からむこらむ
〜その238:シンブルの花〜
まず最初に......
こんにちは。微妙に寒暖の差が激しいですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
春だというのに真夏日を記録するところがあるかと思ったら、一気に10度ぐらい気温が変わったりと中々落ち着かない天気ですが.......
さて、今回のお話ですが。
今回は取りあえず軍事ではなく医療の方の話になりますが。現代でも使われる薬についての、まぁ発見の物語について触れてみたいと思います。
ま、恐らく薬学関係の方面では非常に有名な話だと思いますけどね.......かなり偶然と誠実さによって使い方が確立された話であります。
それでは「シンブルの花」の始まり始まり...........
大仕事を終えて帰りの一杯、「五臓六腑に染み渡る」と言う表現を使う、あるいはそういう表現をご存知の方は多いと思います。この「五臓六腑」とは何か、と問われて答えられるでしょうか?
この言葉は元々は漢方の『黄帝内経』に登場した言葉で、「五臓」とは肝臓、心臓、脾臓、肺臓、腎臓を、「六腑」とは大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の六つを示します。ちなみに、「三焦(さんしょう)」とは聞きなれませんが、上中下の三種類があり、「上焦」は横隔膜より上部で呼吸を、「中焦」とは上腹部をさして消化を、「下焦」とはへそより下をさして排泄を司るもの、となっています。またの名を「みのまた(三の焦)」と言います。
もっとも古代中国の医学における言葉ですので、これらの言葉と内容が現代の医学と一致すると言う訳ではありませんが。
ただ、現代の医学に当てはめても五臓は極めて重要な臓器であり、これらが欠けるような事があれば生命が維持できなくなります。「肝心」あるいは「肝腎」と言う表現はこの臓器を使った重要さを表す言葉と言えるでしょう。古代の思想では、「肝」は魂の入る場所として重要視されていましたし、また「心臓」は神が宿るところで、五臓六腑の中で特に重要視されたものであり、これが止まれば体から「神」が出ていく=「死」と言う考えでした。
現実でもたとえば心臓の動きに問題があれば、たちまちに体全体に問題を起こし、あるいは死に関わる事が多くあります。
さて、ところで臓器としてみた場合、心臓とはどういう役割をしているのか?
よく知られている通り心臓は一つしかなく、これが止まれば死に至る筋肉の塊です。その大きさは拳程度で、胸部のほぼ中央にあります。その役割は古代と現代では異なっており、古代のガレノスの頃から約千年間程は、血液は肝臓で食物から作られ、心臓に集められて浄化し、全身に送られて末端で血液は「消費」されるものである、と言う物でした。つまり血液は循環していない、という考えです。この考えは17世紀にイギリス人のハーヴェー(William Harvey)により「血液循環説」が出された事で変わっていき、やがて現在のような「全身に血液を送り出す為のポンプ」の働き、と言う認識へと変わっていきます。
ある程度基本的な話になるので細かいものは省きますが、心臓には四つの「部屋」があり、全身からやってくる血液はまずは「右心房」へ入り、その下部にある「右心室」を経て肺へ向かいます。肺でガス交換が行われた後に、血液は肺静脈を通じて「左心房」へ入り(この心臓→肺→心臓のルートを「肺循環」と呼びます)、そしてその下部の「左心室」に移動してから全身へ再度運ばれていきます。
心臓は筋肉の塊で伸縮を繰り返しており、例えば左心室ではその筋肉が緩んで拡張するときに血液が入り込み、強く収縮する事で動脈を通じて全身に血液を送り出します。この左心室は全身に血液を送り出す為に筋肉は分厚く、力強く収縮して血液を送り出しますが、その時に「脈」が生じて脈拍を図る事が出来ます。心臓が血液を送り出す量は一日約6000リットル程度と言われています。
もう少し前置きを続けさせてもらいましょう。
ところで、全身の細胞は心臓によって送り出された血液に含まれる水、酸素や栄養分を得て活動し、そして活動の結果生じた不要物を血液に渡しています。不要物とはたとえば二酸化炭素やアンモニアなどが代表的でしょう。二酸化炭素については血液に運ばれて肺で「捨てられ」、アンモニアは肝臓で尿素となってから腎臓で捨てられます。その他のものも血液を介して必要に応じて代謝を受けたり、あるいは廃棄されることになる。
かなり単純化していますが、心臓は生命の維持のために必要な血液を体中に送ると言う重要な役割がある事は理解してもらえるでしょう。よって、心臓が止まれば当然死に至りますし、また心臓が弱っても問題が起こる事になる。
では、心臓のポンプ機能が弱まってしまえば?
