からむこらむ
〜その103:最初のホルモンと三つの化合物〜


まず最初に......

 こんにちは。最近の週末は雪にたたられる日が多いですが、皆さま如何お過ごしでしょうか?
 ま、雪が多い年ですけど.......それだけ冬型が安定していない、という意味でもありますね。まぁ、余り降らない地域としては面白い「イベント」なのですけど........でも、週末散歩に行けないのがちょっと不満だったりします。

 さて........今回は色々と考えまして。え〜.......以前その69その70などでやったホルモン関係の話をちょっとやろうかと思います。そういうわけで、忘れている方は見直して欲しい部分はありますが.........
 ま、色々と理由があるのですが、今回の目的の一つは布石としてです。そして、もう一つはこの研究が日本人によるもの、と言うことなのですが........
 それでは「最初のホルモンと三つの化合物」の始まり始まり...........



 人間がホメオスタシスを保つ為の機構、と言うものはその68で触れたように、「高速な」神経系による調節と、「比較的ゆっくりな」ホルモンによる調節がある、と書きました。

 さて、動物の臓器がある成分を分泌し、それが他の臓器に対して何らかの働きを持つ。そして、それが生体の維持に重要である........これは前に触れた通り、ホルモンに関する重要なことです。
 まず最初に、以前に余り触れなかったこれらの発見の経緯を簡単に書いておきましょう。

 今でこそ重要なホルモンの概念。実は、こう言ったことが具体的に分かったのは19世紀のことでした。
 その最初の「発見」は今から約150年前の1849年。ドイツのベルトールトの実験によります。彼は、ニワトリの雛の睾丸を切除することで雛のオスとしての性徴を失うことを確認し、更に他の部分にこれを移植することで元に戻る、と言うことを発表しました。そして、この6年後にイギリスのアジソンが、当時「青銅病」と呼ばれたアジソン病(原発性副腎不全症)の原因が、腎臓の上にある小さな臓器「副腎」の萎縮によることを患者の遺体の解剖から見出します。そして、動物を使ってこの副腎を切除したセカールは、切除したままの動物はやがて死に、再び移植した動物は延命する、という事実を発見します。この事からセカールは「副腎は生命の維持に必要な未知の物質を作りだしているのではないか」との推論を発表しました。
 ま、こう言ったことが進みまして.......1903年。前年にベイリスと共に十二指腸から分泌される「セクレチン」(膵臓に達すると膵液の分泌を促す働きがある)を発見したスターリングが、こう言った物質......つまり、臓器から分泌されて他の臓器に働きをもたらす物質を「ホルモン(hormon)」と名付け、これ以降こう言った物質は「ホルモン」と呼ばれるようになります。
 この語源はギリシア語でして、「刺激する」「興奮させる」という意味でした。
 やがてこう言ったホルモンと言うもの。これらは臓器より分泌されるもの、と言うことで「内分泌学」という分野を生みだし、そして現在に至っていまして.......内科でお世話になるような方も多いかと思います。
#.........という年齢の方が実際にどれだけいらっしゃるのかは知りませんが..........
 では、こう言ったホルモンというもの。無数にあるのですが、この無数にある物の中で「一番最初」に純粋に分離されたものは何か? まぁ、科学史や医学の歴史を御存じの方は言うまでもないでしょうが........
 今回はこの話をしてみようかと思います。


 まずそれが発見されるまでの経緯を説明しましょうか。
 時代は19世紀中ごろのこと。上記セカールなどが研究していた副腎は非常に注目されていました。分析機器の乏しい当時は色々と試薬を用いて、存在する化合物の特徴を調べていたのですが.........副腎には副腎皮質と副腎髄質があるのですが、この時点で三塩化鉄、または塩化鉄(III)、塩化第二鉄とよばれたFeCl3の水溶液をこの副腎に作用させると、副腎皮質は色が変わらず、副腎髄質は緑色に染まることが分かっていました。化学的なことですが、この水溶液はベンゼン環に水酸基(-OH)がついた様な化合物があると色が変わることが知られていまして.......こういったことから副腎髄質にはこう言った構造を持つ化合物が入っているのではないか、と推測されていました。
#分析機器の発達している今とは異なり、昔はこういう形で「少しずつ」正体を探っていっていたのですが........
#余談ですが、高校の実験の時にFeCl3の水溶液をサリチル酸(C6H4(OH)COOH)に入れると紫色になったのを思い出します。
 そして、時代は少し進んで1894年。ロンドン大学のE. A.シェーファーとG.オリバーは副腎髄質の水性抽出エキスをマウスに注射すると血管が収縮して血圧が上昇し、逆に気管支は弛緩する(=気管支喘息に有効である)、と言うことを発見します。この血圧を上昇させる物質は注目されることとなりまして研究が進み、やがて1897年にアメリカのJ. J. エイベルがその血圧上昇物質の誘導体(抽出や合成などの問題から、目的の物質その物ではなく、元の構造に色々と付加したような形)を分離した、と報告します(専門的注:ベンゾイル誘導体として分離と発表)。その成分に彼はギリシア語で「上」を意味する「epi」に、腎臓を意味する「nephros」より「エピネフリン(epinephrine)」と命名・発表します。
 しかし、エイベルがこれを発表したころ、ドイツでもヒュルスが豚の副腎より同じく有効成分を分離し、これをラテン語の「上」を意味する「supra」と腎を意味する「renin」より「スプラレニン」と命名・発表しました。つまり、ほぼ同時期に同じ物質が分離された、と言うことだったのですが.........
 しかし、この二つの物質。共に不純物が入っていまして、「純粋な」有効成分を見出すことはありませんでした。

