こんにちは。今年も後少しですが、皆様如何お過ごしでしょうか?
気付けばもう2週間はおろか1週間ちょいと言うところまで来てしまいました。早い物ですが。
さて、今回のお話ですが。
久しぶりというか、4ヶ月ぶりの「からむこらむ」となりますが。まぁ、仕事が入るとこんなものでしょうけど(^^; ひとまず、久しぶりの話で考えるものもありましたが、ふと思い出すものもありましたのである病気の話をしておこうと思います。
もしかしたら皆さんも関連するかも? と言う話ですがね。
それでは「風が吹いても」の始まり始まり.......
ここをご覧の方の年齢は果たしていくつかは分かりませんが。
人によっては重要なテーマとして捉えているかもしれないものに「健康」と言うものがあると思います。もし、今ご覧の方が若ければ余りこれに関心はないやもしれず(精神的なものは興味あるかも知れませんが)、一方である程度年齢を重ねていった方は気にし始めている、あるいは現在気にしている人もいらっしゃるかと思います。
ま、管理人は肝臓ぶっ壊していますので、流石に関心を持たざるを得ませんが。
#本当、あれだけは二度と勘弁して欲しい.......
さて、病気も色々とありますが昨今先進国で問題になっている病気があります。
形而上でも形而下でも「病気」は色々とあるでしょうが、「富める者」に特有の病気である、いわゆる「生活習慣病」と言う物は先進国でみられる代表でしょう。基本的に「贅沢病」と言う事になるかと思われますが、そのようなものの代表格に「糖尿病」といったものがあるかと思われます。そのような生活習慣病は血液検査で判明する事が多くあります。実際、ある程度年齢を重ねると血液検査で色々と調べる事となるでしょう。
ところで、血液検査で皆さんが気にするのは何でしょうか?
肝臓がアウトな管理人はGOTやGPTと言う項目が気になりますが。人によっては血中のグルコース濃度や中性脂肪など諸々が気になるでしょう......いわゆる糖尿病のリスクを測るのに使われる項目がいくつかありますが、それに関してです。「対策」と言う事で血液検査前の一週間で酒をやめるなんて人もいらっしゃるかと思いますが?
しかし、中には「UA」と言う項目を気にしている方もいらっしゃると思います。7.0mg/dL以下が目安になっているこの項目、何かというと「尿酸(uric acid)」と呼ばれる物の量です。この項目が高いと.......? 真っ先に疑われるのは腎臓の機能でしょう。腎不全と言う可能性が出てくるので、腎臓が弱い方はこれは気にするべき項目の一つとなります。また、あるいは「痛風」と言う物にかかりやすくなります。
実はこの「痛風」、糖尿病程ではありませんが典型的な生活習慣病の一つとして知られています。と言うより、糖尿病と痛風は生活習慣と関連する為か併発する事もある病気です。
と言う事で、今回はこれに関する話をしてみたいと思います。
痛風は古くから知られていた病気です。
既にエーベルス・パピルスに、つまり紀元前1500年頃には記録がされているようでして、記録されている病気の中では「古参」の類いといえるでしょう。事実エジプトではミイラに痛風の痕跡がみられるケースが知られています。その後のギリシャ時代にはヒポクラテスがかかっていたとされ、アレキサンダー大王も痛風に悩まされたようです。
その後栄華を極めたローマ時代の頃の記録にも大分残っておりまして、関係してプトレマイオス王朝の王達(クレオパトラの先祖ですな)などもかかっています。中世以降でもルイ十四世などと言った国王達やミケランジェロ、ダ・ヴィンチといった芸術家、ゲーテなどの文豪、ニュートンやダーウィンといった科学者などもかかっており、特に富裕層を中心にして比較的「一般的」な病気だったようです。
この痛風、「贅沢病」などと呼ばれる以上、富裕層にある人がかかる事が多く、金に飽かせての宴会続き、つまりレジャーはもちろん女(男?)をはべらせて云々。更には贅沢な食事に多量の酒と言った、まさに「贅沢」な暮らしを享受している人達にかかる事が知られていました。事実、1世紀に生きた『博物誌』で有名な大プリニウスの以来、「痛風は贅沢が増すにつれて多くなる」などと言われる様になります。
つまり、総じて「美食」「大酒」と言う事が痛風を語る上でのキーワードとなっています。事実、ローマ時代以降も西洋では長い間この病気をおこす人は大分いたためにその記録はかなり残っており、美食・大酒の快楽を享受した富裕層では特にみられるようです。
ま、痛風と美食・大酒、ひいては肥満との関係は現在でも言われている比較的「一般的」な通念だと思われますが。無論、定番である「ストレス」もこれに関わってくると言われています。
日本での痛風はどうか?
