からむこらむ
〜その161:食う無分別食わぬ無分別〜


まず最初に......

 こんにちは。なんか妙に暖かいですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 いやぁ、異常気象ですね。近所ではソメイヨシノが四分咲きぐらいになっています。非常に早いものですが.........

 さて、今回のお話ですが。
 今回は色々と公私で忙しかったので、ちょっくら困った状態だったんですけど。え〜、まぁ旬から外れてしまいますけど、有名な毒とそれにまつわる話をしてみようと思います。
 ま、とりあえず有名な毒ですけどね.......ただ、まつわる話は結構知られていないようです。ということで、色々と触れてみることとしましょう。
 それでは「食う無分別食わぬ無分別」の始まり始まり...........



 皆さんは「食べる」と言うのが好きな方もいらっしゃるかと思います。
 さて、「食べる」にしてもどうせ食べるなら「美味い物が良い」でしょう。そして、そういうものの中にはなかなか入手が難しい、あるいは調理が大変であるという物もあります。そういった物は、常に珍重されることとなりますが..........
 皆さんはどういった物がこれに当てはまるでしょうかね?
 ところで昔々の縄文時代の頃の生活は、当時日本にいた人達は彼らの使った「ごみ捨て場」、いわゆる「貝塚」よりある程度の推測がなされています。こういったことより、当時の人達はなかなかに「グルメ」だった事が分かっています。もちろん採集や狩猟による生活でしたので、その年々で生活の安定度は大きく変わるのですが。ただ、調べると結構良いものを食べていたのではないかと推測がされています。
 彼らはどの様なものを食べていたのか?
 土地によって違いますが、木の実と言ったものもありましたし(ドングリのパンなんてのもあります)、狩猟で肉を。川や海のそばにいるなら漁を行っていたらしいことも分かっています。もちろん、貝塚よりそういった生物の骨や貝殻などがあるので分かるわけですが。
 そういった骨の中に、ある地域ではフグの骨が見つかっています。つまり、そこの近海で釣ったフグを彼らは食べていたわけでして....... ところが、皆さんご承知の通りフグというのは毒があります。と言うことで、おそらくは彼らもそれを知っていたと思われます。同時に、それを知りつつもあえて食べていたことから、美味だったのではないかと思われますが........もっとも、あるいは食料難で最後の手段だった、と言ってもそれを否定は出来ませんが。まぁ、でも現代でも食べられていますし、おそらく昔の人達もそうだったと思われます。
 このフグの毒。非常に有名ではありますが、なかなかに幅が広い話があることは結構知られていません。
 今回は、この毒についての話をしてみようと思います。


 この毒はどういうものか?
 それを話す前に、「フグ毒」と言われるくらいですので、そのフグの話をしてみましょうか。

 フグと言うのは、生物学的な分類ではフグ目フグ科(Tetraodontidae:「四つの歯」を意味)に属する魚の総称です。広義にはハリセンボン科やハコフグ科のものも含みます。漢字では「河豚」、英語では"puffer"でして、関西以西では「フク」と呼ぶ地域が多いとされます。実際、平安時代の『和名抄』という辞書によれば「フク」「フクベ」と呼ばれたそうで、そこから鎌倉、室町時代と「フク」と呼ばれていた様です。「フグ」と濁ったのは江戸時代と言われていまして、18世紀後半の『物類称呼』には京、江戸では「フグ」、西国、四国で「フグトウ」と呼ぶとあります。
 形状云々は色々と種類もありますし、一般的に知られている魚ですのでそう説明は要らないと思いますが、大体は丸みを帯びた身体で、小さめ。腹びれや腰骨がなく、うろこが無い(変形したとげ状の突起を持つものがありますけど)魚です。特徴的なのは「まばたき」が出来る魚と言うことで、実際に目を閉じたりすることが出来ます。もっとも、この動作は数秒かかるそうで......何の役に立つのか不明ですけど。そして、何かに驚くか外敵に会うと水(空気)を吸い込んで腹を膨らませて威嚇すること(と解釈されています)がよく知られています。この量はかなりのもので、体重の2〜4倍。体長20cmの魚で約1リットル程となっています。尚、フグは固い歯をかみ合わせてきしらせて発音し、更に腹を膨らませるときなどに「キューキュー」と音を出します。
 ところで、フグは運動能力が弱い事が知られていまして、動きが遅いです(ですので、縄文人達にとっては絶好の獲物だったでしょう)。海底近くを泳ぎ、疲れると砂れきの中に身体をうずめるようにして休みます。食事は肉食性でして、口から水を吹きつけて海底の砂を巻き上げ、その中に潜んでいる生物を捕食します。一説ではこの「水を吹く」習性から「フク」と呼ばれるようになったと言われています。英名のpufferはこの「ぷっと吹く」ことから名付けられたということですが。
 ま、諸説ある様ですけどね、名前は。

