からむこらむ
〜その84:暗黒のイープル〜
まず最初に......
こんにちは。残暑厳しいと思ったら急に気温が下ったりと.........皆様いかがお過ごしでしょうか?
もう、本当に目茶苦茶な天気ですね(^^;; 体調崩される方が多いと思うんですけど、皆様もくれぐれもお気を付けを。
あ、ちなみに管理人。6日より旅に出ますので、2週ほど「からむこらむ」はお休みさせていただきますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
さて、今回は前回の続きです。
前回にはソーダ工業の話をしましたが、冒頭での話の続きは一切していませんでした。そういうわけで、その続きと行こうと思います。
それでは「暗黒のイープル」の始まり始まり...........
ソーダ工業の話まではしましたので、前回の最初の方へと話を戻しましょう。
さて、1914年に始まった第一次世界大戦はドイツを中心としてその東西の戦線で停滞。特に西部戦線はドイツとそれに対峙するフランス・イギリスの両軍がお互いに熾烈な攻防を繰り返すも、結局はその戦線を打破できず、結局は長期の停滞戦、つまりは消耗戦へと変化していきました。
そんな中の1915年。当時の停滞した西部戦線は大西洋からアルプスにまで延びていましたが、この戦線では二ヶ所ほど、ドイツ側へと突起する部分がありました。一つは中部でフランス領にある交通の要衝ヴェルダン。ここには強力な要塞があってドイツ軍の度重なる侵攻を連合軍側の奮戦もあってことごとく阻止していました。そして、もう一ヶ所は北部にある、ベルギー領フランドル(フランダース)地方。この地域では運河が流れており、基本的にはこれを挟んで両陣営が対峙していました。が、運河の東(つまり、ドイツ陣営より)に交通の要衝でもあり、連合国側にとってはドイツ攻略の橋頭保ともなるイープルが突出部として存在していました。イープルでもドイツは大戦力を投入して戦線の突出を消そうとしますが、これは連合国側の猛攻で失敗。連合国側もこのイープルからの突破を目指すもドイツ側の奮戦によりことごとく失敗します(第一次イープル戦)。
そんな、硬直した戦況を打破すべく、両軍とも様々な画策をしていましたが............
先に効果的と思われる方法を行ったのはドイツ側でした。
空気中の窒素を固定する方法である「ハーバー・ボッシュ法」を編み出したドイツの偉大な化学者フリッツ・ハーバーは、ドイツ軍に対してこの停滞した戦況を打破するために、それまで催涙ガス程度であった「毒ガス」ではなく、「致死性の」毒ガスを使用することを立案、計画します。彼は、当時最大の化学工業国であったドイツにある、「副生成物」に着目しました。それは、前回触れたソーダ工業の副産物で........「塩素」でした。
前回触れた通り、ドイツは岩塩層にあるために、食塩水の電解法によって水酸化ナトリウムを大量に得ると同時に、副生成物で当時は「使い道の無い」塩素を加圧・液化して大量に貯蔵していました。しかし、連合国側(この場合はフランス・イギリス)では岩塩層に乏しく、水酸化ナトリウムを食塩水の電解法によって得られず、同時に塩素を持つこともありませんでした。
ハーバーはこれを多いに利用することにします。
余談ですが。
ハーバー・ボッシュによる空中窒素固定法は、水素(H2)と空中の窒素(N2)を反応させてアンモニア(NH3)を作る方法です。アンモニアは肥料となる硫安の原料となると同時に、火薬の原料である硝酸を作りだすことが可能です。それまではこれらを作るのは硝石を利用していたのですが、この資源の枯渇に直面(今で言う、石油問題以上に深刻)します。しかし、この方法が登場した為にこの問題に決着をつけることが出来ました。
これにより、当時のドイツ皇帝が「これで我が国はパンと火薬を手に入れた」と宣った、という逸話(おそらくは作り話)が残っています。ま、詳しくはその内(^^;
話を戻しましょう。
1915年。ハーバーは西部戦線にて、自ら立案した塩素による毒ガス戦を指揮することとなります。本来ならば戦争での毒ガスの使用を禁じた第一次ハーグ条約に違反するのですが、ハーグ条約において「ガスボンベによる毒ガスの噴霧は禁じていない」という穴を利用してハーバーはこれに当たります。方法は.......食塩の電解法で大量に生じて貯蔵されている塩素の入ったガスボンベを大量に用意し、風向きを見て敵陣である連合国側に塩素を放つことでした。
様々な紆余曲折を経て4月22日。イープル近郊の二ヶ所より、連合国陣地に向けて毒ガスの噴霧が開始。ボンベより放出された緑がかった黄白色の塩素ガスは風に乗って連合軍陣地に広がっていき、辺り一面がこのガスで覆われます。異状に気付いた連合国側ですが、これに対する対処が取られているはずもなく、次々に兵士が塩素ガスにやられていきます。そして、そこにガスマスクを装備したドイツ兵が侵攻します。世に「第二次イープル戦」と呼ばれる戦闘はこうして始まりました。
