てきますけど.......ま、出生に関しては一説によると白河法皇の落胤とも伝えられていまして(白河法皇が孕ませた女を忠盛に下げ渡した、と言う説があります)それゆえに法皇にかわいがられたので高い地位に早く上り詰めた、とも言われていますけどね。
 ま、それはともかく日本の歴史上、武士としては初めて従一位太政大臣に就任し、そしてクーデター(反乱を理由に後白河法皇を鳥羽殿に閉じこめ、公家などを罷免した)をきっかけに権力を掌握して各地に平家一門の者を送り込み、栄華を誇ることになります。その様子は『平家物語』の巻の一に、
 と書かれています。文章中の「六波羅殿」「入道相国」はいずれも清盛のことです。ま、いわゆる「平家にあらずんば人にあらず」と言う、有名な暴言(清盛の義理の兄弟である時忠の発言ですけど)がこれなのですが........更にその時の平家の支配を『平家物語』では
 とも伝えています.......ま、日本にある66国の内の30国以上が平家一門の手にあり(実際には29国ですが)、その他の荘園などの数は数知れない、と言うことなのですが.......ま、かくも一大勢力を築き、栄華栄耀をその手に握っていました。
 しかし、『平家物語』に書かれている通り「おごれるものも久しからず」。平氏は反感を買い、各地で反乱の兆しが見え、そして起こり始めた1181年、清盛は熱病にかかり無念のうちにこの世を去ります。ま、その後は雪崩れるように平氏の政権は崩壊していくわけですが.........その様は『平家物語』で色々と描かれていることは有名でしょう。

 さて、初の武士による権力をその手にした清盛ですが、その最期は熱病による物でした。その熱病は一般に「瘧(おこり)」であったと言われています。
 これは何か?
 実は『源氏物語』に言う「わらは病(やみ)」も同じものと言われていまして.........今で言う「マラリア」がこれだったと言われています。
 今回は、このマラリアについて話してみたいと思います。


 さて、「マラリア」と言う物を「聞いたことが無い」と言う人はいないと思いますが。現代日本では比較的なじみの薄いこの病気、実は古くから人類に関わっている病気であることが知られています。いわゆる「熱病」の一種なのですが........症状は最初は悪寒を感じたりだるくなります。そして頭痛、食欲不振などの後に、発熱と急速な解熱を周期的に繰り返します。
 この疾患は周期的な発熱を起こし、また貧血まで引き起こすと言った特徴であり、そしてこれによって極度に衰弱することになり、やがては命を奪うこととなります。
 これは現在ではマラリア原虫(Plasmodium属)によって引き起こされ、そしてハマダラカ(Anopheles属)と言う蚊によってこれが媒介される事が知られています。ちなみに、届出伝染病(隔離は必要ないが、届け出義務がある)の一つです。

 マラリアに関する研究の経緯は後述するとしまして、最初にメカニズムを説明しておきますと........
 まず、マラリア原虫を持つハマダラカに人が噛まれると、抗凝血因子とマラリア原虫を含んだ少量の唾液が血液内に入ります。さて、マラリア原虫は「胞子小体」として知られる小さい紡錘状の細胞となって肝臓に移行します。そこでコロニーと言う集合体を形成して合体、やがて5〜15日程度経つと肝細胞が破壊され、無数の「分裂小体」を放出します。この分裂小体のあるものは肝臓で再びコロニーを形成しますが、他のものは赤血球へと感染します。赤血球に感染した分裂小体は成長してやがて赤血球を覆い尽くし、そして破壊すると同時にまた分裂小体を放出、そして他の赤血球に感染します。この時、パイロゲンと呼ばれる化学的な発熱因子を放出することも知られています。
 尚、赤血球に入った分裂小体の一部は分裂はせず、雌雄どちらかの生殖母細胞に変化します。これは、宿主である人が他の蚊に噛まれた時に蚊に取り込まれ、蚊の腸内でお互いに融合して新しい胞子小体を作りだし、そして新たな宿主(=人間)に入ってまた同じサイクルを繰り返すこととなります。
 この様な特徴はマラリアの症状を説明していまして、赤血球に感染して破壊することから貧血の説明が、そしてパイロゲンによって発熱症状が説明できます。

