からむこらむ
〜その201:霊を見る薬〜


まず最初に......

 こんにちは。長い4月も下旬となりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
 まぁ変化の時期で気が張る上、気候も妙な変動をしていますが.......皆さんもお気をつけを。

 さて、今回のお話ですが。
 今回は全開の続きといきましょう。幻覚剤の代表格であり、そして一方で害が問題になり、また一方で非常に重要な「役割」を果たしていく薬剤です。
 それは偶然から生まれ、そして大きく広まる事となりますが.......
 それでは「霊を見る薬」の始まり始まり...........



 皆さんはその96その97で扱った「聖アンソニーの火」、つまり麦角とそのアルカロイドの話を覚えているでしょうか?
 シュルテスとホフマンの『Plats of the Gods』にも「St. Anthony's Fire」として記載されているこの菌は、ある時は手足を切り落とすほどのダメージや死を人にもたらし、一方で片頭痛や出産に用いられるリゼルグ酸誘導体を産出する事は既に触れました。そして、過去に書いたようにこのリゼルグ酸誘導体は一つの有名な薬剤  幻覚剤を生み出します。
 今回はこの話をしましょう。
#尚、上の記事は目を通した物として話を進めます。


 過去に触れた通り、麦角は医用に用いるなどしていました。
 19世紀後半から化学が発展すると、その麦角の利用から「麦角を上手く使えば、更に良い薬を得られるのではないか?」と考えられ、実際に製薬会社はそう言った研究に取り組んでいました。その成果は麦角アルカロイドの分離と構造の解析といった形で現れ、その作用の解明研究へと繋がっていくのですが.......
 そういった研究を行っていた研究者たちの中に、スイスはバーゼルにあるサンド(Sandoz)社に勤めていたアルベルト・ホフマン(Albert Hofmann)がいました。

 麦角より得られるアルカロイドは、サンド社のアルツール・シュトール(この人は指導的地位にありました)によってエルゴタミン(その97参照)が得られた事より本格的に始まります。そしてサンド社はこの分野をリードする地位にありました。
 エルゴタミンは片頭痛の治療薬として使われるのですが、やがて1930年代にはエルゴノビンも得られるようになります。そして、同時期にこれらのアルカロイドの共通の骨格構造が突き止められまして、これがリゼルグ酸(lysergic acid)と呼ばれるようになります。
 この結果、基本骨格のリゼルグ酸が容易に得られるようになると、麦角のアルカロイドの各種成分の合成が進むようになり、1930年代半ばにホフマンはこういった事からエルゴノビンの大量合成法を開発をしています。これは産科において分娩促進と分娩後の止血に大活躍する事となります(過去の麦角の利用法の通り)。
 ホフマンはその後もこの方面で活躍しまして、麦角アルカロイドの混合物であるエルゴトキシン(同97参照)の構造を示し、更にこれに化学的に手を加えた(専門注:水素化したものらしい)薬剤が「ヒデルギン」という名称で市販されるようになります。
#同名の市販薬は日本でも存在していますが、成分が若干異なる程度で基本的には同じです。

 さて、この後もホフマンはリゼルグ酸誘導体の研究を行います。
 1938年、ホフマンはシュトールの元でリゼルグ酸誘導体の合成を行っていました。目的は頭痛薬(エルゴタミンの効果などからと思われますが)の開発でして、いくつもの誘導体の合成を行います。そして合成された化合物は動物実験に供され、その効果が調べられるのですが........
 さてこういった物は大体は期待出来る作用と言うものは持っていません。これはかなり「数打ちゃ当たる」の世界でして、実際に数百数千の化合物の合成を行っても、求めていた効果が得られない事がざらという世界です(最近はまた多少は事情が違いますけど)。これから問題になるその化合物も動物実験の結果、薬理学者の興味を引くものが無く、完全に「忘れ去られて」放棄される程度の、つまり「外れ」の化合物でしかありませんでした。
 もし、このまま放棄されていれば多分その後の歴史はまた変わったものがあったかもしれませんが.........
 しかし、5年後にホフマンは「ふとした思いつき」からこの化合物を再度試験してみようと思いつきます。もちろん、彼はその時まさかそれが大きな影響を及ぼすものとは思いもしなかったでしょうが。