この時の毒ガスの効果は余りにも大きく、連合国軍側は中毒者1万人以上。死者5000人以上........その損害率は33%にも及んだとされています。そして大量の兵士が捕虜になり、武器が鹵獲されました。
しかし、ドイツ軍側はここまでの戦果を上げることができるとは想定していなかったようで兵力の大量投入の機会を逃したとされ、また連合国側も防毒措置を早期に取ったために、第二次、第三次と塩素による毒ガス攻撃を加えたもののその死傷率は大きく低下します。そして結果的には5月の下旬にはイープルの突出部はわずかに「へこんだ」だけにとどまり、この作戦は戦略的には大した影響を与えることが出来なかった、と言う結果を迎えます。
しかし、「毒ガス戦」が最初に行われた、という意味では非常に大きな一歩を残すことになります。現在、その日は「イープルの暗黒日」とも呼ばれているようです。
さて、以上が簡単ながら世界最初の毒ガス戦の話となります。
まぁ、政治的・軍事的にも突っ込むとこれまた大量に出来ますし、この後も目茶苦茶なエスカレーションを見せるのですが、前者はとりあえず控えるとし、後者は別の機会にするとしまして...........(^^;;
この塩素ガスの話をしてみましょうか。
ドイツが大量の塩素を蓄えていたことは前回、今回を通じて理解頂けたと思いますが、この毒性は非常に強力なものでした。
塩素(cholorine)は塩素原子二個がくっついた分子でして、「Cl2」という式で表される物質です。「chlorine」の語源がギリシア語の「chloros」、またはラテン語の「cholorus」でして両者とも「黄緑色」を意味する通り、通常では黄緑色のガスです。加圧することで容易に淡い黄色の液体になります。ちなみに、固体は黄白色であるようです。常圧下での融点は-100.98度。沸点は-33.97度。酸性を示し、可燃性で塩素気体中で火があれば激しく燃焼します。自然界において通常では単体で存在せず、何らかの化合物として得られます。塩素を含む化合物は自然界に広く存在しています。
#ここで注意して欲しいのですが、今回は「分子」としての塩素でして、「元素」としての話ではありません。
#余談ですが、「cholorus」は「クロロフィル」などの語源にもなっています。
さて、このガスは刺激臭(プールのあのにおいが代表的か?)を持ちまして、毒性が高い、という特徴があります。この毒性はどういうものかと言いますと、塩素は反応性が高い特徴から、特に粘膜を侵します。具体的には、目や鼻、喉。そして気管支を侵すことが特徴です。どれぐらいでか、と言うと空気中に0.003〜0.006%ですでに粘膜が侵されて鼻炎を起こし、涙、よだれ、咳がでます。長期にわたって吸い込むと、胸部に痛みを起こしてやがて血を吐き、呼吸困難に。0.1〜1%の濃度になると瞬間的に呼吸困難を引き起こし、チアノーゼ(酸素の欠乏)となります。冷や汗、脈拍の減少が見られ、やがて死に至ります。
実際に吸い込んでみると分かるのですが、低濃度でも喉の痛みが激しいものがあります。何故こんなことが書けるかというと、高校時代にこれを発生させる実験を二回やりまして.........当然ながら実験台の上で反応させる訳にもいかないのでドラフト内で反応を行いましたけど、次の時間が食事でして.........これがまた、まずいことまずいこと........(- -;
兵器としての塩素ガスはこのような毒性をもって、相手を最終的に窒息させて殺すために「窒息性ガス」として分類されています。塩素は空気よりも「重い」ガスであるために、第一次世界大戦の様な塹壕戦において有効に使用することが可能でした。つまり、空気よりも重いために地上付近にとどまるため、塹壕の内部にいる敵兵士を殺害、またはいぶりだすことが可能、という効果があります。その様子は、前回の一番最初に書いた、映画「西部戦線異状なし」にて描かれています。
#映画中では砲弾からガスが出ていますが、このガスが地を這うようにして塹壕内に溜まっている様子が見られます。
こんなガスがイープルを襲ったのですから.........無防備な連合国側での大量の死者は不可避だったと言えます。もっとも、ドイツ側もある毒ガス攻撃の際には風向きが突然変わって自軍陣地で被害、などという事態もあったようです。このような方法では運用に難しく、天候に大きく左右されるという難点もあり、兵器としては使いづらい部類に入りました。また連合国軍側の防備体勢の確立もあいまって、塩素ガスは余り効果を発揮されることもなくなり、やがて登場する新しい毒ガスに代わっていくのですが.............