 マラリアには種類がありまして、1日置きに高熱を発する「三日熱マラリア」(Plasmodium vivax)に「卵型マラリア」(P. ovale)、2日置きに発する「四日熱マラリア」(P. malaiae)、そして不定期に発する「熱帯熱マラリア(亜三日熱マラリアとも)」(P. falciparum)、と言った4種類があります。いずれも特徴がありまして、最も悪性なものは熱帯熱マラリアです。他は比較的緩やかなものとなっています。激しさの差があるのは理由がありまして、赤血球には「未熟なもの」と「成熟したもの」といった複数のタイプがあるのですが、三日熱型や四日熱型では原則どちらかにしか感染しません。が、熱帯熱型は成熟しようが未成熟であろうがお構いなく感染します。それ故、症状が必然的に激しくなり、そして致命的になります。
 尚、潜伏期はそれぞれ違いまして、熱帯熱マラリアが9〜14日、三日熱マラリアが12〜17日、四日熱マラリアが18〜40日、卵形マラリアが16〜18日程度となっているようです(実際にはそれ以上になることもあるようですが)。

 ところで、人類とマラリアとのつきあいは長いと書きましたが、実際にかなり昔から続いているようです。
 紀元前五世紀のヒポクラテスによる記録にはすでにマラリアと思われる症状の記録が書かれていまして、それ以降の記録にも色々とそれらしきことが書かれており、紀元後五世紀にはケルススによって一定の周期で起こる発熱といったマラリアの症状(熱帯熱マラリア)についての記載が残っています。ただ、最初はそれほど大規模では無かったことは知られています。
 マラリアは北アフリカ辺りが発祥とされていまして、熱帯地方での風土病だったと言われています。しかし、ナイルを経由してオリエントやギリシア・ローマとの交流を通して南ヨーロッパに広まったとされています。が、比較的限定的でして、実際に紀元前後ではそう大きな問題にはなりませんでした(流行はあったようですけど)。が、しかしローマによる支配が進むと徐々に規模が大きくなっていきます。
 何故か?
 ヨーロッパの広い範囲と地中海沿岸を手中に収めたローマですが繁栄すると同時に人口増加が著しくなっていきます。そして、新たなる土地を求めて森林伐採を繰り返していって版図を広げていく訳ですが.......この際の人口移動がマラリア拡大のきっかけとなったと考えられています。更にローマ凋落の頃になると農耕や灌漑などが疎かになり、そのような荒廃していく土地で蚊が繁殖しやすくなってマラリアの流行を助長したと言われています。この様に南ヨーロッパにマラリアが広まる様になると、「人の移動」に影響を及ぼし始め、更には軍隊の移動がマラリアによって大きく妨げると言う有り様になります。これはマラリアが広まっていなかったクレオパトラ・アントニウス連合とローマとの争いの頃(その121参照)に、軍勢にマラリアによる被害がほとんど無いことと実に対比的となります。
 尚、過去にその63において「ローマは鉛に滅ぶ」と言う様なタイトルでローマ帝国滅亡の要因の一端として鉛中毒があったのではないか、と言うような話をしましたが、実はローマ帝国滅亡の要因の一つにはこのマラリアの存在があったのではないか、と言う意見も存在しています。それくらい著しくマラリアは人類に影響を与えました。

 余談ですが、ローマは色々とマラリアに悩まされたようでして......
 例えば紀元前1世紀頃のローマ時代の散文家であるキケロは、マラリアの発生などからローマを「悪疫の都」と呼んでいました。また、長い間ローマのとある地域ではマラリアの発生が多かったのか、「地獄の谷」と呼ばれる地域があったと言われています。
 また、キリスト教との縁もありまして、ローマ帝国内のキリスト教の拡大する時期ととマラリアによる災厄の時期は一致しているとも言われています。更にキリスト教全盛時代のローマは教皇区として「カトリック総本山」の役割を担っていましたが、ここに行くとマラリアにやられてしまう枢機卿や司祭などはかなりいたようでして、そう言った地位にある人達はマラリアを恐れてバチカンには行きたがらなかった、と言うような話もあるようです。つまり、「ローマの道」は「マラリアの道」でもあった、と言うことです。
 ある意味皮肉的な感じもしますけどね。

