からむこらむ
〜その228:ヴィーナス、マーキュリー、ヒ素〜
まず最初に......
こんにちは。ひとまず梅雨が明けましたけど。
ま、暑いんだか涼しいんだかさっぱりの天気が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
さて、今回の話ですが。
梅毒の話について、前回は歴史やらそういう観点で触れていきました。今回はその治療薬の話などをしてみたいと思います。ま、色々と知られている部分もある話ですけどね......ま、性感染症が注目される昨今、ある程度知っておいてもよい話も加えておきたいと思います。
それでは「ヴィーナス、マーキュリー、ヒ素」の始まり始まり...........
さて、前回は「梅毒」の歴史的な部分や症状について触れましたが。
では、この病気の治療薬や方法はどうだったのか?
この病気の治療と言う観点以前に、まず「予防」と言う視点を持った人達がいました。
例えば前回も登場した梅毒の「syphilis」の語源を作ったフラカストロは、著書の中で梅毒へのもっとも有効な手段を挙げています。それは何か、と言うとズバリ「禁欲」。これは確かに重要な視点でして、性的な接触をしなければ必然的に感染する事がない、と言う事となります。
もちろん、それであっさり防げるような世情ではなかったありませんでした。
と言う事で、これに絡んだのが宗教、と言う説があります。この時代はちょうどプロテスタントの隆盛の時代でもありまして、彼らの主張における一夫一妻制と性の純潔は、このような時代背景もあったと考えられる事もできるでしょう。さらには「堕落」していたカトリックの高位にある者たちが梅毒に冒されていると言う事もあり、それに対する反対と言う側面も少なからずあると思われます。
ただし歴史で示されるように、プロテスタントは欧州では大きくは伸びなかった為に、結局は(そして皮肉にも?)梅毒の発祥の地である新大陸へと向かって移動していく事となります。
一方、多くの感染源となった娼家ではどうか?
梅毒が広まり、性感染症であると理解されると各地の娼家は閉鎖されて、娼婦達は奴隷となったり、あるいは追放等の処分を受けています。感染した娼婦達による梅毒の治療の守護聖人の元への巡礼なども流行る事があったようですが......もっとも、例外として港町はこのような処分を受ける事はなく、船員達の為の「施設」として状況はあまり変わらなかったようです。ただ、時代によって娼家の様相も違いまして、結局は「以前ほどではないけど存在している」と言う様な感じであったようですが。
#本能に繋がる話なので、あっさり終わるような事はないのは当然でしょう。
なお、日本では江戸時代には吉原等に代表される公娼制度が確立されていますが、これは梅毒の抑制にはあまり繋がらなかったらしいのは前回の記事での数の多さから言えるでしょう。もちろん、私娼も多くいました。
ま、最終的にはチャールズ2世に仕えた医者であるコンドーム(コンドン)博士が1671年にウシの腸を使って作り出した、いわゆるコンドームの使用が決定的な「予防法」となるのですが。これが大きく拡大するのは20世紀以降となります。
では肝心の治療の方はどうだったのか?
これは多くの歴史の例に漏れず、怪しいもののオンパレードとなっています。前述のフラカストロの本では、この病気に悩むものには「ホップ、ウイキョウ、パセリ、カラクサケマン、シダ、チャセンシダ、海葱」等の植物の処方を挙げていますが、効果は実際にはありません。それでもダメな場合には「より強い処方」として「エゴノキ、丹砂、酸化鉛、アンチモン、芳香剤の一粒を一緒にした塊を積んで、煙を全身に浴びる」と言う治療法が示されていたようです。もっとも、後者の方法での注意書きとしては呼吸も苦しくなると言う事で、「よほどの事の時だけ」この方法をとるように指示しています。
なお、鉛は以前触れていますし、アンチモンもそうですがあまり体に良くは無いものです。ましてや丹砂も正体が硫化水銀と重金属の使用が多いのが気になりますが......これで治ったか、と言うと大分苦しいでしょう。
このようなものの他にも、皮膚を焼きごてで焼くと言うような事もあったようですが、これをやると新たに雑菌が入りこみ、梅毒によって体力が落ちている状態では、雑菌による新たな感染症が加わって合併症となる可能性もあり、このような事から悪化する可能性があったとしても効果的だったとは思えません。
そのような中、比較的一般的に行われるようになる治療法も二つほど存在していました。
一つは南アメリカの植物を使う方法がありました。その植物はハマビシ科のユソウボク(Guaiacum Officinale)、あるいは「グアヤック」と呼ばれる木で、この木の樹皮を削り取って煮出した抽出液が梅毒に有効とされており、欧州では16〜17世紀頃に一部で知られるようになります。
