からむこらむ
〜その193:衛生の母〜


まず最初に......

 こんにちは。1月も来週で終わりとなりますが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 いやぁ、三が日は長かったですが、徐々に早くなってきたというか。あっという間に1月も、って感じですかねぇ。

 さて、今回は前回の続きと行きましょう。
 前回は安政コレラから始まり、そこからコレラの歴史について、コッホによって病原菌が発見されるまでを触れました。今回は、その続きと、コレラのメカニズム、そして明治以降のコレラについて触れてみようかと思います。
 ま、非常に大きな影響を与えたものですので、頭に入れてもらえればと思います。
 それでは「衛生の母」の始まり始まり...........



 さて、では前回の続きといきましょう。
 コレラの病原菌の発見という一つの重大な発表をしたコッホなのですが.......しかし、これは一つの問題を引き起こしました。

 では、何が起きたか?
 科学では普通の事なのですが、「異論」を唱えた人が出てきました。その人物の名はペッテンコーフェル。ミュンヘン医科大学の衛生学の教授ですでに70歳を越える長老は、1854年に行ったコレラの伝染経路の調査から、コレラの原因を「ある種の有機物が土壌で腐敗して毒素を作り出し、これが原因となる」と言う説を唱えていました。当然コッホの「微生物原因説」などは受け入れ難い。と言うことで、コッホに「インドで採取したその微生物をよこしてくれ」と手紙を書くなどします。
 コッホはきっと困惑したでしょうが.......彼の説の正しさを証明する必要が当然ありましたので、この菌を提出します。
 さて、ではこの菌を受け取ったペッテンコーフェルは?
 彼は自説に確信を抱いていました。コッホの説を覆すため、なんと彼はコッホの提出した菌を飲んでみせます。そして......驚くべきことに、彼はコレラにかかりませんでした。
 この結果を受け、言うまでも無くペッテンコーフェルは勝ち誇る事となります。つまりこの長老によってコッホの説は否定されてしまった訳で、コッホにとっては彼の努力と説が否定されてしまった上、信用問題にもかかわるという、かなり屈辱的な結果となるのですが.........
 しかし、話はこのままで終わりませんでした。
 ペッテンコーフェルは実は強運の持ち主だったのかもしれませんが、彼の弟子エムメリッヒは師匠ほど運がなかったようです。つまり、この弟子は師をまねてコッホの見つけたカンマ型の菌を飲み込んで見せました。ところが、彼は少し後にコレラが発症します。ペッテンコーフェルは慌てたでしょうが........これは自分が否定した方法でコッホの正しさを証明してしまう結果となってしまいました。
 これにより、コッホの発見した微生物がコレラの原因になる、と言う方向となり、そのままコッホはコレラを引き起こす微生物  コレラ菌の発見者として科学史に名を残すこととなります。
 一方でペッテンコーフェルも別の意味で科学史に名を残してしまいましたけどね。


 さて、こうして見つかったコレラ菌ですが。
 この菌は学名をVibrio cholerae(ビブリオ・コレレ)と言います。もっとも、昔の本を見るとVibrio commaと書かれてあったりしますが、現在は前者が使われています。ま、後者は初期の頃、形状からつけられた学名だと思われますが......形状は桿菌ですが、既述した通り先端が曲がって欧文のコンマ型をしており、一端に1本の長いべん毛をもつ事が特徴です。大体幅は0.5μm、長さは2μm程度。微生物の代表的な分類法であるグラム染色には陰性を示すグラム陰性菌です。
 日本では法定伝染病に指定され、国際検疫伝染病にも指定されているコレラの病原菌でして、その74で触れた分類を用いれば毒素型。その毒素であるコレラ毒素(cholera toxin, choleragen:コレラエンテロトキシンとも)によってコレラが引き起こされます。

