からむこらむ
〜その180:因縁のNG〜
まず最初に......
こんにちは。気付けば10月も下旬ですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
暦を見ると、土用のまっただ中。秋から冬へと移行する時期ですが.........急に冷え込むようになった感じですね。風邪にはお気をつけを。
さて、今回のお話ですが。
今回は最近のニュースに関連するもの物と、その創設へと向かわせた因縁深い物質の話をしようと思います。まぁ、有名な人物と有名な物質の話に関わるものですがね。まぁプロット作ってある程度完成したら、ニュースになっていたと言うだけで関連はないのですがタイムリーです(^^;
#管理人自身受賞の時期を忘れていましたしね。
ま、人物は名はよく知られていますが、業績の内容とその物質については意外と知られていませんので、十分触れる価値はあるでしょう。
それでは「因縁のNG」の始まり始まり...........
皆さんは「科学」が人類に与えるもの、というものをどう考えるでしょうか?
幸福? 不幸? あるいは両方........ま、少なくとも科学無くして現代の生活はありませんし、同時に科学のおかげで不幸を生み出した、というのも否定は出来ません。具体例を挙げずとも分かるでしょう。とある学者に言わせると、科学の究極の目的の一つは「真理の探究」と言われています。ですが、それだけではもちろんやっていけないわけでして、色々と「人類の幸福」と言うものもまた科学の使命の一つです。
では、「人類の幸福」のために、例えば世界を平和にするにはどうすれば良いか?
少なくともこれは現在にとっても重要であり、かつ達成が困難なテーマであることは確かです。同時に、さまざまな考えがありますが.........その中の一つは「互いに強力な、それ一つで軍隊が壊滅するような兵器を持てば、うかつに手を出せなくなるために戦争が起きず、これで平和になるだろう」という考えがあります。そして、具体的には差異はありますけれど、それを「平和へたどり着く道だ」と信じた人物がいました。
その人物は19世紀において最も偉大な発明家の一人で、そして人類への貢献を真剣に考えていた一人でした。
1833年、スウェーデンの首都ストックホルムで生まれたその人物はアルフレッドと名付けられます。彼が生まれて3人(後一人子供が出来て4人となる)の父となったイマヌエルはこの年に破産しまして、家族の生活は大変なものでした。
このイマヌエル、別に放蕩で無才という事ではなく、独学の発明家で技術者でした。ただ、そのために家族を犠牲にしてしまうという傾向もあったようで、そういった点ではあまり家族思いではないともとれますが。そしてスウェーデンでの事業の失敗の後、債務者として捕らえられることを恐れた彼は、妻と息子を置いて当時帝政ロシアの首都ペテルブルグへ逃亡し、経済的損失の回復を図ります。
さて、イマヌエルはこの地において活発に活動し、その結果政府の軍用爆発物で成功して工場の共同所有者となります。そして一家を呼び寄せまして、ここで子供達に家庭教師をつけ、やがては留学させるまでに至ります。更にイマヌエルは、1853年に始まったクリミア戦争(ナイチンゲールが活躍したことで有名な戦争)の為に工場で水雷の製造を行い、これで大きく儲けることとなりました。
しかし1856年、戦争が終わるとロシア政府は工場から手を引き、後にイマヌエルは破産。1859年に彼は妻と末子エミールをつれてスウェーデンに帰ります。残った兄弟は既にさまざまな技術や知識を身に付けていたために工場の再起を考えて行動しますがどうにもならず、結局スウェーデンへと帰国します。
さて、時代はやや戻って1846年、当時チューリン大学の教授であったイタリア人化学者のアスカニオ・ソブレロは、濃硝酸と濃硫酸の混液を冷やしながら、これに無水グリセリンを加えると淡黄色で油状の化合物が出来ることを発見します。この化合物は水には難溶性で有機溶媒には良く溶け、加熱で爆発するという性質を持っていました。しかも爆発は加熱のみならず衝撃でも起こりました。実際、彼はこの化合物一滴をビーカーに入れて熱を加えた時、ビーカーが爆発して破片が見物人の顔に刺さったなどと記録しています.......大問題になりそうですが。
彼は他にもこの化合物についてさまざまな記録を残しています。例えばこの厄介な化合物、面白いことになめてみると甘味があり、しかもしばらくすると激しい頭痛を引き起こすといった事も記録しています。他にも事細かに記録しているのですが、さまざまな検討の結果、彼は取り扱いが厄介なこの化合物を使うのは困難であると考えました。
もっとも、後にはこの爆発力が注目されますが........
