からむこらむ
〜その157:二つの抗うつ薬〜


まず最初に......

 こんにちは。気候の変化が激しいですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 管理人は妙に不調な日が多いですね.......やはり負担が大きい月なのでしょう。どうにかこうにか切り抜けてはいますけどね。
#やれやれ.........

 さて、今回のお話ですが。
 前回から躁鬱病の始めることとなりましたが、前回では鬱病を中心とした躁鬱病の症状の説明と、精神分裂病から始まった治療薬の探索ということに触れました。
 ということで、今回はその治療薬の本格的な探索の部分に触れていくこととしましょう。ま、これらはかなり偶然と必然が折り重なって出来たものではあるのですがね。
 それでは「二つの抗うつ薬」の始まり始まり...........



管理人注
 2002年1月19日に日本精神神経学会は精神分裂病の名称を「統合失調症」に変更することを承認しました(8月に正式決定予定)。が、今シリーズでは統一性を持たせる為に名称の表記変更はしないこととします。
 ご了承下さい。

 では前回のラストでゼラーによってMAO阻害薬であるイプロニアジドの発見までを話しましたので、この続きといきましょうか。

 イプロニアジドとは何か?
 実はこの薬、もともと1950年代に結核治療薬として導入されたのですが、しかし結核に対しては余り大した効力を持っていませんでした。ところが、この薬剤は不思議なことにMAO(モノアミンオキシダーゼ)阻害の効力が非常に大きい。
 この結果を受けた研究者達は、ラットでこの薬剤を試してチェックすることにします。最初に試したのはイプロニアジドの投与による脳内のノルアドレナリン(ノルエピネフリン)とセロトニンの濃度のチェックでして、これは期待通り上昇していました。つまり、MAO阻害薬によってノルアドレナリンやセロトニンの分解が阻害されているらしい。
 次に、これらの伝達物質を枯渇させてしまうレセルピンとイプロニアジドを一緒に投与してラットの行動を見ることとします。この目的はイプロニアジドが当時まだメカニズムが不明であった分裂病患者に与える影響を見るというものでして、分裂病の機構解明への手がかりを目的としたものでした。この結果は非常に興味深いものとなりまして、両者を使用することでラットは活動が過剰になり、ケージの中を走り回ることとなりました。

イプロニアジドとレセルピン
作用(当時の推測)正常なラットへの投与後
イプロニアジドMAO阻害
(もともと結核治療薬)
レセルピン神経伝達物質の枯渇
(抗分裂病薬)
抑制的
イプロニアジド
+
レセルピン
---活動過剰
※:1950年代の実験で分裂病等の機構は一切不明

 この効果は非常に注目されることとなります。
 この結果を受けて研究者達は次のように考えます。それは「レセルピンの抗分裂病の効果(活動過剰な分裂病患者を沈静化させる)をイプロニアジドが反転させるのではないか?」。つまり、ラットの興奮状態などから見てイプロニアジドは精神を賦活させるらしい。ということは抑制的になる鬱病の治療にも使えるのではないか?
 もともとイプロニアジドを結核への治療に用いた際、患者が多幸感を示す事がある、という報告が当時いくつかありました。これは確かに消耗的な結核の患者を元気づけていると言え、しかもその様子は医者の予想を遥かに越えている事が多くありました。

 ところで、こう言った断片的な情報に注目していた人物の一人に精神科医であったナタン・クラインがいます。
 彼はこう言った情報に興味を持ち、彼の分裂病の患者にイプロニアジドを投与することを思いつきます。そして、入院していた分裂病患者に対してイプロニアジドを単独、及びレセルピンと併用する形で投与してみました。更に彼は鬱病患者にもイプロニアジドを投与し、その経過を見ることとします。その結果、鬱病患者では劇的な改善を、そして分裂病患者では症状が悪化することを確認します。