 さて、ちょっとここで話変えまして..........その13で触れた「タカジアスターゼ」の話を覚えている方はいらっしゃるでしょうか? 日本人である高峰譲吉による「胃薬」の話をここでしました(ついでに水飴の作り方も紹介しましたが)。彼が発明した胃薬「タカジアスターゼ」はアメリカのパーク・デイビス社がこの薬の発売を行い、そして日本ではこの胃薬の為に今の「三共製薬」の元となる会社が興された、という話をしたのですが.........
 さて、エピネフリンなどが分離されたころ。副腎髄質のエキスは色々と調べられていまして、血管を収縮させて血圧を上昇させる効果や、気管支を弛緩させて喘息の発作の改善。また止血作用などが知られていました。つまり、こう言ったことから薬を作りだすことが出来ないか? こう思ったパーク・デイビス社は色々と挑戦するのですが、色々と壁にぶち当たります。
 何故か?
 答は簡単でして........動物臓器よりエキスを直接抽出していたのですが、これだと効果が不安定で一定でない。また、変質しやすいことから商品として扱うことが出来ない........つまり、「薬」=商品としては余りにも難点だらけでした。そういうことで、その有効成分の分離を行うことが急務となります。
 そして、その白羽の矢が立ったのは、パーク・デイビス社にタカジアスターゼをもたらした日本人研究者、高峰譲吉でした。

 さて、この頃の高峰譲吉。
 青色吐息だった彼の生活は、タカジアスターゼの成功により安定した収入を得ることとなり、ついには自分の研究所を持つことになります........とは言っても、今からでは信じられないでしょうが、ニューヨークのセントラルパーク西109丁目にあるアパートの地階にこれがありました(今は何があるのでしょうか?)。つまり、町のアパートの一室、だったのですが........まぁ、時代といえば時代ですね。そして、バーク・デイビス社より牛の副腎髄質エキスから有効成分の分離に着手し始めた頃の1900年2月。彼の研究所に入った上中啓三という日本人が参加してこの研究は本格的に開始されることとなりました。
 二人による研究は色々と進みます。そして、偶然が彼らの味方をしました。
 1900年7月20日の夜のこと。帰るときには実験台の上は奇麗にする、と言うような整頓好きのはずの上中は実験を終えて帰ろうとしたとき.........「この日ばかりは何もかもが面倒」、という日だったのか、彼にとっては珍しいことにやりかけの実験をそのまま片づけることもなく帰路につきます。そして翌21日の朝、研究所に入った彼はやりかけの実験を眺めていると.........ある試験管の底に結晶を発見します。
 これが歴史的.......少なくとも科学史上最も重要な発見の瞬間となりました。

 高峰と上中はこの結晶を直ちにパーク・デイビス社へと送ります。パーク・デイビス社の研究所でこの結晶の薬理活性を調べた結果、この結晶は元の副腎エキスの1200倍もの効力を発揮することが判明。つまり、あれだけ探し当てていた「有効成分」であることが分かり、高峰達に電報でこれが知らされました。
 この報を受け取った高峰は、この活性成分の化合物に対して英語で副腎を意味する「adrenal gland」(実際に使う場合は二個あるので「adrenal grands」か?)より「adorenaline(アドレナリン)」と命名。そしてこれを生理学会に発表。翌年1月に特許を取るとともに、この詳報を学会誌に発表します。
 これは、後にホルモンと呼ばれる一群の化合物の世界で最初の分離・結晶化に成功した報告、となりました。
 尚、同年の別の学会誌にはパーク・デイビス社の研究所員であったT. B. アルドリッチもこのアドレナリンを分離したと発表します。この分離はほぼ高峰・上中と同時期に行われたものでした。彼は発表の中で自分が分離した化合物がアドレナリンと一致することを認め、同時に高峰達の発表ではよく分からなかったアドレナリンの分子式をC9H13O3Nであることを発表しています。

