からむこらむ
〜その185:唯ぼんやりと〜


まず最初に......

 こんにちは。11月も今週で終わりとなりますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 個人的にはあっという間の11月でしたが。もう、師走ですね........早いものです。

 さて、今回のお話ですが。
 今回は精神と物質に関する大キャンペーンを構成する小キャンペーンをまた始めてみようかと思います。
 内容はリクエストがあったものでして.......ま、読んでみればすぐ分かるものとなっています。一応、もろもろと触れてみようとは思いますが、ちと応用すると幅が広くなる感じですので、少し抑えていこうかと思いますがね。いや、物質的にちょっと幅が広くなる部分がありますので。
 とはいっても、ちゃんと実のあるものとしたいと思いますが。
 それでは「唯ぼんやりと」の始まり始まり...........



少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。

( 東京日日新聞掲載「或旧友へ送る手記」より一部抜粋/青空文庫

 1927年(昭和2年)、7月24日朝6時ごろ。夫の異変に気付いた妻ふみは急いで家人にこれを伝えます。これを受けて叔母フキが医者を呼ぶものの、午前7時に死亡が確認されます。死因は大量の睡眠薬による自殺。調査の結果、午前2時頃に大量の睡眠薬をのみ聖書を読みながら死亡したと判明しました。
 これが大正時代を代表する作家芥川龍之介の最期でした。
 この時期、日本は変動の時期をむかえていまして、金融恐慌に銀行の倒産。そこから生じる大量の失業者。世界情勢は少しずつ行き詰まりを見せ始め、世の中にはどこかした閉塞感がありました。そのような中で生じたのがいわゆる「プロレタリア文学」や「不安の文学」でして、それまで有島武郎や芥川らが作り出した文学は徐々に衰退を見せていきます。彼らはそのことでかなり苦しんだようでして、芥川自身も環境の変化などもあり、神経衰弱や胃酸過多、不眠に悩んだようです。
 そのような中、大正12年に有島は波多野秋子と心中。そして芥川もいくつかの遺書を遺して自殺。その遺書の中で公開されたものの五つのうちの一つが、東京日日新聞(当時大阪毎日新聞の傘下に入っており、1943年に題号を統一して『毎日新聞』になる)に「或旧友へ送る手記」として、芥川の死の翌日に遺稿として公開されました。
 芥川の自殺は当時の社会に非常に大きく扱われました。特にこの遺稿にある「唯(ただ)ぼんやりとした不安」は当時の流行語の一つともなり、「一体何を意味するのか」は議論されました。また、この出来事から大きく自殺に対する議論が行われたとも言われています。
#尚、「芥川賞」は彼の功績を記念し、『文藝春秋』にて発表される賞です。

 一方、芥川の更に前。
 1894年にそのものずばり「不安」という作品を描いた画家がいます。誰か、と言うと皆さんご存知「叫び」で有名なノルウェーの画家、ムンク(Edvard Munch)です。彼の作品は「叫び」が極めて有名な為、実際に「どういう作品を描いているか」と言うのはあまり知られていない傾向にありますが、「吸血鬼」「嫉妬」など多数の作品を残しています。
#個人的ながら「吸血鬼」は不思議な魅力があって好きな作品です。
 ただ、彼の作品には共通するものがありまして、ある評によれば「悲しみや強迫観念にもとづく苦悩と不安」がムンクの作品を彩っているとしています。事実、例えば「叫び」はそういった作品  赤く不安定で歪んだ空に、病的なかにさいなまされた人間の叫びを表しているように見えますし、この作品に似た”空”をもつ「不安」(参照)も顔色の悪い、目だけが「ぎょろり」とした人々を映し出しています。彼の作品はどこか暗く、そして内面の闇(「病み」かも知れませんが)を出すような物が数多くあると言って良いかも知れません。
 ま、そういうものを「形に」していった「芸術家」だと言えるのかも知れませんが。
#などと、あまり偉そうな事は書けませんけどね、管理人は。
#美術関係をやった方ならもっと詳しい説明が出来るでしょうけど。

 人の感情と言うものは色々とあり、そして複雑怪奇な部分があると言うのは皆さんご存知の通りでしょう。
 そういった感情の中の一つに「不安」と言うものがあります。おそらく全員が持つ(例外は知りません)この感情は、昔からさまざまに人の行動に影響を与えていきました。
 あるものはこれを「ばね」に。あるものはこの為に「死」を選び........
 「不安」は時には病的になるケースがありました。その極端な例が自殺などであり、そこまでいかずとも日常に支障をきたす事もあります。そして、そういうものを解消する必要性もまた注目され、それに対する対応が登場する事となります。
 今回は、こういった物に焦点を当ててみる事としましょう。


