からむこらむ
〜その186:眠りと不安と偶然〜


まず最初に......

 こんにちは。12月となりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 いやぁ、師走です。世の中がいつの間にか年末......の前にクリスマスに邁進していますね。まぁ、もうちょい大人しくやって欲しいんですけど......(^^;

 さて、今回のお話ですが、今回は前回の続きといきましょう。
 前回までは「不安」のおおまかな概要を話しました。そして、治療法に関する話を少し触れましたが........その一つ、薬物療法に使われる事となった薬剤の話から進めようかと思います。
 ま、これもまた色々とあるのですがね。
 それでは「眠りと不安と偶然」の始まり始まり...........



 前回の最後では不安の治療法についての話をしました。
 その中の薬物療法で使われる鎮静催眠剤の代表格、「バルビツール酸系」の「元」となるものの登場から話す事としましょう。

 カルバミン酸エチルエステル、いわゆる「ウレタン」にそれほど強くない催眠作用が見つかってどうなったか?
 生物化学を学ぶと、必ずといって良いほど出てくる人物にドイツのエミール・フィッシャーという大化学者がいます。彼は糖やタンパク質に関する研究などで有名なのですが、ちょうどこの糖の構造を研究している際、使用している薬剤(フェニルヒドラジンらしい)による不眠症に悩まされていました。そういう事で「睡眠薬が欲しい」と言う事になるのですが.........彼も化学者。さすがというべきか「じゃぁ自分で作ってしまえ」と研究を始めます。
 彼がベースにしたのは以前に使った事のある物質で、ウレタンの作用が分かった後に登場した「スルホナール」という物(これは尿素とは無関係)でした。これをベースにより強い催眠薬を作る........彼は薬学者ジェセフ・メーリングの協力を得てさまざまな物質の合成に取り掛かります。そして、その成果もあってたどり着いたのがバルビツール酸と呼ばれる化合物をベースにした物でした。
 もっとも、バルビツール酸自体は尿素をベースにしたものだったのですが........
 このような経緯で出来た薬剤は、「ヴェロナール(ベロナール:veronal)」と命名されます。これはメーリングがイタリア旅行で大変に気に入ったとされるヴェロナが由来、とされています。つまり地名からとったものとなりますが。
 この薬剤はいわゆる「バルビタール(barbital)」とも呼ばれているものでして、構造はバルビツール酸の誘導体です。そのバルビツール酸そのものの合成は1863年に、同じくドイツの大化学者でフィッシャーの師にあたるアドルフ・フォン・バイヤー(その67参照)によって行われています。


 バルビツール酸は尿素がベースになっています。ま、学生さんは-NH-C(0)-NH-の部分などが共通するので分かりやすいでしょうが、実際にはスルホナールとウレタンを足したような構造となっています。尚、スルホナールは安全性や排出の遅さなどがありまして、現在はほとんど使われない薬剤です。

 さて、こうして登場したヴェロナールですが、これは更に研究されてやがて数多くのバルビツール酸をベースとした誘導体が登場する事となります。このようなヴェロナールを含む各種のバルビツール酸誘導体の各種の催眠薬は「バルビツール酸系」と分類されるようになり、一般に広く浸透し、使われるようになります。
 更には後にさまざまな研究から、バルビツール酸の元でもある尿素をベースとした新たな薬剤も作られるようになりまして、これも成功する事となります。これらには例えばアセチル尿素(アリルイソプロピルアセチル尿素など)や脂肪酸ウレイド(ブロムワレリル尿素など)と言ったものが登場する事となります。


 尚、ブロムワレリル尿素などは日本に明治から大正にかけて入り、「カルモチン」などの名で売られていました。が、いずれも外国製でしてバイエル社やチバ社、リリー社などから輸入していました。しかし、第一次世界大戦によってこれらの輸入は途絶。この為に日本でも「仕方なく」作る事となりまして、この後に輸入途絶された物は国産化されています。
 ちなみに、カルモチンは太宰治と関係が深いのですが......これは後述しましょう。
#尚、アセチル尿素や脂肪酸ウレイドはバルビツール酸系には含まれません。一応、同じ尿素絡みの研究から生まれ鎮静催眠剤として、と言う事で。

 さて、こうしてバルビツール酸系を代表とする鎮静催眠剤が登場すると、これは製薬会社で積極的に製造されて一般に出回るようになり、医師により鎮静催眠剤として、そして不安に対して処方されるようになります。そして、それに伴って使う人も急増します。事実、20世紀前半においては不安の治療にはこれらが主として用いられていました。
 バルビツール酸誘導体はかなり種類がありまして、今現在使われる物でも数があります。ただ、色々と薬剤によって作用に違いがあるため、使用目的によって使うものが変わってきます。
 これは例えば作用発現までの時間と持続時間等がありまして、それをまとめると大体以下のようになります。

