からむこらむ
〜その66:高貴な色〜


まず最初に......

 こんにちは。 日本では恒例の大型連休........いわゆる「ゴールデンウィーク」ですが皆様、如何お過ごしでしょうか?
 もっとも、管理人の周辺に「9連休」という人はほとんどいないようですが(笑) 一部サービス業の方は休みが無いようですし..........
 お仕事の方、お疲れ様ですm(_ _)m

 さて、今回はゴールデンウィークまっただ中ですし、重いものをやるのも何ですので.........ま、ある色の話をしたいと思います。
 色というものは非常に重要なものでして、歴史的に色々と利用されていますが............
 それでは「高貴な色」の始まり始まり...........



 皆さんには好きな「色」というものがあるでしょうか? ま、文字通り「色々」とあるのでしょうが............
 さて、古来より色というものは様々な意味を持たされていたようです。 凶事を代表されるような色とか、吉事を代表するような色。「情熱」などの精神を表すような色など色々とありますが............. 面白いことにこれらの色に与えられた意味は洋の東西で共通点が多いようです。 そんな共通している色の中に..........「貴さ」を意味する色があったりします。
 それは..........「紫」という色を指しています。

 紫色というものは権力や尊厳などを示す色だそうです。 例えば.......英語で「be born in the purple」と書けば「王家に生まれる」という意味に。「be raised in the purple」と書けば「帝位に就く」という意味だそうです。 また、西洋ではローマの時代に「ローマ紫」または「帝王紫」なる色があるそうでして、ローマ皇帝テオドシウス一世(4世紀後半)は帝王紫の個人使用を禁じたという話があり、また更にさかのぼればその65でも出てきた「暴君」として名高いネロは紀元後54年に帝王紫の着用者並びに販売者を死刑にしているという話が残っています。 また、東洋でも中国において「紫禁城」には、つまり「皇帝以外に紫を着用してはならない」という意味があるそうですし、日本でも散々歴史でやらされる聖徳太子の政策である「冠位十二階」において最高位を示した色は紫であったことが知られています。
 つまり.........「紫」とはそれだけ「高貴な色」であった事が伺えます。
 では、何故これが「高貴」な色であるか? 当然疑問であるわけですが..........これは理由としては簡単でして、「入手が難しい」=「極めて珍しい」という事からでした。

 さて、世界で最も古くから知られる染料に「インジゴ(indigo)」と呼ばれる染料があります。おそらく最も古い植物染料の一つと言われており、その色は「藍色」です。この染料はマメ科のコマツナギ(Indigofera)属植物などから得られ、インジゴチン(Indigotin)とも呼ばれるそうです。日本でもとれる染料でしてタデ科のアイ(Polygonum tinctorium))が染料の原料として用いられており、これが「藍」となります。 徳島の藍染は有名でしょうか?
 そして、もう一つ古くから知られる染料に「貝紫」という染料があります。 これはシリヤツブリと呼ばれる地中海でとれる巻貝の器官である「パープル腺」より取れる染料として知られています。
 この貝紫。紀元前1500年ごろからフェニキア人によって使用されていたことが知られている染料で、「貝紫」の他にティリアンパープル(Tyrian purple)とも言われています。 この貝から取れる色素は、上記インジゴに構造が似ている6,6'-ジブロモインジゴという色素で、極めて少量しか取れず、同時にその希少性から(そして色も奇麗だったのでしょうが)「高貴な色」とされていました。 ま、これを多用するというのはある意味権力を示すのでしょうが、その例としては古代エジプトのクレオパトラの船の帆は貝紫で染められていた、などという飛んでもなく強力な権力を示す事柄が知られているそうです。
 また、上記の貝紫は西洋の「紫」ですが、日本の「むらさき」とは違っています。日本の「むらさき」と言うものは「紫草」の根から取れるもので、こちらは「古代紫」として知られているそうですが........こちらはシコニンと呼ばれる色素による色となっています。
#インジゴはあくまでも「藍色」であって、紫色ではありませんので、混合されないよう注意を。
 尚、構造を以下に示しておきます。


 注1:6,6'-ジブロモインジゴの「Br」は臭素。
 注2:シコニンの「*」はその24で出したような「向き」を生じる炭素(「不斉(ふせい)炭素」と呼ぶ)です。



 さて、古代では耐久性のある紫色や藤色といった染料は極めて高価でした。ま、当然のことながら上記のような理由に寄るのですが........... ともかく1グラムの貝紫をとるのに9000個もの貝が必要だったと言われていますので、その苦労並びに集める為に必要な........「権力」がいかに大きなものだったかが容易に推測されます(ましてや船の帆を染めるには..........(^^;;)。 しかも、耐久性があるとはいえどもたかがしれており、女性がこう言ったもので染めたスミレ色のリボンを帽子につけて朝出かけたのに、夕方には赤色になっていた、なんて話もありまして.........(^^;;
 ま、ともかくも非常に「贅沢」な色でありました。 よって、当然ながら需要がたくさんあったわけですが..........こう言った理由からか供給量は決して多くはありませんでした。