 では、この菌によって引き起こされるコレラの症状とはどういうものか?
 すでに簡単に書いていますが、もともとはインドのガンジス川下流域の風土病的な性格を持った病気で、主症状は下痢です。もっとも、極めて激しい下痢でして、一日に10リットルかそれ以上の下痢を引き起こします。コレラ菌を摂取することで発病し、潜伏期間は通常1〜3日で5日以上にはならない様です。菌の摂取が多いほど潜伏期間は短いとされます。発症すると腹部の不快感と不安感を感じ、突然の下痢と嘔吐を始め、ショック状態になります。激しい下痢は独特で「米のとぎ汁様」でして、白っぽい水便様となり、特有の甘くて生臭いにおいを持ちます。下痢は発症後24時間でピークを迎えます。
 この下痢は激しい脱水症状を引き起こしまして、皮膚は弾力が無くなり、水分の損失による血圧降下、脈拍微弱、チアノーゼを引き起こして四肢は冷たくなります。その結果、指先の皮膚にはしわがより、目が落ち込んで頬がくぼむと言う「コレラ顔貌」と言う外見を呈します。また、時には四肢の筋肉が痛みを伴う痙攣を起こす事もあるようです。また、脱水のためにのどは渇く事となります。尚、意識は正常ですが時とて昏睡することもあります。
 そして、重症の場合は死亡することもあります。対策がとれない頃の死亡率は過去には40%を越えることもあったようで、かなり致命的な病気でした。その死因は脱水症状によります。
 尚、軽症の場合はここまでひどくは無く、下痢も軟便で回数も少なく、2〜5日程度で回復します。

 基本的にはコレラ菌に汚染された魚介・水を摂取することで感染することが最も多いとされます。
 コレラ菌は結構弱い菌でして、酸に弱く、熱や消毒薬にも弱い菌です。ですので、通常は健康な人の場合は体内に入っても胃酸によってコレラ菌は死滅します。が、菌の量が多かったり調子が悪い場合などはコレラ菌が胃酸で殺されずに通過し、小腸に達すると大増殖をし、その後菌が毒素を算出してやがてコレラが発症することとなります。このため、下水など水道が整備されていなかった頃には飲料水などにコレラ菌が紛れ込み、これによってコレラを引き起こしました。また、過去には海外から入港した船や船員・荷駄に対する検疫制度が確立されなかったために、感染地域からのコレラの侵入を容易に許し、これらの要因が相まってパンデミーを引き起こしたとされます。
 ま、結局のところ行き着くのは衛生問題でして、「清潔にする」環境を整えることで事前に防ぐことが可能ですし、現在においてもこの方法での水際での阻止が行われています。また、魚介や水でも熱に弱いために加熱で容易に殺すことが可能です。よって、コレラへの注意が喚起されている地域では食品・水に火や熱を加えることでコレラを防ぐことが出来ます。こういった点は「生で食うな」「生水を飲むな」と言う地域での不文律だとは思いますが.......これを守らないと、海外から日本へ帰国した際にコレラに罹患していることが判明し、隔離されてしまう、と言うことが起こる事があります。
 ちなみに、これを考慮するとコレラ菌を飲んで見せたペッテンコーフェルは、事前に弱って死滅、あるいは弱毒化したコレラ菌を飲んだがためにコレラを発症せず、彼の弟子は見事に生きていた菌を飲んだがためにコレラになった、と考えられます。

 コレラ菌にはいくつか種類がありまして、生物学的な性状から「古典型(アジア型)」と「エルトール型」に分かれます。両者ともO-1という共通の抗原その75参照)を持ちまして、その抗原の性状からさらに分類が可能となっています。19世紀にパンデミーを起こしたのは古典型ですが、近年はエルトール型が中心です。両者の差は感染力や病原性ですが、いずれも古典型の方が強くなっています。
 もっとも、最近は新型も出ているのですが、それは後述しましょう。
 尚、「その75」で触れた大腸菌と同じく、コレラ菌も全部が全部コレラ毒素を作るわけではなく、特に毒素は作らずに無害なコレラ菌もあります。

 さて、ではコレラ毒素はどうして下痢を引き起こすのか?
 この研究は比較的最近のことでして、毒素を持つ事がわかったのはインドのS.N.デェとN.K.ダタによって1959年に独立して確認され、その分離はR.N.フィンケルスタインによって1969年に行われます。が、メカニズムについての探索はさらにその後になります。細胞と分子レベルでの解明は1971年頃から発表され始めまして、現在ではほぼ全体像が解明されているようです。
 微生物の毒素の中では研究されている物のひとつとなっています。
 毒素はたんぱく質で出来ていまして、AサブユニットとBサブユニットに分かれています。AサブユニットはさらにA1とA2に分かれ、それぞれ分子量が22,000と5000、Bサブユニットは5つ同じものがあり、計58,000で。合計では約85,000となっています(とは言っても、分子量の数字は結構資料でばらばらなんですが、合計はほぼ一緒です)。
 簡単な構造を示しておきますと


