からむこらむ
〜その221:建国の物質〜


まず最初に......

 こんにちは。台風の影響が大きい中ですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 え〜.......久しぶりの更新です(^^;

 さて、その久しぶりのお話ですが。
 ま、ネタもあれこれあるのですが、どうしようかと考えてこういうものに。つまりタイトルの通りなのですが、ある国の建国に関わったかもしれない物質の話、という事になります。ま、実際には色々と複雑な背景があるものですので、そこら辺はとても触れられませんが、ただそれが関わってきた、というのは知ってみると面白いでしょう。
 特に有機化学をやっていると驚くほどなじみのある物質であったりします。
 それでは「建国の物質」の始まり始まり...........



 皆さんは科学者と政治家の関係というとどういうものをイメージされるでしょうか?
 「からむこらむ」でも何回かこのような話は扱った事があります。例えば、古代ギリシャの様な時代はもちろん、ラヴォアジエその217で挙げたようにコペルニクスの様な宗教家兼政治家やゲーリケの様な市長、またアメリカ独立に関わったベンジャミン・フランクリンというような人物もいます。
 ですが、これらは近代以前の話。

 では現代ではどうでしょうか?
 ま、どこかの国の「知名度使って票取り」というのはともかくも、政治家の「近親者」で有名な人というのはいます。例えば、旧西ドイツでベルリン市長からドイツ連邦大統領となり、東西ドイツ成立後もその任を果たしたリヒャルト(リチャード)・フォン・ワイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)は有名ですが、彼の兄カール(Carl Friedrich Freiherr von Weizsäcker)は実はカイザー・ウィルヘルム研究所において原爆開発に携わるなど、核物理学で業績を残す人物です。
#余談ながら「広島の原爆にナチのウランが使われた」説はこのような研究が背景にあります。
#ちなみに、実際には使われていませんので念のため。
 また、現代に名を残す著名な科学者で実際に政治家になりかかった人はいます。
 誰か? 皆さんご存知、アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)。ちょうど本年(2005年)はアインシュタインが特殊相対性理論を発表してから100周年という事でまた名前が出てきていますが、彼も実は後少しで政治家になるところでした。これは、1952年にイスラエルが第2代大統領(象徴的な意味が強い)への就任を依頼したことがありまして、実際アインシュタインはこの申し出に心を動かされたと言われています。
 もっとも、彼はこれを辞退しています。
 しかし、イスラエルという国の歴代大統領は、そのお国柄故かは分かりませんが(イスラエルは科学は非常に高度に発達している国です)、実は2人ほど世界的に著名な科学者が就任しています。例えば4代目エフライム・カツィール(Ephraim Katzir)は世界的な生物化学者でした。
 そして、建国の混乱まっただ中で就任した初代大統領ハイム・ワイツマン(Chaim Weizmann)もまた世界的に著名な科学者として知られていました。
#ファーストネームを「カイム」(これもCayyimだったり、Chaijimだったり)、あるいはセカンドネームを「ワイズマン」(Vaytzmanという表記もあるか)とする表記もありますが、今回は在日イスラエル大使館の表記によりました。

 なぜ科学者だった彼が大統領になったのか?
 もちろん彼がユダヤ人(生まれはロシア)で、しかも世界シオニスト機構(World Zionist Organization)のトップとなるなどシオニズム運動(パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする運動)で指導的な役割をしたからというのは確かです。しかし彼は科学的、かつ歴史的に大きな功績を残しています。それはある物質の作り方を開発した事に関係がある。
 そしてそれがイスラエル建国に大きく関わる事になったと言われています。

 第一次世界大戦は非常に化学産業が発達した時期でした......よくも悪くも。
 過去にも触れている通り、例えば塩素ガスに始まり、マスタードガスへと続く毒ガスの開発、マラリアに対するキナクリンの開発。そして前回触れた空中からの窒素固定法と、これに関わる火薬の開発の改善など。
 一つ一つ挙げると切りがありません。兵器なども当然関わってきており、様々なものを一変したものでした。
 そして、これらにはいずれも莫大な資金などが大きく関わっており、産官学全てが動員された、まさに国家の総力戦となっていました。