 その問題の、この化合物が合成されてから5年後の1943年。
 これは非常に詳細な記録が残っている(ホフマンは詳細なメモを良く残す人だったらしい)のですが、4月16日金曜日の午後。ホフマンが研究室でこの化合物を合成し、精製と結晶化を終える直前、彼は体調の不具合を訴えて帰宅します。症状は「軽いふらつき」「落ち着かない気分」という物でした。
 帰宅した彼は横になるのですが、ここで彼は「極度に刺激された想像力を特徴」とする、「酔った様な、しかし不愉快ではない」状態に陥ります。夢見心地のまま目を閉じると、「不愉快な位の明るい日差しを見、更に異様な形態の絵が、万華鏡の様な色合いで次々に現れて」きました。
 この状態は2時間程度で収まります。しかし特徴的な、不思議な現象である。
 この非常に独特な体験を彼は上司であるシュトールに報告します。そのおかげで彼の「体験談」は記録され現代まで残る事となったのですが........この異様な体験が気になった彼は、この原因を自分が合成した化合物が原因であると判断します。そして19日にこの化合物を「たった」250μg(1mgの1/4=1gの1/4000:ほとんど見えません)ほどを飲んで様子をみる事にしました。
 しかし、彼は極めて異常な体験をする事となります。

 ホフマンの体験とはどういうものか?
 詳しいメモが残っているのですが、簡単に書くと16日の体験を更に強烈にしたようなものでした。「目に見える物はすべて歪み、ゆがんだ鏡の像の様に揺らぎ、家具も変化してグロテスクに。隣家の婦人は仮面を付けた意地の悪い陰険な魔女に見える。更に自分の内面や認知の変化も顕著であり、意思を働かせようとする努力はすべて無駄で、外界や自分の分解が止まらない。その後、恐怖に襲われ、別の世界、別の場所、別の時間へと連れていかれ、体には感覚がなく、生命も感じない奇妙な状態になった。」
 ........「はぁ?」と思われるでしょうが。ホフマンの報告を要約するとこういう感じになります。
 更には「体から精神が離れ」る様に感じ、「目を閉じても見える」万華鏡の様な極彩色が見えたとか、しかもその色彩が外界の音によって変化していく様が見えたとか色々とありますが.......いわゆる「サイケデリックな世界」を見る事となりました。
 ホフマンは服用から約14時間後の、服用した翌日の朝に完全に回復をします。
 回復後については「精神状態は良好で、朝食がなんとも美味い。自分の周りのものすべてが光り輝き、世界が美しく、まるで再創造されたように感じた」と記録しています。
 ま、過剰な多幸感、といったところかもしれませんが.......

 さて、ではこの問題の物質は何か?
 この物質はリゼルグ酸ジエチルアミド(lysergic acid diethylamide)と言い、ドイツ語で"Lyserg Säure Diethylamid"(スイスは地域によってドイツ語が使われる)より「LSD」と呼ばれる化合物です。


 25番目に合成された化合物という事で、あるいは最初に合成された日が5月2日(現地で1938/5/2→2/5/1938という表記)と言う事で、「LSD-25」とも呼ばれます。一般的には「LSD」が普通ですけれどもね。
 リゼルグ酸の類縁化合物は、「その97」で触れた通りアミノ酸のトリプトファンより(専門注:これにメバロン酸とメチオニンが関与)合成され、基本骨格(エルゴリン骨格)が作られます。各種類縁化合物の加水分解でリゼルグ酸が得られますが、LSDはこれをベースに合成(こういったものは「半合成」と言われます)して作られるものです。