 となります。A1とA2は硫黄同士の結合(ジスルフィド結合:ボツリヌス菌の例のごとく)で連結されています。

 コレラ毒素は標的となる細胞(腸粘膜上皮細胞が代表的)の表面にある受容体に結合して内部に侵入し、第二次メッセンジャー(その物の説明はやっているので略します)の制御を狂わせる事で下痢症状を起こします。
 つまり、第二次メッセンジャーであるcAMP(サイクリックAMP)と言う物があるのですが、これをATPから作るアデニル酸シクラーゼと言う酵素が存在します。この酵素はGたんぱく質と言うたんぱく質によって制御され、適切なコントロールが維持されています(ここら辺は大学の生化で結構やらされるところだったりしますが)。
 簡易な図で示しますと........


 図の左が何も無い状態で、受容体が結合すると図の右のようになります。アデニル酸シクラーゼによってATPはcAMPになりますがこの調節は図の左にあるGたんぱく質と、GTP(グアノシン三リン酸:ATPのアデノシンがグアニンと言う物質に変わったものです)/GDP(グアノシン二リン酸)によって変化します。
 α、β、γよりなるGたんぱくですが、これにGTPが結合するとαとGTPが結合したものと、β・γに分かれ(図の下参照)これがアデニル酸シクラーゼの働きを活性化させてcAMPの生産を行い、一方で酵素(GTPaseという)の作用でGTPからリン酸が一つとれるとGたんぱくとの結合が外れて元に戻り(図の式)、これによってアデニル酸シクラーゼの働きが不活性化されてcAMPの生産が止まります。
 つまり、Gたんぱく質によってアデニル酸シクラーゼの活性のオン/オフが行われまして、cAMPの生産が調整されます。
#実際はまた色々と複雑です(Gたんぱくの各サブユニットがまた色々と関与してややこしい)。
#尚、cAMPはあくまでも第二次メッセンジャーであり、その効果は細胞によって何かの働きを活性化させたり、あるいは不活性化させたりするなど違いがあります。促進の場合、Gたんぱく質はGs(今回はこのタイプ)、阻害性はGiと分類されたり色々です。

 コレラ毒素は、このcAMPの制御機構を阻害し、cAMPを大量に生産させる様に仕向けます。
 この結果、細胞の中の陽イオンや陰イオンといった電解質の濃度や水の量を調整している機構が際限なく働きまして、これを細胞外にどんどん排出していきます(専門注:cAMP依存性プロテインキナーゼの活性化に伴う能動輸送系(Na+輸送たんぱく質の不活性化など)の変化です)。その結果、腸管には水や各種電解質(Na+、K+、Cl-、HCO3-など)が大量に流出し、結果として下痢を引き起こすこととなります。そして、際限なく流出する水と電解質(両者とも細胞を満たす重要な成分です)は生体に激しい脱水症状と生体のかく乱を起こすこととなります。
 この部分をもう少し詳しく書きますと.........


 まず、標的細胞表面にあるガングリオシドGM1と言う糖鎖(これがまた生体に色々とあるのですが)にコレラ毒素のBサブユニットが結合します。これを足がかりにAサブユニットが細胞内へと侵入することとなります。尚、コレラ毒素の内、A1サブユニットが「毒素」としての働きがあり、細胞内に入るのはこのサブユニットのみとなっています(A2は侵入時に切り離されるらしい)。
 では、こうして侵入したA1サブユニットは何をするのか?
 細かいのはかなり面倒ですので(専門注:ADPリボースの話までやるのが面倒→学生さんは生化の本に大体載っていますから参考に)省きますが、早い話GTPがGDPになるのを邪魔します。その結果、cAMP生産不活性化の機構が阻害され、cAMP活性化が持続的に続くこととなります。
#ここら辺のGたんぱく質との兼ね合いは学生さんは良く勉強しておくと、生化などでは役に立つでしょう。
 ただ、メカニズムはまだ100%解明されているとは言えないようで、まだこれからの解明が待たれる部分があるようです