 ところで、戦争するのに何が必要か?
 これはたくさんありますけれど.......例えば軍隊の一般的な武装は古き良き弓矢やサーベルではなく(初期には騎兵で突撃していますけど)、当然この頃には銃や砲がありました。しかし、銃や砲だけを持っても戦争は出来ません......当然弾薬や砲弾もいる。それらには火薬というものが必要になる。そして大規模で激しい戦闘故に、当然莫大な量の火薬の生産が必要になる。
 では火薬の生産には何が必要か? これは硝酸が必要となる、という事で前回のハーバー・ボッシュ法で作った硝酸を使った化学合成により無煙火薬を作るという事になる。
 ただ、ここで考えなければならないものが出てきます。というのも、実は化学反応で重要なものに「溶媒」というものがあります。これは実験化学では非常に重要なものです。
 ここで少しこの話をしておきましょう。
 効率的で安全な化学反応を起こすには? 例えば物質AとBを反応させたいとする。しかし、AもBも固体同士だと混ぜても反応性が悪く、場合によっては反応すらしません。またAもBも液体であっても、原液の状態で直接混ぜれば反応が活発過ぎて危険になる(急激に熱が発生したり、大量の気体が制御できない状態で発生するなど)。この為に溶媒をつかって穏やかに、かつ効率良く反応させる必要が出てきます。
 化学の道に入るとこの「溶媒」は非常に重要な要素になりまして、例えば溶媒に溶かそうとしても特定の溶媒に溶けないものもありますし(水に砂糖は溶けても、油に砂糖は溶けません)、反応させようと思ってもそれぞれの薬品につかった溶媒同士が混ざらない事もある。これは例えば水に溶けたものと油に溶けたものを混ぜようとしても分かれてしまう。
 実際、最後の様な部分は化学では時として非常に頭が痛い問題になる事がある。

 さて、1914年に第一次世界大戦が勃発すると参戦しているイギリスは、当然火薬の生産に追われる事となります。
 その火薬の一つ「コルダイト(cordite)」の生産は当時非常に重要でした。これは綿火薬(つまり硝化度の高いニトロセルロース)とニトログリセリンをコロジオンに溶かし、ワセリンを混ぜて圧縮成形してヒモ状にしたものです。その割合は「綿火薬:ニトログリセリン:ワセリン=65:30:5」という比率で、1889年に英国で無煙火薬を製造したエーベル(アーベルとも。Frederick Augustus Abel)らによって開発されたこの火薬は砲の装薬として使われていました。
#余談ながら日本軍でも用いられています。
 第一次世界大戦の戦術において、「砲撃」はかなりの比重を占めていました。ですからコルダイトは大量に必要になる。実際にこの大戦はそれまでとは比較にならないほどの火薬の年産量を示しています。
 しかしイギリスにはコルダイトの生産について大きな問題がありました。それは製造に必要な溶媒である物質「アセトン」が大きく足りない事でした。


 アセトン(acetone)とは何か?
 化学を学ぶと非常に良く出てくる物質の代表格の一つといえるでしょう。実は「シャーロック・ホームズ」の話でも出てくる事がある物質です(「椈の木荘(The Adventure of the Copper Beeches)」にも登場したりしています。
 この物質はカルボニル基をもち、ケトンと呼ばれる化合物の基本的なものです。無色で特異的なにおいがあり、常温では液体です。引火性がある為に火の近くでは使えませんが、しかし水にも油にも溶け、また親水性・親油性の物質を溶かせるという性質は「非常に使い勝手の良い」化合物となっています。
#研究室には常備です。
#小中高校であっても、落書きを落とす為に学校に常備、なんて所もあるようです。



 ま、カルボニル化合物と呼ばれる一群の代表ですが。
 専門的な余談ですが、この一群の化合物は有機化学における化学反応で色々と代表的な反応を行ってくれるため、大体どの専門書でも詳しく扱われる物となっています。学生さんはアルドール縮合(aldol condensation)やらで、電子の偏りによる求核付加反応の典型的な例として示される事があるでしょう(α-水素の話が重要だ、学生諸氏!)。また、シアン化合物との反応でシアノヒドリン(シアンヒドリン)を形成するなどします。
#アルデヒドでやるとアセタールになるわけですな。



 名称とメカニズムは学生諸氏は頑張って調べましょう......覚えておいて損はしないはずです。一般の方はこんなの覚えなくて大丈夫です(^^;
 なお、アセトンとシアン化水素で出来るアセトンシアノヒドリンは過去に触れた通り一説によれば帝銀事件で使われた毒物の候補に挙げられています

