このように隔離された人々は一般に衛生状態が悪く、その為に余計に症状が悪化するケースがありました。もちろん、そのようになると余計に誰も手を差し伸べてくれない。
しかし、ごく少数の人はそのような人達に手を差し伸べました。
そのような患者のために活動した人物として有名な人に、ダミアン神父(Father Damien)がいるでしょうか。この人は本名をヨセフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster:古い本では「ジョウゼフ・ド・フォエスタール」というものもあるようですが)と言いまして、「ダミアン」は修道名。1840年ベルギー生まれの人です。
1863年、彼はハワイ諸島へ布教の為に宣教師として渡ります。翌年にはホノルルでの宣教活動を行うのですが。しかし、ハワイにおいてもハンセン病患者はいる。当時、ハワイではハンセン病患者が見付かると、モロカイ島へ隔離をしていました。その生活は悲惨であり、患者は誰の看護などもなくのたれ死ぬ状態でした......もっとも、これは世界中の他の場所でも同じ事でしたが。
彼はここでハンセン病患者の扱いの悪さを気に留めることとなります。
ダミアン神父は意を決し、9年後にハワイ政府にモロカイ島へ行く許可を願い、これがかなえられるとモロカイ島で積極的な活動を行います。神父の活動はもちろん宗教的なものもありましたが、患者に対するかなり実用的なものがありました。まず彼は生活環境の整備から着手し、住宅、水の供給、衛生施設他必要な施設の設置を行い、これらの整備をします。彼はこのような活動によって有名になり、また患者からも信頼を得る事となります。事実、それが知れると世界中から援助が彼の元に届けられ、またハワイ王朝(当時は米国領ではない)の王女もここを訪れるなど、大きな影響を与えるようになります。
これは同時に、世界にハンセン病へ目を向けさせる事となりました。
しかし、ダミアン神父は1884年にハンセン病に感染している事に気付き、1889年4月15日にこの地で亡くなっています。これは当時真に有効な治療薬が見付かっていないなどが原因でしたが.......しかし、彼の献身的な活動は大きな影響を与えたのは確かです。
ただ、教会側で彼に差別的な意識を持っていた人もいたようで、プロテスタントのハイド牧師という人物がダミアン神父の救癩活動に対し、これを中傷したという事件があります。もっとも、これに怒りを覚えたスチーブンソン(『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』で有名な作家)はダミアン神父を弁護する『尊師ハイド博士への公開状(Open Letter to the Rev.Dr.Hyde of Honolulu)』を1890年に自費出版し、これは何回も版を重ねる程になります。実際、このハイドという人物はホノルルで豪華な家に住むなど、ある意味ダミアン神父と真逆だったようであり、そのような背景の上にダミアン神父へ批判はスティーブンソンを(そしてダミアン神父の関係者を)相当に怒らす事となったようで、この出来事は当時色々と話題になったそうです。
このダミアン神父の遺体は、1930年代に祖国ベルギーでおきた世論によって祖国に戻っています。この帰国の際には国王まで出席するなど、国民が大きく歓迎をした事が記録されており、現在はルーベンの大聖堂に葬られています。また、故ヨハネ・パウロ二世は彼を列福して福者(聖人になる前の段階)とし、ハンセン病の他HIVなどの患者、そしてハワイの守護者としています。
#なお、ダミアン神父の死の数年後にハワイ王国は滅亡し、やがて米国に併合されてしまいました。
ところで、この病気の原因は何か?
この病気が感染することは、隔離政策がとられた事からある程度は理解されていたようですが......この原因は「らい菌」(古い本ではレプラ菌とも)と呼ばれる抗酸菌(結核菌も同類)の一つが原因で、学名はMycobacterium leprae(マイコバクテリウム・レプラエ)と言います。大きさは2〜7μmの桿菌です。
菌の発見者はノルウェーの医師A. G. H. ハンセン(Armauer Gerhard Henrik Hansen)という人で、この人は1841年に生まれ、1859年にクリスチアニア(現在のオスロ)で医学を修めた人でした。顕微鏡を使った解剖学の研究を行っていまして、この菌を1873年、ちょうどダミアン神父がモロカイ島へ移った直後に発見します(発見年については1874年という説もありますが、ノルウェー政府は1873年としています)。
なお、「らい」という言葉は現在は差別的な意味合いを持つ、という事から現在はこの菌の発見者をもって「ハンセン病」としています。ただ、菌に関しては「らい菌」という名称のままです。
#余談ながら、古い本では情報がかなり錯綜(?)していまして、1871年に実際に発見し公表したのが73(あるいは74)年である、という話もあります。また、病原菌と確定したのは1880年という指摘の資料もあります。
#一般的には1873年(あるいは74年)の発見で十分でしょうが。
この菌は一ヶ所に固まって「らい球」と呼ばれる固まりとなる事が多いことが知られています。感染経路は色々と考えられており、皮膚の小さい傷からこの菌は侵入し、皮膚の中の神経を通って人体で増殖するという事。最近では菌を含む鼻汁が飛沫となり上気道、呼吸器系を通り、感染するという考えが中心で、それらの結果皮膚や神経を冒す事となります。ただ、厳密には感染条件はかなり厳しいようです。また分裂速度が遅いのもあって潜伏期は長く、3〜10年、場合によってはそれ以上に及ぶ事もあります。
この菌は感染力が非常に弱い事が知られていまして、体力が落ちるなどで免疫が弱まっているときに感染する事が現在は知られています。現在では通常の接触において感染する事はないとされていますが、しかし偏見によりこのような点はなかなか理解しない人もいるようです。
#なお免疫力の回復があると、発症しても自然治癒する事もあるようです。
ここから分かる通り......繰り返し書いておきますが、この病気は遺伝性ではありません。