バルビツール酸誘導体の作用
作用発現までの時間持続時間利用
超短時間性数秒数分静脈内麻酔
短時間性数分4〜8時間不眠症、鎮静
中時間性1時間6〜8時間不眠症
長時間性1時間以上10〜12時間持続的な鎮静、高血圧
精神神経症、抗てんかん薬

 この分類は基本的に他の鎮静催眠剤でも応用が利かせられるものですので、頭の片隅にいれておいてもらえればと思います。
#代謝や浸透のしやすさとか色々と薬学的な部分が関与します。
 大体「睡眠薬」としては短時間性の物を使います。一方で不安の抑制に関しては長時間性の物を用いる事となります。作用の強さは時間が短いもののほうが一般的に強いですが、同時に持続性は悪いことを意味しています。一方で長時間性の物はすぐに効果は出ませんが比較的効果は穏やかで長時間継続します。
 長時間性のものとしてはフェノバルビタールが有名でして、これは現在でも使われている薬剤の一つです。これは薬剤がゆっくりと脳に移行して作用する上にそれほど催眠作用が強くなく、この為に過剰な不安などを抑えるのに適しています。つまり長時間の鎮静を与える上、特に強い催眠作用があるわけではないことから日中も特に眠くなる事なく行動する事が出来ます。これは不安に悩む人にとっては非常に重要でして、日常での活動と言うものが可能になると言う点では非常に重要になると言うのは理解できるでしょう。
 これは間違いなく恩恵をもたらす事となりました。



 しかし、一方で問題も起こします。
 これら薬物にはいくつかの難点がありました。一つは耽溺性を持つ事でして、これはかなり問題になります。つまり、アヘン興奮薬等といった物と同じような習慣性をもってしまう事で、この為にこれらの薬剤は持続的な投与を行う事はせず、特定の場合に、短期間による投与を行う必要があります。実際、現在においてこういった鎮静催眠剤は向精神薬として麻薬および向精神薬取締法の規制対象となるものが多く、現実問題として一部の薬剤は乱用されている為に、この点は無視できるものとはなっていません。
 実際、連用していくと薬剤耐性依存を持ちます。もちろん薬剤によって違いはありますが、依存の症状としては多幸感に不安の軽減、落ち着きと言った鎮静作用の一方で不安に襲われやすく、混乱やいらだちを覚えるなどします。特に中毒者は言語不明瞭で判断力の低下をしているのが特徴とされます。
 依存が形成された場合は中断する事で禁断症状に身体依存症が出ます。これは過剰興奮や強い不安、痙攣と言った物で、アヘンなどと同じく「反対」の症状を示します。

 そしてもう一つ重要な問題もあります。
 それは作用量と致死量にそれほど大きな差がない、と言う点です。大体において催眠量の数倍程度が致死量となっていまして、これは毒性という点では「差は無い」に等しいと言えます(わずかな量の誤飲で死んでしまう可能性がある為)。この為、誤って過剰に飲むという事故もあった外、薬剤の実態が色々と世間に知られた事から、耽溺性故にある種の「麻薬」的な使われ方(法的規制の対象になる理由)、ないしは「自殺用」に使われるようになります。
 実際、催眠薬依存症や催眠薬の過剰摂取の事故、そして過剰摂取による自殺のケースはかなりありました。
 例を挙げてみれば、「不安」を訴えた芥川龍之介が自殺に用いた催眠薬の一つはヴェロナールでしたし、作家の太宰治はカルモチンによる自殺も試みています。ただ、太宰は薬剤による自殺は失敗していまして、結局は戦後の昭和23年に大宰は山崎富栄と玉川上水に入水して目的を果たす事となりましたが。
 海外でもこういった事例はたくさんありまして、マリリン・モンローも催眠薬の過剰摂取で死亡したと言われています。ま、自殺説とそれを否定する説がありますが、それはともかく彼女の使用していたものはペントバルビタールナトリウムでバルビツール酸系の物でした。
 これを考慮すると、昔の本といった作品等で「自殺しよう」と使う物にバルビツール酸系と思われる「睡眠薬」が多いのは、こういったものの反映のようです。実際、「自殺したい」と考える人が、色々と「なりすまし」てバルビツール酸系の睡眠薬などを処方してもらい、それを一気に飲んで自殺、と言うケースもありました。これは特にうつ病の人に多かったようで、特に自殺傾向の強い人が「悪用」したようです(結果的に医者が自殺の手伝いをしてしまうのはいかがなものかと)。
 この為、バルビツール酸系の薬剤は「自殺の薬」と言う余計なレッテルも貼られてしまいますが.......

