からむこらむ
〜その89:イペリットとがん治療薬〜
まず最初に......
こんにちは。暖かかったり寒かったりと気温変動が激しいですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
相も変わらず風邪引きさんが多いですね........皆様もお気を付けをm(_ _)m
さて、今回は前回にマスタードガスの話をしましたが......今回は前回の続き、となっています。
前回にはマスタードガスの実戦投入の話をしましたが、実は大戦後に脚光を浴びる出来事がありました。それは..........
それでは「イペリットとがん治療薬」の始まり始まり...........
さて、前回には現用兵器としても使われるマスタードガス、またはイペリットについて触れました。詳しくは前回を参照していただきたいのですが..........
ここで、ちょっと化学兵器の話をしてみましょうか。
化学兵器(Chemical Weapon:CW)と言うものは色々と種類があります。例えば、塩素やホスゲン、その後に続くのにジホスゲン(これは前回挙げていません。ClCO・OCCl3)という物もあるのですが、これらは呼吸器を冒すことで死に至らしめるので「窒息性ガス」と呼んでいます。マスタードガスやまだ触れていませんがルイサイトと呼ばれる物は、皮膚に付着することでただれさせ、粘膜などを冒します。この手のタイプの物を「糜爛(びらん)性ガス」と呼んでいます。更には有名になったサリン、タブン、ソマン、VXと呼ばれるようなものは、一般に神経の伝達を阻害しますので「神経性ガス」と呼んでいます。他にも、青酸など血液に吸収されて呼吸系を冒す様なものを「血液性」ガスと呼んでいます。他にもくしゃみガス、催涙ガス、という物があります。
さて、化学兵器というのはその運用には条件があります。例えば、一般には「ガス」が使用されています。液体もあるのですが、これらは揮発性の物が多く、結局は気体になります(実際的には、そちらの方が使いやすい。必要に応じ、ガス/液体を使う)。固体の化学兵器、と言うものはまずありません。これは気体の方が液体・固体に比べて効果的だから、という側面があります。また、空気よりも「重い」というのも条件になります。これは、空気より軽いと散布しても敵陣からすぐに消えてしまうから、という意味を持ちます。
運用という点においては、更に残留時間の問題や、化学的に安定である必要もあります。前者は短すぎては意味がなく、長く留まりすぎては自軍の兵士の突入のタイミングなどを逃す、という問題があります。事実、青酸は有名な毒ですが、すぐに揮発して散ってしまうため、余り兵器としては使用されていません。後者は、容易に中和されては兵器としての効力が無い事から、となります。また、貯蔵の問題や取り扱いの問題もこれに絡んできます。同時に、爆弾などに搭載した際にはその爆薬の量などの問題(爆発すると熱を生じ、これにより熱分解や化学反応で無効化の可能性)もあります。
また、実際的に見ると、無色無臭であれば更に効果がある、という事は言うまでもありません。
まぁ、他にも色々と挙げられるのですが.........
#例えば、激しい砲撃の後に使うと空気が乱れて効果的でないなど諸々と........
では、上記を踏まえますと、イペリットと言うものは「糜爛性」の物で無色ではあるものの、「マスタードガス」の名を冠するように「からし臭」がします。また、その化合物の特性から油に溶けやすく、水に溶けにくい、という特性がありました。前者は「無色無臭」と言う点で不利であり、後者は「取り扱い」という点で不利でした。また、毒性が非常に強いために、これが逆に厄介になったとも言われています。
つまり、40万人もの兵士を死に追いやった、とも言われるイペリットですが、「扱いにくい」という点が存在していた、という事になります。