これがいわゆる三硝酸グリセリン、通称「ニトログリセリン」のデビューとなります。そして今回の話の主人公 アルフレッド・ベルンハルト・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)はこの化合物を知った後、これと一生付き合う事となりました。
アルフレッドがニトログリセリンを知ったのは、父イマヌエルが注目していた事によるようです。そして研究対象としたのは、イマヌエル達が去った後のロシア滞在時でした。
彼は生来体が弱く、母親の看護の手によって体調を持たせていたようでして、この頃は体調が欲ありませんでした。しかし、それにも負けず研究を行い、やがてニトログリセリン製造工場の事業に着手することになります。そして1861年にスウェーデンに帰国し、更にはパリでの資金繰りに成功してイマヌエルと共同運営によるニトログリセリン工場をストックホルム郊外に建設。弟エミールも加わって事業を始めます。
そして1862年、黒色火薬を入れた金属管にニトログリセリンの入ったガラス管を入れて封入し、導火線をつけ爆発させることに成功します。これはニトログリセリンを黒色火薬を爆発させる起爆薬として作りました。翌年にはこれとは逆にニトログリセリンを起爆させるための雷酸水銀による雷管を発明。これが彼の主要な発明の最初の一つでして、この特許を取得します。
そして重要なことに、これを機にニトログリセリンが世界各地で使われるようになります。
さて、ところでニトログリセリンとはどういうものか、ということについて触れておきましょう。
ニトログリセリンはその105で簡単に触れたことがありますが。
というものです。高校レベルの有機化学でもやるところはやるでしょう。アルコールのニトロ化反応ですが........硝酸と硫酸の混酸で作る、というのは以前の記事でシェーンバインの時に触れたものが関連しています。名称に関しては一般に「NG」と略記されることがあります。
特徴はソブレロが記録した物が主なものです。爆発性があり、黒色火薬の7倍の威力を持ちますが、開放状態での少量のニトログリセリンへの点火は爆発ではなく単に燃えるだけです。ただ、密閉したり量が多くなると爆発をします。もっとも、一滴を板において熱すると200℃では爆発し、400℃では燃えるという話もあるようですが。
そして、重要な点としてはこの化合物は衝撃でも爆発をしますが、困ったことにこれが「気まぐれ」であることが良く知られています。どういうことかというと、極端に言えば「ニトログリセリン入りの瓶を落とした」のに爆発しないことがあれば、羽毛でなでただけで爆発する、といった事があります。爆速は7500〜8000m/sの高速と1500〜2000m/sの低速の二種類があります。
味は甘味がありまして、これはソブレロの報告通りです。そして、報告通り激しい頭痛をもたらします........この点は、次回に触れましょう。
#尚、火薬と爆薬は定義があるのですが、ここでは省略。
さて、このニトログリセリンはその強力な爆発力が注目をされました。
どういうことか、というと当時は交通はある程度発達していたものの、山の多い地域では迂回や厳しい道を歩む事になります。では、山をくりぬいてトンネルを作ろうか、ということになるのですがこれがまた困難。また、当時は工業の発展とともに鉱山の開発が活発だったのですが、これもまた人手がかかる上に危険である。
こういった事に爆薬を使えば?
当然「楽」になります。それまでは黒色火薬などが用いられることがありましたが、より強力な爆薬であるニトログリセリンを使えば?
アルフレッドの工場は当初は順調に稼働をします。
しかし、ここには悲劇が待っていました。1864年、弟エミールが工場でニトログリセリンの爆発により死亡。同時に工場も破壊され、エミールを含め5名が死亡します。この事故の影響か、イマヌエルは卒中で倒れて体の自由を失い8年後に他界します。これによりアルフレッドはニトログリセリンの安全な製造・運用・輸送法を見付ける必要性に迫られます。そして、同時に一家の生活と家業の責任は全て彼にのし掛かることとなり、更にはアルフレッドは再起をかけて奮闘をすることとなります。
ただ、工場の爆発は大きな影響を残しました。
この事故のために一般にもニトログリセリンの爆発性が知られるようになると、当然の事ながら誰も近くに工場が出来ることを嫌がるようになります。ストックホルム市も工場建設の許可を与えませんで、アルフレッドは往生することとなりますが........しかし、まぁ良く考えたというか。市の近くにある湖に停泊したはしけの上に工場を建設します。更にストックホルムの裕福な商人スミットの援助で、ストックホルム近くの人里離れた地域に工場を建設。これは順調に進みまして、やがてドイツのハンブルク近くのクリュンメルにも工場を建設します。
この結果、世界中にニトログリセリンの供給が行われることとなり、広く使用されるようになります。
その利用は大きく、各地のトンネル採掘や鉱山で使用されました。これが無ければアメリカのセントラル・パシフィック鉄道は開通せず、シエラネバダ山地付近の交通は無かったと言われるようです。こういった恩恵は各地で見られることとなりました。
しかし、ニトログリセリンは先程書いたように問題が多くありました。
つまり不安定で爆発しやすく使い勝手が悪い。これは本当に大問題でして、更には一般の人たちにも取り扱いの理解があまりなかった事や、説明を面倒くさがって聞かなかった人もいて事故は続発しました。例えば、エミールのように製造中の爆発もありまして、事実1866年にクリュンメルの工場は爆発でつぶれてしまいます。他にも鉱山などでの使用では、岩の割れ目にニトログリセリンが流れ込んで爆発、ということもありました。また、ニトログリセリンの融点は13℃であるために冬季には凍結。これを溶かすために暖めて爆発する、という事件も頻発しました。
こういったものの他に輸送中の事故も多発しまして、例えば馬車が当時は一般的な大量輸送の手段でしたが、当時は石畳の道も多いためにその段差の衝撃で爆発ということもあったようです。ただ、ニトログリセリンの「気まぐれさ」故に妙な使われ方もありまして、例えば靴を磨くのにニトログリセリンが使われたとか、馬車の車軸にグリース代わりに使われたとかあるようです.......爆発しなかったのでしょうか?