一般に語られる所では「約100年前から」と言う話が多いようです。つまり明治以降でして、江戸時代以前にはなかった、と言う説もあるようです。ルイス・フロイスも「日本には痛風がない」などと記録したと言われています。もっとも、これらはあくまでも「報告」と言う事から分かるものですが。
ただ、個人的にはこの意見には「どうだろう?」と思う部分もあります。
例えば平安時代。「美食」「大酒」は肥満と繋がると言う事は書きましたが、日本でもこの時代に一部の貴族はかなり肥満だった者がいまして、絵画、文章などに記録があります。例えば皆さん御存知「御堂関白」こと藤原道長。彼は栄華を極めた上に美食、大酒を楽しんだようで、実際に13世紀に描かれた藤原信実によると言われる「紫式部日記絵詞」に描かれている藤原の道長(四十代前後らしい)は結構立派に太っている。
史実では道長は糖尿病だったと言われています。これは藤原実資の『小右記』の記述から言われていまして、五十代の頃から口渇を訴えるようになり、水をよく飲むようになったとあります(糖尿病の典型的な症状)。彼の糖尿病は宴会続きなどによる美食、大酒と言った事が関連している事は容易に推測出来るでしょう(ついでに、藤原氏は糖尿病にかかっている者が多いらしい)。そのことから痛風も併発している可能性がある。
そんな時代に太った人間がいたのか? 道長が例外ではないのか?
平安時代と言うとどうにも想像がつきにくいですが、一部の恵まれた人間では肥満がみられ、記録をみても「相撲人(すまいびと)」として相撲取りの記録がこの時代にはありますので太った人間は少数だったとは言えど確実にいたといえると思われます。
#当時の相撲人の代表格は藤原氏最盛期の10世紀後半から11世紀初頭の、一条天皇の頃に名を残す大井の光遠(おおいのみつとう)などがいますか。
#『今昔物語集』巻二十四には相撲人の記録がいくつかあり、光遠の妹の怪力ぶりの話などもあります。
相撲取りでは、と言う事になるかも知れませんが、無論裕福な貴族でもそう言う人がいまして、道長以外にも肥満の貴族の記録が残っています。
その一例となる人物の話をしましょう。ある種の笑い話として『今昔物語集』巻第二十八第二十三に「三条の中納言、水飯(すいはん)を食ひたる語(こと)」と言う話がありまして、10世紀半ばに生きた才人でもある「三条の中納言」こと藤原朝成(摂政である藤原伊尹と対立して不幸な死を迎えています)にまつわる話があります。この中納言は
つまり太り過ぎて苦しく、立ち振る舞いが苦しい状態になったので医者を呼んだという事なのですが、これを診た医者は「冬は湯漬(ゆづけ)、夏は水漬にて御飯を食べましょう」とアドバイス(つまり「贅沢はやめなさい」と言う事)するという。
ま、興味あるかたは読んでみると面白いんですが、この三条の中納言、この話を聞いてどうしたかというと「じゃぁ食べていく様子を見ていってくれ」と医者に言い、その目の前で大きな銀製の器に水飯を盛りつけて食べてお代わりし、しかも三寸ばかりの干し瓜十個に、鮨鮎三十個食って、と言う無茶苦茶な食事を見せつけることとなります。
医者は「水飯だけでもこんなに食べちゃ更に太るぞ」と言って逃げて人に話したとか。その結果
此の中納言弥(いよい)よ太りて、相撲人の様にてぞ有りけるとなむ語り伝えたると也。
と締めくくられています。このような事を考えれば、朝成は立派な肥満だった事は間違いないといえます。更に当時の上位貴族の生活習慣上宴会は多く、権力争いに血眼になっていればストレスも相当なものでしょうからより肥満になりやすく生活習慣病にかかりやすかったとも言える。これを考えると「江戸時代より前にはなかった」とは言い切れないのではないか?
もちろん、確かな証拠は余りないようですが。ただ「ない」と切るのはどうかとも思います。
#統合失調症や白粉の鉛が「狐憑き」といった「呪詛」に関連したと考えれば、痛風の激痛もそれに関連させられてしまった可能性もあるとも思いますが。
なお、現代日本では1960年以降より増えていまして、現在は数十万人がかかっていると言われています。飽食の時代故に、と言う事かも知れませんが.......ちなみに、現代の相撲取りでは糖尿病と同じく、痛風で苦しむ人が結構いるようです(ある種の職業病とも言える)。
では、この痛風の症状はどうなのか?