 さて、そんな事があったころの1856年。高名なドイツ人化学者A・W・ホフマン(August Willhelm von Hofmann)の助手をしていたイギリス人、ウィリアム・パーキン(Willium Henry Perkin)はイースター休暇の間に彼の実験室である計画を立てていました。 それは........当時「唯一」のマラリアの特効薬である「キニーネ」の人工合成の計画でした。 当時は欧米列強各国が東南アジアに手を伸ばしていたころ。それらの地域においてマラリアによる死者が多かったのもあったのでしょう。また、南米より東南アジアにも移植されたキナノキの樹皮からしか得られないという事も手伝ってか、医学的にも政治的にも非常に価値のある物でした。 よって、このキニーネの人工合成の計画は世界の化学者が挑戦していた........当時のトレンドだったとも言えます。
#尚、マラリアに有効である成分としてキニーネが単離されたのは1820年。構造はまだ不明でした。
 色々と考えた結果、パーキンは製鉄工業の安価な副産物であるコールタールより取れる「トルイジン」という化合物を原料に、当時流行っていた「加減法」と呼ばれる方法によるキニーネの合成にトライしました。 当時は化学構造に対する知識はまだ未熟であり、せいぜいが分子式(炭素がいくつ、水素がいくつ、酸素がいくつ.........という物を表す式)の知識がある程度でした。 加減法とは、この場合トルイジンとキニーネの分子式の違いからトルイジンに「キニーネになるには足りない」分の水素、酸素、炭素などを「加える」事によってキニーネを作り出そう、という方法なのですが..........もちろん、現代では根本的に通じない方法です(^^;;
#ただ、当時はまだケクレによるベンゼン環構造の提案が行われる数年前だったので、知識が無いのは当然なのですが.............
 取りあえず以下にその構造を示しておきましょう

 上の式ではトルイジンは「パラ」の位置にあるため正式には「p-トルイジン」ですね(その22参照)。実際にはオルト、メタ、パラで三種類存在します。またキニーネですが実際には異性体もありますが、取りあえず代表してキニーネを示しておきます。
 さて、トルイジンの化学式はC6H4(CH3)NH2ですので、全部足してしまえばC7H9Nとなります。 キニーネの化学式はC20H24N2O2。取りあえず当時はこれくらいまでは分かっていたのでしたが..............
 加減法とは、この原子の数の「差分」を足していって目的のものを作る、という方法でした。
#現在の視点で見れば、やっぱり無理があります(^^;;
#やるとしても難しい合成になりますね.........というかしません(^^;;(トルイジンからはじめた時点で失敗(爆))

 さて、計画を立てたパーキンは、その計画通り実験を行いました。色々と「トルイジンからキニーネになる」のに必要なものを「炭素いくつ分、水素いくつ分」、と加えていき、更に強力な酸化剤である二クロム酸カリウム(K2Cr2O7)を反応させて...........彼の計画上ではキニーネが出来る、はずでしたが結果は全然見込みのない赤褐色の「泥」が出来まして............彼の計画は脆くも失敗しました。 しかし、彼はこれに懲りずに今度は出発原料をトルイジンからアニリンという物質(実はこれには少量のトルイジンが混合しており、これが結果的に成功の元になったのですが)に変更して試した結果.........今度は更に見込みのなさそうな真っ黒な固体が出来てきました。
 さて、全然キニーネには遠そうな化合物を見た彼は、取りあえずこの化合物を捨てようか、と思い片づけはじめた矢先.........彼はあることに気付きます。 それは、フラスコの洗浄液を見ると...........紫色に変わっていることでした。
 予想外の結果に興味をそそられた彼は、この「紫色」を調べてみます。すると、この物質は布を染める性質があることを発見しました。 当時は紫色の染料は上記の理由から非常に貴重なものでした。つまり...........これを染料に転用すれば? この事に気付いた彼は急いでこの黒い固体から「紫色」を効率良く抽出する方法を見つけ、この合成染料のサンプルをイギリスの有名な染料工場へ送り、絹と綿で試してみました。すると...........絹にはこの染料が有用なことが判明します。しかも実験を繰り返した結果、最初はダメかと思われた綿も、前処理を行えば綿にも使えることが判明しました。