こういった報告が入った上、クリュンメルの工場を失ったアルフレッドはこの後にニトログリセリンの安全な使用法の開発へより力を注ぐこととなります。もちろん、エミールの悲劇が一番大きかったと言われていますが。
そして、一つの発明に行き着くこととなります。
あまりにも有名ですが.......研究に取り組んだ彼が生み出したもの、といえば言うまでも無く「ダイナマイト」です。
この安全な爆薬の開発に至るまでには、かなりの苦心をしています。「安全にニトログリセリンを使うにはどうすれば良いか?」 最初はニトログリセリンにメタノールを加えるという方法が出てきました。これは、混ぜることによってニトログリセリンは多少「大人しく」なるということによるもので、使用前に水で洗えばメタノールは洗い流されニトログリセリンが残るというものでした(ニトログリセリンは水に難溶であることを利用)。ただ、これは実用的ではないということで断念することとなります。
その後、おがくずや木炭、紙という物からレンガくずなど、繊維状や粉末状のものを片っ端から彼は試していきます。いずれもニトログリセリンと混ぜてみるのですが、可燃物と混ぜれば発火しやすく、レンガくずでは爆発力が落ちる。他もなかなか良いものが無い。
どうにかならないか?
ここで、現在に伝わる話が誕生します.......とは言っても説はいくつかあったりしますが、代表的なものは二つです。
一つは、ニトログリセリンの容器に穴が開いて、ここから漏れた液体が金属容器の周りにあるパッキングに染み出しているのが見つかります。このパッキングと混ざったニトログリセリンはペースト状になっていました。このパッキングに注目したノーベルは、これがケイ藻土であることを知り、これをニトログリセリンと混ぜて実験に用いてみます。すると、圧縮が可能な上叩いても爆発せず、しかも雷管で起爆するまで爆発しない。更には爆発力は液体と変わらない.......つまり、安全にニトログリセリン扱う方法を発見した、と。
つまり、完全な偶然から生み出したという話。
もう一つは数々の実験の結果、行き着いた理想的な吸着剤がケイ藻土であり、これとニトログリセリンを混ぜることで安全な爆薬を作ることが出来た、と。つまり完全に「研究の成果として」出てきたものであるという話。
ちなみに、ノーベル自身は「偶然」の説を否定していて後者の説であると主張しています。疑われる向きもあるようですが、実際には彼は「正直」な人物と言われていますので、おそらくは「偶然」ではないと言う事だそうですが。
#余談ながら、管理人の子供の頃読んだ物はおおむね「偶然」説がとられていました。
さて、とにもかくにもケイ藻土と混ぜる 正確にはケイ藻土にニトログリセリンを吸着させる事で出来たこの物質。確かに叩いても圧縮しても爆発しない。つまり衝撃に対して爆発する事が無い。そして、雷管のような「起爆」させるものをつけない限りは安全である。しかし、爆発させると極めて破壊力が大きい........この爆発物を彼は「ダイナマイト(dynamite)」と命名します。
この由来は「力」を意味するギリシア語dynamis(dynamicの語源でもある)に由来しています。そして1867年にはスウェーデン、イギリス、アメリカでこの特許を取得します。
使用方法は容器中にダイナマイトを密封し、これに少量の起爆薬を加えてその衝撃で爆発させるという物でした。この起爆薬には先に出てきた雷酸水銀が用いられます。この雷酸水銀、実際に使われたのは第二雷酸水銀でして、通称「雷汞」と呼ばれるものです。構造はHg(ONC)2でして、乾燥状態では不安定でわずかな摩擦や衝撃で爆発します。この特性を活かしてダイナマイトの雷管として用いられることとなりました。
そして、ダイナマイトは雷汞とのセットで使われ、雷汞の起爆によって周囲のダイナマイトが爆発する様に使われました。しかもダイナマイトそのものは雷汞の爆発の無い限りは安全でしたので、輸送・運用において一気に安全性が高まる事となります。
#尚、ダイナマイトも現在は色々と細分化できますが今回は省略します。
ノーベルの開発はこれで止まりません。更にその後に新しい爆薬の開発を行います。