この方法のそもそものきっかけは、現地で梅毒ではなく、その親類にあたるスピロヘータ類の仲間(もちろんこれが判明するのは20世紀です)が引き起こす「いちご腫(フランベシア)」と言う、皮膚病の一種に対して使われていたものです。この病気は性感染症ではありませんが、「皮膚で腫瘍を作る」と言う意味で似ていためか、「グアヤックも梅毒に効く」と思い込んだのかフッガー家がこれに目をつけます。このフッガー家、当時神聖ローマ皇帝となったスペインのカルロス1世の御用商人でして、これを独占的に輸入して梅毒の治療薬として売り込み、「フッガー家の財は梅毒で築いた」と言われるほどの大もうけしたと言われています。
ただ、この薬については抽出液を飲んだために有効性と言う点ではまた微妙で(注射などではまだしも)ある一方、有効であると言う記述の史料もあるようです。ただ、少なくとも現在の治療では使われておらず、その時代に生きたパラケルススもこの療法を否定しています。
ちなみに、パラケルススによるグアヤックの否定は、同時に時の為政者とつながりを持つフッガー家を非難する事となって、彼は色々と痛い目に遭っているようです。
もう一つはもっとメジャーでしょう。
その方法は水銀を使ったものでして、これがまた強烈なものでした。いくつか治療法はあるのですが、図版になるような形で残っている代表的なものを具体的に書きますと、患者にまず水銀(おそらく化合物)を塗り込めます。そして毛布で何重にも巻いてから汗をかきやすい所、たとえば暖炉の側や火の側、あるいは専用の部屋(サウナみたいな部屋)にその人物を置いて大量に汗をかかせると言うものでした。この方法はさらに、水銀の副作用によって大量の唾液もだしたと言われています。
この方法の根拠はよく分からず、可能性としては一つは皮膚病の治療に水銀を使っていたので、皮膚症状がでる梅毒に有効であると考えた事。もう一つは当時の思想で「汗をかいて体の中から悪い成分を追い出す」と言うものがあり、水銀はある量ならば代謝を活発化させて発汗を促進させるので、このような方法でより活発にこれを促進させる、と言う考えがあったと言うのもあるようです.......なお、それに必要な量は本来は「極く少量」ですので、塗りこめるようなほど大量ではないのですが。
むちゃくちゃと言えばむちゃくちゃですが、しかし実際の所、梅毒の治療の話題になればこの水銀治療の話は良く出てくるものです。
この治療についての当時のコメントは例外なく「苦痛」一色で染め抜かれていまして、「ヴィーナスの病」で苦しんでいる上に「マーキュリー(=神の名前でもあり、水銀の事でもある)」にも苦しめられるといった錬金術的な表現での皮肉が残されています。
まぁ、ヴィーナス(愛の女神)に嫌われて、マーキュリー(男の神です、念のため)と一緒になるんじゃなぁ......男性ならなおさら愚痴りたくもなるかもしれませんが。
なお、日本でも水銀が効果があると考えられていまして、「水銀風呂」の話などが有名ですけどが。日本の場合、入れ墨の赤の部分(辰砂、つまり硫化水銀の赤か?)が梅毒の皮膚症状にやられなかったようで、そこから水銀が使われるようになったとかあるようです。
以上のような事から、「水銀大活躍」となったか?
もちろん、単に苦痛であっただけでなく、以前の記事でも触れている通り水銀は毒性がありますので、一度に大量に使えば急性中毒、そうでなくても繰り返し治療を行えば慢性中毒になった可能性は非常に高いと言えるでしょう。ですので、相当に難しい治療だったようです。
ただ、水銀を使った駆梅剤と言うものは実はそれほど馬鹿にするだけと言うものでもありません。実はパラケルススは水銀軟膏薬の処方を有効として広めているようですし、後世になって「微生物と病気の関係を明らかに」するコッホが1881年、炭疽菌の胞子の培地での成育を塩化水銀が阻止する(おそらく水銀の殺菌作用から二塩化水銀でしょう)する形で、微生物の成育を水銀化合物が阻害する事を証明しています。
もちろんこの事は中世の乱暴なまでの「治療法」を全面的に支持するようなものではありません。しかし、コッホの研究は梅毒治療への応用に使われたのも事実でして、1880年代後半には可溶性の高い有機水銀化合物が開発され、これが駆梅剤として使用されるようになっています。ただ、水銀ですので使い方は難しいものがあったようで大活躍と言う事はなかったようですが、しかしある程度の「薬」が登場した事は確かです。
最初の決定的な治療薬は、化学工業の発達していたドイツから登場します。しかも、それは水銀化合物ではありませんでした。
この話は以前に触れたものになりますが、改めて紹介しましょう。20世紀初頭、化学療法の創始者として大きく名を残すパウル・エールリッヒ(Paul Ehrlich)の下には日本人留学生が来ています。その最初は1901年、北里柴三郎の門下生で3年前に赤痢菌の発見をしていた志賀潔でして、彼はエールリッヒの下でトリパノゾーマ(原虫)に有効な薬剤の開発に携わる事になります。
1904年にこれは「魔法の弾丸」ことトリパンロートの開発に繋がるのですが、この話は別の機会にしましょう。