この点を改良するため、各国で第一次世界大戦後、イペリットの「改良」に着手します。方法は.......イペリットの構造にある硫黄を窒素に置換する、という方法でした。そして、アメリカとドイツでほぼ同時にこの改良が完成します。合成法に関しては1935年、当時のチェコスロバキアの化学雑誌にウラジミール・プレローグとヘンドリック・ステフェンにより報告されました。
その化合物は次のような構造を持っていました。
左は前回の主役です。右がイペリットの改良の為に出来た化合物で、「2,2-ジクロロ-N-メチルジエチルアミン」という化学名を持つもので「メクロレタミン」とも呼ばれました。が、イペリットの硫黄(S)を窒素(N:nitrogen)に置換した化合物であることから「ナイトロジェンマスタード」と呼ばれます(これに対して、イペリット/マスタードガスは硫黄(Sulfur)から「サルファマスタード」と呼ばれることもあります)。基本的に合成法はイペリットの物を応用したものとなっています。
さて、この化合物は常温で液体で、水に溶けないのですが塩酸と反応して塩(えん)となり、その時には結晶(沸点109〜111℃)となって水溶性となる事が知られています。しかし毒性は高く、防毒マスク無しでの作業は極めて危険とされていました。性質もイペリットの物を引き継いでおり、刺激性・糜爛性も強く、ラットへの静脈注射によるLD50(半数致死量:その1参照)は1.1mg/kgとなっています。
作用機構は1946年、アメリカ陸軍の化学兵器研究チームのアルフレッド・ギルマン大尉とフレデリック・S・フィリップス中尉により、前回触れた様なメカニズムが(イペリットとナイトロジェンマスタードの作用機構、という形で)『サイエンス』誌に報告されます。
さて......では、話をここで一端変えまして.......1943年に視点を移しましょう。時代は第二次世界大戦中。場所はイタリアです。
1943年と言う年はヨーロッパ戦線では同盟国側が崩壊してゆく年でして、7月10日には「ハスキー作戦」という名称でシシリー島上陸作戦が連合国側によって行われ、ほぼ一ヶ月後に占領します。そして9/3にはイタリアは反ムッソリーニ勢力がムッソリーニを追いだし、この結果連合国側と休戦条約を締結されてイタリアは連合国側に立って参戦。イタリア半島に残るドイツ軍に対峙することとなります。
#余談ですが、この年の9/9には、ドイツ軍による「世界初の無線誘導ミサイル」である「フリッツX」による戦艦ローマ撃沈という話がありますが.......
さて、9月〜12月にかけて連合国側はイタリア半島南部より上陸作戦を敢行し、徐々に占領していきます。これに対してドイツ軍はナポリ北部に東西に延びる「グスタフ線」と呼ばれる強固な防衛ラインを設定しこれに対抗していくのですが............
さて、この年の12月2日の事。イタリアの連合国側の重要補給基地であるバリ港にドイツ軍は爆撃を敢行します。
この日の夕刻、ドイツ空軍はバリ港を20分ほど襲撃し、輸送船・タンカーを始めとする艦船の破壊に成功。石油類の爆発により被害は更に拡大し、その結果、16隻が沈没します。その中に、アメリカ海軍リバティー型輸送船「ジョン・E・ハーヴェイ号」という船がありました。不幸なことに、この輸送船には........大量のイペリットが積まれていました(これはドイツ軍の物の押収とも、アメリカ軍の「万が一」の報復用とも言われます)。
さて、攻撃の被害を受けたジョン・E・ハーヴェイ号は、積み荷のイペリットを漏らしながら海中に沈んでいきます。もちろん湾内ではハーヴェイ号の他、爆撃の被害を受けた他船もありますのでそれらの乗組員も海中に脱していました。そして彼らは、救助されるのですが........一部の乗組員は「ニンニクのような臭いがした」という報告をします。そして、取り敢えずは重傷でない乗組員達はそのまま毛布にくるまって一夜を過ごすこととなります。
さて、不運な事にこの日の爆撃の結果、周りはタンカー類が沈んでいるため海上には大量の油が漂っていました。そして、ハーヴェイ号はイペリットを積んでいました。そして、イペリットは油に溶けやすい、という性質があります........