当然血液の循環が悪化して体に問題を生じる事になります。そのような症状の一つに「水腫」と言うものがあります。これは循環の悪化のために水の出入りのバランスが崩れて、不要になった水を適切に捨てる事が出来なくなり、その結果体腔や細胞間隙に溜まってしまうものです。この水が皮下組織に溜まれば浮腫、体腔でも胸に溜まれば胸水、腹に溜まれば腹水などと呼ばれ、体がむくんでしまうのが特徴です。これはかなり問題になり、例えば肺に溜まる肺水腫であれば肺を圧迫して呼吸を困難にし、その結果患者は寝たきり状態となって動けず、それが悪化すれば死に至ります。このように水腫は死に至ることもありますので、病気のサインと言うだけでなく、実際には深刻な問題になりうる症状です。そして、水の排出がされにくくなる、と言う事は尿が減る事でもあります。
#なお、水腫は心臓だけの問題と言うわけではなく、内臓疾患の症状の典型的なものであり、たとえば腎不全などでも起こりますのでその点は留意してください。
#今回は心臓、と言う点で触れますが。
さて、水腫は昔から知られている病気でした。
昔から知られている、とは言っても18世紀中ごろまでは原因も治療法も分からない死に至る可能性のある病でした。民間療法は存在していましたが、しかし成功したり不成功であったりと的確な治療が出来たとは言えません。しかし、水腫についてその治療法を詳しく研究した人物がいます。それを最初に完成させた人物の名はウィリアム・ウィザリング(William Withering)。彼は水腫の治療法を深く研究した人物として、現在にまで名が残る人物です。
ウィザリングは1741年、イングランド西部シュロプシャーのウェリントンで生まれています。彼の家庭は医療に携わる人が多く、父親は優秀な薬剤師で、他の家族も外科医や内科医と言う環境でした。そのような影響を受けたのもあってか、エジンバラ大学に入学して医学を修め、1766年に医師免許を取得。その後フランスに短期間渡った後にイングランドに戻り、スタッフォードとバーミンガムなどで診療をしていました。
彼の活動は非常に熱心で、時には夜通し馬を走らせて各所を移動しながら毎年2500人を診察していたと言います。そして1775年、丁度そのような移動の間の休憩中に、その地域の住民から水腫にかかった老女の診察を依頼されました。
これが彼の名を現代まで残すきっかけとなります。
ウィザリングがその老女を診察すると病気は大分進行しているように見え、その後の見通しは暗いものでした。結局有効な治療を施す事が出来ずにウィザリングはその場を去ります。しかし気になっていたのか、しばらく後に彼は再度その老女について尋ねると、驚くべき事にその返事は「非常に良くなった」と言うものでした。
治せないような患者はどのようにして回復したのか? 気になったウィザリングはその治療について調べ始めます。当時の(民間療法レベル以上での)医学の知識では少なくとも有効な水腫の治療法は知られていなかった為、これは判明すれば有効な物となるはずでした。
この老女は「とあるシュロプシャーの老女」による治療を受けており、彼はその治療の中で秘密とされていた治療薬を調べます。この治療は不確実性のある、経験的な(あるいは呪術的な物もあるでしょうが)民間医療の一つではあったものの、彼女の薬は時折水腫を治せたためにその効果に注目しました。
彼が調べたその薬は二十種類以上の薬草から出来ており、催吐作用、下痢作用、解毒作用をもっていましたが、その植物群の中でも彼が注目したのはジギタリスと言う植物でした。
ジギタリスとは何か?
この植物はヨーロッパ原産のゴマノハグサ科の2年生の植物で、茎は1m以上となり、赤紫色の斑点を持つ鐘状の花(花弁は赤紫や白がある)をつけるのが特徴です。学名をDigitalis purpurea(ジギタリス・プルプレア)といい、英語では「digitalis」と表します。
この植物は以前から知られており、その名称は1542年、ドイツの植物学者レオンハルト・フックスにより付けられています。ジギタリス(digitalis)とはドイツ語で裁縫の時に使うシンブル(指貫)を意味しており、これは花の特徴から付けられたようです(なお、ラテン語で指の事をdigitusと言う)。実際に検索してその花を見ればある程度は納得できるでしょう。名称に関し、この植物は別名キツネノテブクロ(foxglove)と呼ばれていますが、この語源ははっきりしないようです。一応、「妖精の手袋」を意味するfolk's gloveからきたという説がありますが......
