からむこらむ
〜その168:青より出ずる毒〜


まず最初に......

 こんにちは。ゴールデンウィークも明けましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 ま、これから5月病の季節でもありますけど(^^; いや、気が抜けるかとも思いますが、頑張っていきましょうね。

 さて、今回のお話ですが。
 今回は有名な毒として知られる話と行ってみましょうか。えぇ、まぁ少なくとも名前を知らない人はいないと思いますがね。それくらい有名で「定番」な毒です。もっとも、毒だけが能じゃないんですが......... 実際、色々と詳しいことを知らない人もいますので。
 それでは「青より出ずる毒」の始まり始まり...........



 今回は、最初にいくつかの簡潔なエピソードから..........

 1872年にシベリアのトボリスクに生まれた男は、一国をかき回します。
 後に「予言者」として帝政ロシアの上流社会に受け入れられた彼は、やがて宮廷にも出入をするようになります。そしてロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世の妃アレクサンドラ皇后と面識を持つようになり、皇太子の難病を治療した事でその信を得るようになります。やがて彼は権力を手中に収めるようになり、第一次世界大戦の頃にはその権力は絶頂に達しようとしていました。
 その男の名はグレゴリー・イェフィモヴィチ・ラスプーチン。
 怪僧として知られた男は皇帝の権力を背景に巨大な力を得ますが、それに等しく反感も買います。そして1916年12月17日、もはや伝説と化して真偽は曖昧ですが、政敵ユスポフ公爵に招かれた彼は、毒の入ったケーキやワインを食しますが死なず、ユスポフのブローニング拳銃によって撃たれるも死なず、死んだと思い込んだ政敵の目を逃れて這いずって逃げている最中、更に銃弾を数発受けます。が、これでもまだ雪の上を這い、更に数発の弾丸を受けてやっと死亡。政敵達はこれも信じられず、燭台でめった打ちにした後、小ネヴァ河へ遺体を投棄します。
 その翌年、ロマノフ王朝は倒れることとなります。
#尚、この話の細部はバリエーションが多いので、真偽は不明です。

 1930年後半〜1945年、世界が大戦争の惨禍に見舞われていたころ。
 ナチスドイツによって行われた、「ホロコースト」は収容所へとユダヤ人、思想犯、反ナチス運動家、精神病患者などを集め、彼らの支配圏内に数箇所置かれた絶滅収容所(代表がアウシュビッツ・ビルケナウ)において農薬「チクロンB(Zyklon B)」を用いて彼らを大量に殺害。戦後(そして現在に至っても)、これが多いに問題になります。
 戦後、1946年ニュルンベルグ裁判(東京裁判のドイツ版)においてナチス党幹部が次々と検挙されて裁判にかけられる中、戦前戦中においてナチスの幹部で空軍大臣であり、また重要な政策に関与したヘルマン・ゲーリングは同年10月2日、絞首刑の判決を下されます。15日以内に執行される事となりますが、彼は執行前の10月15日夜にスキンクリームに隠してあった毒入りのアンプルをかみ砕いて自殺。遺体は火葬され、谷にばらまかれます。
 この後、東京でA級戦犯達の収容された「巣鴨プリズン」で、彼らの身体検査が急激に厳しくなることとなります。

 昭和23(1948)年1月19日午後3時5分頃。
 新宿区下落合の三菱銀行中井支店に品の良い男が表れます。男は「厚生省技官医学博士山口二郎」「東京都防疫官」と印刷された名刺を出して、都の衛生課から来たことを告げ、この銀行のお得意さん7名が集団赤痢を発生したと話します。更に進駐軍が消毒に来たものの、その中の一名がこの銀行に来たので、念の為に現金や通帳、各室に帳簿など消毒する必要があると告げます。更なるやり取りの後、結局支店長の「為替の消毒だけにしてくれ」と言う抗議を受けて、男は為替に消毒薬(?)をふり、そのまま「更に何かあったら来るが、来なかったら何もなかったと思ってくれ」と言って去っていきました。
 実害の無いこの事件は警察に通報されませんでした。
 そして、同年1月26日の午後4時頃。
 帝国銀行椎名町支店に東京都の腕章を付けた男が表れます。背広を着たこの男は歳は40半ばぐらいで、好男子という印象を行員は持ちました。その男は支店長を呼びますが、当時支店長はいなかったので支店長代理が出ます。彼に「松井蔚」という名刺を出した男は、「近所で4名の集団赤痢が発生した。GHQのホートク中尉にこの報告がされたが、急いでおまえが行けというので私が行ったところ、患者の一人がここに来たことが分かった。ホートク中尉は消毒班を指揮して来ることになっているが、その前に予防薬を飲んで頂く」という事を告げます。しばらくのやり取りの後、彼は「これはGHQより出た非常に良く効く薬ですが、歯にふれると琺瑯(ホーロー)質が損傷するので私が飲み方を教えます。その通りにして下さい」と話し、当時行内にいた行員16名を集めます。
 薬は二種類。「最初の薬を飲んだ後、1分くらいしたら次の薬を飲むように」という事で、男は小瓶をとりだし、スポイトでやや混濁した無色の液体を行員の湯呑に分配します。そして男は舌を目一杯出して、それに巻き込むように薬剤を飲んでみませます。皆がそれに従ったところ、刺激が強く胸が苦しくなってきました。そして、一分した後、男は第二の薬を分配して皆に飲ませます。
 この後、行員は次々と意識を失い倒れていきました。後、男は現金約16万4400円と小切手(翌日1万7450円の現金に換えられていた)を奪って逃走。行員は12名が死亡し、4名はどうにか命をとりとめます。
 警察はこの事件の犯人として平沢貞通の逮捕状を請求。同年8月10日に逮捕状が出て、同21日に北海道の小樽で逮捕して東京に連行。後、平沢は犯行を自白して裁判にかかり死刑判決が下されます(当時は旧法下が適用されていたので、自白でも証拠になる)。結局、最高裁も平沢の犯行と認定して死刑判決を支持。
 世に言う「帝銀事件」は法制上、これで幕を閉じることとなります。そして、平沢は死刑を執行されることなく獄死することとなります。