 かくして、このキニーネを求める実験をきっかけとして、偶然にもパーキンは世界で最初の人工染料の製造に成功したことになりました。彼はこの染料の特許を取り、資産家である彼の父の援助を得て工場を建設。染料工業へと身を投じることとなります。 もっとも、彼の先生であるホフマンはこの事が余り面白くは無かったようですが...........(^^;;
#研究職について欲しかったらしいのですが...........
 染料工業に身を投じたパーキンは、色々な困難........例えば工業的規模での合成で、スケールアップに伴う反応制御が難しく爆発が起きたりとか色々とあったりしたのですが、どうにか工夫で乗りきり、結果「アニリンパープル」「ティリアンパープル」「モーブ」「モーヴェイン」などという呼び名で知られた彼の紫色の染料は広く普及しました。 一般にフランスで広まった「モーブ」が有名になったと伝えられています。
 かくして、それまでは「ごく一部の人」の為の紫色は、(ある意味面白いことに)コールタールの中から生まれ、安価に庶民の手にも広く普及することとなりました。

 このモーブの成功は合成染料工業という「新工業」の誕生のきっかけとなったのですが..........皮肉なことに実際にその可能性を見抜き、更に大規模にしたのは一番最初に着手したイギリスではなくドイツだったそうです(^^;;
 ただ、重要な発見であったことは確かであり、その後この業界は大きく発展。現在ではその構造から様々な分類ができ、数百、数千もの染料が存在しています。そして、現在でもその染料は我々の生活の周辺でよく使われています。
#アニリンから生み出された「アニリンブラック」なんて染料は傘の黒に使われていたり..........
#しかも、コールタールや原油から作り出すわけで............

 ちなみに、この「モーブ」は6,6'-ジブロモインジゴではなく完全に新規の化合物でした。構造を以下に挙げておきます。


 まぁ、彼の求めたキニーネとは全然違うんですけどね...........(^^;; しかしながらこれにより、ともかくも貴重だった紫色の染料の合成法が判明したわけです。
 尚、最初の方に挙げた「貝紫」の色素の構造が判明したのはこのモーブの発明の更に後のことでした。
 貝紫の構造を解決したのはドイツの化学者でフリードレンダーなる人物でして、モーブの合成法から50年以上経った1909年。一万二千匹の貝から1.6gの色素を得て(!!)上に示した6,6'-ジブロモインジゴの構造を特定しました。
 ま..........これを聞くと、本当にクレオパトラの船の帆に何匹の貝を使ったのかはあんまり想像したくないですが..........(^^;;;;

 尚、パーキンが作ろうとして出来なかったキニーネの構造は1908年に判明。合成に至っては1944年に当時優秀な化学者の集団が「やっとこさ」作りました。「やはり」という部分もありますが、当時では無理だったようです(^^;;
 ただ、このパーキンは後にも有機化学の世界に携わり、教科書にはかならずでてくる「パーキン反応」の発見や、天然香料の合成法(桂皮酸にクマリン)などに大きく関わっています。また、その貢献が評価され後には「Sir」の称号ももらっています。
#専門注:パーキン反応 芳香族アルデヒドとカルボン酸塩/酸無水物が反応して芳香族不飽和酸を生じる反応

 いやはや........ともかく偶然とは面白いもので...........(^^;;;


 あ、さて。
 本当はもうちょっと、今回触れられなかった藍の話や、その先の染料工業の話(面白いことに薬に関与する)をしたかったのですが..............どうやら大分長くなったようです。
 取り敢えず今回は「紫色」に関する話として...........以上としましょう。

 機会があれば、またその先の話でも..............




 てなもんで、「偶然からの発見」物語でしたが.........

 さて、今回の「からこら」は如何だったでしょうか?
 今回はまぁ、GWの谷間で人も少ないので、発見話をしてみたのですが..........まぁ、偶然によって重要な染料を発見した、という話ですね。
 まぁ、今回は「紫色」に焦点を当てたためにちょっと中途半端に終わっています。ま、藍色と完全な「天然染料の合成」の話をしようと思ったのですが長くなってしまいましたので取りあえずこれで(^^;;

 さて、次回は...........決めていません(^^;; 今回触れられなかった所を「続編」として触れるか。または全然別のネタにするか.............ま、どっちが良いか........考える、と言うことで(^^;;
#続きのほうが無難かな(^^;;;

 さて、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 それでは、次回をお楽しみに.............

(2000/05/02記述)


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