その経緯はその105で簡単に触れた通り、非常に興味ある経緯なのですが.........皆さんはセルロイドをご存知かと思います。この開発の経緯はその106で触れた通り、ビリヤードの玉の開発から生まれました。セルロイドはハイアット兄弟によって発明がされたわけですが、この時の経緯は触れたように偶然から生まれたものでした........その内容、ご存知のない方は見ていただくこととしましょう。
さて、ノーベルの語るところによれば、1875年に彼はちょうどニトロセルロースとニトログリセリンを組み合わせた、ダイナマイトより安全で強力な爆薬を作る研究をしていました。が、この時にノーベルは実験室でガラスのかけらで指を切ります。出血した指に彼はハイアット兄弟と同じくコロジオンを塗って絆創膏代わりとしますが、その夜は指が痛くて寝られない。
ということで、必然的に現在取り組んでいるテーマに没頭することとなるのですが........
以前彼が取り組んでいた、硝化度を上げたニトロセルロースである綿火薬ではニトログリセリンを組み合わせる実験は失敗していました。では、どうやればニトロセルロースとニトログリセリンが混ざるか?
と、ふと彼は指の痛みを思い出します。そして、コロジオンのように硝化度を下げたニトロセルロースと組み合わせてみればどうか? そう考えた彼は朝の4時に実験室へ向かいさまざまな硝化度のコロジオンとニトログリセリンを混ぜ始めます。そして、彼の助手が到着する頃にはゲル状の混合物ができ上がっていました。
このゲル状の混合物は調べると、爆薬としては片方単独で使うより強力である、という事が判明します。更に計画的に実験を繰り返して理想的な配分を見つけ出し、1875年にこの新しい混合物を「ニトロゲル」として特許をイギリスで、翌年にアメリカで取得することとなります。
ま、ハイアット兄弟と同じく、コロジオンはノーベルに重要なアイデアを提供した、というのはまた面白いものかも知れませんがね。
尚、日本では1916(大正5)年に設立された日本火薬製造株式会社によりダイナマイトは製造される事となります(日本で最初の火薬メーカーとなります)。この会社は後に日本化薬株式会社と名を変えて現在に至っています。もっとも、現在は爆薬だけではありませんがね。
こうして出来た強力な爆薬をノーベルは世界に提供していきます。そして間違いなく歴史を変えていき、更に他の数多くの発明と関連する特許(355の特許を取得)と相まって、ばく大な金を彼にもたらすこととなります。
たくさんの鉱山で、工事現場で彼のダイナマイトやニトロゲルは大量に使用され、そして開発の手伝いをしてきました。同時に、また戦争でこれらも使われることとなりまして、大量殺人の手伝いもすることとなります。特に後者は彼に苦悩を与えることとなります。
ノーベルは他にも悩み事がありました。
書いたようにノーベルは生来病弱であったこと。そして、性格的にも孤独でつむじ曲がりなところがあったこと。また、鬱病でもあったようで、特に晩年に近くなるとそれにも悩まされたと言われています。そういった状況に戦争に関する批判.......相当に大変だったようです。
そういった苦悩はやがて彼をむしばむこととなるのですが.........
さて、長くなりました。次回に続くこととしましょう。
さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
ま、最近ノーベル賞の受賞などがありましたけどね.........別にそれに合わせたものではないんですけれど(^^; プロット作った(全キャンペーンのまっただ中)らちょうどノーベル賞が、という事でこれは「偶然」です(笑)
と言うのはともかく、ノーベルの話ですが。ノーベルというのは結構知られていないというか。ダイナマイトの発明者、ノーベル賞の創設者と言う事は有名ですが、「他」が知られていません。意外とニトログリセリンそのものも「どういうものか」が知られていませんので、せっかくですので触れてみることにしました。
ただ、ここでは爆薬ですがニトログリセリンは他にも活躍をすることとなります。次回は、ノーベル賞も含めてそういったことに触れる事にしましょう。
そう言うことで、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
次回をお楽しみに.......
(2002/10/22記述)
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