この後、エールリッヒはアトキシールと呼ばれるヒ素化合物に着眼します。この物質はツェツェバエによって媒介されるトリパノゾーマによる病気「睡眠病」にかかったマウスに有効であったのですが、この物質の構造に手を加えてより良いものを作ろうと研究を始めます。
改良に着手したエールリッヒ達の下へ1908年、二人目の日本人留学生がやってきます。その人物は志賀と同じく北里門下生であり、日露戦争の従軍を経て前年からドイツへ留学していた秦佐八郎でした。彼は当初コッホの研究所にいたのですが、エールリッヒの下に移動してきます。
秦が来た頃、エールリッヒ達は既に500以上もの化合物の合成を行っていたのですが、その「先」はこの秦に任される事になります。これは秦に技術と忍耐力があった為にエールリッヒの信頼が篤かった為と言われています。
研究により、回帰熱スピロヘータでの研究が進んでいたアトキシールの誘導体でしたが、数年前に発見された梅毒トレポネーマをウサギの睾丸へ接種出来る事を聞きつけたエールリッヒは、イタリアまでこの方法を取得するよう秦を派遣。技術を身に付けた秦はエールリッヒの下に戻り、梅毒トレポネーマに有効なアトキシール誘導体の研究に打ち込みます。
そして、1909年の夏。
梅毒トレポネーマに冒されているウサギに対し、秦は合成したアトキシールの606番目の誘導体を静脈注射します。その翌日、ウサギの陰嚢から採取した資料からは梅毒トレポネーマが消滅しており、しかもウサギは特に問題を起こしていませんでした。つまりこの化合物は梅毒トレポネーマを宿主が安全な状態で駆逐する事ができることを示します。
1910年、ドイツ内科学会でエールリッヒと秦らはこの成果を発表します。この発表には人での臨床試験の結果も含まれており、同時に初めての梅毒に有効な、と言うよりは「世界初の」化学療法剤の発表となりました。
この606番目の化合物は「救い」を意味する「salva」と、ヒ素を意味する「arsenicum」から「サルバルサン(salvarsan)」と名付けられ、ドイツのイーゲー社から販売される事となります。また、梅毒だけでなくスピロヘータによる感染症に有効である事が示され、梅毒以外にもいちご腫やワイル病などの治療薬として使われるようになります。
専門的に見れば分かる通り、有機ヒ素化合物ですが不安定な傾向があるために通常は塩酸塩の形で存在しています。小難しく化学名で表せば4,4'-dihydroxy-3,3'-diamino-arsenobenzene hydrochlorideとなり、一般名はアルスフェナミン(arsphenamine)です(「サルバルサン」は商品名)。しかし専門的に言えばこの構造は実は厳密には分かっていないようでして、一般的にサルバルサンと言えばこの構造を左右対称の構造をもった二量体ですが、実際には三量体(中央部分でヒ素が三角形に配置)、あるいは五量体(同じく五角形に配置)されているのではないかと考えられているようです。
このサルバルサン、1910年の4月から12月の間に6万5000本のバイアルが生産され、無料で患者に提供されるなどします。それまでの治療法とは異なり、サルバルサンは大きな効果をもたらしたために多くの患者の治療に供される事となります。日本でもサルバルサンは輸入され、それまでの駆梅剤に取って代わる事となりました。
ただ、サルバルサンは面倒な点がありました。
化学的になりますが、使用するときには水酸化ナトリウム等を用いて遊離塩基の形(つまり構造中の塩酸を除く)にして使う必要があり、その為使用には若干の手間がかかった事と、ヒ素故に以前触れた通り副作用がそれなりにあった為、使い方が難しいと言うような難点があり、このような事情から後続の薬剤の開発が行われています。
そして最終的にはペニシリンを初めとする抗生物質の登場により、サルバルサンは使われなくなります。抗生物質の役割はやはり大きく、現在でもペニシリン系の抗生物質による治療が基本となっており、サルバルサンは現在ではまず使われる事がない薬剤となっています。
しかし、初の「化学療法剤」として登場し、治療が困難であった梅毒の治療薬として使えるようになった、と言う点ではわずか50年に満たない寿命ではあったものの、やはり大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
そうそう、「かつて」の治療法の一つに相当に粗っぽいものがあったので紹介しておきましょう。
この方法、梅毒トレポネーマが高熱に弱い事を逆手にとった方法でして、マラリアに感染して高熱を出し、梅毒トレポネーマをその熱で殺した後にキニーネを投与させて回復させる、と言う方法があったようです。
誰が考えたのかは分かりませんが(偶然梅毒患者がマラリアにかかって回復したのかもしれませんが)、まぁよくも、と思われるものですが。
もちろん、現在では行われる方法ではない、と言うのはマラリアの内容と抗生物質がある事を考えれば分かるかと思われますが.......