クラインの実験
 分裂病患者  鬱病患者 
イプロニアジド症状悪化症状改善
レセルピン症状改善症状悪化
イプロニアジド
+
レセルピン
症状悪化--
※:1950年代の実験で分裂病等の機構は一切不明

 この結果はイプロニアジドが鬱病に対して有効な薬である、ということを示すこととなります(同時に分裂病を悪化させる可能性のある薬であることも示しますが)。
 そして、この報告がされると結核治療薬として用いられたイプロニアジドは抗鬱病薬として用いられるようになり、瞬く間にこれによる治療が広まることとなりました。


 このようにしてイプロニアジドは「成功」を収めるのですが、この結果から各製薬会社は他のMAO阻害薬の探索に乗りだすこととなります。こういった薬剤を多数探索し、発見されまして、これらはそれぞれ鬱病に対して効果を持っていました。そして、MAOを阻害することで鬱病が軽減されるという事を確認していきます。
 この様な中、MAOとその阻害薬の研究は進み、その中からレセルピンの作用機構の解明(実は分裂病の際にこの話はしていません)とMAOとの関係が徐々に判明してくることとなりました。

 レセルピンは何故ノルアドレナリンやセロトニン、ドーパミンを枯渇させるのか?
 神経の基本的なメカニズムはその73で触れた通りです。つまり、シナプス前膜から小胞に包まれた伝達物質が放出され、後膜の受容体へ向かう.......という物でした。そして、シナプス間隙での伝達物質の濃度は基本的に一定となっています。
 では、レセルピンは何故こう言ったものを枯渇させるかと言いますと......下図を見て下さい。



 ま、相変わらず汚いですが(^^; 一応、シナプス前膜の図と思って下さい。
 通常、伝達物質は小胞に包まれていまして、必要に応じて膜の前面に出て間隙に放出されています。が、この小胞も完全ではなく、時々伝達物質を漏らしてしまいます(I)。もし、これがシナプスの膜から出てしまえば、間隙での濃度が増加して神経の正常な伝達を撹乱してしまいます。そこで登場するのが神経細胞内のミトコンドリアより出されるモノアミンオキシダーゼ、つまりMAOでして、これが漏れ出した伝達物質に作用し(II)、これを(前回触れた反応で)失活させます(III)。これで神経の正常な伝達を維持することとなります。
 一方、レセルピンはノルアドレナリンやセロトニン(そしてドーパミンも)で作動する神経において、それぞれの物質が入っている小胞を壊してしまいまして、中の伝達物質をシナプス内でばらまいてしまいます(I)。となると、上記のごとくMAOが反応し(II)、これを無力化してしまいます(III)。この結果、レセルピンによって神経伝達物質は結果としてことごとく無力化され、これによってレセルピンが伝達物質を枯渇させてしまう、ということがわかりました。
#そして、前キャンペーンで触れた通りドーパミンが枯渇してパーキンソン病様の症状や分裂病を軽減させることになります。

 ところが、もしMAO阻害薬が存在するとどうなるか?
 当然上図の「II」の過程が阻害されることとなりますので、小胞より漏れ出した神経伝達物質は失活されることなくシナプスの間隙に出ることとなります。ということはシナプス間隙での伝達物質の濃度は上昇することとなります。更にレセルピンも併用すればこの効果はより増すこととなります(小胞から伝達物質がばらまかれる上にMAOによって失活されないので)。となると、先ほど触れたMAO阻害薬とレセルピンの併用でラットの過剰行動が見られるのは、実はこう言った作用によるものではないか。そして同時にノルアドレナリンやセロトニンの濃度が過剰になることで、ある種の興奮状態になるのではないか、と推測されることとなります。
 こう言ったことから、同時にノルアドレナリンとセロトニンは鬱病と何らかの関係があるのはないか、というのも当然推測されることとなりました。

レセルピンとMAO
作用結果

レセルピン

シナプス前膜の小胞から伝達物質を漏出させる結果としてMAOによってノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミンが枯渇

