からむこらむ
〜その141:緑の妖精〜


まず最初に......

 こんにちは。10月もいよいよ終わりとなりますが、如何お過ごしでしょうか?
 いやはや。今月は色々とあってあっという間に、という気がしますけどね.........後2ヶ月で今年も終わりとなるんですね。

 さて、今回ですけど........
 ま、マラリアに関して三つの事項を数回連続でやりましたので.........まぁ、今回ぐらいは1回で終わるようなものをしたいなぁ、と思いまして。そういうネタにしようと思います。っつぅか、体調不良のうえに「リハビリ」先の持ち帰りの仕事が凄いんですけど(爆)
 ま、それはともかく、ちょっと変わった物が絡んでくる話だとは思いますがね........ま、ある意味与太ですので気楽に読んでいってください。
 それでは「緑の妖精」の始まり始まり...........



 やがてジョゼの背中が見えた。さっき言葉を発した女の姿は、彼の姿に隠れていた。一歩からだをずらすと、金髪の若い女が唇をジョゼの方に差し出しているのが見えた。彼女は繰り返していた。
「アブサン」
 あたかもこの言葉しか知らないようだった。ジョゼは彼女の口に、小さなグラスのニガヨモギ酒を注いだ。彼のしぐさは限りないやさしさを秘めていた。
(『アブサン・聖なる酒の幻』/クリストフ・バタイユ著 辻 邦生・堀内ゆかり訳/集英社)

 さて、ご覧の中でお酒が好きな方も多いかとも思いますが。
 世の中にはちょくちょく「幻の酒」とかあったりしますけど........ま、中にはソーマ酒などという、完全に歴史の中に埋もれて「良く分からない」酒になってしまったものがありますが。そういう、ある意味「幻」になった酒として「アブサン(absinthe)」という物があります。
 .......このお酒、聞いたことありますかね?
 この酒はソーマとは違いまして比較的良く知られていた酒だったりしますが........ま、ある種のリキュールとして分類されている酒です。変わったところではニガヨモギを使った酒として知られています。アルコール度はだいたい70%以上でして、中には90%の物もあったとか言われていますが.......この酒は19世紀後期から20世紀の最初に最盛期を迎えまして、様々な社交場で飲まれ、そして現在においても良く知られている著名人  特に芸術家達に愛飲された酒として知られています。
 今回は、この「アブサン」の話をしてみようと思います。

 さて、「ニガヨモギ」という和名の植物を皆さんはご存知でしょうかね? 名前ぐらいは聞いたことがあるかと思いますが。
 ヨーロッパ原産のキク科の多年草でして、学名を"Artemisia absinthium L."(アルテミシア アブシンチウム エル)と言います。英語では"wormwood"でして、和名は「苦いから」ということでつけられています。7〜9月ごろに花を咲かせる植物でして、全草に強い芳香がある植物です。
 この植物はかなり古くから使われていまして、エーベルス・パピルス(その95参照)の時代にすでに回虫の駆除に有効なことが知られていました。ローマ時代では薬草として使われています。その後にも薬草として色々と調合されたりしたようですが、主にリウマチ、貧血症、貧血、黄疸などに、更に一般的には健胃薬として使われたりします。また、婦人病の民間薬としてかなり使われたようです。
 この植物には「話」がいくつかありまして、それを紹介しておきますと........
 属名である「Artemisia」には由来がありまして、小アジアのカリアの王妃アルテミシアの伝説に因んでいます。夫マウソロス王の死を悼んだ彼女は夫のために大霊廟(「世界の七不思議」の一つ(マウソレウム))を建てまして、亡夫の遺灰をニガヨモギの飲み物に混ぜて飲んだ、と言われています。また、ニガヨモギはキリスト教のエデンの園から追放された蛇の這い跡から生じた草なので苦い、という言い伝えもあるそうでして、ここからこの植物の英名が「wormwood」になったとも。ついでに魔女の秘薬としても云々.........
 花言葉はなかなか詩的であり、学名や「アブサン」に絡んでか"absence"に通じるとして「不在」。また、アルテミシアの故事より「離別と恋の苦しみ」という事だそうですが...........
#尚、"absinthe"と言う言葉はフランス語です。