 ところで、日本人がフグを食べるのは世界的に有名ですが、ほかにも食べるところがあります。
 どこの国や地域で食べられるかというと朝鮮半島や中国でして、特に中国では長江をさかのぼって来るフグが食べられていたようです。ま、ここから「フグ」は漢字で「河豚」と、「河」が当てられたらしいのですが(「海」だとイルカですし)。名前はともかくも記録はありまして、呉越の争いの頃に最もよく食べられていたといわれています。古い記録では始皇帝の頃に書かれた『山海経(せんがいきょう)』という本にもフグの記録が残っています。
 ただ、日本〜朝鮮半島〜中国の東アジア地域以外ではあまり食べられなかったようでして、熱帯〜温帯地域にフグは多数いるのにもかかわらず、積極的に食べられてはいません。一応、エジプトの第五王朝(B.C.2500頃)の墓にフグの絵が書かれているそうですので、知られてはいたようですけどね。ただ、食べられなかったようです。
 その理由は、当然フグの特性からだったと考えられますが.........

 ところで、フグというのは色々と料理があることは皆さんご存知でしょう。
 ま、旬は冬ですのでもうずれてはいますけど、江戸時代には汁ものが普通だったようですが、現在では例えばフグ鍋に刺し身とか、白子酒(西施乳)など様々な料理があることはよく知られている通りです。ちなみに、フグの刺し身は「フグ作り」と称すのは知られているでしょう。これは刺し身は歯ごたえがあるので薄い作り身になっています。この刺し身に添えられることのある皮下のゼラチン質は、刻んで熱湯でゆがいたもので「とおとうみ」と呼ばれます。これは「三河(身皮)に接している」ということで遠江となったそうですが(旧国名による洒落)。
 フグ料理はお値段も結構なもののようですが、相応に味も良いと言うことで一般には「高い料理」として位置づけられています。ただ、同時に今回のテーマでもあるようにフグは毒を持つことが知られているわけでして、現在その調理ができるのは免許を持った人間のみ、となっています。
 さて、その毒は非常に強いことが知られていますし、また過去でもよく知られていました。
 実際に『山海経』には「フグは人を殺す」と書かれてあるようですし、エジプトで記録されているのに食べられていないのは毒のせいかもしれません。縄文時代の人たちは研究の一説によると「(毒の強い)内臓は食べていなかったのではないか」という話もあるのですが、おそらく彼らも毒があることは知っていたと思います。しかし、「美味である」という魅力は強かったようで、東アジア地域で食べられた最大の理由はそのためかもしれません。ま、何故この地域以外であまり食べられないのかはなんとも言えませんが.........毒があるから単純に避けられたのかもしれませんし、味が舌にあわなかったのかもしれませんが。
 しかし、日本や中国では毒があるのによく食べたのも事実。
 その味を褒める記録も多く、17世紀末の『本朝食鑑』には「味淡にして最も美なり」とあり、井原西鶴の作中にもフグ汁を称賛しているシーンがあります(西鶴自体好きだったようです)。

 日本でのフグ料理の最初の記録は室町末期の『大草家料理書』にあるそうでして、ここには「フグ汁の料理は差し支えがあるので書かなかった。どうしてもつくりたいなら、汁の中にシキミや古い家屋のすすを入れないように」と注意書きがあるそうです。これはちゃんと背景がありまして、当時の世情から「武士が戦場ではなく、フグにあたって死ぬとは何事であるか」という考えがありまして、そのために武士はフグを食べない(食べさせない)様になっていました。ま、こう書かれるということは当然隠れて食べているのが結構いたから、ともとれますが。
#「すす」のくだりはフグ料理の調理中にすすが入ると確実に死ぬ、と言われていたことに由来しています(かなり一般的に流布していたようです)。
 この考えは結構強かったようでして、江戸時代の武家では「フグは食べるな」といわれており、貝原梅軒も「身を慎む人、食うべからず」と記録しています。そういう背景もありまして、一般にフグは町人の食べ物でした。もっとも、18世紀の江戸の町医者小川顕道の『塵塚談』に「武家はフグは食べなかったが、最近は食べるようになった」と書かれ、「最近はフグの値段も上がった」と書いています。こういったことは日常的になっていたようでして、さまざまな記録に綱紀粛正のために「フグは食うな」と各武家で注意の伝達が出回っていたようです。もっとも、守られなかったようですけど....... ですので、長州藩などでは「フグで死んだら不名誉」とその家の家禄没収などと言う強硬策にも出たようですけどね(名誉が重視される時代ということを考えればわかると思いますが)。
 ところが、毒は怖いがフグは美味である。日本でも「河豚食う無分別食わぬ無分別」「河豚は食いたし命は惜しし」という様な言い回しもあります。そして、非常に特徴的なことにフグの「当たり外れ」が非常に大きく、「弾に当たる、当たれば死ぬ」で「偶にあたる」ということでフグを「鉄砲」あるいは「てつ」と呼び、ここからフグ鍋を「鉄砲鍋」と称したといわれています(火縄銃の命中率の悪さを皮肉る向きもありますが)。こういったことから、冒頭の芭蕉の句が出てくること(「ふくと汁」はフグ汁料理)になりますが........