尚、第二次世界大戦中での人体実験(国は日本かナチスドイツと思われますが)では、人間を閉じこめた部屋に塩素ガスを充満させる、という実験をやっており、その結果として実験体となった犠牲者は全身黄緑色となっていた、という記録もあるようです。塹壕内で死んだ兵士にはこういう死に方をしたものもいる可能性がありますが.........
#想像するにおそろしいものがありますけど..........
さて、話変えまして。
塩素ガスは工業的には前回触れた方法で得ることが出来ますが、実験室では二酸化マンガン(MnO2)、または漂白剤であるさらし粉(Ca(OCl)Cl)に塩酸(HCl)を加えることで得ることが出来ます。管理人の高校時代ではさらし粉を用いて反応を行いました。
Ca(OCl)Cl + 2HCl → CaCl2 + 2H2O + Cl2
危険ですのでドラフト内で反応を行うのですが、二股試験管を使いまして、下方置換法を用いて集気瓶に集めます。色々と当時の記録を見ますと.........大分苦しんだメモがあります。高校での実験程度ですのでそれほど濃い濃度では発生させないはずですが、「鼻が死んでいる」とか「外の空気がうまいと久しぶりに思った」などと書いてあることから相当なものだと思われます。
#事実飛んでもない目にあいましたけどね........
もっとも、「毒」としての塩素は単体としての塩素「Cl2」でして、塩素イオン「Cl-」は毒性はありません(というよりも、人体でも胃酸や神経伝達などで重要)ので、その点は注意して欲しいのですが..........
#その理由は説明が量子に絡むので省略しますが。
さて、毒性ばかり強調しても仕様がないのですが........
第一次世界対戦当時では「役に立たないお荷物」か「兵器」としてしか使い道の無かったような塩素も、現在においては有効な使い道が見出されています。
現在もっとも需要が高いものの一つとして上げられるのは塩化ビニールの製造があります。まぁ、最近は「ダイオキシンが」っていうことで大分叩かれてはいますが、塩化ビニールは更に様々な樹脂・プラスチックの製造に利用されるために、重要な役割を担っているのは確かです。もっとも、さすがにダイオキシン騒動がからんで転換する傾向にはありますが。
もう少し前だと、有機塩素系化合物が更に幅広く利用されていたために塩素は大分使われていました。例えば、農薬(DDT、BHC、ドリン剤など)や工業に使用(フロンガス、PCBなど)に多用されていました。が、現在は使用中止に追いやられているものが多く、塩化ビニールも問題化されていますので、将来的にはここら辺がどうなるのか分かりませんが........
最近は大分肩身の狭い傾向にあるかと言えます。
ただし、化学では試薬などの原料に使われる部分もありまして、合成する人間にとっては直接的・間接的にお世話になっているケースが多いです。
#化学系実験室で、黄色いボンベを見つけたらそれは塩素ガスのボンベとなっています。
塩素というと忘れてはいけないのですが..........
塩素は水に溶けることで次亜塩素酸(HClO)を生じ、これが漂泊・殺菌作用を持っています。似たような方法で同じく殺菌・漂白剤であるさらし粉も製造されています。
HClO → HCl + (O)
上記の反応では原子状の酸素「(O)」、いわゆる「ラジカルな酸素」が生じていまして、これが殺菌や漂泊の作用を持ちます。実際に経験したところによると、上記の高校の時の実験で、塩素の入っている集気瓶に水でぬらしたベゴニアの花びらを入れたのですが、ベゴニアについている水と集気瓶中の塩素が反応して次亜塩素酸を生じて花びらの色素をことごとく破壊。文字通り「あっという間」に真白になったのを見てぞっとした記憶があります。
ただ、この作用は生活でお世話になっているものが多く、水道やプールの殺菌や漂泊剤として使用されているわけで........当時はちょっと複雑な心境になった記憶がありますが。
あ、これで思い出しましたけど、一時期起きた「混ぜるな、危険」という洗剤を混ぜてトイレで使用したところ有毒ガスが発生して主婦が死亡した、という事故がありましたが、それはこの塩素ガスが原因となっています。いわゆる「塩素系洗剤」に「酸性洗剤」を混ぜると塩素ガスが発生するのですが、「塩素系洗剤」には一般に次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)が用いられており、酸性洗剤の中の酸と反応して塩素を発生させます。
ま、実際はどうだか分かりませんが、簡単に次亜塩素酸ナトリウムと塩酸が反応したと考えると、
NaClO + 2HCl → NaCl + H2O + Cl2
という様な式が成立すると思われます。基本的には、上のさらし粉の時の反応と同じようなことが起きています。
一応、使用される方はよ〜〜く注意して欲しいですが。
尚、一応防備法もある程度知られていまして..........