 さて、蚊によって媒介されるマラリアですが、当然これは蚊の繁殖、特にハマダラカの繁殖に適した地域があれば容易に広がる可能性があります。この点は重要でして、蚊の生息に適した場所と言うのは大体が沼沢地です。沼沢地が出来る要因はいくつかありますが、土地が侵食されると沼沢地が出来やすくなります。特に人口が増えて森を切り開いたりして田畑を作った後、これらの土地が侵食されますと沼沢地が出来るわけでして、ここにハマダラカが繁殖することでその土地にマラリアをもたらしたと言われています。
 ローマの話と重複しますが、こうして一部地域にしかなかったマラリアは徐々に、特に温暖な地域や熱帯地域を中心として世界的に広がっていった、と言われています。

 では、マラリアの発見に関する研究はどうだったのか?
 実は古くからマラリアの害があったにも関わらず、これが解明されるのは19世紀から20世紀にかけて。つまり、人類史上で言えば「つい最近」です。もちろん、昔の人達はマラリアの正体が原虫で、しかも蚊が媒介する事などとは誰も知りませんでした。ただ、経験上として沼沢地周辺で発生しやすい、と言うことは知っていたようでして、例えば紀元前後にとあるローマ人が「沼地には目に見えないほど小さい動物がいて、それが口や鼻から入って病気になる」と言うような事を書き残していた様ですし、またインドに伝わる叙事詩でも沼とマラリアの関係を指摘するような物があるようです。こう言った経験から、マラリアの原因は沼地や湿地からの発散物ではないかとかなり長く信じられたようです。
 実際「マラリア(malaria)」と言う名称はこう言った背景から、18世紀にイタリアでこの病気を「悪い空気」を意味する「Mala-aria」(「Mal-aire」とする資料も)と命名した事に由来します。それまでは単に「熱病」とか「震え」、後は「悪い空気」とそう意味の変わらない「エギュー」と言った言葉が割り当てられていたようです。
 さて、そんな「ぼんやりとした」概念しかなかった中の19世紀後半の1880年11月。当時アルジェリアで軍医として勤務していたフランス人シャルル・L・A・ラブラン(Charles Louis Alphonse Laveran)は研究の末に重要な発見します。当時若干25歳だった彼はマラリアに罹った患者の赤血球中を調べた結果、その中の微細な有機体を発見。これが冒頭にも書いたマラリアの原因となる生物でして「マラリア原虫」と命名されます。
 このマラリア原虫は色々と調べ上げられ、その結果上述したそれぞれの種類などが判明していきます。が、しかしいくら種類がわかっても、「何故人の血液中へと移行するのか」と言う点についてはその時点では未だ謎でした。
 しかしこの謎は19世紀も終わりにさしかかった1897年、インドでマラリア研究を行っていたイギリスの細菌学者、ロナルド・ロス卿(Sir Ronald Ross)によって蚊の唾液腺の中からマラリア原虫を発見したことで解決します。これは蚊によってマラリア原虫によって運搬されることを示唆するもので極めて重要な発見でした.......ま、蚊の唾液腺から発見するわけですから相当に難作業だったと思いますが。それはともかくこれでマラリア原虫と蚊の関係が判明したばかりでなく、マラリア原虫の生活環境が判明するきっかけとなり、マラリア理解への大きな一歩となりました。ただ、ロス卿は「何の蚊によってマラリア原虫が媒介されるのか」には興味が無かったようでして、そちらはまもなくイタリア人のグラッシーによって、「ハマダラカの雌に因るもの」と判明します。
 かくしてこの三人によってマラリアのメカニズムの究明のきっかけが得られましたわけですが、これは治療へのきっかけといった重要なことに関するほか、長い間人々を苦しめてきた病疫の原因が判明するという重大な意義を持つこととなります。実際、彼らの功績は非常に大きく見られることとなりまして、後にノーベル賞が設置されてから1902年にロス卿に対して、そして1907年にラブランに対して、それぞれのマラリアに関する研究の業績に対してノーベル賞が与えられたことから伺い知ることが出来ると思います。