 では、コレラのメカニズムはともかく、実際にかかった場合の対処はどうすれば良いのか?
 現在では対処法は確立されていまして、基本的には失われた水と電解質を補給してやることで回復します。実際コレラにかかった際の補充水と言うものがありまして、これを経口、あるいは点滴で体内に入れてやります。これは結構な頻度で定期的に行う必要がありますが、大体はこれで回復するようです。実際には医者にいけばさらに下痢止めや抗生物質などももらうとは思いますが。症状の軽重によりますが、軽症なら1日程度、重症でも1週間程度の入院で回復するようです。
 尚、WHOの推奨している補充水(経口再水和液:ORS)の成分は、1リットル当り20gのグルコース、3.5gのNaCl、2.5gのNaHCO3、1.5gのKClとなっていましてかなりお手軽(値段として100円にもならない)物です。他にも色々とあるようですが、成分は大同小異でほぼ一緒となっています。
 ま、一番良いのは前述した通り、「コレラ菌に汚染された物を摂取しない」事ですけどね。
 また、一応ワクチンなどもあるようですが、あまり期待して良いようなものではなく、一般には対処療法が行われるようです。

 尚、余談ながらこのORSは下痢症状の対処にはコレラに限らず有効です。
 ま、下痢自体が基本的に体内から水と電解質を失わせるわけですので、その補給という観点で考えれば、別にコレラでなくても使えます。また、実はこの水+電解質と言うのは某スポーツ飲料の基本成分でして、それらで補給できるものです。実際、それら飲料は運動でかいた汗で失われた水+電解質の補給が主眼にあります。
 ですから、下痢に悩まされたらそういう飲料なり何なりで脱水症状を防ぐ事が可能です。ただし、水だけだと無理がありますが(電解質も重要なので)。
#そういえば、そこら辺が良くわかっていないテレビ番組が先日あったような........


 さて、では安政コレラ以降の日本とそのコレラ対策について触れて終わりにしましょう。
 安政コレラが終わった後も、日本は世界各国と同じくコレラに悩まされることとなります。これはおそらく歴史の教科書などには載らない部分ですが、明治以降もかなりの大流行を繰り返していまして、1877、79、82、86、90、91、95年と大流行を繰り返し、明治政府は国家的な問題としてコレラと面向かう事となります。これはかなりの大損害でして、明治時代の44年間のコレラによる死者は37万余といわれ、明治に行われた日清・日露戦争と言う大規模な戦闘行為の総死者数を上回るほどの被害となりました。当然、国民はこの対処を望むこととなりますが、明治政府はいわゆる「お役所仕事」で応じます。
 結果、国民の怒りはかなりのものとなり、各地で「コレラ一揆」と呼ばれる騒擾事件が起こる事となりました。
 しかし、明治政府がコレラを防げなかった理由は「お役所仕事」の他にも、実はありまして、実は港での検疫制度を確立できていない事がありました。「それくらい何でやらなかった!?」と思われるかもしれませんが、いわゆる「不平等条約」よって他国の艦船に関する検疫権を持っていなかったのが原因となっています。そう、実は不平等条約は貿易や裁判だけの問題ではなかった、と言うことが言えるでしょう。
 しかし、当時の日本にとって念願の条約改正(これは本当に「念願」でした)が叶うと、これによって海港検疫権を確立し、これで海外からのコレラの侵入を防げるようになります。そして、実際に日本のコレラ発生件数は減少に向かいます。
 こういった事もあってコレラに手を焼いた政府は、同じくコレラにさんざん被害を被った他国と同じくさまざまに衛生行政に手を加えることとなります。こういったことから、もともと各国でコレラは衛生行政の原点となっており、実際に「コレラは衛生の母」と言われるのですが、まさに日本にとってもコレラは衛生の母、となりました。

