からむこらむ
〜その83:ソーダと塩素〜


まず最初に......

 こんにちは。今週で8月も終わりですね.........皆様いかがお過ごしでしょうか?
 しかし.......いい加減気温が下がって欲しいんですけど...........ちょっとというか、大分また、へばってきている感じがありまして。
 体調が谷間なのでしょうかねぇ............

 さて、今回も諸々とあってなんですが..........取り敢えず第一次世界大戦での話、といこうと思います。
 まぁ、色々と悩んだんですけどね..........世界で最初の毒ガス、という話ですか。それに関する諸々についてを話してみたいと思います。今回はその前提の話、となりますが。
 今世紀の化学工業の発展が生みだしたもの、と言うのはなかなか複雑なものがあるのですが...........
 それでは「ソーダと塩素」の始まり始まり...........



 時代は第一次世界大戦まっただ中。場所は西部戦線..........ドイツ軍側の塹壕。
 招集に応じて西部戦線にいるパウルは、戦場で戦い続けていました。そして、そんなある日..........連合国側からは弾丸ではなく、爆発音のしない攻撃が来ます。すでに戦場で戦い続けていたパウルはすぐにガスによる攻撃であることに気付き、すぐさま防毒マスクを取りだして顔にかぶり始めました。仲間もそれぞれマスクをかぶるのですが..........しかし、そばにいた新兵は慌ててマスクを上手くかぶれず、そのまま落としてしまい........そしてガスを吸い込んでしまいます。
 激しく咳込む新兵........もがき、苦しみ..........と、上官がすぐさま彼の側に駆けつけて様子を見、そして.........持っていたライフルを彼に構えて引き金に指をかけます。それを止めるパウル、「待て! 衛生兵が来た!」。横から担架をもって駆けつける衛生兵はすぐさまその新兵を乗せて後方へと運んでいきました。
 複雑な心境でその様子を見る二人が残され..............


 さて、取り敢えず詳しい道のりは省略しまして........1914年6月28日。サラエボを来訪中のオーストリアの皇太子であるフランツ・フェルディナンドは、パレードの道中に襲撃を受けながらも無事に乗りきり、そして目的の博物館(だったか?)に着いて車を降ります........その時、オーストリアからの独立を主張するセルビア人青年が発砲。これにより皇太子は死亡します。
 この事件をきっかけとして1ヶ月後の7月28日。オーストリア及び同盟を結んでいたドイツのいわゆる同盟国側はセルビアに宣戦を布告。セルビアとの関係を結んでいたロシアはこれに対抗して同盟国側に宣戦を布告し、三国協商によりフランス・イギリスもこれに呼応。更に日本も日英同盟を理由に同盟国側に宣戦を布告........ゲルマン主義対スラブ主義より端を発した係争は同盟国対連合国という図式を産みだし、ついには世界中を巻き込んでいわゆる「第一次世界大戦」が始まります。
 この大戦は近代的総力戦として最初のものでして、最終的には連合国側27か国、同盟国側4か国で計31か国で、当時の総人口の3/4である15億人を巻き込んで戦争が行われました。動員総兵力数は両陣営合わせて6500万人。死者は800万人にも及び、死傷者・行方不明者を合わせると1800万人にも達したと言われています(資料によってまちまち)。特にドイツでは全人口(当時6000万人)の5人に一人が戦場に向かい、10人に一人は死傷したと言われています。

 で、今回の冒頭シーンは、いわゆる西部戦線でフランス・イギリス(後にはアメリカ軍)との戦いに参加した一青年を描いたE.M.レマルクの反戦小説「西部戦線異状なし」を元にした映画のワンシーンでして.......ま、モノクロ版とカラー版があるのですが、管理人はカラー版しか見たことがありません。ま、実はあまり細かい描写は覚えていないんですけどね(^^;; ただ、一青年が戦場で過ごすうちに徐々に「麻痺」していく様と、最後のシーンには忘れられないものがありますが..........
 余談ですがレマルクは、後にヒトラーに目をつけられてスイスに逃亡するのですが、ここで国籍をはく奪。最終的にはアメリカに渡った、という話があります。

 さて、第一次世界大戦は御存じの通り、従来の「常識」を覆す戦争でした。当初は「クリスマスには終わる」と両陣営とも思っていたようですが、それは叶いませんでした。昔ながらの騎兵による突撃は新兵器であるホチキス機関銃により戦法の変更を余儀なくされ、同様に昔ながらの装備も大きく変更(砲弾の破片から身を守るために兜が鉄製になる、など)。そして、両陣営とも互いに決定打を与えられないままついには塹壕戦に突入します。この塹壕は南北に延びて、北は大西洋、南はアルプスの方までと長く掘られていき、結果的に両軍とも容易に進むに進めず、膠着した戦況が続きます。
 そんな中から様々な発明がなされます........例えば身近なもので言えば塹壕(trench)より生まれたトレンチコートなんてのもありますか。しかし、戦争ですので...........兵器の発達は急激なものでした。上記の機関銃もそうですが、ノーベルにより実用的になった爆薬や、ライト兄弟より発展した飛行機、そしてツェッペリンで有名な飛行船の開発とロンドン爆撃、更に心理的影響が大きいとされたイギリス製の「タンク」も登場します。
#当時は「タンクが出た」と言えば撤退しても、それが充分に「理由」として認められたとも言われます。
 そういった中で生まれた兵器の一つは、当時急激に発達した化学が関与していました。
 いわゆる「毒ガス」の登場となります。

