からむこらむ
〜その175:フロイトと神農帝〜


まず最初に......

 こんにちは。急に気温が下がったりしていますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 まぁ、風邪引きさんが多そうですけどね。とにかく、体調を崩しやすい時期です。皆さんもお気をつけを。

 さて、今回のお話ですが。
 今回は、前回の続き、と行きましょう。まぁ、前回はコカについて、インカ帝国から始めて、いくつかの点に触れておきましたが、もう一つ触れていませんからね。それはコカ利用の重大な転機を迎える物となりましたので.........
 それでは「フロイトと神農帝」の始まり始まり...........



 さて、では前回の続きから行きましょうか。
 前回の最後に書いたように、コカが医学的な側面から有名になった話があります。

 この話の主人公は、非常に有名な人物です。
 おそらく、ご覧の方でジグムント・フロイト博士を知らない人はまずほとんどいないでしょう。この人、いわゆる近代の精神分析学の創設者で深層心理の大家であり、その派生から「夢から性格診断」とかいろいろとやっているのは有名かと思います。ま、彼と共同で研究をしたのがユングですが、彼はやがてフロイトと袂を分かち、別の方向から精神分析学を研究することとなります(両者の違いはここでは触れませんが)。
 一応、フロイトの精神分析に関しては、「創設」やさまざまな研究を行った点(抑圧とヒステリーや「リビドー」の概念など)で極めて重要な役割をしています。が、まぁ実際には「どうかなぁ」というのも現在の視点から見るとあるといえばありますが........
#現在では否定的な物も大分ありますが。

 さて、このフロイト博士。実はコカに関して二つの大きな挫折をしています。
 前回書いたように1860年にコカ葉よりコカの活性成分コカインが分離され、その後の研究を経て純粋なコカインが手に入るようになるのですが、このコカインの利用などの研究が考えられていた1884年、フロイトは当時28歳の神経学者としてウィーンの総合病院に勤めていました。ここで彼は神経解剖学での基礎研究に携わりまして、神経学の臨床医として身を立てようとしていました。
 ちなみに、この時に彼は2年前に知りあった恋人マルタ・ベルナイス嬢との結婚を真剣に考えていたようですが........
 ところで、この頃はコカインに関する研究が活発に行われていまして、そういった論文を彼は読んでいました。例えばペルーのインディオ研究の報告で、彼らの使用していたコカ葉の作用や純コカインの単離について。あるいはドイツの陸軍医の報告で、ババリア戦争で疲労した軍人達にコカインの投与を行ったところ、数分もしないうちに疲労感の消失と精神力の回復がみられ、数分の後に行進を開始した、ということなど。こういった報告に興味を引かれた彼は、コカインのもつ興奮作用(前回ある程度触れていますが)が神経衰弱の治療に役立つかも知れないと考え、有り金をはたいてメルク社よりコカインの見本を入手します。そして実際に自分で試してみますと、確かにインディオ達に知られたいくつかの現象  多幸感や敏捷性、活力に食欲の消失というものを知ることが出来ました。
 彼はさらにいくつかの実験まで行いまして、コカインが筋力を増強させるということなども知ります。こういった事は実際に論文にしていまして、自分の体験などを1884年7月の"Über Coca"というタイトル(日本語だと「コカについて」となるらしい)で発表しています。この中で彼は、コカインの興奮作用と(後述する)麻酔作用について触れています。更に、インディオ達の利用と自分の経験からコカインは「極めて有用なもの」であるとし、戦争や旅行、山登りといった探検に使えるとし、アルコールと比較して「はるかに強力かつ無害な興奮を与える」が「高価なのが唯一の難点である」と結論づけています。こういったことはマルタ嬢への手紙(ラブレター)にも書いているそうで、かなり「惚れ込んでいた」様が伺えます。
 つまり、彼はコカインに非常に心魅かれていたと言えますが........もっとも、この論文は後に悪評を買うことになります。