なお、学名は1753年にリンネにより、フックスが付けたものを正式なものとして採用しています。
この植物はフックスの発表後に有象無象の、そして意味を成さない論文がいくつも発表されていました。しかし、少なくともウィザリングの以前からその水腫への効能がわずかに知られていました。これは事実シュロプシャーの話から分かるように民間医療で以前から使われていたわけであり、また実際にウェールズ地方やヨークシャー地方でも使われていたという話も残っています。つまりウィザリングが初めて見いだした、と言う訳ではありません。
ただ、ウィザリングも過去にヨークシャーの商人が嘔吐している場面に出くわした事があり、その時には妻が夫である商人にジギタリスを与えていました。ただ、妻は「有効」である事は知っていたものの、適切な量については全く分かっていなかったようで、夫の脈拍は一分間に40程度、視界ももうろうとしておまけに嘔吐していたとあっては、「薬効」と言うよりはむしろ「毒性」が発揮された状態でした。
ウィザリングはこのような経験もあった上で、シュロプシャーの老女の作った薬の中に含まれる二十種以上の薬草からジギタリスを選びだしたと言えます。そしてその毒性と効能の問題から、適量を探す必要がある事を理解します。
彼が現代まで名を残すのはこのジギタリスと水腫の関係を見つけ出し、さらにその使い方と効果、適量を正確に見つけ出した事にあります。
ウィザリングが実際に使える量を探し出し、発表するまでには10年もの歳月が必要でした。
彼がまず着手したのは、ジギタリスの部位の中で薬効がある部分を探し出す事でした。その結果、花や種子、根には薬効がなく、葉に薬効がある事を突き止めます。しかしこれは単に葉なら何でも良いわけではなく、花が咲いた時の、つまり2年生であるジギタリスが最期を迎える段階(花を咲かせば実が出来るので)における葉でないと意味がなく、さらにその葉身にのみ効力がある事(つまり葉脈等にはない)を突き止めます。
場所が分かると、今度は新鮮な葉の保存、乾燥する方法を研究します。たとえばこの植物の煎出液で、あるいは浸出液で、あるいは粉末にして、などというものでした。これらは全て彼自身が確かめており、例えば粉末を作る際には書斎の暖炉の前に立ち、フライパンに葉を数枚入れて「指でつまんでこすった時」に粉末になるよう、ゆっくりと乾燥させています。このジギタリスの葉の粉末は、実際にその後もジギタリスを使うのによく使われるものです(現在の医療現場ではあえてこの葉の粉末を直接使う事はあまりないでしょうが)。
そして彼が名を残す原因となっているのは、この薬を用いて実際に臨床試験を重ねていった事が挙げられるでしょう。
例えば、1775年7月の事例として、「とある医者」に治療を受けていた慢性心疾患の中年女性がいます。この患者はむくみが酷く呼吸が苦しい状態(水腫による肺の圧迫など)であり、脈も弱い上、尿は一回につきスプーン一杯程度(水の循環が悪化しているので)と言う症状でした。ウィザリングはこの女性にナツメグを加えたジギタリスを投与し、さらに後には没薬や硫酸亜鉛、甘汞、昇汞(共に水銀剤)、硫酸カリウム、大黄、キナの皮といった別の薬なども合わせてジギタリスを投与しています。
この結果、女性は持ち直して9年間は軽い症状で過ごしていたと記録されています。
彼が行った臨床試験は163例に及んでおり、それぞれ日時はもちろん、患者の症例から投与量、経過などを詳細に記録します。今でなら「人体実験」と非難されるであろう方法ではありますが、しかしこのデータは極めて重要なものでした。もちろん当時の科学レベルではジギタリスの有効成分、また心臓との関係などは分かりませんでしたが、少なくともこれらの実験からジギタリスの過剰投与は激しいむかつきや下痢、嘔吐を引き起こした上で水腫の治療効果を無効にすることも分かります。つまり、「ジギタリスは適量を用いる事で水腫の原因となる液体の蓄積を減少させる」と言う事を実験的に証明してみせました。
彼の研究結果によれば、ジギタリスは適量として成人に対して1〜3グレイン(65〜195ミリグラム)の粉末を1日2回、水腫患者と明確に分かるほど衰弱している場合には、1日4グレイン(260ミリグラム)の投与で十分であるとしています。
これらの10年にわたる研究の結果は、臨床での成功例だけでなく失敗例も全て含めてまとめられ(これは非常に価値がある事です)、最終的に1785年に『An account of the foxglove, and some of its medical ufes: with phactical remarks on dropsy, and other diseases.』と言うタイトルで論文が発表されます。訳せば「ジギタリスとその医療用途のいくつかについての報告:水腫と他の病気への実際の使用評価」となるでしょうか。この論文は当時大きな画期的なニュースとして伝えられる事になり、アメリカに種子まで送られたと言う話もあります。