 昭和52(1977)年1月4日。
 東京品川駅近くの公衆電話ボックスに置かれた蓋の開いた毒入りコーラを飲んだ高校生ら二名が死亡。「愉快犯」の犯行と言われたこの事件は日本全国に衝撃を与えますが、1992年時効を迎えます。

 昭和59(1984)年3月18日午後9時頃。
 自宅で入浴中の江崎グリコ社長が3人組の男に誘拐され、翌日10億円と金塊100キロを要求する脅迫状が見つかります。21日、社長は自力で脱出。同年5月10日、グリコ製品に毒物を混入したと報道機関に犯行声明が送られ、各地で販売が中止。同16日には「ダイエーの社長え:グリコのせい品うらんでよかったのう」という手紙が届きます。9月25日には今度は森永製菓に「かいじん21面相」が同社へ送った脅迫状を報道機関に送付。この後、10月には各所で「どくいりきけん」の紙が貼られた菓子が発見されて全国でパニックになり、そして防犯カメラに映っていた「キツネの目の男」が指名手配されます。その後、張り紙の無い毒入りの菓子も発見(親がパッケージの「穴」に気付いて犠牲者が出ず)されて、各地で製品回収騒ぎが起こります。
 結局、翌年に犯行中止声明が出され、通称「グリコ・森永脅迫事件」として知られるこの事件は一通り幕を下ろすこととなります。もっとも、この事件の影響は大きく、これ以降菓子類にフィルム包装が行われることとなりますが........



 .........さて、他にもたくさんあるのですが。まぁ、これくらいにしましょう。
 上にいくつかの事件の話をしました。このいくつかの事件の要約は「極一部」でしかないのですが、これらの事件には実は全てに共通するキーワード........「ある物質」が関与していることに気付いた方はいらっしゃるでしょうか?
 気付いた方はなかなか物を御存じであるかと思いますが。ま、一個分かると何となく分かってくるかもしれませんけどね。
 実はこれに共通するキーワードは「青酸化合物」となっています。最初のラスプーチン暗殺、ナチのガス室とゲーリングの自決、帝銀事件に青酸コーラ事件、そしてグリコ・森永脅迫事件........全て青酸化合物が関与しています。そして、いずれも多かれ少なかれその時々の世情に影響を与えました。
 実際の事件でも物語でも「大活躍」をするこの化合物について、今回は触れてみることとしましょう。


 さて、「青酸化合物」とは何か?
 分かっているようで結構分かっていない様な気がする化合物と言える気もしますが.........ま、ミステリーの定番と言えば定番ですので名前を知らない人はいないと思います。ただ、問題はその中身でして、結構「ごちゃごちゃ」な感じがしますけどね。
 まず、「青酸」とは何かに触れておきましょう。
 「青酸」とは厳密に言えばシアン化水素の水溶液を指しています。ではシアン化水素(hydrogen cyanide)とは何かといいますと、「HCN」で表される単純な化合物でして、水素「H」に官能基の一つで、炭素と窒素より成るシアノ基「-CN」が付いたものです。化学的には単純な部類に入りまして、25.7度以上では気体。水にはよく溶けます。
 「青酸(prussic acid)」とはこのシアン化水素の水溶液(正確にはシアン化水素酸という)の事を指します。まぁ、塩化水素(HCl)が溶けたものを「塩酸」と言うのと全く同じと言うことでして、だからこそ気体状のシアン化水素をあえて「青酸ガス」という呼ぶわけですが..........
 ところで、後述しますけどこの化合物は工業的に重要なものでして、実際には青酸塩(えん)として用いられることが一般的です。その青酸塩の代表格が青酸カリウムや青酸ナトリウムでして、これらがいわゆる「青酸」として一般に有名なものとなります.....ってご存知無い? いやいや。青酸カリウム(KCN)は俗に「青酸カリ」と、青酸ナトリウム(NaCN)は俗に「青酸ソーダ」と呼ばれるものです(その83で「ソーダ」の由来は触れています)。
 他にも有機化学でアルキル基にシアノ基の付いた化合物を「ニトリル」と呼びます。他にも有機化学ではシアノ基が付いた化合物は色々とあるのですが........これは、上の話の一つにも関連してきますので、後述することとしましょう。

