からむこらむ
〜その167:キノコのうま味と蝿の毒〜


まず最初に......

 こんにちは。ゴールデンウィークの谷間になりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 まぁだるい人も多そうですが......もっとも「何それ? 食べ物?」って人もいるかもしれませんけど(^^; そういう方、ご愁傷様です。いや、頑張りましょうね(^^;

 さて、今回のお話。
 今回は前回の話の続きと行きましょう。とりあえず前回はベニテングタケの話で、色々な利用法、症状などについて触れましたが。今回はそれらの成分と、そして前回触れていなかったいくつかの話をしてみたいと思います。
 ま、結構面白いほど幅があるものですので........興味を持っていただければ嬉しいです。
 それでは「キノコのうま味と蝿の毒」の始まり始まり...........



 さて、では今回は前回の続きと行きましょう。

 前回まではその利用法と中毒症状について触れましたが.........ところで、このキノコの特徴である幻覚や酔いなどを起こす毒成分はどういう物か?
 この研究はこのキノコが有名であったこともあり、比較的早く行われます。その最初は1869年に報告が行われまして、このキノコより抽出された有効成分に、学名からムスカリン(muscarine)と命名されます。とは言っても当時の技術では純粋な分離は難しく、このために構造の研究は出来ませんでした。これは本当に混乱したようでして、類似の物が出てくるかと思えば、生体に逆の作用を引き起こすケースまで出てきて、かなり混乱したものとなりました。
 結局、ムスカリンの純粋な分離と構造の確定は20世紀になってからでして、1954年にオイグスラーらによって行われます。この方法はムスカリンの心臓への影響を利用したものでして、摘出したカエルの心臓の抽出物にムスカリン(と思われる物質)を加え、その動きが遅くなればムスカリンを含んでいる、と言う実験を行ってムスカリンの純粋な分離を行います。そして、最終的に機器分析から構造を決定することとなります(立体構造はX線結晶解析で1957年に明らかになります)。
 尚、この実験では実に1250kgのキノコを用い、ここから約3〜4gのムスカリンを得ています(収率は0.0003%!)




 ムスカリンの作用は副交感神経系のムスカリン作動性のアセチルコリン受容体に作用します(アゴニストになります)。この神経系は心臓の動きに関与していまして、ムスカリンが受容体に結合することで心筋の興奮を抑制します。ですので、オイグスラーの実験を応用した実験モデルでカエルの心臓を摘出し、これに電極を刺して心臓の強さを見るとします。これにムスカリンを心臓に1滴垂らすと心臓の動きが弱くなることが分かります。
 一方、これにその5で軽く触れたアトロピンを加えると、これがムスカリンの動作を邪魔するために心臓の動きが回復します。このことから、ムスカリンとアトロピンは拮抗すると言うことで、ムスカリン中毒にかかった際の治療薬として用いられることがあります。
#専門注:ムスカリンはアセチルコリンと構造が確かに似ています。
 尚、この心臓を使った実験モデルは、合成ムスカリンが天然物と一致するかどうかの実験で用いられることがあります。実際、ムスカリンは専門的には立体異性体が8つも存在するため、天然のものと一致するかの確認はこういった手段が意外と有効だったりします。
 このように心臓に影響を出すムスカリンですが、他にもよだれや発汗の促進、血圧の低下や胃腸の痙攣という症状を出します。いずれも、副交感神経が関与していまして、ベニテングタケの食中毒の症状のいくつかはこれによって説明出来ます。この作用は強く、体重5kgの猫に0.05μg(1mg=1000μg)のムスカリンを与えるだけでよだれや涙を盛んに流し、血圧の低下と呼吸が切迫することが知られています。

 ところで、やや専門的ですがムスカリンと言う物質は研究が進むと非常に重要なことに貢献しています。
 それは何か?
 一つは、ムスカリンは抽出当初、迷走神経の興奮を引き起こすことが分かります。実はここから神経伝達物質の探索が行われ、そして初めての神経伝達物質であるアセチルコリンを発見する契機となったことです。
 もう一つはアセチルコリンの神経伝達の話精神分裂病の話でも触れたのですが、アセチルコリンの受容体に複数の種類(サブタイプ/亜型)がある、と言うことが判明したのはムスカリンのおかげでした。つまり、アセチルコリンが作用する受容体にニコチンが選択的に結合できる「ニコチン作動性受容体」と、ムスカリンが選択的に結合できる「ムスカリン作動性受容体」が発見されます。ピンと来ないかもしれませんが、これは薬理的な面では重要な役割を果たしています。


 さて、こうして毒成分としてムスカリンが得られたわけですが、ところがここで問題が起きてきます。
 一般にベニテングタケの毒成分の中にムスカリンがよく挙げられるのですが、実はムスカリンだけではベニテングタケの中毒症状を説明できません。上にも挙げたよだれや発汗の促進、血圧の低下や胃腸の痙攣などという症状は、確かにムスカリンが副交感神経に作用して引き起こされる.......しかしムスカリンでは特に「酔う」「幻覚」などといった精神作用については全く説明が不可能でした。つまり、ムスカリンには精神作用が無いらしい。ということは、ベニテングタケの中毒症状は一つの物質(この場合はムスカリン)だけでなく、全く別の物質が関与すると言う事を示します。またベニテングタケではムスカリンの含有量が非常に少ない上、別の種類のキノコ、例えばアセタケやカヤタケ属と言ったキノコの方がムスカリンが多い事が分かります。
 こういったことから、「どうも主成分はムスカリンではない」と言う事が分かってきます。ま、ムスカリンがベニテングタケから最初に得られた為に余計に混乱するものがあったようですが.......