これは当然治せない病気、と見なされていた水腫が、適切な量のジギタリスで治療できる事が示されたからに他なりません。もちろん作用機構はよく分かっていませんでしたが、しかしウィザリング自身は心臓に何らかの効果があるのかもしれない、と考えていたようです。
なお、余談ながらこの報告の以前にジギタリスの研究結果を報告した人物が実はいます。
誰か、と言うと医者で科学者で詩人であったエラスムス・ダーウィン(Erasmus Darwin)と言う人物です。ファミリーネームは聞いたことがある人が多いと思いますが、実はかのチャールズ・ダーウィンの祖父です(チャールズはシュロプシャー生まれ!)。満月の夜に会合を開く科学者達の交流会であるルナー・ソサエティを設立した人物でもあり、それなりに科学への功績を残している人ではあるのですが、実は1785年1月14日、ウィザリングよりも早くジギタリスの水腫に対する薬効の論文を地方の医学会報に発表していました。
この報告中にはウィザリングの名は触れられていないのですが.......これはどういう事か、と言うと実はウィザリングがジギタリスの効果を最初に話した人物とされるのがこのダーウィンで、この事自体が周囲の人にも知られていました。実は上述の臨床試験の事例にある「とある医者」とは、ダーウィンの事です。また、当時ウィザリングの研究は周囲に知られてもいました。
では、何故ダーウィンはそのような報告を出したのか? もっと端的に言えば、何故論文を「盗用」して公の場に自分の名前で出したのか?
これ、実に単純な事に「優先権」や「名誉」がほしかったから、と考えられています。もっとも、上述の通り周囲はウィザリングが成し遂げたものである事を知っていた為、ウィザリングの報告後にはイングランドの医学界や専門家たちはウィザリングに栄誉を与え、さらに王立協会の会員に選出。さらにはリンネ協会の会員にも選出され、フランス、ドイツといった海外からも栄誉を与えられています。
一方、ダーウィンは全く相手にされていませんでした。
その後、ウィザリングは植物や医学、その他興味あるものに関する研究を重ねていきました。
アクシデントもあり、1791年のバスティーユ・デイ(フランス革命記念日で7月14日)におきた暴動により、彼の住まいが襲われる寸前になっていますが、かろうじて軍隊が先に到着して事無きを得ています、そして1799年10月6日に結核により死去。エッジバストーンの教会に葬られています。
彼の記念碑には、その功績を讃える詩文があり、その詩文の下にはジギタリスと、フランス人の植物学者L・ヘリテア・ド・ブルチュ(L Héritier de Brutelle)がウィザリングを記念して名付けた、熱帯アメリカ地域に生息するナス科の植物にウィザーリンギア属(Witheringia)が刻まれています。
なお、このウィンザーリンギア属は1788年に命名されたものですが、後に他の植物と学名が重なっているものが判明しており、整理されています。現在はWitheringia solanaceaやWitheringia maculataと言う物があるようです。
さて、ウィザリングはこのように重要なデータを残して世を去りますが、しかし彼の死後ジギタリスの使用は下火になります。
これは何故か? ジギタリスはウィザリングが示した通り有効な水腫の治療手段であったものの、しかし内科医が多くの、無関係の疾患についてジギタリスを使用(と言うか乱用というか)した為に治療効果が当然得られず、その結果使用される事がなくなった為と言われています。つまり、勝手に「万能薬」扱いされてしまったと言う事になる。
ウィザリングがこれを知ればどれくらい嘆くのだろうか、と思いますが.......
ただ、時間が経って徐々に科学が進歩していくと、再びジギタリスは「現場復帰」を果たしていきます。
それはどうしてか? また何故ジギタリスは効果があるのか?
これに触れるには長くなってしまいました。後は次回に回す事にしましょう。
さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
ひとまず、著名なジギタリスの物語と言う事になりますが。同時にウィザリングの物語とも言えますけどね。ここら辺のエピソードはその扱いの多さはともかくとして、よく知られている話です。ま、偶然でしったウィザリングが、真摯に研究を進めていった物語でもありますし、また同時に科学者として規範となるべき実験を繰り返していった例とも言えます。
実際、ウィザリングの研究を元に現代に繋がっているものがありますので.......
さて、今回はウィザリングの物語でしたが、次回はその成分などについて触れていく事としましょう。ちゃんと現代でもその成分は製薬会社により販売され、医療現場で使われているものですので。同時に、似たものについても触れていきたいと思います。
そう言うことで、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
次回をお楽しみに.......
(2009/04/27公開)
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