 さて、正常な状態に復帰したホフマンは、会社にこの薬剤の服用の体験、つまり向精神作用について報告します。
 サンド社の同僚はこれがとても信じられませんでした。が、何人かがこれを服用し、ホフマンの報告をが正しい事を確認します。そして、更に調べた結果、LSDの服用の結果として「強烈な幻覚」「知覚の歪み」「統合失調症(精神分裂病)様の症状(これはサイケデリック芸術と統合失調症患者の絵を比較すると実に興味深い物があります)」「自分と他者を区別がつかなくなる」と言った物があることが分かるようになります。
 サンド社はこれを受けてLSDを「薬」として使えると考え、そして追及を始めます。
 これはかなり期待をしたようで、多数の研究者に無償でLSDと資金を提供しました。例えば統合失調症の症状も出すので、当時不明だったそのメカニズムの解明と改善に使えるのではないか? あるいはLSDの「無意識を意識させる」という効果より、精神療法に大して有効に使えるのではないかなど、色々と考えられました。実際、これには精神科医も参加します。
 これにはホフマンも非常に大きな期待をしたのですが.........では、これらの試みはどうなのか?
 実はこれは良好な結果を得られませんでした。というのも、一部では精神病患者の治療に成功したという報告も出るのですが、しかしLSDによって引き起こされる強烈な「知覚の歪み」や精神異常が、実際には治療を妨害する様に思えると報告されます。また、別の医師はアルコール中毒患者に対し、LSD体験のショックで正常化をしないかと「ショック療法」を考えて実行するのですが、これも初期には「成功した」という一部の報告はあったものの、実際には通常の心理的・情動的な支援と同じ効果しか得られない、と言う事が判明します。
 こういった精神に絡む治療の他に、末期癌患者への投与もまた行われました。これは間近に迫った死に対する精神的な負担を改善する事を期待されたようですが.......しかし、この試みもどうにも良くないものでして、LSDによって「良い経験(心地よい幻覚を見る)」をする反面「悪い経験」をするケースもあり、結局のところ医療への利用は総じて上手くいきませんでした。
 関係者はがっかりしたようですが........

 しかし、一方でLSDは「活躍の場」を与えられるようになります。
 そのきっかけはアイルランド系アメリカ人であるティモシー・レアリーによってなされました。この人物の名前を知る人は多いかと思いますが.......しかし経緯を知る人はそうはいないでしょう。
 1920年生まれのレアリーはアラバマ大学で心理学を専攻し、1959年にはハーバード大の臨床心理学講師に迎えられて将来を大いに嘱望されていた研究者でした。しかし、1960年にメキシコに渡りまして、ここで一つの体験をします。それは、ここで食べたあるキノコによって幻覚を体験したから、でした。
 詳しい種類までは良く分かりませんが、時期的にワッソンの後ですので、おそらくは前回の話が関与すると思うのは自然だと思います。
 レアリーはこの体験が衝撃だったらしく、幻覚作用に興味を持った彼は大学に戻り、同僚のリチャード・アルパートとともに幻覚作用の研究を始める事となります。
 そして当時ハーバード大の近くにあったマサチューセッツ工科大学(MIT)には、イギリスの作家オルダス・ハックスレーが客員教授として招かれていました。実はこの人、メスカリンなどに非常に興味を持っていた人物でして、実際に1954年に『知覚の扉』という本を著し、そこにメスカリンによる12時間の幻覚体験を書き残すなどしています。そして、近くでレアリーとアルパートが幻覚についての研究を行っている事に興味を示します。一方、レアリーらはLSDやシロシビンを取り寄せる(ホフマンはハーバード大から注文があった事を記録しています)など実験の準備を行うのですが.......
 しかし、両者とも1963年に大学を解雇され、ハックスレーもこの年に亡くなり、結局大々的な研究は行えませんでした。