 ところで、ニガヨモギは治療に使われていたわけですが。
 中世以降、アラビアより酒の蒸留技術、つまり「より高濃度の酒」が作られるようになった後、この植物は製剤化されます。その最初は痛風患者のための治療薬としてでして、方法はブランデーにニガヨモギを6週間浸ける、というチンキ剤(アルコール溶液)として用いていました
 これは、ニガヨモギのリキュール化の最初の様ですが......ただ、「酒」ではなく「薬」として用いられていました。
 しかし、やがてこの「薬」は「酒」としての「アブサン」に転じることとなります。

 最初の契機は1792年とも1730年とも言われていますが(非常に差があるのは謎です)、スイスより亡命してきたフランス人の医師であるピエール・オルデネルによってと言われています。彼はニガヨモギを浸した酒  「アブサン」の医薬としての性質に興味を持っていたのですが、その処方をとある旅館の女将に渡します。すると、この女将はこの処方を使ってアブサンを売り始めます。これが徐々に広まっていくと、アブサンの性的効果に注目した(当時のとある市長の)養子だったアンリ-ルイ・ペルノーが1797年にオルデネルの家政婦から処方を購入。彼はスイスにペルノー・フィス社を設立し、フランスのポンタルリエにおいて酒造所を開設。
 ここから本格的に「酒」としてアブサンが製造され始めます......もっとも、医薬品としても相変わらず使われるのですが。

 こうして本格的に製造されることとなったアブサンですが、最初の広まりはゆっくりとしたものでした。
 しかし、1840年代に北アフリカでフランス陸軍がアブサンを医薬品として採用すると、これがやがて兵士の合間に広まり、そして帰還した兵士達が徐々にアブサンを広めていきまして、その結果一般にも広まっていくこととなります。そして広まっていったアブサンは、徐々に社交の場で飲まれるようになっていきます。
 この頃のアブサンはどのようにして作られたか?
 19世紀の物はニガヨモギを始めとして、アニス、ウイキョウを一緒にして、これに少量のナツメグ、ビャクシン(ジュニパー)、ヤナギハッカ(ヒソップ)などとともに85%のアルコールに浸し、これに少量の水を加えた後に蒸留します。その蒸留物を飲むこともあるようですが、これにハーブを加えて濾過し、この高濃度のアルコール液を更に水で薄めて75%のアルコールを含むリキュールとして飲まれたようです。
 この酒は緑色をしていおり、独特の苦味とアニスの香りが特徴と言われています。ま、色々と作り方や飲み方はあったようでして、水で薄めて少量の砂糖を加えたりしたようですが。後は、スプーンの上に角砂糖を置き、これにアブサンをたらして緑色になった角砂糖を食べる、という方法もあったようですが........これは、角砂糖を食べているにもかかわらず余り甘くなく、アブサンの苦味を感じるそうです。

 さて、徐々に広がっていくアブサンですが、当時の退廃的な風潮とマッチしたのか相当に流行し、フランス・スイスの各所で普通に飲まれていました。「アブサン屋」と言うと「女を追い回す人」と言う意味があったとも言われています。そう言うような言い回しが出来るぐらい飲まれたと言えるでしょう。もっとも、「苦い悲しみ」という意味もありましたが。
 ところで、そのような流行の中でも特にある層の人達はこのアブサンを愛飲していたことが知られています。
 その層とはいわゆる芸術に携わる人達でして、19世紀に名だたる巨匠達がこの酒を愛飲していたと言われています。名前を挙げてみますと.......例えばゴッホ、ロートレック、モーパッサンにドガ、ゴーギャンにマネ、ポードレール。そして、短期間の活動ながら今なお名を残すランボーと言った詩人達もこの酒を愛したと言われています。
 実際、彼らの作品の中にはアブサンは良く出てきまして、一例を挙げるならばゴッホは「アブサンのある静物」と言う絵を描いています。他の作家の中でも作中に緑色の瓶  アブサンが描かれている事がありますし、それを飲む人達も作中に描かれていたりします。詩人のランボーもアブサンを讚えるかのように作中に出していまして、実際にアブサンそのものを題材にした「緑の妖精」と言う作品を残しています。その他、名だたる有名人達.......手元にある資料だけでベルレーヌ、オスカー・ワイルドなどもアブサンを讚える言葉を残しています。

 では、何故アブサンはこれほどの.......特に芸術家達に愛されたのでしょうか?
 アブサンには実は中毒性があることが知られています。ま、色々とあるようですが、性的な興奮を呼び覚まし、そして量によっては幻覚を見ると言う事もありました........つまり、ある種の「精神に作用する」酒でした。こう言った性質はかなり「魅力」を持ったようでして、人々を虜にしていきます。実際に中毒に陥る人が多かったせいか、「アブサン中毒」を意味する「アブサンチズム」と言う言葉が生まれるほどでした。
 そして、この様な中毒性は、幾度となく悲劇を呼び起こすこととなるのですが........