 ところで、ちょうどこの頃のコカインの研究論文には、更にコカインの「有効性」を説く論文が出ていました。
 フロイトはそういった中から次のような論文を見つけだします。それはアメリカのベントレーという医師の「アヘン中毒とアルコール中毒に対するエリスロキシロン・コカ(コカの学名:後述)」という論文でして、その内容は「コカインがモルヒネ依存症の禁断症状を軽減させる」というものであり、例として35年間アヘンを飲んできた72歳の老婦人の中毒症状がコカを併用することで軽減されるというものでした(アヘンの作用とコカインの興奮作用に注目!)。
 これを読んだフロイトは、モルヒネ中毒に陥っている友人を思い出します。その友人はエルンスト・フライシェル・フォン・マルコフという病理学者でして、彼が手術での事故による親指の切断手術の後、痛み止めにモルヒネを使ったことを契機としてこれの中毒に陥っていました。
 こういったことから、フロイトはフライシェルにモルヒネ中毒から脱するためにコカインを使うことを奨めます。この効果は著しく、フライシェルは徐々にモルヒネ中毒から脱するようになります。しかし、フライシェルは今度はコカインの魔力に取りつかれることとなりまして.......結果として現在知られている典型的なコカイン中毒に陥ることとなり(しかもコカインによる精神病の最初の事例になった)、ついには死んでしまいました。
 その後、フライシェルのようなコカイン中毒者が増えていくと徐々にコカイン賛美の声は圧されてきまして、更に友人を死なせてしまったもあってフロイトは苦悩することとなります。
 これが、コカに関するフロイトの挫折の一つとなります。

 もう一つの挫折は何か?
 フロイトはコカインが精神を賦活するという論文を書き終えた後、マルタ嬢のいるハンブルグ(フロイトは貧しい為にマルタ嬢の家族に避けられており、マルタ嬢はハンブルグの叔母の家に預けられていたらしい)に意気揚々と出かけるのですが、その間に研究室では助手のカール・コラーがあることに成功します。
 話はこれより前なのですが、コカインを分離したニーマンは「コカインをなめると苦く、舌先の感覚を無くす」という報告をしており、フロイトやコラー、そして同僚はコカインの溶液を1滴、2滴と舌の上にのせると報告通りに舌が無感覚になることを知ります。実はフロイトはこれを医学的に重要な麻酔、しかも全身麻酔ではなく当時まだ有用なものが無い局所麻酔として使用できるのではないかと考えます。もっとも、考えただけで彼はハンブルグへ行ってしまうのですが。
 一方、この効果についてコラーは注目をしていまして、その実験をすることを考えました。そして歯茎の痛みで苦しんでいた友人の口に2、3滴のコカイン溶液を落とす事で痛みを消すことが出来るということを確認します。これにより、彼はコカインを麻酔薬として使用できるという確信を抱きまして、これを眼科手術への応用が出来ないか探ることにします。
 最初の実験はカエルでした。彼はカエルの目にコカイン溶液を滴下した後、目を針でつついてもカエルは反応を示しませんでした。更に他の動物のウサギや犬でも同様の結果を得ます。そして、最終的にコカイン溶液を滴下した目は針だけでなく光や熱、電気といったあらゆる刺激に対し無反応になることを知ります(局所麻酔の効果となる)。
 これに自信を得た彼は更に自分の目でも試した末、ついには白内障患者の目にコカイン溶液を滴下して手術を決行し、これに成功します。
 この報告は1884年9月.......つまり、フロイトがコカインに興味を持って半年もしないうちに学会に発表をしました。これは当時、人間への効果的な局所麻酔による外科手術の成功(当時は麻酔というと全身麻酔)が無かった医学界にとっては「超重大発表」でして、世界的な業績として認められることとなります。一方、これに対してフロイトは「俺も」と思ったようですが、しかし自分が恋人に会いに行っている合間にコラーが一部始終をやったのは確かでして.........結局、優先権はコラーにあることを認めることとなります。
 つまり、彼は恋人に会いに行ったがために「局所麻酔による人での外科手術の成功」の名誉を取り逃がすこととなった訳ですが.......
 これが、もう一つのコカに関するフロイトの大きな挫折となります。
#補足的に書いておきますが、1880年には既にコカインによる動物の角膜移植の成功があります。