 ま、以上が世界で最初に分離されたホルモンである、そして皆さんも一度は聞いたことがあると思われる物質「アドレナリン」が見つかるまで、なのですが.......これで「めでたし、めでたし」といかないのが現実でして.........
 これにクレームを付けたのは1897年に「エピネフリン」を分離したエイベルでした。
 彼の主張は簡単でして........「最初に活性物質(ホルモン)を分離したのは私だ!」という物でした。ですので、この物質は高峰の「アドレナリン」ではなく「エピネフリン」であるべきだ、主張します。これはもちろんプライオリティーの問題がからんでくるのですが........エイベルは同時にドイツでヒュルスの分離した「スプラレニン」とも争っている真っ最中でして、おそらくは「厄介な問題が増えた」と思ったでしょう。
 これに対する高峰の主張は、自分が先駆者でないことと、エイベルとヒュルスが争っていることを認めたうえで「以前に純粋な活性成分を取りだされていない」ということを指摘し(エイベルの物は不純物が入っています)、「アドレナリン」の正当性を主張しました。当然エイベルは抗議するわけですが.......これに決着を付けたのは、分子式までは分かっていたこの物質の構造が判明してから、でした。

 その決着がつくのは1904年のこと。この「アドレナリン」=「エピネフリン」=「スプラレニン」の化学構造の研究をしていたドイツのパウリィは、エイベルの手法......専門的ですが、この物質に「ベンゾイル基」と呼ばれる官能基(その20参照)をくっつけてエキスより分離する.........による方法では、分離して得た誘導体のベンゾイル基を外しても(つまり、「元の活性成分の構造」になるはず)活性成分を得ることが出来ず、逆に高峰・上中の手法(アンモニア処理、という方法)では活性成分を得ることが出来た、と言うことで高峰達が最初に「純粋な活性成分を分離した」ということに疑いがない、と発表。高峰達の功績を支持し、これをもってこの論争に決着を付けます。
 そして、この発表のあった同年に、F. シュトルツによりアドレナリンの合成が成功することとなります。



 尚、名称に関して少し補足的に触れますと、各国で名付けられた名称はいずれも「腎」が関与していましたが..........「アドレナリン」は実は最初は特許名だったりします。もちろん今ではすでに期限が切れていますけどね。
 ただ、各国の名称の使用を見ると結構バラバラでして........医薬品の様々な規定を定めた「薬局方」という物が各国にはあるのですが、アメリカでは「エピネフリン」がこれに充てられています。しかし、ヨーロッパ圏.......イギリスやフランスでは「アドレナリン」が用いられています。日本だと不思議なことに「エピネフリン」(昔は「エピレナミン」でした)でして、高峰の「アドレナリン」とはなっていません。
#こう言うのは良く分からないのですが.......
 ちなみに、各国の専門書や科学書を比較してみてもなかなか面白く、アメリカで使われているようなものはことごとく「エピネフリン」ですが、日本やヨーロッパのものは「アドレナリン」が多いようです。もちろん一概にどうとは言えないのですが........まぁ、学生諸氏が見ていたら御注意を、と言うことで。医者で知らない、と言うことはないとは思いますが。
 ただし、これは次回に話す予定ですが、アドレナリンにはホルモンの働きがありますので、当然アドレナリンで作動する受容体(レセプター)があるのですが、これに関しては「アドレナリン作動性」という表記が多いように思います。余り「エピネフリン作動性」と言うような表記を見かけたことはないです。
 結構いい加減ですね........
 尚、ゲーム好きの管理人の主観ですが、ゲームの世界だとアメリカ物でも「アドレナリン」が多いような気がします。


 さて、そういうわけで長くなりましたが..........
 世界で最初に分離された純粋なホルモンが日本人によるもの、と言うことを知る人は意外と少ないようです。まぁ、当時の日本人科学者達が後に残した影響は極めて大きいものが多く、こう言った物を紹介していく価値はあるとは思っているのですが.........
 しかし、この最初のホルモン。実は、研究が進むにつれ、徐々にホルモンとしては「変わり者」であることが判明していきます。また、更にこれがきっかけで覚せい剤などがこう言った物に関与していくこととなるのですが..........
 ま、そこら辺は次回以降、と言うことで。

 今回は以上と言うことにしましょう............




 ふぅ.......ま、こんなもんか。

 さて、今回のからこらは如何だったでしょうか?
 まぁ、ここのところ民俗的な話とかが多かったので、こういう話になると「難しい?」という気がするかも知れませんけどね(^^;; ただ、当時明らかに「後進国」として見られていた日本の科学者が画期的な発明・発見をしていた、と言うのは知る価値があると思っています。また、この話はリクエストの多い「麻薬」などの覚せい剤関係に触れるには必要な話ですので.........
 ま、色々とプライオリティの絡むような話ですので、実は結構取り扱いが難しい話ではありましたが。

 さて、そういうわけで次回はこのアドレナリンと類似化合物の話を少ししようかと思います。ま、ストレスとかそういうのに関与するホルモンですが、ホルモンとしては「変わり者」ですのでなかなか面白かったりもするのですが。
 まぁ、どうなりますか(爆)

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/01/30記述)


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