 アブサンに魅せられた巨匠達はアブサンを描いた、と言うことを書きましたが、面白いことにそこに描かれるアブサン中毒者達には共通項があると言われています。それは彼らの「目」でして......アブサン常習者達は共通して「どんよりと曇った目」をしていると言われています。実際にアブサンの「魔力」と言っていいほどの「魅力」に取り憑かれた彼らは一様に蒼ざめた顔をし、衰えた様子であり、また精神錯乱の症状をも見せていたと言われています。
 もちろん、これは彼らを描き、そして自らもアブサンを愛した芸術家達も例外ではありませんでした。
 その末路は色々とあるのですが........例えば、ゴッホは片耳をそぎ落とし、そして自殺してこの世を去ります。ロートレックは狂気に陥りますし、モーパッサンはアブサンと梅毒によって痴呆状態になったとも言われています。もちろん実際にそうなるには色々と要因があるわけですが、少なくともアブサン愛飲者は全体的に余り「良い末期」を迎えていない様な印象は強く、精神状態の悪化に手を貸していたことにほぼ間違いは無い様です。
 この様なアブサンの「人生への効果」を的確に指摘した言葉は、1672年2月17日付けのセヴィニエ婦人の書簡にある
 と言う言葉に集約されていると言っても良いかも知れません。
 有名な人物でこの様子ですから.......当然民間でも大きな問題となるはずです。実際、1860年代には動物実験でアブサンを飲ませた犬が痙攣や呼吸障害をもたらすと言うような報告はなされていました。しかし、そのような問題点  例え、アブサン中毒者による数々の精神錯乱や、それに伴う凶行が数多く発生したとしても、フランスを中心にアブサンは飲み続けられ、その消費量は毎年増えていく一方でした。実際に需要量は19世紀末から急増しまして、アブサンは一杯辺り、一塊のパンより安くなると言うように低価格化していきます。そして、ついには1913年までにはフランスでの年間消費量は1千万ガロンを越えることとなります。
 もっとも、それに伴ってアブサン中毒者による犯罪も増えていくのですが..........


 では、この酒「アブサン」のもたらす「狂気」の原因とは何か?
 この主成分は比較的早くから分離されていまして、19世紀にはツヨン(thujone:「ツジョン」とも)として知られるようになります。



 ツヨンは光学活性がありまして、右旋性(その24参照)のものが有効成分であることが知られています。
#この「向き」は先日のノーベル化学賞に絡みます。
 化学的に見るとツヨンは典型的なモノテルペン(その80参照)でして、炭素10個で骨格を成す、天然では典型的な化合物をベースとした物です。構造的には右に挙げたメントールと良く似ています。
 この化合物は脳の活動を活性化させ、想像力を助長し、性的興奮を増進させると考えられています......つまり神経毒であり、同時にある種の精神作用を持っていることとなります。ただ、実際の作用機構の詳細は現在も不明です。もっとも、以前大麻の話で触れた、大麻の麻薬成分であるTHCとの構造の類似が指摘されていまして、脳内では同じ受容体に結合するのではないかと考えられています。



 ま、これは非常に専門の領域なのでそっちに興味ある方のみ、ですけどね。THCの青い部分とツヨンとの類似性が指摘されています。
 ただ、ツヨンだけではなく、他にもニガヨモギのいくつかの成分がアブサンの狂気に手を貸していると考えられています。
 そうそう、忘れてはいけませんが........アブサンは冒頭に書いたように非常に高濃度のアルコールです。よって、アブサン中毒者はツヨンなどに中毒していると同時に、常にアルコール中毒であった、と言うことはアブサン中毒の症状の説明に補足しておいた方が良いと思います。
#協奏作用、と言ったところでしょうか。
#尚、余談ですが某Vicks Vaporubと言った薬に少量、この物質は(ある薬理効果を期待して)入れあることもあるようです。