 その後フロイトは2年後にマルタ嬢とめでたく結婚はするのですが.........彼のコカイン賛美の結果として友人を失ってしまい、そして恋人の元へ行ってしまった結果世界的な業績を逃すこととなります。
 そして、彼はそれまでの道への適性を感じなくなったのか、方向転換して精神分析学の領域へと踏み出すわけですが........
 一応、それで成功した、ということでそういう意味では彼にとっては良かったのかもしれません........などと、他人が結論して良いのか分かりませんけどね。でも、彼のもともとの領域とは違う部分で大成功を収め、そちらで名を残すことになったのは確かです。
 まぁ、なんとも皮肉なものですが。
#そういえば、彼の名探偵を治した功績もあるか?(笑)
#余談ながら、この話は科学者の恋人の名前が良く知られている妙なエピソードです。


 では、ここでコカという植物について何も触れていませんでしたので、ここで触れることとしましょう。
 コカ(coca)はコカノキ科コカ属に属する熱帯性の常緑の植物でして、種によって高木か低木かに分かれます。原産地はアンデス地方と推定されていますが確定はされていません。高さは1〜3mでよく分岐し、葉は互生で短柄、4〜9cmの黄緑色の倒卵型と説明されます。花は白で、両性あるいはまれに雌雄異株のものもあるようです。まぁ、他にも特徴はいろいろとありますが、後は省きまして........
 コカは、学名を"Erythroxylon(またはErythroxylum) coca"(エリスロキシラム・コカ)と言いまして、フランスのラマルクによって命名されています(18世紀頃か?)。属名のErythroxylumは「赤い材」を意味しまして、ある種のコカが赤い事から名付けられたようです。
#学生さんは「エリスロ〜」で始まる生体物質を探してみると、少し面白いかも知れません。
 コカ属は全世界の熱帯に約100種分布するとされますが、コカノキ科全体ではかなりの種があるようです。南アメリカにもっとも多く見られ、標高1500〜4000mの温暖多湿な谷が適地となります。葉の収穫は年に3〜4回行うことが可能です。また、多様な環境条件に分化した同一種も結構ありまして、ペルーコカ(E. truxillense)やボリビアコカ(E. bolivianum)といったものも知られています。
 尚、アジアで栽培されているコカもありまして、ジャワコカ(E. novogranatense)という種がそれになります。この種は戦時中に台湾(当時日本領)、小笠原諸島の父島や硫黄島などで栽培された記録があるようです。ちなみに、硫黄島では年6回の葉の採取が行われていたようです。
 他にも種はあるのですが、いろいろとあるので省略しますが.........ただ、いずれも葉の形が違う(極めて多様な形がある)とか、含まれる化学成分や含有量にいろいろと差があることが知られています(詳しい情報もあるのですが、省略します)。

 さて、コカ葉より有効成分の分離は簡単に触れていますけど。
 コカの分離の契機は1857〜59年、オーストリア帝国のフリーゲート艦ノヴァラ号が世界一周の旅に出た事によります。それに同乗したC・フォン・シェルツァーがその途上でコカ葉を大量に採取し、一部を当時の大化学者であるF・ヴェーラーに渡します。そして、彼の弟子であったニーマンが有効成分の分離にかかり、1860年にコカイン(cocaine)を分離、1862年にヴェーラー単独の名で発表されます。その後いろいろとあったようですが、最終的には1898年にR・ヴェルステッターによって構造が解明されます。




 コカ葉より抽出される物質、特にアルカロイドは何種類かあるのですが、その主成分がコカインです。大体0.5〜1%含まれています。上には類似の化合物の構造も挙げておきます。
#専門注:代謝される時は、エステル部位やメチル位が攻撃されることとなります。
 専門的には、この化合物は「トロパン骨格」という基本構造(上図だと左側の構造の「環」の構造の部分)を持っているために、一般に「トロパンアルカロイド」と呼ばれるアルカロイドの仲間に分類されます。実はアトロピンなどもこの仲間となっていますが、ここら辺は改めて別の機会を持って詳しくやろうと思いますので、その点は「その時に」ということになりますが。
#専門注:生合成ではトロパン骨格はオルニチンから合成されます。
 尚、コカインの人工合成は20世紀の前半に完成されています。