さて、梅毒はこの後も研究が進められます。
現在では検出方法は血清反応を用いた方法が一般的で、血清反応を見て検出する方法で梅毒の有無が判定されます(ただし、感染から一定期間たって抗体ができる必要がありますが)。もちろん、感染しても抗生物質を根気よく投与する事で問題なく回復する事ができます。
まぁ、「不安だ」と思いましたら、専門医にご相談を、と言う事になりますが。ただ、女性の感染において特別に症状が現れない場合が結構ありますので(50%程度と言われています)、もしパートナーの感染が発覚した場合などは要注意、と言う事になります。
そしてこの梅毒、昨今の性感染症の例に漏れず若年層における感染が増えていまして、特に不特定多数の相手がいる場合には大分厄介な事例になっています。有効な予防法はコンドームと、禁欲、と言うのは既に常識ですが怪しいと思ったら「お早めに」と言うのがアドバイスです。
なお、梅毒の感染状況は国によって違いまして、発展途上国では感染の報告は多く、一方で設備等の整っている先進国では少ない状態であり、また都市部で発生が多くなっています。日本では戦後間も無く大流行したものの、昭和二十年代後半にペニシリンの導入によって大場に減少しており、現在では国立感染症情報センターの2004年の報告では総数が533件です。もっともこの数字は他の感染症に比して比較的多い報告となっています。なお、アメリカでは10万人辺り4.3人で、ドイツはこの1/3、カナダは1/11、日本では上述の数字で出せば大体10万人辺り4人程度となります。
また、幸いな事に今のところは耐性菌の登場はなく、きちんと対処すればあまり恐い病気ではないと言えるでしょう。もっとも、ワクチンについてはまだ開発されておらず、梅毒トレポネーマの発見から約100年経過したいまでも毒性を持ったものを培養できてはいません。また、将来的に発生するであろう耐性菌の問題もあるでしょうから、まだまだ研究の必要があるものとも言えるのでしょうが。
なお、梅毒については現在問題になっているものは、上述の通り若年層での性感染と言うものがありますが、もう一つ別の側面で問題となっているものがあります。
何か、と言えば実はHIVです。ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus)、つまり発症すれば後天性免疫不全症候群、いわゆるAIDSを発症させるウイルスですが、このAIDSによって免疫機能が低下し、梅毒との合併症が起こる事が一つの問題となっています。もちろんこれは複合的な要因ですので、梅毒のみに原因するものではありませんが、しかし合併症として起こると相当に厄介となっているようです。
個人的には耐性菌の登場、と言うのが他の感染症と同じく恐ろしいものだと思っていますが......しかし、HIV感染者が増加している昨今、色々な面で梅毒もまた再度大きく注目される事となるのかもしれません。
さて、二回にわたり梅毒の話をしてみました。
良く考えると初の性感染症の話でもありますが。同時に初の化学療法剤とからめて話をしてみましたが.....ま、性感染症自体が色々と最近注意が向けられていますので、皆さんも色々と注意をしていただければ、と思います。
特に、「怪しい」と思ったら専門医にかかりましょうね......増やすのも迷惑ですから。
では長くなりました。
今回は以上という事にしましょう。
さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
前回の続きと言うことで性感染症の話でしたが。ま、前回は歴史中心でしたけど、化学関係の話しもしないとこのコラムの意味もありませんので(^^; あれこれと触れてみましたが。
ま、実際に性感染症関係は本当に、若年層で増えていまして大きく問題となってきているんですが、あまり注目もされていませんし。また結核と同じでしょっちゅう起こる病気でもありませんから、「良く知らない」と言う人もいますので、こういう話もまた誰かが触れる必要性があるとは思っています。
ま、でも行き着くのは耐性菌やらそう言う問題にもなっていくので、「性感染症」だけでくくるべき話題ではありませんが。それは注意して欲しいと思います。
そういう事で、今回は以上ですが。
次回は......管理人の「夏休み」中にいくつかやりたいなぁ、とも思いますが。まぁ、どうなるか分かりませんけどね(^^; 気長にお待ちくださいませ。
さて、何にしましょうかね......
そう言うことで、今回は以上です。
御感想、お待ちしていますm(__)m
次回をお楽しみに.......
(2006/08/03公開)
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