 ところで、このマラリアというものはローマ以降でも歴史的に見て大きな影響を与えています。
 実はマラリアという病疫は人類の歴史上、極めて重要な「地位」を占めていまして、大体の歴史学者によって「人類を最も死に至らしめたもの」と言う認識がなされています。これは冗談抜きでして、世界的に見た死亡原因の第一位になると考えられていますし、またあらゆる戦争の戦死者達の合計よりも、あらゆる他の病疫の犠牲者の合計よりも多いと考えられています。そして、老若男女、貴賎を問わず人を殺してきました。
 冒頭の清盛はその一例となりますが.......ま、栄華もたった一匹の蚊で終わりのきっかけとなるとはまさに「諸行無常」ですけどね。
 それはともかく、マラリアは他にも先の話で挙げたように人の移動を著しく妨げました。これの有名な事例としては「ローマの道」の他に、アフリカの事例があります。これは、アフリカが過去に「暗黒大陸」と(もちろんヨーロッパ方面から)呼ばれた事にも関係していまして、ヨーロッパ文明の拡大がアフリカ大陸北部の一部で止まってしまったのはマラリアによる物だと言われています。このために絶望を込めてアフリカを「暗黒大陸」と言わしめた、と言うことだそうですが.......
 尚、一般の生活ではもちろんのこと、戦争とマラリアに関してはかなり無視できない物があります。例えば中世ヨーロッパでは、戦場ではマラリアなどの感染症で死ぬ兵士が多く出てくるようになります。この傾向は近代になるとより目立つようになりまして、例えば第一次世界大戦では連合国側(イギリス・フランス側)だけで50万人がマラリアに感染して苦しむこととなります。これは第二次世界大戦になるとより顕著となり、特に太平洋南部戦線で多く発生してここで戦っていた日本軍と米軍の両軍とも常にマラリアなどといった感染症(コレラ、赤痢などもありますけど)に悩まされることとなります。この衛生問題は深刻なものでした。
 ついでに余談ですが、先の大戦で戦死した旧日本軍人・軍属約230万人のうち、6割が栄養失調による病気や飢えに因るものと言われています。もちろん、マラリアもこの原因の一つでしたので、衛生問題の影響の大きさがわかると思います。
#戦争では銃弾で死ぬよりはこの様な衛生・補給による問題で死ぬ人間の方が多いのです。


 そしてマラリアの現状ですが、現在でも「健在」です。
 WHO(世界保健機構)によれば、マラリアは熱帯、亜熱帯地方を中心におよそ百カ国で発生していると言われており、罹患者数は年3億〜5億人。死亡者は150〜270万人と言うデータがあるようです。
 肝心なことは、この数字は衛生環境等が良くなっている(はずの)現在のデータです。過去には更に多くの死者を出していました。
 それだけ恐るべき物かと言えますが。

 ちなみに、日本ではマラリアはどうだったかと言いますと。
 ま、日本では平安時代にはいくらかの発生の記録とおぼしきものが見えます。ただ、江戸時代以降では日本の気温の低下にともないマラリアの発生は減ります.......もっとも、山間部の村落などではたまに発生することはあったようですが。
 ただ、やはり「発生0」とはいかず1903年のデータでは日本では年間20万人の罹患者がいたようです。現在は国内での発生は衛生環境の改善等もあって感染例は無いです。が、輸入や海外旅行からの「持ち帰り」の例が多くありまして、年間100名程度の感染の報告があります。
#現実的に地域によってマラリアは違いますので、それに応じた対処が必要です。「一律」的に考えないほうが良いです。
 ただ、現在の温暖化に加えていわゆる「ヒートアイランド現象」と言うことを考えると、数十年後の後に特に都市部でマラリア原虫とハマダラカが生き延びて徐々に日本でも、と言う危惧は少なからずあったりするのですが..........これは笑い話ではなく、実際に危惧している研究者がいます。
 いきなり大量発生した場合、どこまで対応できるか、と言う点が心配だったりするんですけどね。

 ただ、マラリアには二つの有効な対処法が存在していまして、現在でもそれが用いられています。その一つは中世以降に使われた特効薬である「キニーネ」。そして、もう一つは20世紀に入って行われた薬剤による蚊の駆除と言う方法でした。
 次回はまず、キニーネにまつわる話をしてみたいと思います。


 さて、長くなりました。
 今回は以上ということにしましょう。




 .......取りあえず、かな?

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 今回はいつかやろうと思って1年ぐらいやらなかったネタをしてみました.......ま、「マラリア」に関すること、なのですが。この話は実に多様な話に広がるという点があることと、化学において極めて重要なものが関与していまして。ま、いわゆる「シリーズ」になるわけですが.......で、今回はその前提となる「マラリア」について。基本的な話をしてみました。
 ちょっと長くなりましたけどね(^^;;

 で、前提となる話はしっかり出来ましたので、次回はこのマラリアの特効薬として有名な「キニーネ」について、色々と話し手みたいと思います。ま、これがまた重要な話になっていますので........十分にやる価値はあるんです。
 ま、頑張って作りますかね(^^;

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/09/25記述)


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