 さて、このアセトンの歴史は古いもので、17世紀にはすでに知られていたようです。上述の性質から溶媒として、あるいは原料として多くの物質にアセトンが関与していました。
 その製造方法はいくつかありますが、当時の方法では木材を切り出して乾留を行い、木酢を得ます。この中にはメタノール(CH3OH)、アセトン、酢酸を含んでいますが、この中のアセトンはそれほど量は多くありません。しかし、木酢に多く含まれる酢酸(CH3COOH)に塩化カルシウム(CaCl2)を加えると酢酸カルシウム(Ca(CH3COO)2)が得られ、これを乾留すると純度の高いアセトンを得る事が出来ます。



 しかしイギリスという国は産業革命での製鉄事業の為に、20世紀にはすでに国土の木材はあらかた切り出してしまっていました(18世紀にコークスを使うまで木材を使った)。当然、木材は輸入をしていたのですが戦争中ではそんなことは言っていられない。ですが、木材がなければコルダイトの生産もままならなくなる。
 イギリスは戦略物資としてのアセトンの原料の確保に迫られる事となります。

 その転機は1916年、戦争も半ばに至った頃でした。
 アセトンの安定的確保の為、海軍大臣ウィンストン・チャーチル(後の首相)はある化学者を呼び出します。チャーチルは化学者に3万トンのアセトンの生産を要請し、着任してまもない軍需大臣ロイド・ジョージ(彼は翌年首相になります)も全面的バックアップを約束する事となって、化学者はこれに応じる事になりました。
 この化学者が実は後のイスラエル初代大統領ワイツマンでした。
 なぜチャーチルは彼に目をつけたのか? これはワイツマンの1910年の研究によります。その頃、ワイツマンはマンチェスター大学で砂糖から人造ゴムを作る研究をしており、その為にデンプンを材料として微生物の発酵でこれを行おうとしていました。この研究の中で彼がClostridium acetobutylicumという、クロストリジウム属の嫌気性細菌を使って発酵させてみたところ、興味深い事にアルコールの一種であるブタノールを60%、アセトンを30%、エタノールを10%作り出す事を発見します。
#それゆえにこのような菌を一般にアセトンブタノール菌と呼びます。
 この原料はトウモロコシで、水を加えて6〜8%にしたものを使い、手を加えて発酵させて出来たものを分画蒸留してブタノールとアセトンを得ると言う方法でした。
 この方法は報告されており、1916年になって政府が目をつけたと言うことになります。

 ワイツマンは彼の実験を徐々に規模を拡大してその収量を増やしてみます。
 フラスコ規模から徐々に規模を拡大し(これは工業化の基本)、そしてジンの蒸留工場を接収して約半トンものアセトンの生産に成功。政府はこの結果を受けて各地に工場を作ります。この拡大により、1年で消費されたトウモロコシは50万トンに及んだと言われており、その拡大ぶりが知れるでしょう。植民地であるインドにも工場が建てられています。
 しかしこの原料のトウモロコシはアメリカからの輸入。運搬の危険性(戦時中ですから)や効率の問題もあり、生産は最終的にアメリカやカナダでも行われます。
#もちろん米加両政府もこれの恩恵は受けた事でしょう。
 この成果は十分なものであり、イギリスの火薬生産は十分に行われる事となります。つまり、ワイズマンは間接的にであれ政府の依頼によりイギリス軍の勝利に貢献した事になる。

 このようなワイツマンの貢献は、ユダヤ人達にとっては幸いなものとなりました.......が、彼らはこれにより平坦な道を歩んだ訳ではありません。
 歴史的経緯の説明が必要でしょう。
 当時イギリスは多くの植民地を持っていましたが、このときは中東での植民地獲得を模索していました。当時の中東はオスマントルコの支配下にあったものの、オスマントルコは斜陽の状態。そこでイギリスはトルコ支配下にあったアラビアの諸部族に、トルコへの反乱と引き換えに、アラブの独立を認めるという約束をします。アラブ側はこれに応じて反乱を起こし、1918年にダマスカスへ入城してこれに成功します。
 なお、アラブ側に派遣されたイギリス軍連絡将校が、いわゆる「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia)」で有名になったT.E.ロレンス(Thomas Edward Lawrence)です。ま、当時のイギリスのアラブへの見方がよく分かる映画だったりもしますが。
 ところが.......
 一方で大戦中、イギリスは戦争資金の調達にあたりユダヤ人達に頼りました。この条件がパレスチナでのユダヤ人国家の建設でして、これは少なからずワイツマンの影響(彼自身シオニストでしたので)もあったとみられます。その約束は1917年、時の外相より「バルフォア宣言」として約束されます。
 つまり見事な二枚舌をここでイギリスは見せる事になります......が、実はまだ足りない。というのも実は1916年には中東で英仏による領土分割が協議されており、英仏露で中東の分割の協定(サイクス・ピコ協定)を影で結んでいます。
 老獪としか言い様のないものですが.......これが現代に至るまでの混乱の「種」の一つとなっています。

