からむこらむ
〜その174:太陽の子とワイン〜


まず最初に......

 こんにちは。季節の変動期になってきましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 まぁ、風邪引きさんが多そうですけどね。とにかく、体調を崩しやすい時期です。皆さんもお気をつけを。

 さて、今回のお話ですが。
 以前、精神分裂病(現統合失調症)と躁鬱病の話をしたのを覚えているでしょうか? 今回は、あのキャンペーンの延長上にある話をしようと思います。ま、以前から予告はしているものではありますけどね。
 この二つの精神病の話から、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンといった脳内伝達物質に触れました。今回はこのうちの二つが関与する話をしようと思います.......つまり、以前の話とどこかで関連する、ということです。ので、読んでいない方はそっちを読み直していただくこととしましょう。そして、その二つが関わるテーマとは、向精神薬......いわゆる「興奮薬」に関する事です。
 この興奮剤もいろいろとあるものですが。とりあえず、二つの代表的な薬剤について触れてみようと思います。ま、やや長くなりますが、興味深い話になることは請け合います。実は、向精神薬だけが能ではなく、最近いろいろと話題になる病気にも関連していますので。
 それでは「太陽の子とワイン」の始まり始まり...........



 「精神に作用する薬剤」というものは、ずっと昔から使われてきた、ということは今まで何度か書いてきました。
 例えばソーマ酒はその一つですし、ベニテングタケなどもそうです。それらは、時として「神に捧げる」ため、あるいは「お告げを受けるため」といった宗教的に極めて重要な役割を持っていました。アヘン大麻も然り、なのですが........ただ、これらはやがて、人々の手によって乱用に用いられ、そして社会問題を引き起こしていく。
 まぁ、改めて書くまでもないことでしょうが。
 ただ、こういった精神に作用する薬はいろいろと重要な役割を持っていた/持っているのは確かです。ま、時代とともにそれらの価値は大きく変わっているものではありますが、何らかの役割は担っているといっても過言ではないでしょう。
 そういったものの中に、「興奮薬」というものがあります。
 この興奮薬。文字通り「興奮を引き起こす」薬剤なのですが、良く知られている通りその効果が問題となり、現在では向精神薬として規制の対象となっています。その中でも現代ではおおむね二つのものが代表的な存在と知られているでしょうか。
 一つは「コカイン」、そしてもう一つは「覚せい剤」です。
 まぁ、名前を聞いたことが無い、という人はいないでしょう。

 このキャンペーンではこの二つを中心に、興奮薬の歴史上の「役割」と作用、そして現在の「役割」などについて触れてみることにしようと思います。


 皆さんはSimon and Garfunkelをご存知でしょうか? 結構有名な人のはずですが.......最近の人だと逆に知らないかもしれません。上の詩は"EL CONDOR PASA"、いわゆる「コンドルは飛んでいく」で知られる歌詞の一部です。この曲はアンデス地方のフォルクローレ(民謡)がもととなっており、歌詞はサイモンがつけたものとなっています。
 この曲、実はコンドル(condor)という言葉が一つとして使わていません。理由は不明ですけど.........ただ、タイトルに冠された「コンドル」という鳥はアンデスでは「太陽の使者」であり、力の象徴であったと言われています。

 さて、その太陽を神と崇める帝国が昔、そのアンデスにありました。
 もともと、この地域はいくつもの文明がありまして、例えば紀元前500年頃には文明がありましたし、その後にも地上絵で有名なナスカにも文明がありました。その後もいくつかの国が生まれていたようですが........その最後の帝国は非常に有名です。その帝国の名はインカ帝国。「太陽(インティ)の子」を意味する、15〜16世紀の最初に絶頂を極めたこの帝国は、最大の版図として北はコロンビア南部、南はチリ南部までをその支配下に収めたといいます。
 この帝国の治世はピラミッド型となる階層の政治形態でして、頂点を帝王として下に貴族や僧がおり、その底辺には多数の農民と奴隷がいました。その絶頂期の治世は想像を超えるほどしっかりした皇帝のコントロールにおかれていまして、国民の一人一人が国家によって管理されており、年齢によって労働が分類されたりしていました。また、国民の結婚の時には民が一切の金を払うことなく国が家を与え、結婚をさせたとも言われています。
 この帝国の詳しいことを書くと、それだけでかなりの量になるので省きますが。
 彼らは文字を持たず、「キープ(結縄)」という、縄を結んだもので記録をし、口伝でさまざまな歴史などの伝承が行われていたのは有名でしょうか。また、支配地域でとれる数多くの黄金を保有しており、圧倒的な財力を持っていた(だから家を与えることも出来た)ことは良く知られています。