 さて、皆さんは「不安」とは何か、と聞かれたらどう回答するでしょうか?
 定義としては一瞬考えてしまうかも知れません。ま、「気掛かり」「心配」といった事から生じる落ち着かないこと、とか。漠然とした恐れ、と言った物でしょうか。ただ、同じ「恐れ」であっても、いわゆる「恐怖」は恐れとする対象が顕在化している物ですが、「不安」はそれとは異なり、はっきりとしていない、と言うものが特徴です。これは重大な差となっています。
#恐怖の例:目の前に血まみれの斧を持って、返り血にまみれて血走った目の人物が奇声を上げながらまっすぐこちらに向かってくる→「恐怖」を感じるが「不安」ではない。
#不安の例:重要な試験、人生の岐路など→「恐れ」はあっても「不安」としてであり、上記のような「恐怖」ではない。
 これは心理学などで厳密に定義するとまた色々とあるとは思いますが、一般的な「不安」はこれで十分説明がつくかと思います。同時に、これをご覧になっている方の全員が少なからず体験しているものであるとも思います。つまりは「心」に関するものであると言うものは説明はいらないでしょう。もっとも、文章に完全にできるようなほど簡単なものではない、と言う側面もあり、定義を難しくしている部分もありますが。
 ただ、「恐怖」と共通して「不安」は「危機に際した」時の身体的な症状、つまり心拍数が上昇して呼吸が速くなり、前進の筋肉の活動が盛んになるといった事を引き起こしもします。つまり、身体的な特徴では共通する部分があると言えます。
 単純に見れば「顕在化する対象の有無」だけで基本的なものは同じであるとも言えますが........

 こういった不安と言うものは、大体は「厄介なもの」と感じられます。
 皆さんも経験があるでしょう。例えば試験といったものから戸締まりのし忘れの心配、あるいは人生の岐路という物まで、さまざまな局面で「不安」という感情は出てきます。そう考えると誰にでも常に、ある程度の「不安感」と言うものは普通に持っている物である、と言う事は言えるかと思いますが。
 「不安」は人間としての正常な反応ではありますので、これは別に問題があるものではありません。しかし、確かに厄介に感じます。
 ただ、「不安」はそうネガティブに見るだけでなく、何らかの重大な原動力として働く、と言う事があるのもまた事実です。例えば試験に関してなら「生じる不安を打ち消す」為に更に勉強する、とかそういった効果を生み出す事もあります。もちろん「いつの間にか部屋が綺麗に片づいていた」と言ったケースもありますけどね。
 そういうのはともかく、不安を打ち消す為に努力すると言うのは原動力となる典型的な物でして、これをきっかけに数多の科学者、発明家は多くのものを生み出しましたし、また芸術家や作家も一つの「作品」へと昇華させているケースが多くあります。そして、それらは人々に何らかの形で「残る」物である事が多くある以上、決してネガティブに捉える物ではない、というのは事実でしょう。
 ま、一つの「創造性」のあり方と言うか。「不安」と言うものが想像や生産に、そしてそれを成す人に大きな影響を与えていると言うのは例えばインタビューや、あるいは半生記などを見れば分かるものかと思います。
 ある意味、「人生を平坦なものにしない」要素であるとも言えますが。

 ただ、不安と言うものはいくつか種類があるようで、例えば不安を引き起こす対象・状況が存在する場合は「現実不安」と呼びます。これはまだ良いのですが、一方でそういう対象や状況が一見存在しないのに起こる不安、つまり「特に何も無いはずなのに感じる不安」と言うものもあります。
 これは心理学や精神医学上では「病的な」不安とされます。更には現実不安でも制御が難しい、極めて過度な不安という物を引き起こす人もいます。


 さて、では具体的に正常な範囲を逸脱した「不安」に煩わされるとどうなるのか?
 不安に悩む人は、おおむね次の様な意見で一致するようです。つまり「何故これほどの不快を味わうのか、全く理由が分からない」と。こういった不安は絶望的な危機感や恐怖感に極めてよく似ているのが特徴です。病的なまでの不安の改善は、精神療法を何年も続けても全く効果がなく、そしてついには精神的に著しく不安定となり、ノイローゼや神経衰弱、あるいは他者への理由なき(あるいはこじつけた)責任転嫁を行い、時としてそれに暴力も伴います。その暴力は時として「自分」に向けられる事もあります(自殺など)。
 このような不安定さは、例えば思春期といった時期に起こる事がありますが、しかしそういうケースは通常は成人になるとほとんど治ります。ここで言う「重度の不安」はそういったものとは異なっています。
 更に、不安に悩む人は体調も悪くなる傾向にあります。
 典型的なケースとしては、心臓に関して問題があると医者に訴えます。その内容も特徴的で、「寝ていると鼓動の音が聞こえて気になる」と言ったものが最も代表的なものとなります。これは場合によっては狭心症と似た症状(胸痛が左腕に拡散するといった物のようです)を出す事もあります。もちろん実際には狭心症ではないのですが。
 これは不安によって引き起こされる「心臓の働きすぎ」が原因となっています。つまり、心臓が働くと酸素の消費が増大するものの、この時に心筋に血液を送る冠血管が硬化して狭くなり、これによって相対的に酸素不足を引き起こします。この時、ある種の神経が働きまして狭心症の痛みを引き起こします。
 他にも、呼吸が深く、速くなることからいわゆる「過呼吸」の症状を出す人もいます(女性に多いです)。これは二酸化炭素が体内から追い出された為に体内で変化(血液の酸性度やイオン組成など)がおこり、結果として指先の麻痺感や筋肉のぴくつき、そして視界が霞んだり頭がもうろうとすると言った物です。極度の緊張下にある時に比較的起こりやすいものですが........