 後の複雑な話はとても書ききれませんので省略しますが。
 ただ、上述の約束からユダヤ人達はパレスチナを目差し、そしてヒトラーの台頭でこれが加速。一方独立を勝ち取ったアラブ側はパレスチナで増えるユダヤ人たちに耐えかねる事となる。
 これによって両者は反発し、そして元の原因ともなるイギリスにも反発。非常に複雑な情勢となり、第二次世界大戦を挟んでついにイギリスは統治を(文字通り)投げ出して、これを国連に委託。1948年5月14日にユダヤ人達は念願のイスラエル共和国を樹立し、アラブ側が反発して第一次中東戦争へと突入する事となります。
#興味ある方は経緯を調べてみましょう......複雑です。

 その独立の翌年、イスラエルはこの化学者ワイツマンを大統領として迎える事となります。
 少なくとも、イスラエル建国という意味でワイツマンがシオニスト指導者だった事、そしてアセトンによる貢献からイギリスからひき出したものは大きかったと考えられるので、その功績から初代大統領になりえたのではないかと思われますが。
 それが事実ならば、ワイツマンとアセトンはイスラエルの建国に一役買った事になると言えるでしょう。
#なお、Weizmann Institute of Scienceと彼の名を冠した研究所も作られています。

 さて、アセトンについてですが。
 用途は幅広く、上述のようなものだけではありません。硝酸セルロース、セルロイドや無煙火薬の溶媒だけではなく、塗料の溶媒としても使われます。特にワニスは実は硝酸セルロースや樹脂をアセトンに溶かしたものがあります(溶媒などの種類は一杯ありますけど)。他にもたくさんの溶媒として使われるために、化学屋さんはお世話になる物質といえるでしょう。また工業用原料にも用いられていまして、ヨードホルム(ヨードホルム反応で有名。消毒剤に使われた事もある)やクロロホルム、スルホナールなどの薬品の原料としても知られています。
 ついでに、体内でも出来まして血中や尿中に微量含まれています。
 製造方法は今ではさらに選択肢が増えていますが、木酢の乾留やワイツマンの方法は工業的には使われていません。現在はイソプロピルアルコール(2-プロパノール)の脱水素、もう一つはクメン(cumene:イソプロピルベンゼン)を原料としたクメン法と呼ばれる方法でフェノールとともに作られています。



 前者は高校の有機化学でもやる「第二級アルコールの酸化」によるケトンの製法の典型的なもので、現在でも良く使われます。また、後者のクメン法の場合は重要な原料となるフェノールも同時に得られる為に、良く使われる方法です。
 ま、化学に興味のある、あるいは勉強している人は色々と調べてみると良いでしょう。
 きっとその項目の多さは良い勉強になると思いますが。


 さて、このように化学では単純かつ定番という物質が、実は一つの国家の建国に関わっていたというのは実に興味深いものといえます。
 時として大きな影響をもつ化学物質ですが、やはり大きくその時代の影響を受けている、という事もまた興味深いものであり、同時に色々と考えさせられるものがあるといえるでしょう。
 もっとも、最も軽い元素である水素が将来のエネルギーとして期待されていたりするのを見ると、このようなものはまだまだ起こりえるのかとも思いますが。
 それはまた将来を見て分かる事になるかと思います。

 では長くなりました。
 今回は以上という事にしましょう。




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 久しぶりの「からこら」ですけどね。ま、ちょいとネタにしていたやつをやろうかと思いまして、着手しておきました。まぁ、彼の国のごたごたはともかくも、こういう人物がいた、という事を知っておいても良いのかと思います。一応、杉原千畝のケースもありまして、伝統的に日本とは友好国ですし。
 まぁ、でも戦闘地域のど真ん中を歩く日本人は勘弁して欲しい物ですがね。

 そういう事で、今回は以上ですが。
 次回は.....またいつになりますか(^^; 時間がとれれば8月中にまた少しやりたいとは思いますけど。とりあえず「気ままな更新」となっていますので、長々とお待ちください。過去の記事を読んでいなければそちらでも(^^;

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2005/07/27公開 08/10一部追加)


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