 ところで、この地域では昔からとある植物が非常に良く使われていました。
 ま、この地域はじゃがいもやらトマト、トウモロコシにたばこなど多数の特産物を生み出した地域でもあったのですが、さらにはこの地域特産の植物「コカ」の葉も良く使われていた事が知られています。
 そのコカ。いつごろから使われていたのか、と言いますと既に紀元前500年の墓から、パラカス(インカの民が来るはるか以前の紀元前10〜8世紀に栄えた、中央アンデスの文明)の織物とともにトウモロコシとコカ葉が入れてあった事が知られています。これは当時の習慣で、死者が天国にたどり着くまでの食料を生者が用意する義務があった事を反映したものとなっています。そして、この事例がコカの知られている限りもっとも古い「使用例」となっています。
 つまりは、既に2500年以上前からコカが使われていた、ということになります。
 このコカは、その後もこの地域ではいろいろと使われていまして、特に祭事は太陽神に捧げられるなど必須のものとされており、それゆえに「神聖なもの」でもありました。これはインカでも使われていまして、王侯貴族や僧のみが使うことが出来る特権を持つものとなっていました。もっとも、これは最後の方では一般にも公に開放されて、使われるようになったと言われています。

 では、何故コカを用いたのか?
 これは、コカの葉のもつ独特の効能によります。それは、コカ葉を噛む(チューイング)ことによって疲労が回復し、忍耐力が促進されて気分が爽快になる、そして空腹も忘れ、陶酔感を味わうことも出来ました(祭事に使われる理由にもなります)。また、傷に塗り込めば痛みを消すことも出ました。
 こういった効果は「最初の事例」である墓の主の年代には知られていたと思われています  天国までの道のりで空腹にならず、そして順調にたどり着けるようにコカを入れた、ということでしょう。そして、その重要性を認識したインカ帝国は、コカを手に入れるため、わざわざアンデスの山越えをしてコカの栽培地であったアマゾン側まで手を伸ばすこととなります。
 そして、コカとともにインカ帝国は繁栄を向かえるのですが..........

 さて、ヨーロッパではいわゆる「大航海時代」を迎えると、やがてインカも「発見」されまして、同時にスペイン人が入ってくるようになります。
 その中の一人、スペイン人のフランシスコ・ピサロは、黄金を求めてこの地に兵士180人とともに侵入し、奸計を用いてアタワルパ王を捕らえ、身の代金をせしめておきながら1532年に処刑します。これにより帝国は崩壊し、その後この地はピサロをはじめとするスペイン人によって根こそぎ略奪され、この地のインディオ達はあるものは奴隷としてその地で強制労働させられ、あるものは本国につれて行かれて奴隷になり.......
 ま、早い話暴虐の限りを尽くすこととなります。これ、「被支配者から見た」視点だけでなく、この地を訪れた宣教師もピサロの行為を批判しており、宣教師が「この地に来たのは、インディオに神や信仰を教えなければならない」と主張(これもかなり押しつけがましいですが)したところ、ピサロは「私がここに来たのは、連中の金を奪うためだ!」とうそぶいたとも言われています。
 実際、インディオ達は相当過酷な労働をさせられることとなりますが..........
 このインディオ達を支配したスペイン人達は、インディオ達の「神聖な」コカに目をつけることとなります。それは、先に挙げたコカの習慣と効果でして、重労働をかしている時にこのコカを与えれば、インディオ達は疲れも知らず、食料を与えなくても働いたと当時のスペイン人の記録が驚きとともに残っています。さらに彼らはコカに税を課してその金で聖堂を作り、酷使に反発していた宣教師達を黙らすこととなります。
 こうしたコカを使った労働は、まさに「スペイン人によるコカを用いた搾取」の様相を呈しまして、金銀などを発掘させてそれを根こそぎ本国に持ち帰っていったと言います。