 時代はさかのぼって19世紀。パーキンによるモーブの開発から始まった人工染料の化学は、パーキンの故国イギリスではなくドイツで発展します(その67参照)。これにより現在においても化学・医薬分野で上位を占めるBASF(バーディッシェ・アニリン・ウント・ソーダ工業会社)やバイエルと言った会社が大きく社会に出ていきます。ともかく、この時代からある意味本格的な化学工業が発達していく、ということを過去に話をしましたが..........実はそれより前にある工業が発達していました。と言うよりも、世界的に見ると染料工業よりも、その工業の方が重要な物だったのですが..........

 では、その工業とは何か?
 時代は18世紀後半。ヨーロッパはイギリスを発端とした産業革命の勃興により湧いていましたが、この頃に急速に需要の高まる石鹸やガラスに対して供給がこれに追いつかなくなってきます。その一因は........ある無機薬品の不足でした。
 何か?
 それは炭酸ナトリウムでして、これはNa2CO3により表される無機塩です。工業的にはソーダ灰とも呼ばれています。これが非常に不足してきた為に、生活・工業などに必需品となった石鹸やガラス、他これを必要とする各種製品の生産に支障をきたすようになってきました。これを解決するために1775年、フランス学士院はいわゆる食塩(NaCl)より炭酸ナトリウムを工業的に製造する方法を懸賞金付きで募集し、結果としてN.ルブランによる「ルブラン法」が選ばれます。これは、食塩と硫酸(H2SO4)から硫酸ナトリウム(Na2SO4)を作り、これにコークス(炭素)と石灰石(CaCO3)を加えて800度で反応させて炭酸ナトリウムを得る、という物でしたが........
 この方法を開発したルブランは、この製法を使った工場をパリ郊外に作ります。が、しかし.........時あたかもフランス革命まっただ中。革命の余波で工場は没収されてしまい、しかも懸賞金も払われず.........絶望した彼はついには自殺してしまいます。
 ............まぁ、ラヴォアジエと言い当時のフランスの化学者はどうも災難に遭っているようですが..........
 さて、取り敢えずは炭酸ナトリウムを得る方法が開発されたわけですが、実際にはこのルブラン法は塩化水素や硫化水素などを副生成物を産みだすために環境被害を産みだしていました。そして、しばらくはその解決はなされなかったのですが...........しかし時間が経って、1860年。このルブラン法はベルギーのソルベーにより改良され、実に無駄のない、リサイクル可能で効率の良い炭酸ナトリウムの生産法が確立されます。いわゆるソルベー法、またの名をアンモニアソーダ法と言う生産方法で、これは食塩と石灰石から(反応の出発時点ではもう少し必要ですが)炭酸ナトリウムを作りだす方法でした。
 このソルベー法、これは極めて重要な発明でして、これによりいわゆる「ソーダ工業」が本格的な発展を見せ始めます。このソーダ工業により、現在においても様々な局面で活躍する炭酸ナトリウムが安価に大量生産できるようになり、様々な局面で、例えば化学工業の分野などでこれが役に立つのですが..........

 さて、ソーダ工業と言うものは上記の炭酸ナトリウムの他にもう一つ重要な物があります。それは........水酸化ナトリウム(NaOH)でして、いわゆる「苛性ソーダ」として知られる物です。
 この物質は極めて重要な物質でして、昔から化学工業には必要なものです。今現在でも化学系の実験室では必ず、しかも大量においてある物であったりするのですが..........この水酸化ナトリウムの工業的合成法の確立もソーダ工業の発展に大きく寄与することとなります。
 1890年、ドイツで食塩水の電気分解によりこの水酸化ナトリウムを得る方法が開発されます。難点は当時は高く付いた電気を使用する方法だったのですが、電気の広範な普及により、やがてこの方法は広まっていくこととなります。