 では、一体どんな成分が精神作用に有効であるのか?
 これはベニテングタケだけでなく、テングタケの仲間も含めて注目されることとなります。1960年代になると世界各国で研究が行われてまして、日本では東北大のグループがベニテングタケ、テングタケ、イボテングタケから、スイスとイギリスではベニテングタケから、それぞれ独立した研究の中でその目的の成分が見つかることとなります。いわゆるテングタケの仲間から見つかった物質はムシモール、イボテン酸などと言う物質でした。
 では、これらはどういうものか? 個別に説明しておきましょう。

 ムシモールの作用はどうか?
 ムシモールは神経伝達物質の一つγ-アミノ酪酸、通称「GABA(ぎゃば)」と構造が似ていることが知られています。このGABAは脳における支配的な伝達物質であり、抑制性神経伝達物質として働きまして、これが受容体に結合することで神経伝達について抑制的に働く、つまり神経での伝達物質の放出頻度を落とすように働きます。
 ちょっと余談ですが、GABAはアルコールや睡眠導入剤、抗不安薬などによって強化されまして、その結果眠くなるという「活動的」とは反対の方向に動くこととなります。
#ここら辺はその内詳しくやりましょう。
 さて、ではムシモールはGABAとどういう関係になるかといいますと、強い中枢神経抑制作用を持つと同時に、GABAと拮抗する作用を持ちます。そして、その抑制作用から結果的に脳の働きを不活発にして行く働きがあります。こうなると眠くなったり酔った感じになることに、ある程度の説明がつくようになります。
 一方、イボテン酸はどうか?
 こちらは神経伝達物質の一つでアミノ酸でもあるグルタミン酸と構造がよく似ています。グルタミン酸は面白いことにGABAとは逆でして、神経興奮作用を持ちます。これは、脳における重要な興奮を伝える神経伝達物質となっています。
 イボテン酸はこのグルタミン酸と同じような作用を持ちますが、グルタミン酸よりももっと強力で2〜7倍もの興奮作用を持ちます。
 では、どちらがベニテングタケの主な症状の原因となるのか?
 これはムシモールの方と考えられていまして、実験でいくつかその証拠が出ています。例えば、15mgのムシモールをヒトが服用すると、45分後に軽い幻覚が表れた、と言う報告が出ています。しかし、イボテン酸の方は20mgを用いても顔面の紅潮を自覚する程度でした。
 つまり、ムシモールがその効果を示している、と言うことが言えます。

 尚、これらの成分は赤い傘の部分にあります。
 このことから、アメリカでは一時期ベニテングタケの傘の部分の赤い皮をはがし、乾燥させてタバコのように吸ったと言いますが......一応、この摂取法でも精神作用を引き起こす効果はあったようで、ある種の「麻薬」として用いたようです。
 よく考えるものですが........

 ところで、こういった天然物の場合、研究の一環としてこれらの物質が何を原料として、どうやって作られて行くのか、と言う研究が為されています。
 イボテン酸やムシモールも例外ではなく研究されていまして、いずれもグルタミン酸より作られています。




 GABAの構造を描いていませんので、ついでにこちらに載せていますけど。ま、それはともかく図の通りグルタミン酸→トリコロミン酸→イボテン酸→ムシモールと言う経路で作られています。
 ところで、ムシモールはイボテン酸から脱炭酸(文字通りCO2が抜ける)と言う反応で作られるものです。ここで一つ思い出して欲しいのが前回触れたストラーレンベルクとステラーのシベリアでの話でして、彼らは貧しい人々がベニテングタケの使用者の尿を飲む、と言う記述をしていると書きました。そして、ステラーは「尿の方が効果が強い」と言う話を残しています。
 尿の研究はそう多くされていないようですのであまり具体的な事は言えないのですが、ベニテングタケなどの持つ活性物質は尿中に排泄されます。ここに至る過程までにイボテン酸は体内で脱炭酸反応を受け、この結果ムシモールになって排泄されるのではないかと言う話があります(つまり活性化することとなります)。
 こう考えますと、元来入っていたムシモールに、更にイボテン酸が代謝を受けて変化したムシモールが加わるわけでして、最終的に尿中のムシモールの量が増える可能性があります。そうなれば、確かにステラーの観察が正しい事を示していると言えますが.........