MAO

小胞より漏れ出した伝達物質を失活させるシナプス前膜での「安全弁」として働く

MAO阻害薬

小胞より漏れ出した伝達物質を失活させず、
シナプス間隙で伝達物質の濃度上昇
神経伝達物質の濃度上昇し、伝達が強化される
(鬱病改善)
レセルピン
+
MAO阻害薬
上記より
ノルアドレナリンやセロトニン濃度が上昇
MAO阻害薬単独より伝達がより強化される

 この様な結果と、それまでの様々な報告から、研究者達は徐々に鬱病とノルアドレナリンおよびセロトニンとの関係に注目していくようになります。そして、こう言った事実や観察・推測より「鬱病のアミン仮説」と呼ばれるものが出てくることとなりました。つまり、「鬱病の患者はこう言ったアミン性の神経伝達物質の量が少ない、あるいは何らかの形で伝達に障害があるのではないか?」。
 その可能性はかなり高いものでしたが、具体的に判明するのはまだ時間を要することとなりました。

 ところで、この様な研究の成果などもあって、MAO阻害薬は1960年代の初頭には鬱病の治療の最前線で活躍していました。
 しかし、MAO阻害薬は致命的な欠点があり、実はそれによって現在では余り鬱病の治療の目的では積極的に用いられていません。理由はその性質ゆえでして...... アミンの一つに「チラミン」という物があります。このチラミンはチーズやピクルス、ビールやワインなどに多く含まれています(酒飲みとは縁がありますか)。そして、更に血圧を上昇させる作用を持っています。ということで、これが過剰にあると血圧が上がってしまって都合が悪い。よって、適正な量が超えている場合は肝臓や腸にあるMAO(分布が脳だけではないのに注意)が活躍してこれを分解してしまいます。ところが、MAO阻害薬が存在すると、脳内での伝達物質の失活を行う一方、肝臓や腸にあるMAOも阻害してしまうため、血圧を急上昇させて最悪の場合には脳内出血を起こしてしまうことが判明します。この「チーズ効果」または「ビール・チーズ症候群」と呼ばれる副作用は、MAO阻害薬が鬱病の改善をもたらす一方で、使用上の不安材料となってしまいます。
 では、鬱病患者はこれを諦めなければならなかったのか?
 幸運なことに、MAO阻害薬に替わる薬剤が登場したことによってこれらを諦める必要はなくなりました。それは一般に「三環系抗うつ薬」と呼ばれる薬剤の登場でした。
#MAO阻害薬も現在は色々とあるのですが、取りあえずこれは後ほど。

 三環系抗うつ薬の出発点は実は分裂病薬と極めて密接に関連しています。
 そのベースとなる化合物は、実は抗分裂病薬として作られたクロルプロマジンでして、クロルプロマジンの成功後により強力でより副作用の少ない抗分裂薬を目指して開発されたものの一つでした。ま、化学的な話はいくつもあるのですが........クロルプロマジンの構造から、フェノチアジン系のもつ三つの「環」を維持しつつ、その原子などを変えるなどしていった結果、最初に成功した三環系抗うつ薬「イミプラミン」が登場することとなります。




 この薬剤の発見のきっかけは、極めて強い忍耐力の賜物でした。
 MAO阻害薬が抗うつ薬になるとはまだ分からなかった1955年、スイスの精神科医ローランド・クーンはスイスの製薬会社であるガイギー社(当時)に要請して精神分裂病の為の薬剤を手に入れます。彼はこの中にあったイミプラミン  当時は「G22355」と呼ばれた薬剤を分裂病患者に投与してみたものの、その結果は芳しくありませんでした。結局、300例近い(非常に粘り強く、忍耐強いと言えますが)実験投与の結果は全て「抗分裂病薬」として「使えない」という物でした。
 さて、これだけの失敗の後、彼は今度は分裂病患者以外の精神病患者への投与を検討します。そして実際に投与を始めてみますと、これが鬱病患者に対して非常に良好な結果を示しました。「これは抗うつ薬になる」と考えた彼は、他の患者への投与も開始。他の精神科医による事例なども併せて、最終的にこれが非常に有効な抗うつ薬であることを確認します。
 この報告を聞いたガイギー社は急いで事を進め、そしてイプロニアジドが導入されたほぼ1年後の1958年の春にこのイミプラミンを市場へと送り出します。