 ところで、コカインの効果はどういうものがあるのか?
 これについては既にある程度述べた通りでして、インカの話やフロイトの話などにあるように、「疲労を忘れさせ、活力を増し、食欲を減退させる」力があること。そして「局所的な麻酔の効果」をもたらすことです。前者は明確に  今回の主題である  興奮薬としての作用を持っているといえます。対して後者はまたある意味「反対」の効果に見えますが、これは神経への作用の問題になります。

 さて、興奮薬としてのコカインなのですが、これはやがて問題を引き起こすこととなります  つまり、「向精神薬」としての問題が生じてくるようになります。
 これの経緯はどうなのか? コカインは現在では向精神薬として知られている以上、当然中毒性やそういったものがあるわけでして、実際にフロイトの友人であったフォン・マルコフはこれで命を落とすこととなりました。これはコカインを多く得ることによって多幸感や陶酔感といった効果が得られる事によりまして、これを求めるために繰り返し投与が繰り返されることとなり、ついには中毒に陥ることになります。実は、先に挙げたマルコフの事例の後、似たような事例が徐々に報告されるようになりまして、こういったことから「コカインの使用は危険をはらむ物ではないか」という疑問が出てくるようになります。
 実際、コカインの研究をしていた米国の著名な医師ウィリアム・パルステッドは、コカインの神経への作用を研究している内に自分で使い始めるようになり、やがて中毒となって1年間仕事を休んで治療のために入院することとなります。こういった、マルコフやパルステッドの様な事例の報告はその後も増えていき、中毒や死者のケースが増えたためについに大きく問題化されます。更には、米国では軍隊や職場でコカインの乱用によるモラルの低下が問題視されるに及んで、ついにはコカインへの非難が爆発。1906年についに米政府はコカインの輸入や製品などを規制し、1914年には所持や使用について厳しい規制を加えます。
 これが、米国でのコカインの第一次流行期、となります。
 米国に焦点を当てて説明を続けましょう。米国でのコカインはしばらくの間それほど流行が見られなくなるのですが、1970年代後半になると特に知識人の間で「楽しむため」の乱用が急増して第二次流行期を迎えることになり、1980〜1990年は「麻薬戦争」と呼ばれるほどコカインの流行と乱用が社会問題化します。この結果、当時政権を担っていたレーガンはコカインの主な供給源であった南米コロンビアの麻薬組織壊滅を狙って軍隊を派遣することになります。
 現在では一時期ほど、ではないですがやはりコカインは社会問題を起こしています。
 コカインは「ドラッグ」としては「強い」部類になりますので、いろいろと規制も厳しくはなっているのですが.......ただ、コカインは「ドラッグ」としては高価な部類(値段は下がったそうですが)にもなりますので、これによる中毒や金の問題からいろいろと問題が生じるという構図は変わらないようです。

 ちなみに、コカインはスラングでコーク、スノー、ホワイト、フレイク、ビッグCだのいろいろとありますが、おおむね「白い結晶」から由来するものが多い様です。「クラック」という呼び方を知る人もいるでしょうが、これは通常用いられる塩酸コカインから塩酸を抜いたもので、塊が割れるために「クラック」と。また、塩酸コカインをアルカリで処理して遊離したコカイン塩基を「フリーベース」と呼びます。
 尚、使用法は注射、喫煙、鼻からの吸引が普通です。
 まぁ、ネットやサブカルチャーの本、麻薬等の関係の本を引っ張れば使い方や(真偽不明の)体験談、賛美の声は出るでしょうから、そういうのに興味ある人はそっちへ。
#管理人に密造法や効果的な使用法など聞いても馬鹿にされるだけです、念のため。

 一方、日本では1990年代から徐々に広がっていって問題化していますが、量的には他の薬剤よりは少ないようです。
 どちらかというと、日本ではコカインよりは次に挙げる物が問題化していますが............