 さて、その後は目立った流行は減るのですが、再度問題になる事もありました。
 それは第二次世界大戦後に起きました。1946年、終戦に伴い戦地から引き上げ、復員してきた兵士達がコレラを運び、これが流行して「復員コレラ」として恐れられるようになります(死者560人)。その後は衛生状態の改善もありまして、日本からはコレラはほぼ消滅することとなるのですが........しかし70年代からこの傾向が崩れます。
 1977年、和歌山県有田市で汚染魚介・汚染井戸水によるコレラの発生が起こり、翌年には東京上のの結婚式場で汚染された輸入ロブスターが原因とされる集団コレラが発生します。この事から輸入生鮮食品や冷凍魚介類に対する警戒が起こる事となります。その後は毎年数名〜百名程度の患者が毎年出ています。
 基本的に最近の感染事情は国外での感染が多く、輸入食品の他に、人が感染して帰国し、検疫で発見されるケースも多くあります。
 また、現在では日本でも普通に見られる菌になりまして、神奈川県鶴見川でもコレラが見つかってから検査され、もともとは熱帯・亜熱帯地域の菌であるものの、温帯の河川や海からも見つかっています。もっとも、大半は毒素産生をしないタイプでして、こういったものが人体から検出されても法定伝染病とは扱われません。また、O-1抗原を持たない「非O-1」コレラと呼ばれるものもありまして、これらは急性胃腸炎の症状を引き起こすことがあります。
 ま、衛生状態に気をつけることで普通に防げる物ですので、注意を怠らなければ日本国内では基本的には問題になることはあまりないと思われます。

 尚、コレラは世界的に見るとまだ一部地域では要注意となる物です。
 特に東南・南アジア地域やアフリカ地域でまだ頻繁に見られまして、この地へ向かう旅行者などは警戒が必要となっています。WHOによると、去年(2002年)の感染者は124,000人でして、死者は3,800人となっているようです。昨今の衛生状態の改善などもあって死亡率は下がっているといえますが、それでもまだたくさんの人が苦しめられているといえるでしょう。また、油断するとあっさり拡大する為に恐れる必要がない、とは言えません。
 また、「新型」も見つかっています。
 1992年にインドのマドラス地域において、既存のO-1の抗血清に凝集しないコレラ菌が見つかり、しかもこの菌によるコレラ様下痢症が流行し始めます。流行は西ベンガル地方へ達した後にバングラディッシュにも拡大し、1994年には東南アジアで見つかります。この新型コレラは研究の結果血清型O-139と決定されまして、Vibrio cholerae O-139 Bengalと命名されます。基本的にはエルトール型で、O-1と同じ毒素を産生し、そして日本でもこのタイプに旅行者が感染しています。
 もっとも、一応WHOではコレラと同じ扱いに準じる事になるのですが、日本では食中毒扱いとなっています。
 ま、どちらにしても注意するに越したことはありませんけどね。


 と、長くなりましたが、以上がコレラの話となります。
 歴史的には新しいこと。しかし非常に大きな害をもたらし、今でも警戒されている物である、と言うことは理解しておいて欲しいと思います。特に海外に出ることがあるならばなおさら、ですけどね........
 ま、日本の歴史などと深く関わっている上、科学的にも研究が良く進められている物ですので、興味があれば色々と調べてみては、と思います。
#学生さんは特に細胞絡みで色々とあるので参考になるでしょう。

 ということで今回は以上、ということで終わりとしましょう。




 終わり、と。

 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 え〜、衛生関係と言うことでコレラを扱ってみましたが。ま、色々と実際には見る部分も多いのですが、とりあえず重要な部分は触れることが出来たといえるでしょうか。メカニズムもある程度触れられましたし(とはいっても、この部分は実際はかなり複雑なんですけどね)、大体はいけたと思います。
 ま、色々と興味や関心を持ってもらえればうれしい限りです。特に、まだ身近な物となる可能性があるものですからね.........

 さて、そういうことで一つ終わりですが。次回はどうしますかね.........
 え〜、とりあえず考えます(^^; 大ネタが色々とあったりするんですが、時間がもうちょい欲しいとかそういうのが結構ありますので。軽いものも欲しいといえば欲しいんですけどねぇ(^^; ま、頑張りますか。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2003/01/21記述)


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