 ところで、インカ帝国が崩壊してペルーがスペインに支配されると、インカ帝国についての記録などがヨーロッパに紹介されることとなります。
 その一つは、ピサロについていったペドロ・デ・シエサ・デ・レオンという兵士でして、彼は1532〜1550年までこの地に滞在し、寄稿した後の1553年に『ペルー年代記』を出版します。ここではコカとじゃがいもの記録が特にされており、これによってアンデスの研究家として彼は有名になります。もう一つ有名なものもありまして、インカ皇女とスペイン貴族の間に生まれたガルシラーソ・デ・ラ・ベーガは、母方の親戚のインカ貴族から滅んだインカ帝国の繁栄を聞いて育ちまして、それをスペインに渡った後、老年になってから『インカ皇統記』を著しています。この本ではインカについてかなり理想的な帝国として書かれており、これが当時のヨーロッパのユートピア思想に大きな影響を与えたと言われています(各国語に翻訳されるまでになったようですが)。
 この二つの記録はいずれもコカについて触れており、さらにはペルーに行った人たちの報告などもあり、徐々にコカに興味をもつ人もヨーロッパに出てくるようになります。ニコラス・モナルデスといった人物はこのために実際に調査に赴き、コカの栽培の様子やコカの植物についての記録などを残します。
 ところが、コカは著作やこういった報告からヨーロッパに紹介はされたものの、一部の人を除いて全くといって良いほど注目はされませんでした。つまり、大航海時代にこの地からヨーロッパに渡った各種の作物やマラリアの特効薬キニーネと言ったものはある程度の活躍などをするのにも関わらず、です。
 何故か?
 ま、一応現在主に言われている理由は三つありまして、一つはコカ生薬の問題で、コカ葉の薬効成分が移送中に失われる事。二つ目はスペイン人の目的が金銀でしか無く、それ以外はどうでも良かったこと。三つ目はコカの一般的な使用法であるチューイングの習慣がヨーロッパには無く、これが「下品」に見えたからという説があります。
 このような理由などから、19世紀になるまで実質的にコカは注目を浴びませんでした(ある程度植物学的な分類などはされるなど、若干の研究はありましたが)。

 では、何故今はこんなに有名なのか? 実はコカが注目を浴びるようになった契機は二つあります。
 その一つは.......実はとある飲料が関係しています。もう一つは医学に関して、一人の人生を完全に変えてしまった話です。いずれも、結構有名な話ではありますが。

 「とある飲料」とは何か?
 1860年(1859という話も?)、ドイツの化学者ニューマンがコカ葉より主成分の結晶を単離し、これにコカインと命名します。ちょうどこの頃、イタリアの神経学者であるパオロ・マンテガッツァがコカに関する随筆を書いており、自分自身、あるいは他者への投与によって、コカ葉によって生じる情緒の変化  意気揚々とし、(客観的にどうかはともかく)筋力や敏捷さの増強感、思考の湧出や快適な隔世感  を感じると記されています。この随筆は広く読まれまして、これが最初のコカのブームを生み出した、と言われています。
 もっとも、これはまだまだ本格的なものになりませんでした。
 ちょうどその頃、コルシカ出身のフランスの化学者アンジェロ・マリアーニはコカ葉の研究を行っていました。その成果として彼はコカの抽出物とワイン、そして若干の香料を混ぜてこれを「ヴィン・マリアーニ(VIN MARIANI)」と命名し、特許を取得して売り出します。その効能を彼は「声を良くする」「鎮痛作用がある」「麻酔作用がある」、あるいは「滋養、強壮、気分爽快、消化促進、体力増強」、「伝染病を防ぐ」などとしています.........まぁ、かなり「医薬」と「清涼飲料水」のあいまいさがあるものでしたが(仮に今の日本なら薬事法違反に食品衛生法違反は確実です)。
 ただ、こうして売り出されたヴィン・マリアーニは「確かに心地よい陶酔を与える」飲み物である、と言うことでヨーロッパでは大流行することとなります。
 これはマリアーニの「商売がうまい」という事が大きく貢献したようです。つまり、彼は無料で当時のヨーロッパの有名人にこのワインを送りました。これを受け取った人たちは確かにこの飲料は良い、という評価を下しまして、彼のワインの広告に文章を寄せるなどしています。例えば、当時の有名な女優サラ・ベルナール(アルフォンス・ミュシャが彼女のポスターを描いた、というとピンと来ますかね?)などが実際に寄稿していまして、これが宣伝ポスターに載っています。他にもこのワインを称賛する人は多くありまして、ベルナールのような芸能方面の人もそうでしたし、米大統領マッキンレーも愛飲しました。時の法皇レオ8世も愛飲したといわれ、彼にメダルを授与するほど気に入っていました。また、発明家として有名なトーマス・エジソンもこのワインを飲んでいたようです。
 ま、ここまで有名人がこぞって名を連ねて称賛すれば........当然、売れることとなります。実際、各国の王侯貴族から一般庶民まで幅広く飲まれました。
 同時にこの飲料は大ヒットは当時の文化にも深く影響を及ぼしまして、1880年代にはコカを用いた商品(菓子・飲料など)が出てくることとなります。そして、この飲料はヨーロッパ社会に「コカ」というものを本格的に広める事となりました。

 余談ながら、同時期のヨーロッパにはアブサンもあります。
 ま、今では考えられないようなものが入った飲み物が流行をしていた、ということになりそうですが..........