 現在でもこのソーダ工業は極めて重要な役割を果たしていまして、日本での無機薬品の生産量を調べてみると、1998年で最も生産されているのが硫酸の674万トン。次いで水酸化ナトリウムの412万トンとなっています。ただし、炭酸ナトリウムが結構少なくて72万トンとなっていますが。1998年の内需を調べると、水酸化ナトリウムは370万トンで54.8%が化学工業、紙・パルプに10.6%、化学繊維に2.5%、他となっています。炭酸ナトリウムは102万トンでして、ガラス製品に29.2%、化学工業に24%、板ガラスに22.6%、他となっています。
 化学工業的にみると、炭酸ナトリウムも水酸化ナトリウムも合成やら分解、けん化(石鹸を作るときに使う反応)他諸々で非常に重要な役割を果たしており、化学やってこれにお世話にならない例はない、と言えるほど重要な物であったりします。

 尚、「ソーダ」、と言うのはナトリウムのことでして、英語で「Sodium」と呼ぶことよりソーダ、と呼んでいます。ですので、炭酸ナトリウムを「炭酸ソーダ」、と呼ぶこともあります。今となっては懐かしい「グリコ・森永事件」での「キツネの目の男」による「青酸ソーダ入り 食べたら死ぬで」の「青酸ソーダ」は単純に「青酸ナトリウム(NaCN)」を指しています。
 「ナトリウム」はもともとはドイツ語です.......よって、英米において「ナトリウム」と言っても通じませんので御注意を(^^;; 同様のものにカリウム(K)もありますが(英語で「potassium」:「ポタジウム」)。
 更に余談ですが、ソーダ水は飲料に炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)を付加したものでして、そこから炭酸(H2CO3)から二酸化炭素(CO2)が出てきて、あの泡と「しゅわ〜〜〜〜」という風味が生まれています。


 っと、脱線しましたが...........
 さて、話戻りまして水酸化ナトリウムの話。これは食塩水の電気分解により生じる、と書きましたが、以下の反応式を経て作りだされます。



 ま、学生さんでもないかぎりは下の結論部分だけで何となく納得頂ければ大丈夫ですが..........食塩水、つまり食塩(NaCl)と水(H2O)に電気流すと、水酸化ナトリウム(NaOH)が出来る、という反応式です。
 現在においても基本的に水酸化ナトリウムを得るにはこのような食塩水の電気分解が利用されています。以前は「隔膜法」という方法を用いて得ていたのですが、最近は「イオン交換膜法」という方法を用いて水酸化ナトリウムを得ています。

 当時のこの方法はドイツでは非常に有効な手段であり、そしてそれが空気中の窒素を固定してアンモニアを得るハーバー=ボッシュ法、いわゆる空中窒素固定法(これは次回に触れます)と相まってドイツを化学工業国として発展させることの一因となりました。
 何故か?
 原料として食塩がありますが、これはドイツでは豊富に取ることが出来ます。例えばドイツ、オーストリアの周辺には岩塩層が多くあるようでして、事実地名にも塩を関した名前が残っています........例えば、ドイツ南部、ミュンヘンに近いオーストリアのザルツブルグ。この地名の語源は「塩の城」という意味でして、現在でもかなり岩塩が取れるようですが............
 ともかくも、豊富に食塩を得ることの出来るドイツはハーバー=ボッシュ法とこれを利用して化学工業を発展させ、化学工業国として20世紀初頭に台頭していきます。周辺各国、例えばフランスでは食塩をドイツの様に豊富に取ることが出来なかった為に、食塩水の電解法による水酸化ナトリウムを得ることはあまりありませんでした。
 これが後に影響を及ぼすのですが...........

 余談ですが、日本にいるとピンと来にくいのですが、世界の食塩は基本的には海から取るものはそう多くなく、割合としては陸から岩塩の形で得ることが多いです(確か、陸:海=7:3ぐらい)。

 さて、上記の反応式.......右方をみると、水酸化ナトリウムの他に二つ、何かが出来ているのが分かります。
 一つはH2、つまり水素です。そして、もう一個........Cl2という物が得られています。これは何かと言うと......「塩素ガス」という物でした。
 時代は19世紀末から20世紀初頭。当時すでに有毒なガスとして知られていた塩素ですが、人類はこれを有効に使う方法を発見できませんでした。せいぜいがさらし粉(次亜塩素酸カルシウム:Ca(OCl)Cl)といった殺菌・漂白剤程度しか利用できず、非常に「邪魔」な副生成物であったのですが.......... 余り有効な方法を見つけられなかった彼らは、これを加圧液化してボンベに保存などをしていました。

 そして、それはやがて第一次世界大戦で重要な役割を担うこととなりますが...............


 大分書きました。続きは次回、と言うことで............




 やっぱり続きになるか(爆)

 さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
 まぁ........単なる前振りと言えばそれまでの話なんですけど(^^;; 色々と雑学にソーダ工業の話がある、と言えばありますか。ま、メインは次回、という感じになりますかね..........
 ま、次回は今回の最後の物質が主役、となります。
 いわゆる、毒ガス戦への道。そして現代での話となるわけですが.............

 さて、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 それでは、次回をお楽しみに.............

(2000/08/29記述)


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