痛風の症状のスタートは見事なまでに共通しています。最初の発症は足の親指の付け根の関節に、真夜中(就寝中)に激痛が走る事から始まります。この痛みは強烈とされていまして、「飛び上がるほど」の痛さ。歩くなどはもってのほか、と言う痛みでして、これが数日間続くと言われています。これが発作の最初です。
その後、対策をとらずに放置すると再度この発作が出てきて繰り返す事となり、やがて痛みは足の親指からくるぶし、足の甲、膝と拡大し、各所の関節が痛み出すようになります。この痛みは経験者によればまさに「二度と味わいたくない」痛みと口をそろえて言うものとなっています。
その痛みはまさに「風が吹いても痛い」と言う事で「痛風」と命名されることとなります。
この強烈な関節痛は食生活や社会生活などが大きく関連している事、そして男性での発症率が女性よりも圧倒的に高く、昔の書物では男性は女性の発症率の10倍と書かれるなど顕著に違う事は昔から知られていたようです。昨今のデータでは女性の発症率は男性100に対して1〜2程度となっているのが特徴的です。
#ホルモンの関係で差があるようです。
#なお、発症に関しては「徐々に体温があがって熱くなり」と言う状態である程度予測がつくようになるとか<経験者談
痛風はきわめて激しい痛みを伴うため、その治療薬の探索は重要な課題でした。
民間レベルでは有象無象含めておそらく色々とあったとは思いますが、6〜7世紀にはハーモダクチルス(hermdactylus)が有効であると言う情報が出てくるようになります。もっとも、誰もその薬の正体が分からなかったのですが、調べられるにつれてヒマラヤ産のユリ科コルチカム属の植物であり、コルキクム・ルテウム(Colchicum luteum)の球根である事が分かってきます。これはよく知られるイヌサフラン(Colchicum autumnale)と呼ばれる植物の関連植物であることもまた分かってきます。
イヌサフランは欧州、北アフリカ原産のユリ科コルチカム属の植物でして、現在では主に観賞用として栽培されている球根植物です。夏に植えれば秋ごろにサフランによく似た花を咲かせるために「サフラン」の名が入っていますが、サフランはアヤメ科クロッカス属のものであるために植物学的には全く異なる物となっています。
ま、検索すれば簡単にその画像を観る事ができるでしょう(便利なものです)。
イヌサフラン自体は2500年以上前のエジプトですでに知られていまして、当時からすでに鎮痛効果を期待されて薬として使われており、リウマチなどの治療に用いられたようです。もっとも有毒性が高い為に使い方は難しい事も知られており、1世紀にはローマのディオスコリデス(アヘンやマンドレークの話でも出てきています)はこの危険性について触れて、利用に際しての注意を促しています。結局それから1500年以上もの間この「危険性」が言われ続けて痛風治療には少なくとも大々的に使われる事はなかったようです。
一方、ハーモダクチルスの方は発見以降痛風治療に使われていました。これはビザンチンやアラブの医師達がよく用いたようです。
ところで両者は似ている、と言う事でイヌサフランを痛風治療に試したものはいなかったのか?
その毒性の為か、非常に長い間それを試したものはほとんどいなかったようです。ですのでイヌサフランが使われるようになるのは18世紀頃、ウィーンの病院でアントン・フォス・ストルク男爵が生の球根の安全な用法を確立するまで待つ事となります。そしてそれ以降、イヌサフランは痛風の一般的な治療薬として使われるようになります。
イヌサフランの利用が広まると、フランスやイギリスではこの球根をぶどう酒の中に浸した「家伝薬」が数種類販売され、中でもフランスの「デュソンの水薬(eau medicinale d'Husson)」は当時の「傑作」となったようです。これは18世紀フランスの専売薬でして、大陸中、あるいは当時敵であったイギリスにおいてもこの薬は売れたと言われ、皮肉な事に当時のイギリスの名士達(学士院会長バンクス卿など)はよく「お世話になった」とされています。
デュソンの水薬の用法は二回分が一つの瓶に入っており、必要に応じ4〜6時間に一回反復服用するようになっていたようです。
ま、流石に「敵に」となってはなんですのでイギリスも色々と、「ウィルソンのチンキ」とか同様のものを作ったようです。実際イギリスも普通に使うようになった為か1809年版『ロンドン薬局方』にはすでにイヌサフランの用法が記載されています。
さて、このような過程を経て痛風治療薬として使われる事になったイヌサフランですが。
この中の何の成分が有効であるのか? 当然、科学が発達するに伴ってこの疑問が出てくる事になります。これは化学が隆盛していた1820年には有効成分コルヒチン(colchicine)が分離され、比較的広まってから早く分離出来たといえるでしょう(モルヒネと同時期です)。一方、構造は1945年に初めて理解される事となります。