 このような状況があったものの、他に特に選択肢はなかったわけでして、1940年代にはバルビツール酸系の薬剤はかなり普及していました。
 一方で、選択的に不安の機構に働いて作用する薬剤は無いものか、と言う観点からそのような薬剤の探索も行われるようになります。

 それは偶然から始まりました。
 第二次世界大戦の頃に本格的に使われるようになった薬剤に、有名な抗生物質「ペニシリン」があります。しかし、ペニシリンが有効な菌は限定されていまして、微生物学において「グラム染色」と言う細菌の染色法(細菌の細胞壁の違いで差が出る)があるのですが、そのグラム染色に陽性な菌にのみ有効でした。一方でグラム染色に陰性な物はペニシリンは有効ではなく、更にこういったものの中に感染症で悪質な結果を出すものがある。
 1945年、チェコの薬理学者で大戦の為にロンドンに逃れていたフランク・バージャーは、そのグラム陰性菌に有効な薬剤の探索を行っていました。
 彼はその探索の中で莫大な数の化合物の中から、いくつかの有効な薬剤と思われる化合物群を見いだします。そしてそれらの薬剤の安全性を確認する為にマウスに注射して安全性を確認しようとするのですが........奇妙な事に、注射されたマウスは全て一時的に麻痺し、しかも四肢の力が抜けてた様に見えました。ただ、意識はあるらしい。
 バージャーはこの結果を受けて色々と考えます。
 特に四肢の力が抜けたように見える、と言うのは重要でして、彼はこの様子がクラーレの様に「体は動かないが意識はある」といった物に似ていると考えました。そういった事からクラーレの事例のように、例えば筋肉の痙攣といった症状に対してこれは有効ではないか、と考えます。
 この考えは直ちに実行に移されました。バージャーはそういった化合物群からメフェネシン(mephenesin)に注目。やがてこれは人間に対して筋弛緩薬として使われる事となります。
 つまり、抗菌薬の開発から筋弛緩薬が登場した、と言う事になりますが.........



 尚、これの筋弛緩薬としては機構はクラーレとは違い、この物質では中枢神経に対する作用で筋弛緩作用を引き起こします(以前書いたように、クラーレは末梢神経)。分類すると「中枢性筋弛緩鎮静薬」などという長ったらしい分類名になるようです。
 ちなみに、今でも用いられる薬剤となっています(日本では知りませんが)。

 さて、メフェネシンはこれで終わるわけではありません。
 バージャーは動物実験の観察から、このメフェネシンの作用に筋弛緩だけでなく、動物の行動を静めるような働きがあるのではないかと考えます。「これはもしかしたら」と考えた彼は、メフェネシンを筋痙攣性患者(筋弛緩で痙攣を緩和できる)に与えてみたところ、不安を軽減するらしいという知見が得られました。しかも、眠気をこれは及ぼさない様に見える。
 この作用  彼は「トランキライザー作用」=「静穏作用」と表現したようですが、これはバルビツール酸系の薬物以外の有望な薬剤を作り出せるのではないかと考えられる事となります。そしてこの観点に立って研究(と言っても、莫大な数の化合物を調べる事になりますが)した結果、メフェネシンの誘導体の一つでメプロバメートと言う化合物が非常に有望らしい事を発見します。これは筋弛緩作用の他に、実験用のサルのもつ粗暴さを顕著に抑えました。
 この結果を受け、メプロバメートは1955年4月にアメリカで「ミルタウン」の商品名で販売される事となります。
 このミルタウンのセールスポイントは「不安に選択的に作用する」上、「バルビツール酸系の様な鎮静(および催眠作用)を示さず日中に渡り完全に覚醒したなかで仕事が出来」、しかも「耽溺性はバルビツール酸系より少ない」と言うものでした。特に「不安に選択的に」と言うような文句は強調されまして、こういった事もあってか、アメリカにおけるミルタウンの販売は大成功を収めます。その規模は極めて大きく、年間の売り上げで1億ドル(レートは現在と大きく異なります)を超えることもありました。
 「不安に選択的に作用」と言うのは当時は画期的に受け止められまして、これにより「バルビツール酸系の物とメプロバメートは完全に別物」と一般に認知されます。これはバルビツール酸系の物は脳を鈍感にさせる事で鎮静・催眠作用をもっているのですが、メプロバメートは鎮静・催眠作用なしで抗不安作用を持つ、と言う事を意味していますが.......
 こういった事からかなり積極的にメプロバメートの処方がされた様です。


 余談ながら、メプロバメートの登場時期はレセルピンクロルプロマジンイミプラミンといった精神に作用する薬剤とほぼ同時期となっています。
 1950年代半ばはこういった薬剤が一気に登場した時期、という点でかなり興味深いものとなっています。