 こういった不安によって引き起こされるさまざまな神経症  「不安神経症」は既に1860年代には報告がされています。
 その報告は米軍の軍医のジャコブ・ダ・コスタという人物によって行われました。この人物は南北戦争の際に患者(もちろん兵士)についての詳細な記録を残しています。その中で不安神経症の症状も記録されており、これを彼は「過敏性心臓」と呼びます。後には「ジャコブ・ダ・コスタ症候群」としてこれは知られるようになるのですが.........
 彼は心臓に注目してこの症状を調べています。それは非常に詳細で、例えばある一人の兵士の記録では「1863年11月2日に入院」し、「休暇から戻ったばかり」で「連隊で激務をこなして」いたが「ある戦闘の少し前から下痢」をし、「戦闘後には心臓の痛みと動悸」を訴え、しかもそれが「強すぎて横になってしまう」程の症状を出したとしています。更に行軍中にも「視界が霞む」などの症状が再発して、最終的にはそのまま戦線を離脱。「わずかに動いただけで激しい動悸を覚え」、「寝ている時にも動悸を感じて起き上がる」と言う物でした。
 他にも類似の患者が大分いたようですが、ダ・コスタは身体的な異常は発見できませんでした。
 よって、「活動過剰のうえ、頻繁な興奮から心臓が過敏になり、神経の失調が回復を妨げている」と彼は結論しています。この報告はかなり詳細で、例えばストレスの示唆(連隊での激務など)や不安の典型的な症状、例えば下痢や心臓の活動過剰、更に過呼吸(視界の霞み)があるなど、非常に重要な報告といえます。
 ただ、彼自身は原因は精神の問題ではなく、あくまでも「心臓を支配している神経が原因」であると考えたようですが.........

 不安による症状は上記の様なものの他に、例えば慢性的な不安状態(基本的には軽度)が続いたり、突然発作的に恐怖感などが襲ってくる事があります。この場合、心身に深く影響を及ぼしまして、精神的不安定な上に身体の不調も出てくる事となります。ところが、こうなって医者にかかっても「身体的な病気」としてはダ・コスタの例のように「理由は不明」と言うのが特徴です。つまりは精神的な問題なのですが......これがまたセンシティブな問題になる事もありますので、判断がつきにくいなど色々と問題が出てきます。
 そして、こういった重症の不安を持つ人は、例えば他人との交流に障害を感じますし、またさまざまな活動に集中することが妨げられます。極端になると不安は抑うつに代わり、そして絶望へと変化していきます。
 そうなると日常生活に支障を及ぼす事となります。

 このような症状はどう捉えられたか?
 「不安神経症」の名付け親でコカの話でも登場した精神分析の大家であるフロイトは、不安を「外的・内的に危険が迫った事に対する自我の示す危険信号」と定義しています。そして、不安は「全ての神経症の中心」であるとも考えました。更には「不安は本質的な精神病であり、他の全ての神経症性の失調は患者が不安に反応している過程での単なる症状である」と考えています。他にも、不安患者の根底には性的感情の葛藤がある、と言う見方もしているようです。
 もっとも、この考えは現在の精神科医の見方とは大きく異なるようですが。
 ま、他にもフロイトに関しては色々とあるのですが.......取りあえず、ここではこの程度にしておきましょう。
#フロイトはリビドーを基礎にしている為か、「性的」がやたらと絡むというか.........