 ところで、1960年代のアメリカでは一つの大きな流れが出来ます。
 大麻の話でも出てきた「ヒッピー」がそれでして、彼らは大麻や興奮薬でも出てきた通り、「ドラッグの文化」を作り上げた側面を持ちます。そして、彼らは更にLSDにもまた手を出していました。
 ヒッピー達とLSDの関係は密接でして、これが爆発的な流行を生み出します。もっともこれはヒッピー達だけで出来たものではなく、レアリーが大いに関与する事となりました。それは『PLAYBOY』誌にレアリーがインタビューに「LSDはセックスを刺激する」と述べ、これがヒッピーや若者たちの間で「LSDは媚薬になる」という認識を与える事となります。更にレアリーは1963年(解雇された年)にはメキシコにおいて「精神発見同盟」なる団体の設立を推し進め、そこでLSDの使用をカトリックの聖餐式に似た神聖な儀式として評価するなど、LSDの積極的な「活用」を始め、世間に訴える事になります。
 これは当時LSDに法規制が無かったこともあり、LSDの使用  実際にはそれも通り越して「乱用」を助長する事になりました。若者を中心にヒッピーはLSDの「トリップ」を楽しみ使用者が増加。そして一方でその体験から絵画や音楽といった芸術を、いわゆる「サイケデリック芸術」を生み出す事となります。
 つまり、極彩色が特徴のサイケデリック芸術は、LSDの使用から生まれたものでした。
 一方でレアリーはLSDを用いた活動でその「教祖」的な存在となり、またヒッピーのシンボルともなりまして、支持者とともにLSDを広めようとしていきます。そして、実際にアメリカのサンフランシスコで始まった彼の「布教」は全米に広がり、そしてヨーロッパにまで広がります。

 しかし、この爆発的に広まっていくLSDはやがて問題を起こす......いや、問題が「認知される」ようになります。
 LSDによる幻覚はかなりまちまちでして、一般にはその時の状況などで左右されました。が、結局は精神は不安定になりまして、それに関連して事件・事故を引き起こすようになります。例えば、チューリッヒではチューリッヒ大学精神科病院で冗談で友人のコーヒーにLSDを入れたところ、真冬の極寒(-20℃以下)のチューリッヒ湖に泳ぎにいってしまったとか。他にも突然の恐慌感に襲われ、窓から飛び出して死亡と言うケースが多く報告されます。更に追い討ちをかけるようにLSDによる知覚の混乱から多数の自殺者を出し、更には長期の精神異常、特に統合失調症を引き起こして治療を要する人が増えるなど問題を起こしていきます。

 更に1960年代後半のある発表もまた追い討ちをかけます。
 LSDは実は登場の後、CIAによって注目されていました。目的は色々とありまして、敵の無力化や自白剤の研究などでしたが........1953年(レセルピン登場の年)の頃にはCIAはLSDを用いた影響を詳しく調べていたようです。そして、同年に一つの有名な事件を起こします。
 メリーランド州の奥地で行われていたCIAと軍の技術担当者の研修の二日目のこと。「LSDによる敵の無力化」の指揮を執っていたシドニー・ゴットリープはこの日の夕食後、カクテルにLSDを意図的に混入します。しかも、そのことは誰にも告げずに。
 この後、LSDの効果により周囲が大笑いをする中、一人フランク・オルスンは強度のうつ状態に陥り、それが後を引いたのか、数週間後にニューヨークのホテルから投身自殺をして死亡します。
 この事件は15年間ほど秘匿されていたのですが、ちょうどLSDの問題が叫ばれる中で発表されました。
 もっともCIAとしてはこういった事は全て隠しておきたかったようですが.......見方によってはレアリーの熱心な「布教活動」が結果的にこういったことも公開させる流れになった、と言えるかもしれませんが、しかし問題に追い討ちをかけるには十分な発表でした。
 また、1969年8月9日には米国の女優で、当時妊娠9ヶ月目だったシャロン・テート(Sharon Tate)が、ヒッピー達のカリスマ的存在のでカルト教団の教祖になっていたチャールズ・マンソンのグループによって刺殺(主犯はスーザン・アトキンス)される事件が起きます(経緯は「シャロン・テート殺人事件」という映画になっているそうですが)。マンソンらはLSD他各種幻覚剤などを利用していた事が知られ、やがてマンソンらは一斉摘発を受ける事となるのですが........この事件もまた、LSDなどの危険性を示す事となります。