 さて、このようなフグですが、その毒の研究が行われたのは19世紀、そして本格的に判明していくのは20世紀となっています。更に、この毒の研究に関しては日本人が終始深く関わってきている毒となっています。ま、日本人による研究が多いこととなどから、非常に多くの文献や話が残っているのですが........取りあえず、簡単に経緯を書いておきましょう。
 この毒の研究の開始比較的早く、明治10年頃には主立ったフグの種類ごとに、「どこに毒があるか」ということがかなり研究されて知られていました。最初に毒の成分の分離に成功したのは当時日本における食品衛生研究の第一人者であった田原良純でして、明治40年代にフグの卵巣よりいくつかの操作を経て(長いので省略)得られました。これはトラフグの旧属名"Tetrodon"より"tetrodotoxin"、つまり「テトロドトキシン」(最初は「テトラドトキシン」だった様です)と命名されますが、純度はわずか0.2%というものでした。
 さて、この毒は確かにかなりの強力な毒性を持つということは確認され、後に三共製薬が大正2年に神経症などの薬としてテトロドトキシンを販売します。が、残念ながら構造などの詳しい情報に関しては判明しませんでした。

 テトロドトキシン  一般に「TTX」と略される  の本格的な研究、つまり構造解明への研究は戦後になります。
 主な研究グループは国内では二つありまして、東大の津田恭介、名古屋大の平田義正の2チームがこの仕事に精力的に働きます(もちろんほかのグループも頑張っていますが)。詳しい経緯はかなり記録が残っているもののスペースが無いので省略しますが、津田の師弟であった河村正朗(彼は脳腫瘍で途中で死去します)が1952年にテトロドトキシンの分離に成功してから抽出法に改良を加え、フグの卵巣1000kgから10gのテトロドトキシンを得ることに成功(これは当初の100倍の収量になります)。一方で平田のグループは25本のドラム缶に集めたフグから70gのTTXを得るなど、まずは抽出法の改良が行われます。どちらにしても量に比して少量(1tから10gとか考えるとよくわかるでしょう)しかとれないので、この抽出法の改善は重要な課題でした。
 こうして得られたTTXは、各グループによってあらゆる科学的手法を使ってその構造の一部が判明していきます。ただ、低分子ながらかなり複雑な構造であり、当時(昭和30年代前半)国内にわずか数台しか機器を使ってX線結晶解析法による構造解析が行われるようになります........とはいっても、現在のようにコンピュータの性能が低くて全自動ではないのでTTXの臭素塩の構造を8ヶ月かけて解明することとなります。他のグループも同様の方法で構造を解析していき、更に数ヶ月かけて特定を行います。
 そして、天然物化学の世界では極めて有名な出来事なのですが、津田ら、平田ら、ウッドワード(キニーネレセルピンの合成もやったノーベル賞受賞者です)らの各研究チームが1964年に京都で開催された国際天然物化学会議において同時に、全く同じテトロドトキシンの構造を発表。これによってテトロドトキシンの構造が確定され、この3チームが構造解明の名誉を受けることとなります。
 これは戦後日本の化学界が世界に通用することを証明する目覚ましい成果ともなりました。




 有機化学をある程度やるとその構造の解析には頭を痛めるのはよくわかると思いますが........
 専門向けに書いておきますと、実際にはNMRなども駆使して構造が決定されています。また、この生合成経路はアルギニンとイソプレン骨格より合成されると推定されています。
 この複雑な化合物は、構造決定の後に岸、後藤らによって人工合成が行われています。つまり、とことん日本人が関与している物質といえるでしょう。


 さて、ではこの毒はどういう毒なのか?
 ということを話すにはスペースがありません。これは次回に持っていくこととしましょう。もっとも、話は単純ではないのですが.........

 ということで、今回は以上で。




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 まぁ、旬は終わってしまっているのですが(^^; ちょっと管理人が公私共に忙しいものでして、ちょっとネタを絞る時間がありませんでした。ので、適当に選んだらこうなった、という話です。ま、そろそろとも思っていた話ですので、別に問題はないんですけどね.........ただ、文化的にも科学的にも広がりを見せる話ですので、なかなか面白いとは思います。
 実際、これが意外な方向に向かいますので........

 ということで今回は以上で。
 次回はこの話の続きと行きましょう。つまり、テトロドトキシンの話と、それに関連する話ですね.........

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/03/19記述)


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