 ところでこの「青酸」と言うもの。よく考えると非常に奇妙な名称ではあります。
 何故「青い」酸なのか? 実は青酸カリやナトリウム結晶は白色で、シアン化水素は無色です。これらの水溶液は青くありません........結構不思議に思ったことはありませんかね? 一応これにはしっかりとした由来があります。
 皆さんは通称「ベルリン青(ブルー)」という物質を御存じでしょうか? 高校生の無機化学の分野で聞く可能性はありますけど.......この物質、鉄製容器中で牛の血と木炭を加熱しながら撹拌して出来たという金属錯体の一種でして、一般に「プルシアンブルー(prussian blue)」と呼ばれています。この錯体は文字通り青色をしたもの(結構濃い色です)でして、構造はFe4[Fe(CN)63・n H2Oです。
 さて、ここで「由来」が分かるのですが........実はこのプルシアンブルーに硫酸を加えますとシアン化水素が出てきます。(プルシアンブルーの構造中にシアノ基が入っていることに注目)。ですので、これが由来となって名称を「青酸」と言う事の様ですが.........
 ま、一応「青」と縁はあると言うことです。
#青緑色を示す「cyan」や「シアノ基」という名称もこういったことから使われるのでしょう。

 ところで、青酸化合物というものは一般に「猛毒」として認知されています。
 これは確かでして、実際「毒物」に指定されており、かなり少量で死に至ることが知られています。もっともそのデータに関しては資料毎にばらばらだったりしますし、更に個人差が非常に大きいようでして、厳密な「数字」を出すのはなかなか難しいのですが。大体シアン化水素で60mgぐらいが致死量と言われるようです。気体なら200〜300ppm(その42参照)ぐらい。青酸カリなら150〜300mgとか500〜800mgとか色々と言われるようです。
 ちなみに、青酸カリなどはシアン化水素より毒性は低くなっています(理由は次回)。
 まぁ、大体1g以上なら確実に死に至るようです。青酸化合物でおおまかに言えば、大体LD50=数mg〜10mg/kgぐらいとなるようですが.......
 特徴としては急性毒性(その1参照)が非常に高い事が挙げられるでしょうか。つまり、十分に青酸化合物の摂取は速やかに死に至らしめます。ただし意外とピンと来ないようですが慢性毒性は問題にならず、実際ごく少量が体内に入っても中毒しなければ死ぬことはありません。ま、そういう意味では「生か死か?」の両極端な化合物となっています。
 中毒症状は独特でして、激しい頭痛に目まい、動悸、胸が苦しくなるなどして呼吸が切迫します。そして、呼吸は乱れてやがて困難となって呼吸は停止。そのまま全身がマヒして死に至るとされています。まぁ一般に「即死」とは言われますが、その実は結構苦しいのではないかと推測されますけど......

 では、青酸化合物の毒性は何が関連するのか?
 シアン化水素や青酸カリ、青酸ソーダなどは水やエチルアルコール、エーテルなどによく溶けまして、しかも桃色の炎を上げて燃えるとされます。また、シアン化物は溶液中でCN-というイオンを生じます。
 そして「毒」としての青酸は、CN-が問題になります。

 ということで、その毒性の機構となるのですが..........今回は長くなりました。
 今回は以上、ということにしましょう。




 ふぅ...........

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 え〜........まぁとりあえず管理人の「社会復帰活動」前最後のキャンペーンですが........取りあえず有名な「毒」ですので説明はいらないでしょう。この毒は色々と名前だけは知られている割によく分からない毒、というのが一般の認識に見えます。ま、結構書くものはありますので、色々と楽しみにしていただいてもよろしいかと思います。えぇ、ミステリーなどの「???」な点などに触れてみようと思っていますので、興味ある方には楽しい話となるかもしれません。
 あ、ちなみに冒頭のエピソードが結構長いですけど。これは一応理由がありますので、ある程度覚えてもらうと今後が面白いと思います。

 ま、そう言うことで次回はそのメカニズムについてと、そこから導き出される物語で使用される青酸化合物での「??」な点などでも触れてみようかと思います。
 結構笑えると思いますので、お楽しみに。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/05/07記述)


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