翌朝、悲劇が始まります。
救助された兵士は目、皮膚の異常を訴えます。特に全身油まみれとなった兵士の被害がひどく、海水を飲んだ乗組員にいたっては喉がやられ呼吸困難となり、血痰を吐くという有り様でした。まさにイペリットによる被害だったのですが.......ここで更に問題になったのは全身性の症状でした。血圧の低下、末梢血管の血流の急激な減少などを引き起こし、そして.......白血球値が大幅な減少を示します。
結果、被害は617人にも及び、うち83名が死亡。死者のうち、被害後2日目、3日目に最初のピークを迎え、8日、9日後に再度ピークを迎えます。最初のピークはイペリットによる直接の死者であり、後者のピークは生体防御を行うべき白血球の大幅な減少による感染症によって引き起こされた、と考えられました。
そして、ここから事態は変わった方向へと向かって行きます。
少し時代は遡って、バリ港での事件の1年前である1942年。後に上述した『サイエンス』にイペリット及びナイトロジェンマスタードの作用機構を発表することになるギルマンと、当時エール大学での同僚であったL・グッドマンはナイトロジェンマスタードを静脈内に注射した際の影響を調べていました。それによれば、動物の骨髄やリンパ組織などの、一般に「増殖の速い」組織はナイトロジェンマスタードの影響を受けていることが判明しました。
そして、1946年に『サイエンス』に作用機構を発表したギルマンは、哺乳類からウィルスまでの、非常に幅広い生物を対象とした実験結果をまとめています。それは、イペリットもナイトロジェンマスタードも、細胞の核に強く作用している、という事でした。これは具体的に言えば、細胞分裂を阻害する性質を持つことがわかりました。例を挙げれば、ショウジョウバエにこれらの化合物を与えると、X線を照射したときと同じ.......突然変異を起こす可能性が高くなる、と言う作用がありました。
さて、バリ港での悲劇の後、この事件の詳細はアメリカの陸軍化学兵器部隊司令官を補佐し、研究チームを指導していた(つまり、ギルマンの上司になる)コーネリアス・ローズに報告されます。ローズは同時にニューヨーク・メモリアル病院の院長であり、またアメリカがん研究評議会委員長でもありまして.......この事件で見られたイペリットの障害をX線照射による障害と同じである、と判断しました。
これは何を意味するか?
当時白血病やリンパ腫の治療にはX線照射による方法しかありませんでした。そして、彼は当時すでにギルマンらの実験結果を知っていた(あくまでも46年が「発表」なわけでして、数年がかりで研究は行われています)、と思われます。つまり........?
白血病やリンパ腫。そして、白血病やリンパ腫と同じように増殖の速いがん細胞に対して.......つまりがん治療にイペリットが使えるのではないか、という考えが出てきました。
この考えを受けてギルマンは同僚のT・ドハティにある依頼をします。ドハティはマウスに悪性リンパ腫を移植し、そこに致死量に至らない量のナイトロジェンマスタード(イペリットよりも毒性が弱いため)を静脈内注射により与えます。すると......面白いことに、ナイトロジェンマスタードを与えない試験群ではリンパ腫の増殖のために三週間でマウスは死亡します。が、ナイトロジェンマスタードを処理した試験群では12週間の生存が確認されました。そして、ナイトロジェンマスタードによって腫瘍の縮小も確認されました。
この結果は非常に重要でして、当時は「治療できない」と思われたがんの治療に対し、化学療法が有効である可能性を示した最初の例となっています。
そして、皮肉なことに........第一次世界大戦で大量の死者を生みだしたマスタードガスが、がんに苦しむ人達を救い出す可能性を示した、という例にもなりました。
#ただし、細胞の核(=DNA)に作用する、と言うことは抗腫瘍作用を持つと同時に、発ガン作用ももつ、という意味でもあります。
#ここら辺は難しい部分ですが。
何回かの動物実験の後、ナイトロジェンマスタードの構造をアレンジした化合物が生まれます。ナイトロジェンマスタードは「HN-2」とも呼ばれていたのですが、そのアレンジした化合物は「HN-3」と名付けられました。
HN-3は実際にがん患者の治療に用いられまして、1946年の8月には放射線治療も受け付けないという、48歳の末期のがん患者に対してこの化合物の塩酸塩が使用されます(塩酸塩だと水に溶けるので)。この患者は10日間注射を受けましたが、がん塊は二日目から縮小を始め、二週間で消滅。副作用のために障害を受けた骨髄も数週間後には回復、という奇跡的な治療効果を発揮します。しかし、完全な治療、とまでは行かずがんは結局再発して患者は死亡しました。
しかし......これが最初に人間に対して、ナイトロジェンマスタード及びイペリットががんの治療に効果を発揮し、がん治療薬としての可能性を示した具体例となりました。
さて、日本でもこのナイトロジェンマスタードの効果は戦後になってですが伝わります。