 さて、ところでこのベニテングタケはちょっと意外な話に持って行くことが出来ます。
 このキノコの学名は"Amanita muscaria"で、英名では"fly agaric"であると書きました。英名に「fly」、つまりハエが冠されており、更に学名にあるmuscaはラテン語で「飛ぶ昆虫」を意味して、一般にはハエを意味します。昨年末に行った与太でもイエバエの学名がMusca domesticaである事を紹介していますので、何となくつながりがあるのは分かるかもしれませんが。
 さて、ここで「何でハエなの?」と思われるかもしれません。これにはちゃんと理由があるんです。

 ベニテングタケの利用は食べて酔うだけではなく、実はハエを動けなくする作用があります。それゆえに「アカハエトリタケ」と言う異名を持ち、ハエ取りに利用されていました。
 使い方は、ベニテングタケを割いて置いておく、あるいはキノコを砕いてミルクに混ぜておきます。これにハエがやって来まして、ベニテングタケ、あるいはこのミルクを舐めるとハエが動けなくなります。ま、ベニテングタケでは死ぬことは無く、しばらく後に回復して去ってしまいますが。
 この効果は昔から知られていたようで、洋の東西を問わずに利用されていました。
 こういったハエ取りの効果のあるキノコは自然と注目を集めます。実際、ベニテングタケ以外にも「ハエトリタケ」と呼ばれるキノコがありまして、同じくテングタケ属のイボテングタケ(Amanita storobiriformis)や、テングタケでは無いですがキシメジの仲間であるハエトリシメジ(Tricholoma muscarium)と言うキノコがこういった作用を持っていました。特に後者は東北地方の一部では火で焙ってた物をハエ取りに用いています。
 こういった効果に注目したのが日本の竹本ら(ムスカリンの分離をした人物)でして、有効成分を探した結果、先程名前だけ挙げたトリコロミン酸とイボテン酸がハエに対して「ハエ取り」の効果があることを確認します。そして両者ともに強力な殺ハエ作用があることを確認します。
 つまり、文字通り「ハエ取り」の効果があると言うことが裏付けられます。
#蝿にとっては神経毒になります。

 このトリコロミン酸と言うもの。
 「ハエが死ぬんだから、人間には有毒では?」と思われるかもしれません。ところが、イボテングタケやベニテングタケ、ハエトリシメジは美味と言われまして、実際にいずれも食用に供される事があります。そしてこれが原因で人が死ぬと言う話もなく、人に対して有毒とは正直言い難いです。
 でも、ハエは死ぬ。
 結局、様々な研究の結論として「ハエにとっては有毒で、人にとっては無毒」であることが分かります。これはなかなか面白い結果といえますが........


 さて、長くなりましたが。
 ところで、この研究に絡む話では実は一つ面白い話が残っています。それを最後に紹介して終わることとしましょう。

 それは、竹本らの研究グループが偶然見つけたものですが.........この研究に携わっていた助手が実験中に指を舐めた所、非常に「美味い」ことに気付きます。「何で美味いのか?」ということに当然興味が向くわけですが........これは調べてみますと、イボテン酸とトリコロミン酸にうま味があることが分かります。
 これは根拠がありまして.......これらの物質の「大元」はグルタミン酸です。このグルタミン酸はいわゆる「うま味」の元でして、いわゆる「味の素」などの調味料はグルタミン酸ナトリウムが使われています。そして、イボテン酸やトリコロミン酸はグルタミン酸を元に作られていて、更には構造的に類似しているといえます。つまり、グルタミン酸と似たような作用が期待できます。そして、実際にそのような働きをしていると考えられます。もっとも、そのうま味はグルタミン酸ナトリウムの10〜20倍もあることが分かるのですが。
 これらイボテン酸とトリコロミン酸、ベニテングタケやハエトリシメジなどに含まれるわけですので、これらを考えるとこれらが「美味である」理由が分かってくるかと思われます。
 ま、もっともハエトリシメジはともかくも、ベニテングタケは食べ過ぎると良くないですけどね..........

 ま、キノコがハエを殺す一方、その成分は人間には害がなかったりする。おまけにうま味まで提供してくれる。
 自然ってのは奥深いものですがね。


 そういうわけで、今回は以上ということで.........




 ふぅ...........

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 これでとりあえずベニテングタケとそれから派生する色々な話が終わりになります。まぁ、結構意外な方向な物がある、と言うことは理解してもらえたかと思いますが。
 どうですかね? まぁ、興味持ってもらえれば何よりです。

 さて、そういうことで一つ終わりですね。
 次回ですが、とりあえずまた一つのキャンペーンを行おうと思います。何についてか、と言いますと皆さんご存知で、極めて有名な毒についてです。非常に話が多い事と、それぞれに検討のしがいがありますので、色々と話してみたいと思います。えぇ、読みごたえのあるシリーズとなるでしょう。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/04/30記述)


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