チオ硫酸ナトリウム(Na2S2O4)という化合物があります。まぁ、一般に「ハイポ」としても知られるものですが。塩素はこのチオ硫酸ナトリウムと反応して無毒化させることが出来ます。実際に第一次世界大戦ではこの簡易の防毒マスクとして、チオ硫酸ナトリウム水溶液を浸した布を口に当てて塩素を防ぐという様な方法がとられていました。ま、その内更に発展していわゆる現在の様な感じの「ガスマスク」にまで発展するのですが...........
管理人が高校での塩素の実験をしたときにもこのハイポを利用して洗浄した記憶があります。
Na2S2O4 + 4Cl2 + 5H2O → 2NaCl + H2SO4 + 6HCl
この時にはドラフト内で集気瓶をハイポで洗浄し、上記の反応をさせて塩素を無毒化させています。
っと.........スペースがありません。
取り敢えずはある程度の話はできましたので締めたいと思います。
大分長くなりましたが、以上がドイツが最初に世界初の毒ガスである「塩素ガス」を使うまで、そしてその毒性について、という話になります。
前回、今回と書いた通り、彼らが毒ガス戦を開始・遂行することが出来たのは、ドイツが当時世界最大の工業国であり、それを支えたソーダ工業があった、ということに起因しています。事実、この第二次イープル戦が起きてから数ヶ月経過しないと連合国側では塩素ガスを製造することが出来ませんでした。また、この対戦では毒ガス戦においてはドイツが常にアドバンテージを取っていきます。この後に、この塩素ガスと一酸化炭素を反応して作りだした窒息性ガスである「ホスゲン」、そしてイープルで使われたことから「イペリット」という通称名を持つ「マスタードガス」などの毒ガス兵器が開発され、使用されました。これはドイツ側が作れば対抗して連合国側が作る、という方式により、過激にエスカレーションをしていったのですが..........
#もっとも、ホスゲンは重要な工業原料でもありますので、「毒ガス」だけでくくることは難しいものがありますが。
本来は平和な産業目的に使われていたものの副生成物がこういう利用をされるとは大分皮肉なものがありますが.........ちなみに、ハーバーの奥さんは毒ガスを使用することに賛成ではなかったようで、ハーバーが視察に赴いている間に自らの命を絶っています。
この戦争でハーバーは妻を失い、そして祖国の敗戦を迎えることになり、また最初の毒ガス戦の指揮者としての不名誉を被ります。それは、戦後にハーバー・ボッシュ法の成果によるノーベル化学賞が授与されるまで続くこととなります。
まぁ、科学というのは正しく使って欲しいものですが...........
長くなりました。
以上で今回は終了、と言うことにしましょう。
そういうわけで終了、と。
さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
今回と前回に渡って、リクエストのあった「毒ガスについて」の話の一つをしてみたわけですが..........世界で最初の毒ガスが使われた、という話とその毒性他について触れてみました。まぁ、本当ならば更に色々と「毒ガス」だけならば出てくるのですが、そこら辺は限りなく続いていくものがありますのでそちらは別の機会に、と思っていますけどね(^^;;
ま、取り敢えずは背景、という物とその毒性について理解頂ければ、と思います。もっとも、何であれ平和に利用して欲しいものではありますけどね。
尚、一応興味をもって塩素を発生させてみたい、という方がいらっしゃるかも知れませんが、本当に洒落になりませんので.........知識を持った指導者と設備が無いのならば絶対にしないで下さい。自殺でも塩素系の漂白剤が使われたなんて話もあるのですが、想像するに嫌なものがありますし.........
ま、そこら辺はきっちりと常識を働かして下さいね。
さて、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
それでは、冒頭に書きましたように2回ほどお休みをいただきます。
次回は26日の予定です。まぁ、しばらく更新できませんので、過去のログを漁ってみたい方は是非、と思います(^^;
それでは次回をお楽しみに.............
(2000/09/05記述)
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