その頃、東北帝国大学医学部の病理学教授であた吉田富三は前任地である長崎医科大学でアゾ色素という、窒素が二個隣接したある化合物で出来た色素を投与中のラットの腹水中に発見した「長崎系腹水肉腫」.....後に「吉田肉腫」と呼ばれるものを発表し、これを利用する方法を考えていました。時を同じくして東京帝国大学医学部薬学科教授であった石館守三は、戦時中に陸軍の依頼で毒ガスの解毒薬の研究に携わっていた事もあってか、ナイトロジェンマスタードによる化学療法に興味を持っていました。
さて、1949年に石館は吉田の肉腫の事を論文で知ります。吉田は、苦労して移植を繰り返して継続(継代移植)させている腹水肉腫ががんの化学療法薬の研究に利用されることを望む、と論文に書いていたため、石館はすぐさま吉田に連絡。共同研究を申し入れます。
共同研究が始まり、まずナイトロジェンマスタードの効果が調べられました。それは著しいものだったのですが、毒性が強い。どうも肉腫よりも動物が持たないのではないか、と見た彼らは薬になる可能性はない、と考えました。
しかし......石館の戦時中の経験がここで生きることとなります。
彼の方法は化学的な物で........この化合物の毒性を弱める方法の一つとして、「酸化」を行う、という方法を思いつきました。これは、専門的なのでちょっと難しいですが.........ナイトロジェンマスタードの塩酸塩を炭酸水素ナトリウム(重曹:NaHCO3)水溶液に溶かし、過酸化水素(オキシドール:H2O2)で酸化しN-オキシドをつくる、という方法でした。
まぁ......化学系の学生さんなら配位結合の理由を考えてもらい、生化もやっている、または薬学系ならばオキシドで毒性が弱まる理由も考えてみると良いかと思いますが.......有機化学的に、ですが。
#有機化学の伴わない生化学は無意味ですから>学生諸氏
さて、この化合物「ナイトロジェンマスタード-N-オキシド」は「ナイトロミン」と名付けられました。そして、石館の狙った毒性の減少は、元の化合物の半分以下であることが判明。目的を達成することが出来ました。
このナイトロミンは臨床治験でも白血病、リンパ腫に優れた効果を示します。HN-3などががん治療薬としては、結局何一つとして(試験以外に)用いられることは無かったのですが、ナイトロミンはこれに成功することとなります。
現在でもナイトロミンの塩酸塩は、日本では吉富製薬により販売され、抗悪性腫瘍剤として用いられているようです。
#もっとも、性腺障害作用が報告されていますので、使用法を誤ると無精子症となる事もあるようですが。
さて、ではナイトロミンは生体内でどういう挙動をするかというと......
ナイトロミンは生体内で代謝を受けてナイトロジェンマスタード(HN-2)へと変化することが知られています。つまり、体内で代謝を受けて「毒性」(=作用)を発揮する、という事になります。こういうタイプの薬剤は過去にその4でも簡単に触れているのですが結構ありまして、薬や農薬類はそういうものが多くあります。
この手のタイプの薬剤は「メリット」が存在していまして、特定の場所に移動して代謝を受けるまでは毒性が低い、という事があります。ですので、危険性の増加を避けることが出来ます。また、体内での移動に関しても有利不利、という問題がからむところもあります。
この点は、なかなか薬剤をやる化学屋にとっては面白く、難しいテーマでもあります。
#管理人がやっていた農薬関係はこういうものが非常に重要に関わってきまして........(^^;;
#昆虫・人での毒性の発現・代謝能力の差違や浸透性の問題とか色々とありました。
自然、と言うか科学というか、歴史というか.......まぁ、これらは面白いものでして。数十万人を死に追いやった「毒ガス」という殺傷兵器が、ある事件から一転して「薬」となる......... 皮肉ではありますが、非常に興味深いものではあります。
意外と、自然や歴史というのは皮肉が好きなのかも知れませんね.........
さて、終了.........
さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
今回は世界初の「がん治療薬」の話をしてみましたが.........如何でしたか? 前回はひたすらイペリットという「毒ガス」でしたけど、一転して「薬」と転じた話となりましたが..........結構意外だったと思いますがどうでしょうか?
まぁ、結構皮肉というか何というか........(^^;; いや、科学的にはあっているんですけどね。
ある意味、前に触れたテフロンの話に通じるような物ではありますが..........まぁ、興味持っていただければ嬉しいです。
#本当に、自然とかは皮肉が好きなのかも、と感じるんですが。
さて、次回は未定です(^^;; ちょっとまた、私事が増えそうな気配もあるので、何とも言い様がない部分があるのですが..........どうなりますかね.........
さて、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
次回をお楽しみに.............
(2000/10/24記述)
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