 皆さんは「神農(しんのう)」という中国の伝説上の皇帝をご存知でしょうか?
 「炎帝」とも呼ばれるのですが。漢方薬に携わっている方はおそらくご存じかと思いますが........この皇帝は中国の古書『淮南子(えなんじ)』によれば、初めて民に医術を教え百草の味をなめ、七十の毒にあったという人物で、紀元前二千数百年頃の人物が神格化されたものと言われています.......実在は不明ですが。
#余談ながら、同時期の同じような人物に「黄帝」がいまして、同じく医薬に携わった皇帝として有名(神格化したものですが)で、『黄帝内経(こうていだいけい)』という書もあります。
#某「黄帝液」の名はこの人よりとっています。
 この神農帝は「医薬の神様」でして漢方では著名だそうで、今でも「神農祭」が薬屋によって行われているようです。特にこの皇帝の名を冠した『神農本草経(ほんぞうきょう/ほんぞうけい)』という本は、知られている限り中国最古の薬草の本でして、当初は木簡に書かれていたのですが、後漢時代に梁の陶弘景が注をつけてまとめたもの(敦煌の石室より発見されたものです)三巻が後世に伝わっています(その後、唐代、宋代の頃に勅命によって再編集されています)。この本には、合計365種の薬草について記されていまして、その中には例えばその95で触れた下剤である大黄なども載っています。

 さて、この本の中に扱われている薬草の一つに、麻黄というものがあります。
 この麻黄、古くから中国では使われていた物でして、茎は多数出て枝を分かち、高さ50cm前後(もっと大きいものもありますが)の常緑の小低木です。ほとんど「枝と節」だけで成り立つような特徴的な植物ですが、鎮咳、発汗、利尿、そして抗ぜん息薬などに用いられていました。特に循環器系の疾病に有効であり、長い間使われてきた......というか、使われています。
 この「麻黄」という名称は明代末期の博物学者で医師であり、中国の本草学を確立した李時珍の『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には、「味が麻性で色が黄色なので名付けられた」と説明があるようです。原産はカスピ海沿岸とされていまして、マオウ科(Ephedracae)のマオウ(Ephedra)属の植物に分類されます。現在は約70種が世界中にあるとされまして、中国や日本で使われる麻黄はEphedra sinica(草麻黄)E. distachya(双穂(ふたまた)麻黄)やE. equisetina(木賊(とくさ)麻黄)、E. intermedia(中麻黄)と言うものが主に使われています。
 面白いことに、この麻黄は中国と日本ぐらいしか薬用として完全に利用しているところは無いそうです。もっとも、アメリカではメキシコ・インディアンが現地で自生する麻黄の仲間が梅毒の治療薬に使える、ということで使っていたそうですが。更にはこれがモルモン教徒に知られると、彼らは茶として使っていたようです。

 ところで、この麻黄は古くから使われていたのにも関わらず、19世紀になるまで有効成分の研究は一切行われていませんでした。
 では、最初はどこで研究が行われていたか? それは中国でも無く、欧米でも無く。当時、明治時代を迎えて近代化に邁進していた日本で行われていました。


 さて、長くなりました。
 次回はこの続きから話すことにしましょう。




 ふぅ...........

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 前回の続き、ということでコカインとフロイトの話、コカインについての簡単な説明を。そして、次回に続く神農帝と麻黄の話をしてみましたが。まぁ、今回のメインは量的に見てコカインになりますけどね。
 まぁ、フロイトが関連していたというのは有名ですが、その概要はこういう感じです。かなり良いところまで行っていたんですけどね........とことん「相性が悪い」というかなんというか。もっとも、そのおかげで精神分析学が発達するわけですので、これがまた微妙なものがあるといえばありますけど。
 でも、もしかしたら「コカイン研究の第一人者」がフロイトだった可能性も.......もっとも、あれだけ賛美していると「笑いもの」として残されたかも知れませんけどね。
 ま、興味を持っていただければうれしいです.........

 で、次回は今回の最後に少しだけ触れた、麻黄から始まる興奮薬の話をしましょう。これは、コカインほど触れる部分はないのですが、日本とは密接なものです。
 次回はその話をすることとしまして、その後に興奮薬の作用などについて触れていこうかと思っています。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/09/17記述)


前回分      次回分

からむこらむトップへ