 こうして登場した新薬メプロバメートですが、これの登場で不安に関する問題はめでたしめでたし......とはいきませんでした。製薬会社は期待したでしょうけれども。
 当時のベストセラーとなったメプロバメートですが、実はいくつかの難点がありました。その一つは、売り文句となった既存のバルビツール酸系の鎮静剤とは「全くの別物である」と捉えられた事です。これはミルタウンの謳い文句で「選択的に効果がある」と言う事を強調していた上、更にはバルビツール酸系の薬剤より耽溺性が少ないという事も強調していた事が手伝いました。
 では、これは本当なのか?
 ミルタウンの販売から約10年間かけてこういった事が詳細に検証されました。その結果、メプロバメートの販売時に言われた謳い文句に対して否定的な結果が出てきます。つまり、実際にはある程度の傾眠作用があり、その概要はフェノバルビタールと大差はない事。更には耽溺性もある事もはっきりと分かってきます。耽溺性はバルビツール酸系の物と似ていまして、連用から中断をすると禁断症状を引き起こし、過剰興奮や強い不安、あるいは痙攣といった作用を起こしました。
 つまり、結局の所「大体においてバルビツール酸系の薬剤と一緒」と言うような結論になってしまい、本来の「セールスポイント」であった点での差別化は完全に誤りという事になります。
 開発者は大きくがっかりした事は想像に難くありませんが.......ただ、「不安に選択的に働く」と言う抗不安薬としての目指し、一般に広めるという方向はこの薬剤によって成されたと言うのは現実にあったようで、その点では貢献はした、とも言えるでしょうか。


 さて、ところでメプロバメートの謳い文句に「不安に選択的に有効」があると書きましたが。
 ま、結果的には選択的ではなくて傾眠作用があったわけですけど、実際には当時は「何故不安が起こり、どういう機構の元に不安が和らぐ事となるのか」と言うのは皆目見当がついていませんでした。ただ、メプロバメートの初期の大成功ぶりはやはり製薬業界に大きく影響を及ぼし、純粋な、つまり鎮静催眠作用のない「抗不安薬」の開発を促す事となります。
 そして、それもまた偶然からさまざまなものが生まれる事となりました。

 1954年、アメリカの製薬会社であるロシュ社は抗不安薬の開発に取り組んでいました。
 このプロジェクトは難航しました。途中、メプロバメートの登場などもありましたが、上述の通り「どういう作用機序で不安を除くのか」が分からない、と言う事は全くもって薬物の構造をどう想定(「ドラッグデザイン」などと呼びますが)して良いのか分からない。そういう事で、ロシュ社がとったのは「無作為に化合物を合成し、それを片っ端からマウスないしはラットでスクリーニングを行う」と言うものでした。簡単に言えば「手当たり次第」「数打ちゃ当たる」の世界でして、これはこれで非常に効率が悪い物だったりします。ま、一応化学者に「どういう化合物からやるか」と言うのは全て任せられはしたのですが。
 もちろん、目指すは市場を席巻しつつあったメプロバメートでして、その謳い文句の化合物を求める事となります。そんな中でロシュ社の化学者であったレオ・スターンバック(ステルンバッハ)はこの研究に関わっていました。
 彼はその時から約20年前の1930年代にポーランドで基礎化学の研究を行っていて、それがきっかけでロシュ社では「キナゾリン(quinazoline)」と言う化合物をベースとした化合物を研究しており、それをベースとした抗不安薬の開発に挑みます。しかし、キナゾリンをベースとした薬剤はバルビツール酸系やメプロバメートとは構造が大きく異なる上に鎮静作用などを出さず、いずれもはかばかしい結果を出しませんでした。
 そして、1955年末になっても有望な薬剤を見いだす事は出来ませんでした。ただ、スターンバック自身は諦めずに最後の最後まで動物実験などを行っていたと言われています。

 さて、その約1年半後、意外な方向からあるものが見つかるのですが.......そこから生まれるものは?
 と、これ以上話をするには少し長くなりすぎました。

 今回は以上、と言う事にしましょう。



 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 不安の「治療薬」について、最初に登場した有名な薬剤とその「後」の物を一つ触れてみましたが。まぁ、バルビツール酸系の物は大体有名でしょうけどね。一応、分類やら関連する話もありますので結構触れるべきものは多いといえますが。
 ただ、薬剤は後一つ重要なものが残っています。その点を次回から触れていく事としますかね。それが終わったらもろもろと触れるものもありますのでそちらに入っていくとしましょう。

 さて、そういうことで次回は今回の続きです。
 次回にはその薬と機構についての話などについて触れていく事としましょう。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/12/03記述)


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