 さて、長々と不安の症状について触れても切りがありませんが。
 とにかく、当初は「不安」によるさまざまな症状と言うものは「精神的な問題」としてあまり見られる事がありませんでした。しかし、やがては精神的なものとして注目がされます。フロイトはそういう意味では正しいアプローチをしていましたが.......それが分かると、今度は「治療」という方面に向く事となります。
 この「不安」の治療は通常で大体二つのアプローチがあります。これは基本的には他の精神病と違わないものでして、一つは精神療法、もう一つは薬物療法です。
 精神療法はフロイトの精神分析学とその一派がかなり頑張っています。が、彼らの行った治療は実はあまり役に立っていないと現在では考えられているようです。つまり、彼らによって「治癒」されるケースは他のやり方でも「治癒」出来るものである、と言うような研究結果があるようです。と言う事で、一般的には「行動療法」と呼ばれる手法が代表的なものとして用いられています。
 この方法は、不安が「後天的に覚えた反応と、先天的な反応がある」と言う説を基盤にしています。具体的にどういう手法がとられるかというと、色々とありますが、その代表的なものを一言で言えば「不安の状態に鈍感にする」と言うものです。つまり不安を感じた時の緊張を緩める、と言うような訓練を行い、徐々に「不安に慣れて」いくようにして過剰な反応を起こさないようにします。
 これは段階をふんで訓練させ、徐々に慣らし、そしてその範囲を拡大する事で日常生活に支障を起こさなくする様にするものです。
 ま、もっとシンプルに言えば「苦手なものの克服」と基本的に同じと言えば納得できるかと思いますが.......
 これは応用が利きやすく、例えば「犬が恐い」とか「狭いところが駄目」と言うケースでも使えるなど、かなり利用範囲が広いといえるといえます。
 この行動療法は、環境からの刺激に対する不安を持つケースで特に有効なようです。

 一方、薬物療法は?
 一般に不安の治療は専門の精神科医が行うケースはあまりないようで、大体はかかりつけの医者、と言った人たちによる治療になります。こういった医者にかかる場合、大体は薬物療法によるものが一般的でして、これは既に20世紀の初頭から行われていました。この場合、不安を訴える患者には鎮静薬の処方を行うのが普通で、これは今も昔もあまり変わらないようです。
 何故鎮静薬か?
 鎮静薬の働き、と言うものを説明しろと突然言われても、「?」となる人が多いかと思いますが........これは、端的に言えば「ぼんやり」させるものです。どういう事かというと、臨床用量で「眠らせない」けど「ぼんやり」させるもので、量が多くなれば眠ってしまいます。ま、「催眠薬」  一般に言う「睡眠薬」や「催眠鎮静剤」と言ったものもこれに該当します。もちろん「量によって」ですけどね。
 もっと簡単に説明すれば、アルコールも実は鎮静剤に使えます。ま、酒による「酔い心地」というのは「眠るちょっと手前」的な物ですが。あぁいう感じになります。ま、アルコールは絶対に駄目、と言う人には.......入眠前の「ちょっとぼんやり」した感じと言うと分かりやすいでしょうか。あくまでも簡単に説明した場合ですけどね。
 この「ぼんやり」は鎮静を引き起こす事となります。同時に、不安を持つ人にとっては精神状態を鈍らせる事となり、同時にこの状態になった場合には不安による恐慌状態を引き起こす事はほぼないとされます。

 さて、ではこの催眠鎮静剤と言うもの。
 どういうものが使われていたか、と言うと昔はあまりそう種類はなく、例えばそういう作用があるという生薬やアルコール(=酒)と言ったものがありました。もっとも、アルコールはあまりやり過ぎると依存しますし、そうでなくても「憂さばらし」、人によっては酒でろくな事にならないわけで、そう「効果的」かは疑問ですが。
 そういった中、19世紀になるといくつかの薬剤が出てきます。これは流れから見れば麻酔薬とある程度重なっていたりしますが。
 そのような薬剤の中で代表的なものに、いわゆる「バルビツール酸系」と呼ばれる催眠鎮静剤の「元」が登場してきます。
 この経緯は1880年代半ば、ドイツで尿素の誘導体であるカルバミン酸エチルエステル、いわゆる「ウレタン」にそれほど強くない催眠 作用が見つかった事が契機となっています。とは言っても、これだけですぐには有名にはなりませんでした。
 有名になるのは、有名な化学者が関与してからとなります。

 それはどういう話か?
 残念な事に、これ以上話をするには少し長くなりすぎました。

 今回は以上、と言う事にしましょう。




 ふぅ...........

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 ま、色々と考えたのですが、年内にもう一つ「精神と物質」絡みの話をしたいと思っていまして。一つのキャンペーンとなりますので、回数的にぎりぎりなものもありましたので、今回踏み切ってみました。まぁ、リクエストもありましたので、急いでいた部分もあるのですが(^^;
 取りあえずこれからがもろもろ、ですが........おそらく皆さんが聞いた事がある話も大分出るかと思いますけどね。
 お楽しみに...........

 さて、そういうことで次回は今回の続きです。
 不安の薬物療法に使われたバルビツール酸の話から始める事としましょう。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/11/26記述)


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