 この様な経緯を経て市場へと出ていくイミプラミンですが。
 当然のことながら「この薬剤はどうして鬱病に有効なのか」と言うことが調べられることとなります。当然の事ながら当時出回っていた抗うつ薬であったMAO阻害薬との比較がされるのですが、奇妙なことにイミプラミンはMAOを阻害する能力はほとんどない。しかし、鬱病には有効である。しかも不思議なことにその臨床効果はMAO阻害薬によるそれと非常によく似ていると言える。
 ........何故だ?
 と言うことでこの探索が今度は始まることとなります。


 イミプラミンの作用機序の解明は、神経伝達のメカニズムに目が向けられた結果判明することとなります。
 1960年前後の神経伝達のメカニズムに関する知識は、基本的に全てがアセチルコリンの伝達と同じ様式と考えられていました。つまり、シナプス前膜より伝達物質が放出され、これが後膜に作用して伝達を行い、一方で分解酵素が作用して伝達物質を失活させる、と。このような考えの下、当時MAOはノルアドレナリンなどのアミン性神経伝達物質を分解する、つまりアセチルコリンの例で言えばアセチルコリンエステラーゼに相当する存在と考えられていました。ところが科学者達が調べた結果、受容体に結合した伝達物質をMAOが分解する力はほとんどないことが判明します。つまり、MAOはシナプスの内部に留まって単に小胞より漏れ出す物質を相手にしており、シナプス間隙で働く事はない、と言うことが判明しました。更に、MAO阻害薬は特に受容体に対してアゴニストのような(その73参照)作用をすることが無いことも判明します.......と、これはピンと来ないかも知れませんが、これはMAO阻害薬はあくまでもMAOの阻害を行う事であり、アゴニストになる訳ではない、と言う証明になります(もし仮にMAO阻害薬がアゴニストなら、その薬剤は「アゴニスト」が主になり、阻害は「従」となる可能性があります。ですのでこの検討は必要なものとなっています)。

アセチルコリンエステラーゼ(AChE)とMAO
存在場所働き
AChEシナプス間隙
シナプス間隙及び後膜の受容体に結合した
アセチルコリンの分解

MAO神経細胞内部
シナプス前膜で小胞より漏れ出した
伝達物質を失活させ、「安全弁」として働く


 このような結果から、既知の神経伝達様式とは違った神経伝達の機構の存在、例えば伝達物質が別の酵素によって分解されるメカニズムや、酵素以外で失活される様なメカニズムが想定されることとなり、この研究/探索を行う必要が生じることとなりました。
 この探索は後の1970年にノーベル賞を受賞する事となる、ジュリアス・アクセルロッドらの研究によって判明することとなりますが..........


 ........と、長くなってしまいました。
 切りも良いので今回は以上ということにしましょう。




 ふぅ...........

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 今回は鬱病に有効な最初の薬剤とそのメカニズム、そして分裂病の際に触れなかったレセルピンの機構。更には新しい薬剤とそれが示した未知の神経伝達機構の存在という話でしたが........ まぁ、やや難しいかも知れませんが、既に説明してある物の延長/応用ですので、良く考えればそう難しくはない.......はずです(^^;
 ま、難しかったり補足が必要という場合は一報入れていただければ、と思いますが。
 

 ということは今回は以上です。
 次回は、この続きといきましょう。次回はいよいよ鬱病の本格的な原因への追及と、そして今でも使われる薬剤の理解に必要な機構の説明が入ることとなります。まぁ、薬剤だけ紹介している様なサイトでは得られないような話となるのは保証しましょう。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/02/19記述)


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