 こういった流れの結果、サンド社は1966年にLSDの製造を中止し、在庫を国立精神医学研究所に引き渡す事となります。
 一方、各国もLSDによる諸問題に対応する為、法的にLSDの規制に乗り出す事になります。実際、LSDはホフマンの例で分かるように、極く少量で幻覚を生じる為に高い危険性を持ち、問題がありました。しかしながら広まってしまった以上は容易に取り締まりも出来ず、実際には密造と言う形で社会に出回る事となります。
 例えば1970年代にギャング等が医者と結託して「産科で使う為」という名目でエルゴメトリン(構造は「その97」)を大量に購入し、ここからLSDを合成(そう難しくはない)して摘発を受ける(警察の情報勝ちだった)などしています。また1980年代以降からLSDの摘発も増加の一方で、紙にしみ込ませた物などで密輸を謀る(現在の一般的な手法:ミッキーマウスの絵などにしみ込ませてある事などから「ミッキーマウス」と言う別名があるのはこの為)など、現在においても厄介な問題を残しています。

 かくして世間に知られ、広まる事となるLSDですが.......では、これを見たホフマンは?
 LSDが問題になっていた頃、ホフマンはシュトールに「ねぇ君、LSDを発見しなければよかったねぇ。」と言われ、更にレアリーの「布教」活動や世間の動きから、ホフマンは大分苦い思いをしているようです。
 ま、科学者の思いが必ずしも、と言う事になってしまうのはいくつか今まで事例を挙げていますが、ホフマンもそういう経験をしていると言えるでしょうか。
 もっとも、ホフマンは天然物の研究で優れた貢献を残しており、実際に前回触れたシロシビンの研究はホフマンなくしては語れず、更に後述する通り、LSDは「自我」と「脳」の関係(=物質によって精神は左右される)などから精神医学に新領域を持ち込んだ、と言う意味では極めて重要な役割を果たしています。
 これは「革命」と言って過言ではなく、ホフマンの「偉業」として正当に評価されているものです。


 と、以上に幻覚剤の「代表格」となるLSDについて簡易に書きましたが。
 ま、実際には色々と調べると出てくる物はありますが、取りあえずこの程度にしておきましょう。興味のある方はヒッピー文化も併せて調べると興味深いかと思います。レアリーもある意味「奇人」というか、そういう人ですので色々と話はありますから、調べてみればまた色々と出るかと思います(この人は1996年に亡くなり、遺灰は宇宙にまかれています)。


 さて、取りあえず前回と今回で幻覚剤とその背景についてある程度触れてみました。
 しかし、実際にはこれの他にも色々と種類はあります。が、実際に一個ずついちいち触れるとキリがありませんし、また幻覚剤についての本質的な話  つまり幻覚剤の詳しい作用や「どういう物なのか」という具体的な物はあまり触れていません。
 次回から、そう言った物について触れていく事にしましょう。

 そういう事で長くなりました。
 今回は以上という事にしましょう。




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 幻覚剤と言えば忘れてはいけないLSDについてふれましたが.......ま、ホフマンと言うとシロシビンなどよりはこっちの方が有名ですがね。しかし、良く知られるように「サイケデリック」の魔力は様々な問題を引き起こした訳ですが........
 しかし、これがまた重要な、ことに後に関わります。

 そういう事で、今回は以上ですが。
 次回に、幻覚剤についてと、その機構についての話を触れていく事にしましょう。

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2002/04/22公開)


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