 さて、一世を風靡した酒、アブサンですが、これの供給量の増加とともに増える犯罪が徐々に問題になります。
 既に19世紀後半にはツヨンの性質(=毒性)は問題になっており、これに反論すべくアブサン醸造メーカーは「我が社のアブサンにはツヨンは入っていない」と言うような、事実かどうか良くわからないような広告をうったりしています。が、それでも上述の通り需要量とアブサンに絡む犯罪は減ることはありませんでした。しかしジャン・ランフレイと言う人物が、スイスで酒に明け暮れた揚げ句アブサンに溺れ、その結果1905年8月28日に妻を口論の末射殺し、更に娘二人も射殺したことから事態は急に変化していきます。この裁判の結果、ランフレイはアブサンによる精神錯乱によって妻子を射殺したものと認定され、そしてこの認定を元に1908年にスイスではアブサンの製造を禁止します。
 これがアブサンの最初の、本格的な規制となります。
 隣国フランスでは、アブサンの毒性は知られていながらも、しばらくの間はそのようなことは誰も気にしませんでした。実際、フランスでは国会においてアブサン他種類の規制を行おうと議論がなされていたのですが、その度に廃案になっていました。ところが1914年に第一次世界大戦が始まると、国家体制の引き締めなどの必要性といった事を背景として「害悪」をもたらすアブサンを規制する方向になり、そしてついにはニガヨモギを使用した酒の製造の禁止が法制化されて、1915年3月17日をもってアブサンの製造・流通・販売が禁止されることとなります。
 以後、この酒は戦争が終わっても「合法的に」復活することはなく、そのまま忘れ去られてしまいます。

 では、現在では「アブサン」はどうか?
 一応、「アブサン」は生き延びています........少なくとも名前だけは。お酒が好きな方は「ちゃんとアブサンと言う酒はあるではないか」と指摘されるかも知れませんが、基本的に「まがい物」です。一応、EC時代に規定された数値をWHOが採用してから、ヨーロッパ圏内では10ppm以下のツヨンを含むものなら良い、と言うことになっています。ですので、その基準に沿った「アブサン」は見ることは可能です(基本的にはアニス酒らしい)。しかしながら、現在では「本物のアブサン」は極一部の地域を除いては合法的に飲むことは出来ません.......つまり、「本物」は密造以外にほぼありえないこととなります。
 そして、実際に本物を飲む機会はほとんど無いと言ってよいでしょう。
 まさに「幻」と化したわけですが.......
#一応、ネット上でも無許可製造の物が出回っていたりするようですが、当然安全性は保障されません。


 と、以上が「幻の酒」となったアブサンのおおまかな物語となりますが。
 ま、おそらくは「本物」は復権の可能性が出てくるとは思いませんけど.........ただ、もしかしたら大麻の解禁などの流れもありますから、また、などという日が来るのかも知れません。
 その時、またこの酒は芸術と悲劇を呼び込むのでしょうか?
 そんなことをふと考えてしまうのですが.........

 では最後にアブサンを形容した中で「最高の詩」とも言われているものを紹介して締めくくる事としましょう。
 これは、アルチュール・ランボーがアブサンを讚えた詩でして、題は今回のタイトルで拝借した「緑の妖精」です。
私は緑の妖精
私の服は希望の色
私は破滅と苦しみ
私は不名誉
私は恥辱
私は死
私はアブサン
 「妖精」は狂気を運んだということでしょうか?
 では、今回は以上で........




 終わり、と。

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 え〜.......まぁ、管理人の「リハビリ」先の仕事が凄いことになったので、やや急造気味になってしまいましたが(^^;; ま、それほど難しい話ではないとは思いますので大丈夫とは思いますけどね。一応、大分前からやってみようと思っていた話ではあったのですが、THCが絡みますので、大麻の話をするまで待っていたのですが。まぁ、大丈夫だとは思いますが........
 しかし、まぁ.......ある意味不思議な「何か」を持った酒にも思えますけどね........

 さて、と。次回はどうしますかね.........
 なんか忙しそうなんでちょっと決まりそうにないですが。ま、何か、と思います。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2001/10/30記述)


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