 ところで、ヴィン・マリアーニのヒット後、アメリカでもコカを用いた菓子や飲料が出てくることとなります。
 こういった情勢はアメリカのジョージア州アトランタの薬剤師にも影響を与えました。その薬剤師の名はジョン・ペンバートンと言いまして、彼はヴィン・マリアーニを手本に「フランス風コカ入りワイン」を販売します。ちなみに、これの売り文句は基本的にマリアーニと一緒でして、これまた飲料なのだか医薬品だかめちゃくちゃだったようですが。
 ところが、1886年。アトランタ州は禁酒法を発布してアルコール飲料の販売を禁止すると、当然彼のワインも販売が出来なくなります。しかし、彼はここで工夫をしまして.......つまり、ワインをシロップに代えまして、さらにはコカエキスとアフリカのコーラノキの実の抽出物(カフェインと類縁体を多く含む)を加えたものを作ります。そして「知的な飲み物」を売り文句に、これを「コカ・コーラ」として販売を開始します。
 これが、現在も尚売れ続けている飲料の出発、となりました。ただ、この飲み物は現在のものとは異なり、そのままか水で薄めて飲む「シロップ」の様な商品だったと言われています。しかし1888年、原液をソーダ水で割ることにして、現在のものの原形を生み出すこととなります。
 ところがこの飲み物、実は最初は大して売れていなかったようでして、原液をドラッグストアなどに売ったものの、1年で宣伝費74ドルに対して収入25ドルと商業的には「惨敗」に終わります(1ドルの価値は当然今よりはるかにある)。これによって彼は1750ドルでこの事業を手放します。そして、これは同じくアトランタの薬剤師アザ・キャンドラーが「コカ・コーラ」の製造・販売権を取得して、1892年にCoca Cola社を設立。そして瓶詰めにして売る販売権を1ドルに設定したところ、これが労働者や中層階級を中心に爆発的に売れることとなります。
 そして、ヨーロッパに引き続き、アメリカにも「コカ」の名を広めることとなります。

 その後、この飲料を巡ってはいろいろとありまして.........
 一つは経営に関して内輪でもめるようになったりして、例えば共同経営者の一人がペプシコ社を作ったり、製法に関する部分でもめたり。その内、Koke社なんてのも出来ていろいろと裁判沙汰にもなったようですけど。
 一方では中に入っているコカが問題になってきます。
 これは、現在では良く知られるコカインの「向精神薬」の効果が社会問題になってきまして、これでアメリカ政府と大きくもめることになります。最終的に両者はコカ・コーラよりコカ葉の抽出物の添加をやめることで合意。その後、政府はコカ・コーラ社の名称から「コカ」を外すことを要求し、これが裁判ざたになって延々とやり合うことになるなどするのですが........ただ、コカ・コーラ社自体は順調に売り上げを伸ばし、第二次世界大戦を機に、一気に世界中に普及することとなります。
 資本主義社会での、典型的な成功例、という事になるのですがね...........


 以上が、コカを普及させた要因の一つの飲料、となります。
 ま、一部では非常に有名な話ではありますけどね。一応、今はコカは使っていませんので、念のため。

 ところで、もう一つの、医学的な話とは何か?
 これを話すには残念ながらスペースが足りなくなりました。この部分は次回に持ち越すこととしましょう。

 そう言うわけで今回は以上、ということで。




 う〜む........

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 精神と脳と物質にからむ大キャンペーンのなかのキャンペーン、ということで始めましたが.........一応、興奮薬の話です。まぁ、とりあえず書いたようにコカインと覚せい剤を中心に話を展開しようと思いますが.......ま、二つの物質を同時に扱うので、一キャンペーンとしてはちと長くなりそうですが(^^; はい、通常は一個を中心に扱いますから。まぁ、二つの話がくっついたもの、という感じで読んでいって下さい。
 どっちにしても、両者はつながりますけどね。
 えぇ、興味深いものにはなると思います。

 さて、そういうことで今回は終わりです。
 次回はこの続き、コカと医学的な関係についてなどを話すとしましょう。一応、これを欠いては「お話にならない」ですから。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/09/10記述)


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